《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第八十七話:兆し その4

「――紫藤は、父親に似てるって言われないか?」

博孝がそう口にした時の紫藤の反応は、峻烈なものだった。言葉を理解すると同時に、普段は無表に近い顔を激に染め、右手を振り上げて博孝へと踏み込む。そして風を切る勢いで右手を振り下ろし、博孝の左頬へと叩きつけた。

「紫藤!?」

「ちょっと、遙!? いきなり何やってんの!?」

市原と二宮が驚愕したような聲を上げる。博孝はそんな二人の聲を聞きつつも、叩かれた勢いに押されて數歩後退した。

「博孝君!?」

紫藤の行には驚いたが、里香は繰り出された平手を博孝が避けなかったことにも驚く。博孝の技量ならば避けることは容易く、それが無理でもけ止めることぐらいは可能なはずだった。

左頬を叩かれた博孝は、首に手を當てながら軽く回す。“予想”はしていたことだが、想定よりも紫藤の反応が激しい。紫藤は極度に興した様子で博孝を睨み付け、肩で息をしている。そんな紫藤を見て、博孝は苦笑を浮かべた。

「おいおい、いきなりビンタは酷いんじゃないか? って、紫藤ぐらいの歳頃のの子は、父親に似ているって言われるのはショックなのかねぇ……そう考えると、俺が悪いな、うん」

そう言いつつ叩かれた頬をさする博孝だが、口の端からが流れていることに気付いて指先で拭う。強く叩かれたために、切れてしまったのだろう。治療系のES能力で治したいところだが、今はそれどころではない。心配そうな顔で博孝の元へと駆け寄ってきたみらいの頭をでつつ、博孝は紫藤へ視線を向ける。

「ごめんな。気に障ったのなら謝るよ」

人には他人にれられたくない、逆鱗のようなスイッチが存在するものだ。無遠慮にそのスイッチを押し込んだ博孝としては、謝罪するしかない――例え、“確認”を取る必要があったのだとしても、だ。

「二度と……二度と同じことを言わないで」

博孝の言葉を聞いた紫藤は、歯を噛み締めながら呟く。怒りを抑えて絞り出したようなその聲に、博孝は肩を竦めた。

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「ああ。“俺から”は話を振らないようにするよ」

そんな博孝の言葉に疑問を覚えたのは、その場には二人しかいない。一人はハラハラとした様子で事態を見守っていた里香であり、一人は博孝と対峙していた紫藤だ。それでも、悪くなってしまった空気の中で発言をするほどではない。

紫藤は自分を落ち著かせるように深呼吸をすると、博孝に背を向けて歩き出す。突然博孝の頬を張り飛ばし、そのまま帰ろうとする紫藤を見て沙織が一歩前へと踏み出した。しかし、それを察した博孝が片手で制する。

「博孝?」

「今のは俺が悪いさ」

不満そうに尋ねる沙織に、博孝は苦笑しながら答えた。そんな博孝を見て、市原は紫藤を追うべきか、それとも博孝に対して仲間が仕出かしたことの謝罪をするべきか迷う。博孝はそんな市原の迷った視線に気づき、苦笑を続けたままで片手を振った。

「自主訓練を続ける空気じゃなくなっちまったな」

「そ、そうですね……それじゃあ先輩、俺達は失禮します。おい、紫藤! ちょっと待てよ!」

博孝達に一禮し、市原達は紫藤を追う。親友である二宮がすぐに紫藤に追いつくが、紫藤の様子を見て聲を掛けられないようだ。そんな後輩達の姿を見て、博孝は苦笑を深める。

「市原達には悪いことをしちまったなぁ……」

「いきなり叩かれたのにはビックリしたっすよ。でも、父親に似ているって言われるのはそんなに腹立たしいことなんすか?」

恭介が里香に話を振ると、里香は首を橫に振った。

「わたしは別に……沙織ちゃんは?」

「両親のどっちに似ているかなんて、どうでも良いわ。わたしは博孝が言った通り、両親の娘ではなくお爺様の孫なんだから」

さらりと、両親の存在を否定する沙織。里香はそんな沙織にかける言葉が見つからず、今度はみらいに視線を向けた。しかし、みらいは本當の両親を知らない。そのため、聲をかけることはなかった。

