《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第八十話:暗雲 その1

博孝が『飛行』の訓練を開始して、一週間の時が流れた。

実技訓練では他の生徒の的にされ、放課後は砂原によってサンドバッグにされ、それでも弱音を吐くことなく博孝は訓練を続けている。

訓練を始めて日が淺いため、それほど上達はしていない。それでも空中で自分の意思通りにけるようになりつつあり、長を実しながら博孝は訓練に勵んでいる。もっとも、移の速度が遅いためクラスメートの弾を一に浴び、砂原には四方八方から毆られ、力と『構力』を削られ続ける日々だった。

「博孝、大丈夫っすか? なんというか、日に日に顔が悪くなってるっすよ……」

「ハハハ……平気平気。むしろ『飛行』の訓練が捗っていて元気なぐらいですよ?」

「そんな死人のような顔をしながら言われても……」

博孝がどんな目に遭っているかを知っているため、恭介は頬を引きつらせるしかない。壊れたように笑う博孝を見ていると、このまま『飛行』の訓練を続けることに不安しかじない恭介だった。

「晝飯は食えるっすか?」

「……おう。食わないともたないからな」

僅かに間を置いてから返事をする博孝だが、それを耳にした里香が顔を上げる。そして博孝に視線を向けると、張した様子で口を開いた。

「あの、ひ、博孝君……」

「うん? 何?」

小隊員やみらいと共に食堂へ移しようと思っていた博孝だが、かけられた聲で足を止める。そして何事かと思って首を傾けると、里香は頬を赤く染めながら一つの布包みを差し出した。

「こ、これ……」

「これは……ま、まさかっ!?」

布で包まれた、長方形の。そして、現在はお晝時である。このタイミングで出てくるなど、一つしかないだろう。

「お、おべっ、お弁當でしゅか!?」

驚き過ぎて噛む博孝。だが、里香はそれを指摘する余裕もなく、顔を真っ赤にしたままで何度も頷く。博孝はそんな里香の様子を見て、すかさず膝を突いた。そして主君から寶を授かる家臣のように、恭しく弁當包みをけ取る。

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「まさか本當に作ってくれるなんて……俺、っ」

弁當箱の重みを確かめ、博孝は腕で涙を拭う素振りをした。しかし、すぐに疑問が浮かんで顔を上げる。

「滅茶苦茶嬉しいんだけど、里香の分は?」

博孝の分の弁當包みはあるが、里香の分があるようには見えない。そんな疑問をけた里香は、先ほどとは違った意味で顔を赤くした。

「その……ね? 博孝君の分を作るのに夢中で、自分の分を作る時間がなくなって……」

二人分の弁當を作る手間はそれほど変わらないが、気合をれて飾り付けなどを行っていると時間が足りなくなってしまったのだ。そのため、結局は博孝の分だけしか作れずにいた。

博孝から話を聞き、実際に作るまでに時間がかかったのも、里香自納得のいく出來の料理が作れるまで時間を費やしたためである。里香の言葉を聞いた博孝は、思わず苦笑してしまう。

「そいつはなんとも……それじゃあ、晝飯は俺が奢るよ。お弁當のお禮ってことで」

「え? で、でも……」

「良いから良いから。よし、それじゃあ食堂に行こうぜー」

博孝の言葉に戸う里香だが、博孝は里香の腕を取って歩き出す。そんな博孝を見て、恭介は羨ましそうに口を開いた。

「手作り弁當っすか……羨ましいっすね。男の夢っすよ」

「はっはっは、羨ましかろう?」

自慢げに笑う博孝だが、その表は本當に緩んでいる。しかし、そんな博孝を見て沙織が近づいてきた。

「博孝? やけに楽しそうね。何かあったの?」

「何があったって? 里香が手作り弁當をぬわぁっ!?」

言葉の途中で沙織が拳を繰り出し、博孝は首を傾けて回避する。沙織の突然の兇行に驚くが、沙織の表は真剣だった。拳を構え、虎視眈々と鋭い視線を博孝に向けている。

「里香の手作り弁當? 毆ってでも奪い取るわ」

「奪い取るなよ!?」

間合いを測る沙織に対して、博孝はツッコミをれながら距離を取った。そんな二人を見て、今度はみらいがく。

「……だめ。おねぇちゃんがつくったんだから、おにぃちゃんがたべるの」

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両手を広げ、博孝を庇うように立つみらい。そんなみらいの抗議に、沙織は眉を寄せながら構えを解く。

