《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第八十四話:兆し その1

九月の上旬。博孝達第七十一訓練生達は、野戦服にを包んでグラウンドに集合していた。小隊ごとに集まり、一列に並んで待機している。

小隊ごとに一人、リュックを背負っている者もいるが、これは小隊員の野戦食や飲料をれているためだった。

今回――突如訓練生達に知らされた任務について、彼らは非常に驚いた。八月に海上護衛任務を終えたばかりだというのに、一ヶ月もしないに次の任務が行われるのである。

もっとも、任務を行う間隔の短さには驚いたものの、任務の容を聞いてからはその驚きも治まっている。これまでの任務のように遠出することもなく、訓練校の周囲の“ゴミ掃除”を行うだけだ。

そのため、荷は最小限にまとめ、小隊ごとに一人が背負うことになっていた。

「しかし、訓練校周辺の“お掃除”とはねぇ……」

砂原を待つ間、博孝は顎に手を當てながら小さく呟く。ここ最近は、里香と沙織による“獻的”な助けがあったためか、ハリドを殺したことで負っていた的影響が薄れている。神的には、いまいち休まらなかったが。

食事も普通に取れるようになり、睡眠もなんとか取れるようになった。睡眠の方が厄介だったが、眠れなければ砂原によって強制的に眠らされるということをが覚えたのだろう。そればかりは免だと言わんばかりに、意識を失うような素早さで眠れるようになってしまった。

「今回は突発的なじっすからねぇ。簡単な任務にしたんじゃないっすか?」

「……簡単だと良いなぁ」

目を細めて、青空を仰ぎ見る博孝。訓練校の周辺は、頻繁に『ES寄生』の駆除が行われている地域だ。ハリドが襲ってきた際、それに合わせたように市街地の近くまで『ES寄生』が接近し、民間人が不安を訴えたのが原因で今回の任務が行われると砂原から言われたが、博孝としては疑問を覚えざるを得ない。

市街地の民間人の不安を払拭(ふっしょく)する――それは良い。訓練生とはいえ、『ES能力者』にとっては本懐だろう。だが、いくら人手が足りないからといっても、二期分の訓練生を投するのだ。それも、最上級生の第六十八期訓練生と、“何故か”第七十一期訓練生が。

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普通に考えるならば、もう片方の期生は第六十九期辺りが投されるべきだと博孝は思う。わざわざ任務を行って間もない第七十一期を投するより、余程合理的だ。

「……何かあると思う?」

僅かに考え込んだ博孝に対し、里香が小聲で尋ねる。里香も博孝と同じ疑問を抱いているのだろう。その聲には、今回の任務に対する警戒心が滲んでいる。

周囲の生徒の様子を確認してみると、ほとんどの者が表を引き締めていた。三回目の任務で警邏をした際には『ES寄生』と敵の『ES能力者』に襲われ、四回目の海上護衛任務でも似たような経験をしている。

二度あることは三度あるとも言うため、油斷をする余裕もないのだろう。しかし、博孝は努めて明るく振る舞うことにした。

「まあ、そろそろ新しいお仲間が訓練校に來る頃だからな。汚れた玄関で出迎えるわけにもいかんだろうさ」

不安を煽ることもないだろうと判斷し、博孝は笑ってそう言う。あと一ヶ月もすれば、新しい期の生徒達が學してくる。そのためにも、訓練校周辺の治安を維持するのは重要だった。

「そう、だね……」

博孝の言葉に頷くものの、里香の表は納得したようには見えない。

博孝や里香は警戒し、恭介は僅かに張し――沙織とみらいだけは、いつも通りの様子だった。沙織がポケットから様々なお菓子を取り出し、みらいに対して渡そうとしている。

「この飴、売店で買ったんだけど味しかったのよ。みらいも食べる?」

「……たべる」

「チョコもあるわよ?」

「……たべる」

「クッキーも……」

「こら沙織! みらいが蟲歯になったらどうするんだ!」

『ES能力者』が蟲歯になるかは別としても、博孝としてはツッコミをれざるを得ない。みらいにはきちんと歯磨きをさせているが、甘いばかり食べさせるのは良くないだろう。博孝もみらいにお菓子を食べさせることがあるが、それ以上に野菜も多く食べさせていた。