現在は博孝の両親がみらいの両親になっているが、博孝の父親である孝則が日本人離れした顔立ちのみらいに似ているはずもない。そもそも、髪のや顔立ちが異なるのだ。

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博孝は紫藤に叩かれた頬を一ですると、そのまま自主訓練に戻ろうとする。それを見た里香は、博孝へと聲をかけた。

「博孝君、頬の傷を治そうか?」

重傷などではないが、の端が切れてが流れているのだ。『ES能力者』としての回復力があればすぐに治るだろうが、傍目から見ていて気持ちが良いものではない。

「んー……まあ、すぐに治るから良いよ。それにしても……」

顎に手を當て、博孝は視線を細める。今回の任務で遭遇した男は紫藤に似ている――否、“紫藤が”似ていた。さすがにそっくりということはないのだが、目鼻立ちや雰囲気が似ているのだ。そのため確証を持って紫藤に尋ねたが、その反応は博孝の想定以上のものだった。

(教に話をして、紫藤の父親についての報を調べてもらうか……『ES能力者』の親族なら、顔寫真を手にれるのも簡単だろう。顔を見れば一発でわかるだろうし)

砂原は今回の任務に関する報告や、任務の最中に発見された“アンノウン”のことがあるため訓練校にいない。日付が変わる時刻に差し掛かっているが、今頃は忙しなく都を飛び回っているだろう。

“上”や関係各所との協議を行う必要もあるため、ひとまずはメールで一報をれようと博孝は思った。

任務から明けて翌日。博孝達第七十一期訓練生は、任務明けということで休日が與えられていた。それでも休日を無為に過ごす者は存在せず、多くの生徒が自主訓練に勵む予定である。

博孝も自主訓練を行おうと考えていたが、寮の談話室に中村の姿を見かけて足の進む先を変えた。そんな博孝の後ろにはみらいがついて回っているが、周囲からはいつものことだと微笑ましく見られている。

「おっす、中村ー」

「ん? なんだ……河原崎かよ。何か用か?」

手を上げて聲をかけた博孝に、中村は気怠そうに答えた。その顔には疲労のが見え、博孝は首を傾げた。

「用っていうほどの用はなかったんだけど……何か、滅茶苦茶疲れてんな。どうしたよ?」

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「……任務で疲れたんだよ」

「ああ……“昨日の件”か」

ニュアンスを変えて話す博孝に、中村が眉を上げて反応する。しかし、表はそれほど変えずに視線を逸らした。“アンノウン”については機を守る必要があるが、博孝と中村は當事者同士である。そのため、周囲に聞こえないよう聲を潛め、言葉をわす。

「“その件”については興味があるな……どうだった?」

「手強かった……というか、速かった。あと、攻撃力が半端ねえ。背は小さいけど、マッチョな兎でなぁ……危うく首を落とされるところだった」

「なんだそれ、おっかねえな……首狩りウサギ?」

聲を潛めて報を換するが、中村から確認できたのは戦ったウサギの『ES寄生』についてだけである。博孝も人狼について説明をするが、遭遇した『ES能力者』については話さない。人狼はともかく、『ES能力者』については話せるはずもなかった。

「それできつそうな顔してんのか。首を落とされたら『ES能力者』でも一撃だろうしなぁ……で疲労が圧し掛かった?」

「そんなじだ。訓練で『瞬速』に慣れてなかったら、死んでただろうし……プレッシャーがひどかった」

心底疲れたと言わんばかりの表で語る中村を見て、博孝は笑顔を浮かべて肩に手を置く。

「よし、それじゃあ今から自主訓練をしようか? もっと『瞬速』に慣れておかないとな……いや、いっそのこと中村も『瞬速』を覚えれば良いんだ。うん、そうしよう」

「疲れたって言ってんだろうが!? お前の自主訓練のペースに合わせたら、疲労が抜けずに蓄積するだけだっつーの!」

笑顔で告げる博孝に、中村は必死に言い募る。自主訓練を行うのは吝かではないが、さすがに今日ばかりはしっかりと休んで疲労を抜きたかった。そんな中村の反応を見た博孝は、つまらなさげにを尖らせる。しかし、疲労を抜くことも大事だとわかっているため、仕方ないと思いつつ肩を竦めた。

