《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第八十九話:大騒

訓練校周辺での警邏任務から二日後。第七十一期訓練生は通常通りに授業が行われるということで、朝からその準備に追われていた。

一日休んだことで、疲労も抜けている。生徒の中には休日を自主訓練に費やした者もいるが、それはある意味で“いつも通り”のことだった。

紫藤との一件があったものの、それ以降は普段通りに自主訓練に勵んだ博孝。砂原が訓練校に戻っていないため、紫藤に対する機の開示については聞けていない。そのため普段通りに起き、普段通りに食事を取るべく食堂へ向かい――しかし、周囲の様子が普段通りではなかった。

「あ、おい、アレ……」

「河原崎だ……」

「あの話って本當なのかよ……」

博孝が食堂に足を踏みれるなり、そんな聲が靜かに響く。博孝は挨拶をするべく開いていた口を閉じると、何事かと思いつつ周囲を見回した。

やけに、周囲から視線をじる。その上、ヒソヒソと小聲で何かしらの話をしているようだ。視線を向けてくるのは男子生徒がほとんどだが、中には子生徒からも視線が向けられている。

男子生徒からは、羨と驚愕の眼差しが。子生徒からは、ゴミ捨て場で這い回るゴキブリか蛆蟲でも見るかのような冷たい眼差しが向けられていた。特に、後者の眼差しは鋭すぎる。視線を向けているのは一部の子生徒だけだが、揃いも揃って鬼畜生と相対したかのような有様だ。

あまりにも周囲から視線を向けられているため、博孝は自分の顔を手でれた。次いで、服裝のチェックを行う。

(顔に何か書いてあるとか……でも、顔を洗った時は何もなかったしなぁ。制服だってほつれもない。社會の窓も閉まってるし……)

何故注目されているのかがわからず、博孝は心底不思議に思った。そのため、傍にいた城之を捕まえる。

「なあ、なんかみんなで俺のこと見てねえ?」

「い、いや……気のせいじゃないか?」

聲を掛けられた城之は、気まずそうに視線を逸らした。それを見た博孝は、何か疾しいところがあるのかと首を捻る。

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「んん? なんで顔を逸らすんだよ?」

「べ、別に……」

博孝はを捻り、城之と視線を合わせようとした。しかし、城之はそれを避けるように反対方向へと顔を背けてしまう。

「おーい、俺の顔になんかついてっかー? それとも、これが巷に聞く仲間外れってやつですかねぇ? ハブ? ハブなの?」

「な、なんでもないんだ河原崎……いえ、なんでもないんです、河原崎さん」

すすす、と博孝から距離を取る城之。顔を背けた上で片手を突き出し、これ以上は絡んでくれるなと語っている。

「敬語にさん付け!? おいおい、本當に何があったんだよ!?」

クラスメートにそんな態度を取られる理由が思いつかず、博孝は城之の肩を摑む。博孝の真剣な顔を見た城之はため息を吐くと、博孝を食堂の隅へと導した。そして博孝の耳元に顔を寄せ、小聲で話しかける。

「こ、これはあくまで噂で、俺はそんなに信じちゃいないんだけどさ……」

「噂? おう、噂話は大好きだ。言うてみ?」

周囲の態度を見れば、誰に関する噂なのかは一目瞭然だった。そのため、博孝は疾しいところなど微塵もない、噂は所詮噂だと考え、泰然と構える。

「お、怒んなよ? お、俺は信じちゃいないんだからな?」

「前置きは良いから。なんだよ、どんな噂が流れてんだ?」

中々言い出さない城之。しかも、自分は信じていないと必死に予防線を張ろうとしている。話している間も挙不審であり、すさまじい勢いで目が泳いでいるが、博孝は敢えてれないことにした。