「それに、栄養が偏ったらみらいが大きくならないかもしれないだろ!」

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「それは大丈夫でしょ。普段のみらいの食べっぷりを見たら、長しないなんてありえないわ」

博孝の抗議に対して、沙織は涼しい顔で答える。みらいは普段から健啖であり、下手をすると第七十一期訓練生の中で一番多く食べる。そのため、沙織からすれば博孝の懸念は必要ないものとしか思えなかった。

「……みらいも、おおきくなる?」

そう言いつつ、みらいが視線を向けたのは離れたところに並ぶ希の方だった。正確に言うならば、みらいの視線は希へと向けられている。しかし、沙織は別の意味に取ったのだろう。笑みを浮かべながら頷く。

「ええ。きっと、わたしよりも大きくなるわ。長だって、みらいがわたしぐらいの歳になったら超えているかもね」

「沙織っちよりも長が高いみらいちゃん……それはみらいちゃんじゃないような気がするっす。いや、髪のとかを考えると、発育次第ではモデルのようなプロポーションになるっすか? それはそれでありな気も……」

沙織とみらいの會話を聞いていた恭介が、みらいの將來像を思い浮かべて首を捻る。長がびたみらいが想像しにくかったが、背がびれば『可い』、『らしい』という印象から『人』というカテゴリに変わるかもしれない。

「それでいて、格はこのまま……人で無邪気なみらいちゃん……いけるっすね!」

「はーい、そこの恭介クーン? 一何がいけるのかなぁ?」

恭介の言葉を聞き、博孝が笑顔で拳を鳴らしながら歩み寄る。そんな博孝を見た恭介は、頬を引きつらせながら逃げ出そうとした。

「な、なんでもないっすよ! あ、俺トイレに行って――」

そんなことを言いながら離を試みる恭介だったが、博孝を警戒するあまり周囲への注意が疎かになっていた。逃げ出そうとした瞬間、里香が恭介の肩に手を置き、そのきを封じる。

「そろそろ教が來るから……ね?」

笑顔を浮かべつつ、それでいて恭介の肩に置いた手は萬力のような力を発揮する。恭介の肩からミシミシという音が響き、恭介は悲鳴を上げた。

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「いたたたたたっ!? ちょ、岡島さん!? マジで痛いっすよ!?」

「えーっとね……みらいちゃんの何がいけるのか、わたしも聞きたいかな?」

「可く言ってるけど、顔と聲が怖いっす!?」

里香に捕まった恭介から悲鳴が上がり、それを聞いた周囲の生徒達も笑い聲を上げて張を解していく。そんな笑い聲に合わせて博孝も笑い、知らず覚えていた“張”を解すのだった。

今回の任務で博孝達が行うのは、訓練校周辺の『ES寄生』の発見および撃滅である。もともと訓練校や市街地の防衛に當たっていた部隊や派遣された陸戦部隊もおり、その數は多い。それでも五十キロ四方の警邏を行うということで、人手が足りない場所へ訓練生が宛がわれることになった。

広範囲の『探知』が行える空戦部隊員を投すれば、『ES寄生』の発見もすぐに終わるかもしれない。しかし、『ES寄生』は元々が獣であることが多く、を隠すに長けている。それが『隠形』に近いものとなり、発見が困難である場合があった。

「そしてそのための人海戦、と……まあ、俺達も『探知』は使うんだけどね」

そんなことを言いつつ、博孝達第一小隊は山間部を進んでいた。今回もみらいが第一小隊に加わっており、最早第一小隊にるのが當然のような扱いになっている。

訓練校周辺の警邏任務ということで、訓練生に正規部隊員が同伴することはない。それでも、訓練生が擔當する區域では砂原や第六十八期の教が『飛行』で空を飛び、全を警戒しながら指揮を執っていた。

第一小隊では、博孝と里香の二人が『探知』を発現しながら周囲の『構力』を探っている。恭介と沙織が前衛として前を歩き、目視で異常の確認。里香がその後ろについて周囲の警戒。さらにその後ろをみらいが歩き、博孝が殿として周囲を警戒している。