「仕方ない……それじゃあ、軽めのメニューで」

「お前の頭には『休む』って言葉がないのか!?」

恐れ戦くように中村がぶと、博孝は真剣な表を浮かべてその肩を摑む。

「知ってるか? 疲れていても、しはかした方がしっかりと休めるんだぞ?」

「お前の“し”は朝から晩までって意味だろうが!」

このままでは嫌でも訓練を行う羽目になる。そう思った中村だが、不意に博孝が肩から手を離して視線を逸らした。その視線は談話室の口へと向いており、何事かと思った中村も視線を向ける。

談話室のり口から、隠れるようにして博孝に視線を向ける人影があった。肩口までびた黒髪と、不安をえた眼差しが覗いている。それを見た博孝は、中村に背を向けて軽く手を振った。

「まあ、今日のところはしっかり休もうか。もしかしたら、俺も自主訓練にいけないかもしれないし」

そう言って、視線を向けてくる人影――紫藤へと歩み寄っていく博孝。後ろをついてくるみらいには自主訓練を行っているであろう里香達の元へ行くよう勧め、博孝自は紫藤の傍で足を止める。

「紫藤一人か? 珍しいな」

周囲を確認してみるが、市原達の姿はなかった。白のブラウスに紺のキュロットパンツという私服にを包んだ紫藤は、どこか窺うような視線を博孝に向ける。

「先輩……あの、その……」

昨夜の様子とは一転して、紫藤は落ち著かない様子で視線を彷徨わせた。それでも博孝が言葉を待っていると、紫藤は何かを決心したように口を開く。

「だ、大事な話があって」

「ほう……大事な話」

の前で両拳を固め、思い詰めたように話す紫藤を前にして、博孝は思考を巡らせた。私服姿の異の後輩が、休日に思い詰めた顔で訪れる。その景は、周囲の目にはどう映るのか。談話室にいた數人の男子達が息を潛めて視線を向ける程度には、興味を引く狀態だろう。

「それは、ここで話せる容か?」

もっとも、博孝は紫藤がっぽい話で訪れたとは微塵も思っていない。それ故に尋ねると、紫藤は視線を下げながら頭を橫に振る。博孝はそんな紫藤の様子を見て、心でため息を吐きつつも歩き始めた。

「部屋で話そうか」

博孝がそう言うと、狀況を見ていた男子達から嘆したような聲が僅かに上がる。押し殺してはいたものの、博孝の耳にはしっかりと屆いた。

(やれやれ……あとで騒がれそうだな)

騒ぎたい気持ちもわかったが、博孝としては頭を抱えたい気分だ。それでも、今はそんな場合ではないと判斷した。紫藤を自室へと案し、招きれる。

「まあ、上がってくれよ。散らかってるのは勘弁してくれ」

靴をぎ、珍しそうな様子で周囲を見回す紫藤に座布団を勧める博孝。博孝は散らかっていると言ったが、部屋の中は紫藤が想像していたよりも片付いている。

博孝とみらいが使用するベッドに、元々備え付けられていた家。私なく、散らかるだけのが存在しないとも言えた。紫藤の目を惹いた私は、みらいが所持するぬいぐるみやお菓子、市原からプレゼントされた『海の生き図鑑』ぐらいだ。博孝の私と思わしきは、ほとんど見當たらない。

「リンゴジュースで良いか?」

部屋を見回す紫藤に対して苦笑しつつ、博孝は冷蔵庫から取り出したリンゴジュースを示して見せる。甘いが好のみらいのために、常備しているのだ。一リットルのパックにったリンゴジュースとコップを手に取り、博孝はテーブルを挾んで紫藤の対面に座る。

リンゴジュースをコップに注いで紫藤に渡し、自分の分も注ぐ。そして一口飲んでから博孝は紫藤に水を向けることにした。

「それで……大事な話ってのは?」

まさか、談話室にいた男子達が予想したように“っぽい話”をしにきたわけでもないだろう。博孝は戦闘スタイルの関係もあって紫藤と仲が良いが、男の仲を意識したことはない。後輩達が自主訓練に混ざった場合、紫藤は率先して博孝に教えを乞おうとするが、それは純粋に技量の向上を目的にしていると博孝は判斷していた。