「みらいにそこまで言われたら、退くしかないわね」

「そもそも奪おうとしないでくれよ……」

沙織の行が読めず、博孝は疲れたようにため息を吐いた。里香も苦笑しているが、どこか諦観が混じっているようにも見える。沙織は博孝が持つ弁當包みに視線を向けると、何かを考え込むように腕を組んだ。

「お弁當、か……今度わたしも作ってこようかしら?」

「沙織って料理できるのか?」

馬鹿にしているわけではなく、純粋な疑問として尋ねる博孝。里香は料理関係の學科に進もうとしていただけはあり、料理の腕が良い。しかし、沙織からそういった話を聞いたことはなかった。

「料理というか、家事は全般的にできるわ」

「へぇ……そうなのか。ちょっと意外な気もする」

「うちは両親が家庭放棄していたから、自分でやるしかなかったのよ」

さらりと、何でもないことのように沙織は言う。だが、それを聞いた博孝達は顔に縦線をれてしまった。

「何事もなかったかのように、重たい話をれてきたっすね……」

「沙織ちゃん……」

「……そっか」

それぞれが沈痛な表をすると、沙織は首を傾げる。

「気にする必要はないのよ? わたしも気にしてないし」

心底不思議そうに、崩壊した家庭がどうでも良いように沙織は言う。そんな沙織の言葉を聞いて博孝達は何も言えなくなったが、みらいだけは違った。みらいは沙織のもとへと歩み寄ると、元へと抱き著く。

「……さおり、がんば」

みらいはクラスの子達に可がられており、よく抱きしめられている。しかし、自分から抱き著くことは意外とない。博孝や里香にはよく抱き著いているが、沙織に抱き著いたのは今日が初めてだった。

それが故に、沙織は僅かに驚いた顔でみらいを見る。そして、すぐに笑顔に変わると、嬉しそうにみらいを抱き上げた。

「わたしを心配してくれたの? ありがとうね、みらい」

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楽しげにみらいを抱き上げた沙織だが、みらいも抵抗はしない。そんなみらいを見て、沙織は何度も頷いた。

「前々から思っていたけど、みらいは人形みたいで可いのよね。里香とは違った可さがあるわ」

そして、どこか不穏な響きがある言葉を呟く。それを聞いた博孝は、頭痛を覚えたように額に手を當てた。

「さっきの空気が霧散したぞ……いやまあ、そっちの方が沙織らしくて良いか」

博孝としては、そう言うしかない。みらいは沙織の言葉に首を傾げていたが、やがて何かに気付いたように視線を移させた。

「……おねぇちゃんより、おおきい……」

「みらい!? どこを見ながら言ってるんだ!?」

視線を沙織のに固定しながら呟いたみらいに、博孝はすかさずツッコミをれる。みらいはそんな博孝の言葉を聞くと、不思議そうに首を傾げた。

「……おにぃちゃんのまね?」

「そんな真似をさせるようなことをした覚えはないぞ!?」

「……でも、きょーすけとたまにいってる」

「そうだった!」

恭介と明けけに會話をしているところを聞かれていたらしい。博孝は焦ったような聲を上げ、恭介も冷や汗を浮かべている。そんな博孝達の會話を聞いていたのか、周囲の子達も白い目で博孝と恭介を見た。

「さいてー」

「変態」

「スケベ」

に対して吐き捨てるような聲で言い放ち、それぞれ食堂へと移し始める。

「お、男がスケベで何が悪い!? むしろ正常だろ!?」

「そ、そうっすよ! そういうお年頃なんっすよ!」

必死に抗議する博孝と恭介だが、それに耳を傾ける者はいない。みらいの発言を聞いた沙織は『大きいのかしら?』と首を傾げており、里香は無言で笑顔を浮かべていた。

――里香の笑顔が、やけに怖い。

「あ、あの……里香、さん?」

恐る恐る問いかける。今の里香を相手にするぐらいならば、笑顔で襲いかかってくるハリドの方が余程マシにじられるほどだ。

「ん? なぁに?」

「……いえ、なんでもないです」

余計なことは言うまいと誓い、博孝と恭介は互いに肩を落としながら食堂へと向かうのだった。

食堂の利用者というのは、非常に多い。みらいを含めても三十三人の生徒達のほとんどが利用し、席は満席に近いほど埋まっている。メニューも富であり、榊原の腕が良いために味も好評。その上値段もリーズナブルのため、生徒のほとんどが利用するのだ。