その態度から、聞けば怒ることだろうかと博孝は思う。しかし、城之がこれほど言い渋るようなネタを提供した覚えが博孝にはなかった。

城之は覚悟を決めたのか、一度だけ深呼吸をする。そして、極限まで膨らんだ風船に針を刺し込むような顔つきで、博孝に尋ねた。

「――昨日、自分の部屋で後輩を手篭めにしたって本當なのか?」

恐る恐る尋ねる城之だが、博孝はその言葉の意味が理解できなかった。正確に言えば、理解したくなかった。そのため、たっぷり十秒ほどの間を置いて、口を開く。

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「――は?」

口から出た言葉は、博孝が思っていたよりも低く、ドスの利いた聲だった。顔から一切の表が抜け落ち、ドスの利いた聲を吐き出された城之は大量の冷や汗を噴き出しながら首を橫に振る。

「い、いや、俺は噂を聞いただけだって! 昨日、お前の部屋から服裝が微妙にれた上に、泣きそうな顔をした後輩のの子が出て來たって聞いたんだよ!」

必死に弁解する城之だが、それを聞いた博孝は目を見開く。

「はああああああああぁぁっ!?」

該當するのは、一人しかいない。いないのだが、何がどうなればそんな結論に到達するのか。噂に尾鰭や背鰭がついたというよりも、巨大化して変して合しようとしたら合事故が発生したかのような変貌ぶりだ。

おそらくは、紫藤が博孝に対して機報開示の対価としてを差し出そうとした時の話だろう。服裝がれていたと言われれば、博孝としても否定ができない。真相は真逆で、服をごうとする紫藤を博孝が必死に押さえつけていただけだが。

「ちょ、おま、ざ、ざけん、は、はああああああああぁぁっ!?」

「お、落ち著けよ! お、俺は河原崎を信じてるって!」

の極致に陥った博孝に対し、城之が綿菓子よりも重さをじない程度の真摯さで訴えかける。信じていると言いながら、目を合わせないのは何事なのか。

博孝が慌てて周囲を見回すと、半信半疑を超えて七割程度疑いの眼差しが向けられていた。男子生徒の中には『やるじゃん』と言いたげな眼差しを向けてくる者もおり、午後の実技訓練でボコボコにしようと博孝は思う。

紫藤が泣きそうな顔をしていたというのは、博孝が機報の開示を斷ったからか、それとも別の理由があるのか。せめて服裝ぐらいは正してから出ていってほしかった、と博孝は今更ながらに思う。

食堂に第一小隊のメンバーはおらず、いるのはみらいぐらいだ。みらいは周囲の騒よりも食が勝ったのか、榊原と話をしながらお子様ランチをけ取っている。

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早急に誤解を解き、噂を絶せねば。そう判斷した博孝は口を開こうとするが、それよりも先に、騒を加速させる人が食堂へと姿を見せた。

ザワリと、食堂の中に衝撃が走る。食堂の口に、この場に存在するのがおかしい人がいる。

――紫藤だった。

誰かを探すように食堂の口から顔を覗かせ、中の様子を窺っている。そして食堂の隅で城之と言葉をわす博孝を見ると、僅かに表を綻ばせた。

「先輩」

周囲の喧騒や向けられる視線など気にも留めず、紫藤は博孝へと駆け寄る。その行を見て、食堂中が水を打ったように靜まり返った。

過熱している噂の中心人、その片割れの登場である。獲を狙う獣の如く、食堂にいた生徒達は息を潛めた。

「……紫藤か。悪いけど、今は立て込んでいてな。というか、なんでここに來た?」

紫藤は第七十二期の訓練生であり、食堂も教室も寮もグラウンドも、五百メートル以上離れた場所にある。放課後の自主訓練に混ざろうとするのならばともかく、朝から姿を見せるのはおかしな話だった。食堂についてはどの施設を使用しても問題ないが、自分の期の食堂以外を使用するのは推奨されていない。