訓練生が割り振られた區域は、正規部隊員に比べれば狹い範囲だ。それでも往復で六十キロ近い行程であり、山間部ということもあって移速度を速めていた。

『ES能力者』としての能力を活用すれば、六十キロ程度ならば二時間もあれば余裕で踏破できる。周囲の警戒さえ考慮しなければ、山間部だろうと一時間もあれば走りきれるだろう。『飛行』を使えば、さらに短くなる。

そのため、博孝は行きの三十キロを比較的ゆっくりと、周囲の警戒をにするため四時間程度で踏破しようと考えていた。帰りの三十キロについては、一度通った道である。警戒は継続するとしても、それほどゆっくりでなくても良い。

「さてさて、何も起きなければ良いけど……」

博孝はそんなことを呟くが、過去の任務では必ずと言って良いほど“問題”が起こっている。今回の任務は、校してから五度目だ。既に四回連続で問題が発生している以上、気を抜くこともできない。

(それに、今回の任務はゴリ押しで決まったみたいだしな)

生徒達に今回の任務について説明する砂原の表を思い出し、博孝は苦笑する。眉を寄せた砂原の表は、不本意であると雄弁に語っていた。何故なら、前回の任務から一ヶ月も経っていないのだ。

“通常”の期よりも一回分任務の回數がないのも理由らしいが、博孝としてもキナ臭いじざるを得ない。他の期と同様の回數分任務を行わせたいのだとしても、今回の件は急に過ぎるだろう。

訓練校周辺の警邏任務ということで、その難易度は低いように思える。しかし、博孝としては気を抜けるはずもなかった。

――その時、博孝の『探知』に『構力』が引っ掛かる。

『探知』で探れる範囲の最外縁部。博孝達の行く先に『構力』をじ取り、博孝は心でため息を吐く。それほど『構力』の発現規模は大きくないが、『構力』はゆっくりとした速度で移をしていた。博孝はその『構力』を捉えつつ、口を開く。

「……全員、戦闘準備。お客さんだ」

「こっちでも『探知』に反応あり。數は一」

里香も『構力』に気付き、博孝の言葉を補足する。博孝は『飛行』の訓練によって、里香は支援型の『ES能力者』としての訓練によって、『探知』の範囲も徐々に広がっている。現在では一キロ程度までは『探知』が可能であり、ほぼ同時に二人の『探知』に移する『構力』が引っ掛かったのだ。

「相手は?」

「この『構力』の大きさからして……『ES寄生』かな?」

沙織の疑問に里香が答えるが、博孝としても同意できる話だ。『ES能力者』にしては『構力』が小さく、そうなると『ES寄生』としか思えない。

『ES能力者』が『構力』を抑えている可能もあったが、それならば周囲の『ES能力者』に気付かれにくいレベルまで抑えるだろう。わざと『構力』をらすなど、相手をい込む時ぐらいしか用途がない。

しかし、じ取った『構力』は時間が経とうと一定のままである。その様子から、博孝と里香は『ES寄生』だと判斷した。

『こちら第一小隊の河原崎。『ES寄生』と思われる『構力』を発見。これから接敵します』

じ取った『構力』へと向かいつつ、博孝は攜帯電話のトランシーバー機能で砂原へ報告をれる。電波が妨害されるということもなく、砂原からの返答もすぐさまあった。

『わかった。相手の『構力』は?』

『小さいですね。“擬態”の可能は低いかと』

生徒達全員のカバーを行っていたため、砂原は博孝からの報告を聞いて第一小隊の方へと移を行う。空を飛んでいるためすぐに『探知』が可能な範囲まで移すると、博孝の言葉に頷いた。

『……こちらでも『探知』した。相手の『構力』からして、“擬態”ではないな。『ES寄生』だ』

『了解です。相手を目視したら再度連絡をれます』

砂原からのお墨付きも得て、博孝達は『構力』の方へと進む足を速める。周囲の警戒を継続しつつも地を駆け、木々をすり抜け、対象を目視できる場所まで移を続けた。

そして、姿を見せたのは――。

「熊ね」

「なんだ、熊か」

沙織はつまらなさそうに、博孝は安心したように大きく息を吐く。二人の視線の先には、言葉の通り熊の姿があった。唸り聲を上げつつ、周囲を忙しなく見回している。

「いや、その反応はおかしいっすよ!?」

二人の言葉を聞き、恭介がツッコミの聲を上げた。博孝達と熊の間には五十メートルほどの距離があるが、重たい足音を立てて近づいてくる熊の軀は大きく、長が五メートルほどある。普通の人間が日常生活で出會えば、間違いなく死を覚悟するだろう。