売店でもおにぎりやパンを売っているが、こちらは自室で食べるために購される場合が多い。気分転換に売店で晝食を買い、外で食べる者もいるが、真夏に外で晝食を取る者はほとんどいなかった。

「へへへ……それで里香さん、一何を買ってきやしょうか? このパシリめに命令くだせぇ」

卑屈な笑みを浮かべ、下っ端口調で胡麻を擂(す)る博孝。先ほどから笑顔を浮かべている里香が恐ろしく、時折博孝の視線が里香の足へと向く。もしもローキックが飛んで來れば、弁當だけは死守しようと思ったのだ。

怯えた様子の博孝を見て、里香は大きく息を吐いた。次いで、苦笑を浮かべる。

「もう……それじゃあ、日替わり定食かな。でも、本當に良いの?」

「もちろんでさぁ!」

許してもらえたことに喜ぶ博孝だが、その口調がお気に召さなかったのか里香の右足が僅かに浮いた。それに気づき、博孝は慌てて口を開く。

「お弁當のお禮だから、里香が好きなを頼んでくれよ。なんなら、メニューの端から端まで全部でも良いから」

「そ、そんなに食べられないよ……」

「だよね。みらいでも食べきれるか……いや、いけそうな気も……」

みらいの健啖ぶりを思い返し、博孝は首を傾げながら日替わり定食を注文する。その間に里香が席を確保し、博孝達は晝食を確保すると著席した。

博孝の対面に里香が座り、恭介は博孝の隣へ。みらいは何か思うところがあるのか、沙織の隣へと腰を落ちつける。

「それではお嬢様、日替わり定食でございます」

恭しく一禮しつつ、博孝は日替わり定食を里香へ差し出す。そして博孝は里香からけ取った弁當包みを解き、里香の手作り弁當と対面することにした。だが、教室で博孝達の會話を聞いていたのか、それとも目ざとく気付いたのか、クラスの子達が博孝の背後へと集まってくる。

「あれ? 河原崎君はお弁當?」

「というか、料理できたの?」

「へぇ……意外」

「お前ら、わかってて聞いてるだろ……」

振り返ってみると、子達はニヤニヤとした笑みを浮かべていた。里香は衆目が集まっていることに顔を赤くし、視線を彷徨わせている。そんな博孝と里香の反応を見て、子達は笑みを深めた。

妻弁當?」

妻弁當よね?」

妻弁當なのね!?」

これ以上楽しい出來事はないと言わんばかりに、満面の笑みで囃し立て始める。そんな子達の聲を聞いて里香は耳まで赤く染め、離れていた男子達も博孝へと目を向けた。

……妻?」

「いつの間に結婚したんだ?」

「……羨ましい。いや、本當に」

子達よりも反応が薄いが、反応は似通っている。余談ではあるが、『ES能力者』も通常の法律に則って結婚年齢が定められていた。そのため、里香はともかく博孝は結婚できる年齢ではない。

「だああああぁっ! うっせーぞお前ら! 靜かに食べさせろよ!」

せっかく里香が手ずから作ってくれた弁當なのだ。博孝としては、“可能な限り”味わって食べたい。そんな博孝の抗議を聞き、子達はニヤけた笑みを浮かべたままで自分の席に戻った。ただし、聞き耳は立てていたが。

「まったく……」

騒ぎ過ぎだろうと呟きつつ、博孝は弁當箱の蓋を取る。そして中を確認すると、笑みを浮かべて嘆の聲を上げた。

「おぉ……すげぇ」

二段になっていた弁當箱の上段にはおかずが、下段には白米がっている。白米は腐食防止のために梅干しがれられており、博孝的には非常にポイントが高かった。それ以上に目を惹いたのが、上段のおかずである。

夏バテの防止を意識したのか、豚や豆腐、枝豆が多く使われていた。豚は炒めた上でり下ろしたショウガと醤油で味付けがされており、その上でくどくもなく、箸が進む味である。豆腐は揚げ豆腐を使用し、枝豆を絡めた“あん”がかけられている。その他にもかぼちゃやごぼう、人參の煮っており、合いも鮮やかだった。