水を向けられた紫藤は、博孝と同じようにリンゴジュースに口をつける。しかし、すぐには口を開かず、気まずそうに周囲を見回していた。だが、そうやって黙っていても埒が明かないと気付いたのだろう。コップをテーブルに置き、意を決したように口を開く。

「その……えーっと……」

意を決したものの、博孝を真正面から見た紫藤はすぐに視線を逸らしてしまう。そんな紫藤に対し、博孝は苦笑を向ける。昨晩、博孝の頬を張り飛ばしたことを気に病んでいるらしい。それを理解した博孝は、紫藤の様子を微笑ましく思った。

「昨晩は……ごめんなさい」

博孝が苦笑するのを見て、紫藤は頭を下げる。その場では怒りが勝ったが、落ち著いて考えてみれば自分の取った行が如何に無禮なものか思い至ったのだ。そのため、一杯の謝意を込めて紫藤は頭を下げる。

「気にすんな。俺が無遠慮に尋ねたのが悪いんだって」

理由もなく頬を張られたのならば怒りもするが、博孝としては紫藤が怒るに足る質問をしたと思っている。そのため、気にすることはないと言わんばかりにパタパタと右手を振った。

「でも、わたしが怒って叩いたことに違いはない」

「そりゃそうだけど、相手が気にしてないって言ってるんだ。そこは流そうぜ?」

叱られた貓のように俯く紫藤を見て、博孝は笑みを浮かべる。紫藤はそれでも納得がいかない様子だったが、博孝が自分の言葉を曲げるとは思えず、この話はここまでと判斷して姿勢を正した。そんな紫藤を見て、博孝はここからが本題かと同じように姿勢を正す。

「それなら、本題にらせてもらう」

そんな前置きを言って、紫藤は目つきを鋭いものに変えた。

「先輩は――わたしの父親を知っているの?」

その問いには、殺気が漂っていた。博孝自に向けられたものではないが、それでも普通の人間ならばたじろぐほどの殺気である。しかし、博孝は『ES能力者』であり、その程度の殺気には慣れてもいた。そのため、顎に手を當てて視線を逸らす。

「さて……紫藤の父親かぁ。昨晩以前にそんな話をしたこともないし、知るはずがないな」

とぼけるように博孝は言う。紫藤は僅かに視線を鋭くすると、ポケットから一枚の寫真を取り出した。そして、博孝の眼前へと突きつける。突きつけられた寫真に寫っていたのは、二十歳前後の男と、紫藤に似た顔立ちのだった。

「じゃあ、質問を変える。“この男”を知ってる?」

寫真に寫った容から判斷すれば、紫藤とその両親なのだろう。寫真に寫った三人は暖かな笑顔を浮かべており、幸せな家庭の一端を窺い知ることができる。だが、紫藤の口振りは冷たいものだった。自分の父親らしき男を指して、“この男”呼ばわりである。

「んー……」

提示された寫真に寫った男を見ながら、博孝は目を細めた。寫真を注視している――というわけではなく、昨日の任務で遭遇した『ES能力者』との比較を行っているのだ。

寫真に寫っている男は、博孝にとって見覚えがある。間違いなく、“アンノウン”に対して攻撃を行い、その上で博孝に対して忠告らしき言葉を投げかけた人だった。

「――いや、知らないな」

しかし、博孝の口から出たのは真逆の言葉である。機保持を課せられている以上は、例え紫藤が男の家族だろうと教えるわけにはいかなかった。そのため、見覚えがないということを表に漂わせながら寫真を返す。