しでも先輩の傍にいたくて」

「おいやめろよお前、絶対に今の臺詞には必要な言葉がいくつか抜けてるだろ」

小さく首を傾げて答える紫藤に、真顔でツッコミをれる博孝。その間に城之心地から距離を取ろうとするが、それに気づいた博孝が腕を摑んで離さない。

紫藤は博孝が砂原に機報を開示する許可を取ったか、それだけを確認しにきたのだろう。それは博孝にもわかる。しかし、問題は周囲がそれを知らないということだ。容が容だけに、それをこの場で口にして誤解を解くわけにもいかない。

どこか反応が余所余所しい博孝を見て、紫藤は僅かに表を曇らせた。

「昨日は先輩に迷をかけたから、顔を合わせて謝っておきたいなって……」

おおっ、と周囲から聲が上がる。周囲の生徒達は完全に野次馬と化しており、博孝と紫藤の會話を聞き逃すまいと耳を立てていた。博孝は泣きたい気分になりながら、紫藤へと小聲で話しかける。

「頼むから、誤解を招きそうな発言は止めてくれ……いや、止めてください。ホント、マジで」

「誤解?」

きょとんとした顔で首を傾げる紫藤だが、博孝には砂原に対して機報の開示を願い出るという面倒事を押し付けてしまったのだ。そのため、疑問を飲み込んで素直に頷き――無垢な表で更なる弾を投下する。

「わかった。わたしは先輩に逆らえない」

「狙って言ってるのか!? 絶対に狙って言ってるよな!?」

紫藤の言葉を聞いた生徒達の疑いのが、九割九分確信へと近づいた。

「最低ってレベルじゃないわね……」

「岡島さんが可哀想……騙されているのね」

「下種? 鬼畜? 逆らえないって、弱みでも握ってるの?」

ヒソヒソ話というには、大きな聲量で呟きがれる。博孝は、この場から即座に逃げ出したくなった。荷をまとめて訓練校を飛び出し、人が訪れない山奧で過ごしたい気分だ。もしも今『天治會』から勧されたら、いを斷れる自信がない。

現実から逃げたくなった博孝だが、更なる騒の種が食堂へと現れた。

「『武化』を使いたいなら、まずは『固形化』を覚えないと……って、何よこの空気」

「『構力』を固めるのが難しいんだよね……えーっと、お通夜かな?」

何事かの會話を行っていた沙織と里香が、食堂に満ちる空気をじ取って首を傾げる。食堂には今にも発しそうな熱気と鬼気が立ち込めており、沙織と里香でも反応せざるを得なかったのだ。

いっそこと、『通話』を使って回れ右をしてくれと頼み込もうかと博孝は思った。問題の先送りにしかならないが、これ以上この場の空気を悪化させたくない。そう考えた博孝だが、子生徒達のきの方が迅速だった。

沙織と里香の姿を見るなり、『瞬速』もかくやという速度で二人を取り囲み、小聲で何事かを話している。そのあまりの速度に、博孝は摑んでいた城之の腕を力いっぱい握りながら天井を仰ぎ見てしまった。

「いたたたたっ! お、折れる!?」

「もう駄目だ……おしまいだ……」

これから訪れるであろう未來を予し、博孝は辭世の句でも読もうかと思う。城之の悲鳴も、博孝の耳には屆かない。周囲の人間が想像しているのはあくまで誤解であり、真実ではない。そう主張したいところだが、聲の大きさと數の暴力はいつの時代でも有効な手段だ。

十三階段を登り切った心境で審判が下されるのを待つ博孝。遠い目をしながら里香と沙織の顔を見ていると、その表が徐々に変わっているのが見て取れた。里香はそれまで浮かべていた穏やかな笑顔が困へと変わり、沙織は心したような顔付きで手を打ち合わせている。

「ひ、博孝君はそんなことしないよっ!」

「岡島さんは騙されてるのよ!」

「目を覚まして!」

「ううん! 絶対にそんなことしない! 信じないから!」

したのは僅かな時間だけで、周囲の子生徒達に負けない勢いで抗弁し始める里香。博孝はそんな里香の姿と言葉に救われた気持ちになったが、続く沙織の言葉が全てをぶち壊した。