「……味い」

一口食べた博孝はぽつりと呟き、それ以降は無言で箸を進めていく。無言で、夢中で箸を進める博孝を見て、里香は安心したように微笑んだ。

「お、味しい?」

確認するように里香が問うと、博孝は無言でサムズアップした。里香が作った弁當は、博孝の味の好みにマッチしていた。むしろ、好みに合い過ぎて怖いぐらいである。無駄口を叩く余裕もなく、一心不に弁當の中を平らげていく。

味わいつつも本能が命じるままに箸を進め、博孝は五分もかけずに弁當を食べ終えた。そして食後のお茶を飲み、息を吐く。

「ふぅ……生き返ったような心境だ。味かった。滅茶苦茶味かった。これしか言えないけど、本當に味かったよ。人生の中でも三本の指に味しさだった」

「も、もう……博孝君、大げさだよ」

真正面からべた褒めする博孝に、里香は顔を赤くしたままで困ったように言う。しかし、褒められたこと自は満更でもないようで、とても嬉しそうだ。博孝は両手を合わせると、里香と弁當に対して頭を下げる。

「ごちそうさまでした! いやぁ、こんなに味しい弁當なら毎日食べたいぐらいだね」

「……え? ま、毎日?」

博孝が笑いながら言うと、何故か里香は顔の赤らめ合を強めてしまう。それを見た博孝は首を傾げるが、聞き耳を立てていた子達がすかさず博孝の背後を取った。

「毎日岡島さんの料理を食べたい?」

「味噌的な? プロポーズ?」

「わぁ……だいたーん」

囁くような、それでいて里香にも聞こえる聲量での言葉に、博孝は飲んでいたお茶を噴き出す。危うく鼻からも噴き出しかけたが、それは堪えて振り返った。

「お、お前らなぁ……」

呆れ半分、注意半分で怒ろうとした博孝だが、子達は先ほどとは異なり慈しむような、微笑ましいを見たような笑みを浮かべていた。

「あ、そうよね。こういう時は外部の聲は邪魔よね」

「ごめんなさい。でも、つい……」

「ごゆっくり」

それだけを言い殘し、子達は自分の席へと戻っていく。その際、『いやぁ、イイモン見たわぁ』などと呟いていたが、博孝としては納得がいかない。それでも視線を里香に戻すと、里香は落ち著かない様子で自分の髪を弄っていた。

「えーっと……」

「う、うん……」

「本當に味しくてだな……」

「う、うん……」

互いに言葉が見つからず、しどろもどろな會話をする二人。橫でそれを聞いていた恭介は、定食の唐揚げを齧りながら遠くを見るように目を細めた。

(なんというか、一番お邪魔なのは俺達じゃないっすかねぇ……)

こっそりと席を離れようかと思う恭介だが、沙織達は大した反応を示していない。それどころか、話を聞いていないようにじゃれ合っている。沙織の豆腐ハンバーグ定食に目を取られたみらいに対して、沙織が微笑みながら食べさせているのだ。みらいは餌を求める雛鳥のように目を輝かせており、沙織は親鳥のように甲斐甲斐しく世話を焼いている。

(この二人もよくわかんないっす……)

居心地の悪さをじながらも、恭介は食事を進める。話す相手がいないため、詰め込むようにして晝食を平らげていく。そしてやることもないので博孝と里香にそれとなく視線を向けつつ、會話に聞き耳を立てた。

「ほ、本當に味かったよ! 里香さえ良ければ、また作ってくれると嬉しいな!」

「う、うんっ」

しかし、場の空気に耐えきれなかったのか博孝は早々に離を決めたようだ。“冷や汗”を流しながら、椅子から立ち上がる。

(……ん?)