「……本當に?」

寫真をけ取った紫藤は、疑わしそうに博孝を見る。博孝は向けられた視線をけ止めると、疾しい部分など微塵もないという意思を込めて見返した。

「ああ、知らないな。寫真に寫っているの子は紫藤だよな? 他の二人は両親か?」

後輩の家族構を尋ねる先輩という態度を取りながら、博孝は尋ねる。そんな博孝に対して、紫藤は複雑なを瞳に宿しながら頷いた。

「……一応」

「一応?」

これ以上踏み込むべきか悩むが、ここで切り上げれば不自然だ。そのため、博孝は興味を惹かれたように聞き返す。だが、紫藤は口を閉ざして寫真に視線を落とすだけだ。

「あーっと……尋ねるようなことじゃなかったな。忘れてくれ」

報”としては十分だ。これ以上は、紫藤から話を聞き出す必要もない。そう判斷した博孝は、話を切り上げようと思った。

「それで、大事な用ってのは寫真の男を知っているかどうかってことで良いのか?」

博孝がそう問いかけると、紫藤は寫真から視線を外して博孝を見る。その瞳には、鋭利な輝きが宿っていた。

「ううん。わたしはまだ、先輩から“本當の話”を聞いてない」

「本當の話? なんのことだ?」

追及する紫藤と、とぼける博孝。紫藤から見た博孝は、心底困しているように見える。だが、紫藤が知る博孝は、外面を繕う程度のことは容易にやってのけるのだ。

「先輩……なんで昨晩はわたしに叩かれたの?」

言葉の矛先を変え、昨晩のことについて話し始める紫藤。それを聞いた博孝は、叩かれた頬をりながら苦笑を浮かべた。

「いきなりだったからな。あのタイミングでいきなりビンタをされたら、大抵の奴は避けきれないと思うぞ?」

良いビンタだったぞ、とおかしな方面で褒める博孝だが、紫藤は表を変えない。

「先輩なら、避けるかけ止めたはず。でも、先輩は敢えてビンタをけた。それはなんで?」

もしも博孝が言う通りに不意を突けたとしても、紫藤はが得意ではない。そんな紫藤が振るった平手など、博孝ならば軽々と対応できたはずなのだ。それに加えて、博孝の行は紫藤としても腑に落ちない點があった。

「先輩は、わたしが“知り合い”に似ているって言った。それは誰のこと?」

問い詰めるように尋ねる紫藤だが、そんな紫藤に対して博孝は苦笑してとぼける。

「中學の時の擔任でな。紫藤の顔を見たら、不意に思い出したんだよ」

「わたしと先輩が初めて會ったのは、だいぶ前のことなのに?」

「前々から気になってはいたんだ。紫藤はそういうことってないか? ふとした拍子に、昔の知り合いを思い出したりとかさ」

軽い調子で否定する博孝だが、紫藤から向けられる疑いの眼差しは一向に緩まない。もしも視線に力があるならば、博孝の顔には今頃が開いているだろう。それほどまでに力のこもった視線だった。

博孝が、寫真に寫った男について何か知っている。そう確信しているのか、紫藤は博孝を見るのを止めない。対する博孝は、困した様子でリンゴジュースに口をつける。紫藤の話がわからず、どうすれば良いかわからない――という風で話を聞いていた。

(さて……思ったよりも紫藤の反応がおかしいな。あの男が紫藤の父親だとして……紫藤は父親の現狀を知らないのか? それとも、何か他の意図が?)

表面上は困しつつも、心では思考を進める博孝。

(まさか、紫藤が『天治會』に関係している? いや、さすがにそれは考え過ぎか……)

そんなことを考える博孝だが、“萬が一”に備えて姿勢の重心を僅かにずらす。紫藤に気付かれないよう気をつけながら、自然を裝って即座にけるよう足に力をれた。

しばらくの間、紫藤は博孝を見つめていた。しかし、博孝が口を割りそうにないと判斷し、座布団から立ち上がる。

紫藤のきを注意して観察していた博孝だが、紫藤は近寄るだけで妙なきをすることもない。そのため表に困を張りつけたままでいると、紫藤は無言で博孝へと歩み寄り、その傍に腰を下ろした。

「お願い……お願いします。教えてください」

そして、紫藤は頭を下げた。正座をして、床に指を突きながら頭を下げたのだ。もしかすると、父親が出奔してそれを探しているのかもしれない。そんなことを考えた博孝だが、すぐにその考えを捨てた。