「そんなことを言われてもなぁ……」

熊のきを観察しつつ、博孝は頭を掻く。一見面倒そうに、それでも微塵の油斷なく熊を観察するが、博孝としてはそれほどの脅威をじなかった。

『構力』をじる以上は、『ES寄生』なのだろう。それでも熊からじる威圧は小さく、ラプターどころかハリドにも及ばない。もっとも、博孝や沙織からすれば、と言うべきだが。

『こちら第一小隊の河原崎です。先ほどの報告の続報です。熊の『ES寄生』を目視で確認。數は一、長は五メートルほどです』

再度トランシーバー機能を使って砂原へと報告をれる博孝。それを聞き、砂原からは僅かに固い聲が返ってくる。

『……他に異常は?』

『ないです。他の『ES寄生』も敵の『ES能力者』もいません』

『そうか……応援は必要か?』

『不要かと』

『ならば迅速に仕留めろ』

『了解です』

博孝からの連絡ということで警戒していた砂原は、“また”問題が起きたのかと思った。しかし、相手は『ES寄生』のみである。そのため、即座に仕留めるよう命令を下す。これは訓練生の任務であり、教である砂原は極力手を貸すべきではない。

それに加えて、自が鍛えた教え子――特に博孝や沙織が所屬する第一小隊ならば、『ES寄生』の一や二は問題ないと砂原は思っていた。

砂原との通話を終えた博孝は攜帯電話を腰ホルダーに仕舞うと、小隊員へ指示を出すことにする。

「さて、教からのオーダーだ。迅速に仕留めるぞ。沙織と恭介が前衛、里香は後衛として周囲の警戒。みらいは里香の護衛だ。俺は中衛を務める。牽制として俺が『撃』を一斉する。その後沙織と恭介は突っ込め」

『了解!』

小隊員からの返事を聞き、博孝は『撃』で弾を発現する。牽制と言いつつも、その數はおよそ二十発。仕留められるのなら、遠距離からの攻撃だけで仕留めようと思った。

音を立てて近づいてくる熊も、博孝が発現した弾に気付いたのだろう。それまでとは異なり、速度を上げて一直線に突っ込んでくる。

敵意と殺意がばら撒かれ、それをけた博孝は酷く張する――などということもなく、待機させていた弾を出。熊が避けにくいよう、五発は適當に散らせるような軌道で放ち、五発は時間差をつけて放つ。

「ガッ!?」

熊は弾の回避を試みるものの、有視界で放たれた弾は速度も威力も狙いも申し分なく、熊の顔面や、両手足へと著弾する。それを確認した博孝は、沙織と恭介へ突撃の命令を下すことにした。

「今だ!」

「わかったわ!」

「了解っすよ!」

二人が『瞬速』を発現しながら地を蹴り、姿を消す。恭介は『防殻』を発現しながら熊の懐へと飛び込むと、『ES能力者』の能力を十二分に活用して熊の腹部へ回し蹴りを叩き込んだ。

五メートル近い熊の重は、軽く見積もっても一トンを超える。下手をせずとも數トンはあるだろう。しかし、『ES能力者』として訓練を重ねている恭介からすれば、それほど重たいものでもなかった。普段から、それ以上の重りを擔いでランニングをしているのだ。

恭介の蹴りが、鈍い音を立てながら熊のを打ち上げる。そして、それに合わせるように沙織が大太刀を真橫へと振るった。

空気すら切り裂くような一閃は、容易く熊の首を両斷する。沙織自、ほとんど手応えをじないような鋭さで切り裂かれ、熊の頭が地面へと落下した。それを見た博孝は、再度『撃』で弾を発現して放つ。

首がから離れれば、普通の生きならば即死する。だが、相手は『ES寄生』だ。念のためにと“とどめ”を行い、しっかりと息のを止める。それでも、萬が一を考慮し、いつでも『狙撃』を行えるよう集中を継続した。