「やるじゃない、博孝。お爺様はさすがに例外だけど、それぐらいの甲斐と気概を持つのは素晴らしいことだわ」

うんうんと頷き、笑顔で言い放つ沙織に、食堂にいた全生徒が『待て』と聲を上げる。

「ちょっと、長谷川さん!? それはさすがにおかしいわよ!?」

「今は戦國時代じゃないのよ!?」

近に源次郎がいるためか、沙織の反応は例外的だった。源次郎は昔、國策の一環で多くのと“関係”がある。生まれた子供が五十人、孫が百人を超えている點からしても、その多さは一目瞭然だ。

そんな源次郎を見て育った沙織にとって、一人の男が複數のに手を出すのは當然のことらしい。博孝は、これまでとは違う意味で地面に崩れ落ちたくなった。現世において、一夫多妻は法的に認められていないのだ。

そして、沙織の言葉に対して數々のツッコミがるが、中でも里香の反応は凄まじかった。

里香としては、博孝が後輩である紫藤に手を出すはずがない。出すとしても、それが無理矢理であると信じる気持ちは微塵もなかった。同時に、出すはずがない、出せるはずもないと指摘しようとしたのだ。

たしかに、博孝は同だろうと異だろうと気安く接する。年齢の上下にも関係なく、打ち解けた相手には遠慮なく距離を詰めるタイプだ。明けけな態度を取るものの邪なはなく、やきもきする部分もあるが、博孝の格と相まって點だろうと里香は思う。里香としても好ましい――博孝を好きになった理由の一つだ。

年齢相応に異に対して興味を向けることもあるが、それは周囲の“流れ”に乗った形がほとんどである。博孝から率先して紫藤を部屋に連れ込み、策略なり力盡くなりで手篭めにするとは思えない。

里香はそう説明したかった。しかし、焦りから口にした言葉が、言いたいことの容も過程も全て吹き飛ばす、極論に走ったものだった。

「博孝君にそんな甲斐はないよっ!」

それは、魂からのびだった。普段は大人しい里香らしからぬ、とても大きな聲だった。なくとも、食堂中に響き渡るほどには大きな聲だった。

「おっふ……」

苦痛に満ちた奇妙な聲を吐き出し、博孝は今度こそ膝から崩れ落ちる。紫藤を手篭めにしたと疑われるのもショックならば、里香から『甲斐がない』とばれるのもショックである。

(俺に対する評価って一……)

床に膝と手を突き、頭を垂れながら博孝は思う。里香は博孝を信じていると言いつつ、その言葉の裏にあったのは自分や沙織という近なに手を出さない博孝が、紫藤に手を出すのはおかしいのではないかという推論だった。

博孝が手を出すのならば、それはもっと違う相手に向けるべきだという抗議だったのかもしれない。

里香のびを聞いた生徒達は、はっとしたように博孝を見る。普段の博孝の様子を思い浮かべれば、紫藤を手篭めにしたという噂が如何に荒唐無稽かわかるだろう。特に、子生徒達は顔を見合わせて頷き合う。

「そうよね……河原崎君、ちょっとエッチだけどヘタレだもんね」

「岡島さんと長谷川さんに挾まれたら、顔を悪くするぐらいだもの……」

「河原崎君には酷いことを言っちゃったわ……そんなこと、無理なのにね」

疑いの眼差しが一転、同するようなものへと変わる。その視線の半分は博孝に向けられているが、何故か殘りの半分が里香に向けられていた。疑いは解けつつあるものの、博孝には無理だという嫌な種類の信頼だった。博孝は、思わずその場で膝を抱えて丸まった。