頭を下げたために紫藤の表が見えないが、その聲には鬼気に近いが宿っている。家族の安否を心配しているようにはじられず、博孝がじたのは“以前”の沙織に似た危うさだ。

「そう言われても困るけど……仮に俺がそれを知っていたとして、紫藤がそれを知ったとして、何をどうするつもりなんだ?」

思ったよりも、紫藤の面に踏み込むことになった。そう考えつつ、博孝は尋ねる。その問いをけた紫藤は顔を上げるが、その表に浮かんでいたのは博孝がじた通り、鬼気迫ったものだった。

「わたしの目的を達する」

「紫藤の目的?」

紫藤が何かしらの目的を持っているというのは初耳であり、博孝は純粋に疑問をえて尋ねる。だが、その目的は博孝がかつて抱いていた『空を飛びたい』という“夢”のようなものではないだろう。仄暗い、負のが紫藤から発せられている。

僅かに気息を正し、紫藤は博孝を真っ直ぐに見つめて自の目的を口にした。

「――わたしの目的は、寫真の男を探し出して殺すこと」

淡々と、殺意を滲ませて紫藤は言う。博孝は紫藤が以前の沙織に似ていると思ったが、それは勘違いだったらしい。沙織は祖父である源次郎の役に立てるよう自分を追い込んでいたが、紫藤は方向が異なる。純粋に、復讐者の眼差しで自の目的を語っていた。

紫藤の話を聞いた博孝は、ふむ、と一つ頷く。

「殺すなんて、穏やかじゃねぇな」

最初に口から出たのは、そんな言葉である。市原達と行を共にする紫藤だが、他の三人とは“”が違うと博孝は思っていた。

普段は表きがなく、の発にも乏しい。しばかり協調に欠ける面があるが、技量という點では市原も超えている。一対一という狀況ならば、恭介と戦っても良い勝負をするだろう。

自力で『狙撃』を発現し、博孝達に敗北した後も自の技量をばそうと真摯に教えを乞う姿は、博孝としては好ましいものだった。その裏で復讐の牙を研いでいたのだとすれば、博孝としても思うところはある。

博孝はリンゴジュースを飲んでらせると、コップをテーブルに置きながら目を細めた。

「事は知らないが、寫真を見る限りお前の父親なんだろう? 何故殺す必要がある?」

紫藤の事は知らない。それでも、父親が『天治會』に所屬しているのならばある程度は推測ができる。博孝は室に張り詰めたを味わいつつ、靜かに尋ねた。すると、紫藤は博孝を見ながら表を消して逆に尋ねる。

「先輩は、『天治會』って知ってる?」

『天治會』という言葉に、博孝の頬が僅かにく。丁度今しがた考えていたこともあり、完全に表を隠すことができなかった。

知っているかと問われれば、よく知っている。おそらく、訓練生の中では実験をえて一番知っているだろうと博孝は思った。何度も戦し、殺し殺される間柄だ。もっとも、それを口に出すわけにはいかないが。

「ああ、あの國際テロリスト集団だろ? ニュースでも聞く名前だ」

を繕い、博孝は一般常識の範疇に留めて回答する。『天治會』は『ES能力者』を擁するテロリストとして、最大の規模を誇るのだ。その名前は世界的にも有名である。

博孝の表の変化を微塵たりとも見落とさないよう注視しつつ、紫藤は話を続けた。

「あの男は、この國を……わたしとお母さんを裏切って『天治會』へと逃げ込んだ。わたしとお母さんは家族が『天治會』の一員ということで、わたしが小さい頃から差別をけてきた」

ギリ、と歯を噛み締める音が響く。それまで無表を貫いていた紫藤の表が崩れ、憎々しいものを見るように変化していた。

紫藤の父親は『ES能力者』だが、母親は普通の人間である。非常に低い確率で『ES能力者』になった紫藤だが、父親が失蹤してからの生活は坂を転げ落ちる石のようなものだった。

任務で命を落としたのだとすれば、まだ良い。あるいは、紫藤とて誇らしく思えただろう。だが、紫藤の父親はあろうことか、國を裏切って『天治會』へと鞍替えしてしまった。

日本の『ES能力者』は全的に技量が高いため、スカウトされたのかもしれない。もしかすると、他に何か理由があるのかもしれない。紫藤がそうやって理由を探していたのは、最初の數ヶ月だけだった。