「……あれ?」

しかし、熊は起き上がるようなこともなく、全からを流しながら地面に伏したままだ。そのため、博孝は拍子抜けしたような聲をらす。

沙織や恭介も熊のきを注視しており、みらいも『固形化』で『構力』の棒を作り出して警戒している。里香は『探知』を発現したままで周囲の様子を探り、増援がないかを確認した。

そうやって三分ほど警戒を続けるが、何も異変はない。そのため小隊に集合するように指示を出し、博孝は砂原へと報告をれる。

『こちら第一小隊の河原崎です。熊の『ES寄生』を排除しました』

『増援は?』

『周囲を警戒していますが、ありません。仕留めた熊はどうしますか?』

『回収の人員を送る。お前達は任務を継続せよ』

博孝達が『ES寄生』に敗北するなどとは微塵も思っておらず、砂原の回答はスムーズだった。そのため博孝も了解の意を伝えると、通信を終える。

「みんな、お疲れ。怪我がなくてなによりだ」

「というか博孝、相手は最初の『撃』でほとんど死に掛けていたみたいっすよ」

労いの言葉をかける博孝だが、恭介が苦笑しながら答える。接近した恭介からすれば、蹴りを叩き込んだ時點で熊は死にかけていた。恭介と沙織がしたのは、とどめを刺しただけに過ぎない。恭介の言葉を聞いた博孝は、思わず頭を掻いた。

「おっかしいなぁ……たしかに『構力』はそれなりに込めたけど、こんなに簡単に死ぬなんて……」

そんなことを言いながらも博孝の心中に浮かぶのは、疑問だ。

初めての任務で戦った『ES寄生』は、博孝が『防殻』すらも使えなかったために強敵だった。

過去に戦った相手――もしもラプターが相手だったならば、牽制の『撃』では『防壁』を破れたかどうかも怪しい。ハリドが相手だったならば、嬉々として弾を切り裂いただろう。

海で出會った『ES寄生』は、その軀の大きさ故に仕留めるのが難しかった。

それらの経験により、博孝が“牽制”として放った弾には十分な殺傷力がめられていたのである。初めて“まとも”に戦った陸生の『ES寄生』だったが、その力は博孝の予想を下回っていた。そのため、博孝としては拍子抜けするほどに短時間で勝負がついたのだ。

「どんだけ『構力』を込めたんすか?」

「いや、牽制のつもりだったんだけど……“これまで”のことを考えたら、熊の中から敵の『ES能力者』が飛び出てきたり、熊が途中で変したりするかなって……」

「なんっすかそのホラー的景。さすがにそれは警戒し過ぎというか、被害妄想というか……」

そこまで言った恭介は、合點がいったように手を叩く。そして、博孝に対して労わるように笑みを向けた。

「博孝……きっと、疲れてるんっすよ」

「その反応は納得がいかねぇ!?」

恭介の言葉に反発する博孝だが、最近の行を思い返せばそれ以上の否定は難しかった。

順調というべきか、博孝達は四時間ほどの時間をかけて往路を踏破した。熊の『ES寄生』に出會った以降は特に問題もなく、予定の折り返し地點まで到達したために休憩を兼ねた晝食を取ることにする。

里香や沙織が作った食事ではないが、博孝も“戻す”ような真似はしない。博孝は周囲を警戒しつつも野戦食を噛み砕いて飲み込み、口を開く。

「帰りはペースを上げて戻るぞ。行き以上に周囲を警戒してくれ」

博孝がそう言うと、小隊員は食事を取りつつも頷く。博孝も里香も『探知』を継続しているが、至近距離に『構力』の反応はない。

――それ故に、僅かに離れた場所で音が立った時の反応は顕著だった。

「っ!?」

それほど離れていない場所――茂みから音が聞こえ、博孝達は臨戦態勢を取りながら警戒の眼差しを向ける。『探知』でじ取れる『構力』は存在せず、『隠形』を使った何者かが接近したのかと思ったのだ。

(それにしては、音を立てるあたり不用意な気もするけど……)

『隠形』を使って接近してきたにしては、お末に過ぎるというものである。それでも、まさか野生の兎や貍が出てくるわけもないだろうと博孝は警戒を強めた。

しかし、警戒する博孝達を他所に姿を見せたのは一匹の犬だった。黒い並みに、どこか円らな瞳。犬種に詳しくない博孝では詳細がわからなかったが、それでも敵の『ES能力者』などではない。『構力』をじない以上、野犬だろう。