そこで、恭介は違和を覚えた。慌てたように椅子から立ち上がった博孝だが、額から冷や汗が流れている。里香との間に流れる空気をじて冷や汗を掻いたと思った恭介だが、それにしてはしばかり様子がおかしい。

常ならば里香も気付いただろうが、今ばかりは無理だった。博孝に手作りの弁當を渡し、食べてもらった上でこれ以上ないほど満足そうに『味しい』と言われ、とどめに周囲からの冷やかしである。普段に比べると、その注意力は散漫になっていた。

気になる異との間に発生した奇妙な雰囲気に耐えられなくなった――などという甘い空気には思えず、恭介は食べ終えたトレーを持ち上げる。

「さて、ごちそうさんっす。訓練服を部屋に忘れてきたから、先に上がるっすよ」

そう言ってトレーと食を返卻し、一足先に姿を消した博孝の後を追う。博孝は急ぎ足で“どこか”へと向かっており、恭介に気付いた様子もない。いつもならば、『探知』を発現せずとも他の『ES能力者』の気配に敏な博孝とは思えない無反応さだった。

(どうかしたんすかね……ん?)

訝しく思っていると、博孝はそのままトイレへと駆け込んで行く。それを見た恭介は、肩から力を抜いた。

(なんだ、トイレが近かっただけっすか)

クラスメートとはいえ、周囲からあれだけ好奇の視線を向けられればいくら博孝でも張するのだろう。なくとも自分は張するため、恭介はそう結論付けた。

(俺も今のにトイレに行っておくっすか……連れションは男の友とも言うっすよ)

そう思い、恭介は博孝の後を追うようにしてトイレにる。だが、博孝の姿はどこになかった。

「……あれ?」

思わず疑問の聲を上げる恭介。個室の扉も全て開いており、トイレに人影はなく――。

「ぐっ……く、そ……」

だが、一番奧の個室から博孝の聲が聞こえた。それは苦しむような聲であり、恭介は慌てて歩を進める。博孝は個室の扉にもたれかかるようにしてを預けており、何かを堪えるように荒い息を吐いていた。

明らかに尋常の様子ではなく、恭介は博孝の肩を揺さぶる。

「博孝!? 大丈夫っすか!?」

「き、恭介か……」

答えた博孝の顔は、先ほどよりも悪い。額どころか全から冷や汗を流し、顔を青ざめさせている。気分が悪そうに腹部を押さえており、歯を噛み締めて眉も寄せていた。

「ど、どうしたっすか!? 何かの病気っすか!?」

「……いや、そうじゃなくて……」

「とにかく、教か支援系の奴を呼んでくるっす!」

支援系の『ES能力者』ならば、その特上病気や怪我に対応するための知識も多く學んでいる。そう思って駆け出そうとする恭介だったが、顔を青ざめさせたままで博孝が腕を摑んだ。

「待て……恭介……」

「ま、待てって……」

摑まれた腕も酷く冷たい。それでいて握る力は強く、博孝は恭介が人を呼びに行くことを拒んでいた。博孝は何度か深呼吸をすると、『接合』を発現して腹部へと當てる。そしてそのまま気分を落ち著けると、引きつらせるように頬を吊り上げた。

「なんでもないんだ……だから、誰も呼ばないでくれ」

「いや……そんな顔をして言われても、信じられないっすよ」

博孝がやせ我慢をしているのは明白であり、恭介としては素直に頷くわけにはいかない。明らかな不調、明らかな異常。それを目の當たりにして放っておけるような格を、恭介はしていなかった。

「最近食堂の利用が減ってたっすけど、“コレ”が原因っすか?」

「……ああ」

ここまで來ては誤魔化せないと判斷したのか、博孝は素直に頷く。素直に話せば、恭介ならばわかってくれるだろうと判斷して。

「ハリドを殺してから……ここ半月ぐらいかな。飯を食っても戻すし、夜も眠れないんだよ」

ハリドを殺した一件。それ以降、博孝は平靜を保っていた――周囲にそう思わせる程度には、“普段通り”に過ごしていた。普段通りに馬鹿をやって、普段通りに訓練に勵む。自分のに起きた異常を正確に把握しつつも、それを隠していた。博孝としては恭介に知られてしまったのが計算外だったが、いつまでも隠し通せることではないとも理解している。

――それでも、可能な限りは隠したかったのだ。

の減退と、食事後の激しい嘔吐。特に、類が辛い。ゼリー飲料等で誤魔化してはいるが、胃がけ付けないのだ。

睡眠も完全に失せ、連日の訓練や砂原との稽古で疲労が蓄積しても眠れはしない。元々『ES能力者』になってからはそれほど睡眠を取っていたわけではないが、“眠らない”のではなく“眠れない”のだ。疲労はあるので布団にるのだが、目を閉じても一向に眠りが訪れない。それでも目を閉じているだけで多は回復するので、疲労を抜くために“寢たふり”はしている。