國を裏切った『ES能力者』の妻と娘。そんな立場に陥れば、周囲はどんな反応をするか。それは苛めと言って良く、差別と言い換えても良く、非難と稱しても良い。報は伏せられていたはずだというのに、周囲からは石をぶつけられるような態度を取られてきた。

それこそ、紫藤がある程度“まとも”な人格を育めたことが奇跡と思えるほどに。

「母も、とても苦労してきた。まともな職に就けず、わたしが『ES能力者』になってその家族として保護されなければ、どうなっていたかわからない」

そこまで話した紫藤は、何かを堪えるように視線を下げた。博孝はそんな紫藤の話を聞き、しだけ視線に痛ましいを乗せる。

「今はわたしの給料を仕送りしているから生活できているけど、長年の心労が祟って床に伏せることも多い……」

「……それなら、殺すんじゃなくて連れ戻した方が良いんじゃないか?」

「それは駄目。わたし自があの男を許せないし、母も會いたくないと思う」

の父親を“あの男”と呼ぶ紫藤。一度たりとも父親呼ばわりしないその態度は、余程深いものがあるのだろう。博孝がかける言葉を探していると、紫藤は再度床に手をついて頭を下げる。

「だから……お願いします。知っていることがあったら、教えてください」

「――機事項だ」

知ってはいるが、話せない。紫藤の熱意に負けする形で、博孝はそれだけを口にする。博孝の言葉を聞いた紫藤は、すぐにその意味を理解して顔を上げた。

「……どうすれば、教えてくれる?」

「機事項だ。例え殺されようと、話せない。紫藤があの男の娘だとしても、だ」

“アンノウン”に限らず、関わった『天治會』の報については機指定がされている。そのため、博孝は例え両親が相手だろうと口を割るつもりはなかった。そんな博孝の言葉を聞き、紫藤の眥が釣り上がる。反的な行のように腰を浮かせ、博孝へと手をばし――博孝の姿が消えた。

「俺から力盡くで聞き出せると思うなよ」

その聲が聞こえたのは、紫藤の背後からである。その聲に含まれた冷たさをじ取り、紫藤は自分が取ろうとした行に驚愕した。怒りに押されたとはいえ、自分は一何をしようとしたのか。それに思い至り、顔を悪くする。

紫藤は両手を上げて抵抗の意思がないことを示すと、ゆっくりと振り返った。そこには険しい顔をした博孝が立っており、紫藤は頭を下げる。

「ごめんなさい、先輩……でも、それでも知りたい。聞いたことは絶対にらさない。だから、教えてほしい」

本當ならば、何も知らないというスタンスを貫くべきだった。それでも後輩相手に僅かに甘さを見せた博孝は、これ以上は妥協できないと首を橫に振る。

「俺が報を知っている……それだけわかれば十分だろ。これがお前の言う“大事な用”なら、あとは回れ右して帰んな」

親指で玄関を指す博孝だが、紫藤はかない。

時期を考えるならば、博孝が昨晩紫藤の父親に関して言及したのは“つい最近”関わったからだと推測できる。踏み込んで考えるならば、最近起きた変事は訓練校の周辺で行われた任務ぐらいだ。そう考えると、生きた紫藤の父親と博孝が任務中に遭遇した可能が高い。

――だが、わかるのはそこまでだ。

博孝が紫藤の父親と遭遇し、どうなったのか。戦ったのか、あるいは逃げたのか。もしかすると、博孝達第一小隊によって捕縛されたのかもしれない。

紫藤が知る自の父親は、陸戦部隊に所屬する正規部隊員だった。撃系のES能力が得意だが、実際の強さまでは知らない。

反対に、博孝が率いる第一小隊の実力はよく知っていた。実際に手合せをしたこともあり、日々の自主訓練に參加する中でおおよその実力を把握している。その點から考えれば、博孝達が逃がすとは思えなかった。

もしかすると、既に死んでいる可能もある。普通の訓練生ならばともかく、第一小隊は実戦経験を積んでおり、その上博孝は敵の『ES能力者』を仕留めてもいた。

つい最近博孝が遭遇したものの、その生死は不明。昨晩自主訓練をしていた第一小隊の様子からして、博孝以外の人報を知らない可能が高い。そう結論付けた紫藤だが、それでも諦めきれなかった。