出てきたのが野犬だとわかり、博孝達は警戒心を殘しつつも安堵の息を吐く。その中でも、みらいは目を輝かせて野犬を注視していた。

「……わんわん」

「ああ、犬だな。でも、狂犬病とかが怖いから近づいたら駄目だぞ?」

『ES能力者』が狂犬病に罹るのかという疑問はあったが、無暗に野犬に接するわけにもいかない。そのため、追い払おうと思った博孝だが、僅かに眉を寄せた。

「というか、野犬にしてはけっこう大きいような……」

そう言いながら博孝が見ている野犬は、高が七十センチほどある。十分に大型犬だと呼べるサイズであり、野犬にしては付きも良かった。

「よっぽど食糧事が良いのかしら?」

「それとも、が大きくなる犬種なのかな?」

博孝の言葉を聞き、沙織と里香も首を傾げている。沙織は可だろうが興味がなく、人並みにに惹かれる里香とて犬種に詳しいわけでもない。

「でも、野犬って放置して良いんすか? 保健所とかに通報した方が良いんじゃ……」

「ん? たしかにそうだな……とりあえず、教に指示を仰ぐか」

もしかすると、この場で仕留めるように言われるかもしれない。その場合はみらいが見ていない場所で手を下そうと判斷して、博孝は腰ホルダーの攜帯電話へと手をばし――その“変化”は、突然訪れた。

「グ……グガギギギギギィ……」

野犬の口から、鳴き聲と呼ぶには不自然な聲がれる。腰ホルダーに手をばした博孝が思わず手を止め、恭介は手に持っていた野戦食の一部を地面へ落とし、それまで『わんわん』と繰り返していたみらいも口を閉ざす。

「な、なんっすか? に何か詰まったとか?」

「いや、それにしては様子が……」

博孝と恭介は首を傾げる。野犬は唸るような、苦しむような聲を上げており、博孝達としては事態を注視せざるを得ない。その結果“待ち”の姿勢になり――それを、博孝は後悔することになった。

野犬のが、ところどころ隆起するように盛り上がる。野犬は苦悶の聲を上げつつ、からボコボコと音を立てる。部は膨らみ、腹部は凹み、や両手足がび、筋皮で覆われて隆起する。

その景を見ていた博孝達は、思わず絶句した。そんな博孝達に構わず、野犬の変貌は終わりを告げる。

それまで四足歩行だったはずの野犬は、まるで人間のように両の足で立っていた。部や、手足は鍛え抜いた人男のように筋が発達しており、のいたる部分が黒い並みに覆われている。しかし顔だけは犬のままであり、まるでエジプト神話のアヌビスのような風貌だった。

姿を変えた野犬――犬型の人と言うべきか、それとも人型の犬と言うべきか博孝は迷う。その姿だけを見れば、あるいは人狼とでも言うべきかもしれない。野犬のあまりの変貌に、博孝はどこか呆けるような聲で言葉を吐き出す。

「へぇ……最近の犬って、変した上に人間みたいに二足歩行するんだな。しかもムキムキ……なんて犬種? マッスルレトリバー?」

「そんなこと言ってる場合じゃないっすよ! というか、アレは絶対に犬じゃないっす!」

軽口のように言う博孝だが、恭介の聲は切迫していた。博孝の言葉が冗談だとはわかるが、さすがにその冗談に乗る余裕はない。張は解れるのだが、余裕を見せられる相手にも見えなかった。

そんな恭介の言葉が周囲に響くと同時、博孝達は眼前の野犬からそれまでじなかった『構力』をじ取る。その事実を前に、博孝は弾かれたように口を開く。

「っ! 全員戦闘準備! 詳細はわからんが、“敵”だ!」

小隊員に命令を下すと同時に、野犬が地を蹴る。それを見た博孝達は、『防殻』を発現しながら迎え撃つ。

そして、人型になった野犬――人狼との戦いが始まるのだった。

どうも、作者の池崎數也です。

當面(一ヶ月ほど)更新のペースが不規則になりますので、そのご報告です。

それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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