ハリドを殺した後、博孝は自分でも驚くほどに心をさなかった。『ES能力者』として、いつかは通る道だと覚悟をしていたのもある。しかし、微塵も神的に異常をじなかったのだ。だが、は正直なのか大きな異常を伝えてくる。

「それなら、なおさら話すべきっすよ。せめて、教には伝えないと」

博孝の話を聞き、恭介は博孝の異常がどれほどのものかを悟った。そして、それほどの異常を抱えているのなら、然るべき治療をける必要があるとも思う。

「教に知られたら、そのまま院も有り得る……でも、それだけは駄目なんだよ」

「駄目って……」

いくら『ES能力者』といえど、限界はある。博孝の言葉を信じるならば、食事も睡眠も半月ほどまともに取っていないはずだ。練の『ES能力者』ならばともかく、訓練生のには辛すぎる狀態である。

それだというのに、博孝は周囲には話すなと言う。それが恭介には理解できず、困するだけだ。そんな恭介を見て、博孝は引きつった笑みを深める。

「これでも……しはマシになってるんだ。今日だって、まだ吐いちゃいない……まあ、せっかく里香が作ってくれた弁當なんだ。吐いたら勿ねえ」

「そ、そんな問題じゃないっすよ!」

もしも博孝が自の不摂生が原因で調を崩したのならば、恭介も自業自得で済ませただろう。しかし、今回はそんなケースの問題ではない。

博孝も恭介の心を理解できる。友に厚い恭介のことだ、大きな不調を抱える博孝のことを強く心配しているのだろう。

「それでも、だ……教もだけど、里香に気付かれたら……」

博孝の言葉に、恭介は驚きのを覚えた。恭介とて、里香が何かに思い悩んでいることに気付いている。そして、それがハリドの一件が原因であり――前々から博孝に救われてきた、足を引っ張ってきたことに起因しているのだろうということも、察しはついていた。何故なら、恭介とて里香と似たような境遇にいるのだから。

もしもここで里香に知られてしまえば、里香は余計に思い悩むだろう。ただでさえ、自分を救うために博孝が人の命を奪ったのだ。その上で博孝が調を崩し、神狀態にも異常をきたしているとなれば、里香の苦悩が深まるのは明白である。

博孝の心と、里香の苦悩。その両方に直面した恭介はひどく悩むが、それを見た博孝が頭を下げる。

「なぁ……頼むよ、恭介」

それは、懇願するような聲だった。自分の調よりも、異常よりも、里香の重荷を増やしたくないと博孝は願う。ここまで隠し通したのだ。可能なら、墓まで持っていくつもりだった。

いつものように笑い、いつものように過ごしていく。そうすれば、今回のように気付かれることもない。事実、“普段通り”に振る舞うだけの演技力が博孝にはある。砂原と里香に多勘付かれたが、今はまだ確信を持たれていない。

「……わかったっすよ。俺は、絶対に岡島さんに言わないっす」

意思の強さをじさせる博孝の眼差しを見て、恭介はため息を吐きながら頷く。それを聞いた博孝は表を明るくするが、恭介はそれを遮るように聲を張り上げた。

「ただし! これ以上悪化するようなら、教には言うっす。そうしないと、博孝がもたないっすからね」

「……悪いな」

博孝の気持ちを汲み、その上で妥協點を提示する恭介に博孝は謝罪の言葉を口にする。

できる限り早急に、自力で持ち直す必要があった。病は気からとも言うため、博孝は努めて楽観的に事態の収拾を試みる。

だが、博孝が行ってきた努力は脆くも崩れ去ることとなった。

――翌日、博孝が倒れたのである。

どうも、作者の池崎數也です。

拙作を読まれた「おめちょんけん」さんから絵をいただきましたので、そのご紹介など。

博孝&沙織、第一小隊全員の絵です。あまりの上手さに、作者は目が飛び出るぐらい驚きました。作者の中で固まり切っていなかった博孝の顔が、一発で固まりました。宜しければ、以下のURLからどうぞ。

http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=43330412

おめちょんけんさん、本當にありがとうございました。

それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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