博孝が機報を話すとは思えなかったが、紫藤は渉すべく口を開く。

「……お金を払う」

「殘念。俺はそれなりに金を持ってるぞ。あと、聞かなかったことにしてやるから、二度と機報を金で売り買いするような発言をするな」

先輩として注意を促す博孝。しかし、紫藤も引き下がらない。

「じゃあ、で払う」

「モノを変えれば良いって話じゃねえよ……」

自分のを差し出そうとする紫藤を前に、博孝は深々とため息を吐いた。博孝としては、を差し出してまで復讐をしたいと思った相手がいない。そのため、紫藤の発言に頭を痛めながら首を橫に振る。

しかし、そんな博孝の反応を見た紫藤は金銭よりも気を引けると判斷した。自分が著ているブラウスに手をかけ、一気に捲り上げようとする。

「待て待て待て! 何やってんだ!?」

そのきに気付いた博孝は、慌てながら紫藤の腕を摑んだ。ブラウスの裾がだいぶ上がっているが、博孝は努めて見ないようにしながら紫藤に文句の言葉を投げかける。

「お金より、こっちの方が興味あるかなって」

「どっちでも話さないっての!」

思い切りが良すぎる紫藤に辟易としつつ、博孝は力任せに腕を下ろさせた。すると、今度はキュロットパンツを下ろそうとする。

「だから待てって! どうやっても俺は話さんぞ!」

「むぅ……手強い」

金銭でも駄目、仕掛けでも駄目。他に手はないかと思考を巡らせる紫藤を見て、博孝はかつてないほど深いため息を吐いた。

「はぁ……わかったわかった。今は話せないけど、開示しても良いか確認を取ってみるよ。親族に対してなら、開示の許可が下りるかもしれない」

妥協案として、博孝は砂原に報の開示許可を得ることを提案する。復讐という理由を聞けば、報の開示許可が下りてほしくない。しかし、このままでは紫藤がどんな行に出るかわからなかった。

「良いの?」

疑うように尋ねる紫藤だが、博孝としては苦く笑いながら頷くしかない。

報の開示許可を得られたらな。でも、無理なら諦めろ。良いな?」

念を押す博孝。紫藤はしばかり不満そうにを尖らせる。

「その時は、先輩の教に聞く」

「……一応言っておくけど、俺に対してやったことを教にもやったら、間違いなく厳罰を食らうからな?」

砂原を相手に金銭やを使って機報の開示を迫ればどうなるか。深く考えずともそれが理解できる博孝は、絶対にやるなと言い含める。紫藤は博孝の剣幕を前にして、今度はしっかりと頷いた。そして、最後には頭を下げる。

「今日はごめんなさい。先輩に無理を言っているのはわかっているけど、いてもたってもいられなかった」

「大の事はわかったから、気にすんな。可い後輩のわがままと思っておくさ……でも、頼むから大人しくしてろよ? 機報の売り渡しを求めるなんて、懲罰房行きじゃすまないぞ」

そう言いつつ、博孝は紫藤の頭に軽く拳骨を落とした。重要がそこそこに高い報だが、それを求めることはスパイ行為として捕縛されても文句は言えない。拳骨を落とされた紫藤は、それほど痛まない頭に手を添えて頷く。

「本當に……ごめんなさい」

「わかったなら、良いさ。さて、話が終わりなら寮まで送っていこう」

博孝がそう言うと、紫藤は小さく苦笑を浮かべて首を橫に振る。

「考えたいこともあるから、良い。お邪魔しました」

頭を下げて、紫藤は玄関に向かう。そして靴を履いて部屋から出ると、一禮してから歩き去っていった。そんな紫藤を見送り、博孝は何度目かになるため息を吐く。

「あー……また面倒なことを背負い込んじまったなぁ」

ぼやくように呟くが、その聲に応える者はいない。博孝はもう一度だけため息を吐くと、自主訓練に向かうべく扉を開けるのだった。

    人が読んでいる<平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)>
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