里香と沙織に挾まれて顔を悪くしていたのは、二人が弁當を作ってきた時のことだろう。それならば、博孝は逆に問いたかった。“あの狀況”で大人しくしていられるのか、と。

そんな博孝を見て、お子様ランチをテーブルに置いたみらいが歩み寄る。そして博孝の肩に手を乗せ、純粋無垢な瞳を向けながら尋ねた。

「……おにぃちゃん、へたれなの?」

重いボディブローでも叩き込まれたように、博孝のが痙攣する。みらいの言葉に顔を上げてみるが、博孝の瞳は虛ろだった。意味が分かっているのか、それとも『ヘタレ』という言葉を復唱しただけなのか、みらいは虛ろな瞳をしている博孝を無言で見つめている。

事のり行きを見守っていた紫藤は、みらいが置いた場所とは反対側の肩に手を置く。

「先輩はヘタレじゃない。優しいだけ」

「紫藤……」

紫藤の言葉を聞き、博孝の瞳にが戻る。その優しい言葉に、博孝の中では紫藤の株がうなぎ上りだ。紫藤は博孝の目をしっかりと見返し、頷く。

「わたしが服をごうとした時も」

「ぎゃああああああああああああぁぁっ!?」

紫藤が口走ろうとした言葉を悲鳴でかき消し、地面に伏した狀態から飛び起き、紫藤の背後に回って手で口を塞いだ。

「俺を社會的に殺すつもりか!?」

「もごごもっもごご」

口をふさがれた紫藤は抗議するように聲を上げるが、濁音になってわからない。それでも『噓は言ってない』というニュアンスをじ取り、博孝は深々とため息を吐く。幸いと言うべきか、紫藤の言葉は周囲に聞こえていなかったようだ。

博孝の奇聲と奇行を前に、周囲は困したような顔をしている。正直に言えばすぐにでも逃げ出したかった博孝だが、今こそ誤解を解く好機だと判斷した。紫藤のきを読んだのか、里香の目つきがしだけ怖かったが、逃げたい気持ちを抑え込み、頭の上で両手を打ち鳴らす。

「場が混したついでに、俺の話を聞いてくれ」

ここまでくれば、最早恐れるものは何もない。投げやり気味に博孝が言い放つと、食堂にいた全員が博孝に視線を向ける。視線が集まったことを確認した博孝は、疲れたように口を開いた。

「何か誤解が広まっているけど、俺と紫藤の間には何もない。たしかに昨日、紫藤は俺の部屋に來た。でも、それは俺に用事があったからだ」

博孝が説明を始めると、それに同意するように紫藤が頷く。もっとも、何故ここまで注目されているかは理解していないようだったが。

「用事って?」

子生徒の一人が尋ねる。その問いをけた博孝は、首を橫に振った。

「殘念ながら、紫藤個人の事に深く関わることだから話せない。言えるとすれば、紫藤から頼みごとをされて俺がそれを請け負ったってことだけだ」

それ以上でもそれ以下でもなく、そこに他の要素が加わることはない。真剣な表で斷言する博孝を見て、周囲の疑の眼差しが緩まる。

「騒々しいぞ貴様等。朝から何を騒いでいる」

そして、場の空気をれ替えるように砂原が姿を見せた。砂原が姿を見せたことで、生徒達は博孝に対する疑念を全て流す。疑っていた者達は博孝に一言謝罪の言葉をかけ、小さく頭を下げてから食事へと向かう。

「……先輩」

周囲がき出した中で、紫藤は期待に満ちた瞳を博孝に向けた。袖を引いて博孝を促すその姿は、子のようにも見える。求められていることが、博孝にとって言い出し難いことを除けばだが。

「仕方ない……約束だしな。とりあえず、紫藤は七十二期のところに戻れ。結果は後で連絡するから」

博孝がそう言うと、紫藤は僅かに不満そうな顔をする。しかし、博孝に迷をかけるとしては、抗議をするのはお門違いというものだろう。博孝に対して一禮すると、食堂から駆け去る。

「それで、騒ぎの原因は貴様か?」

低い聲で尋ねる砂原だが、その視線は駆け去った紫藤へと向けられていた。博孝から任務中に遭遇した『天治會』の男についてメールで知らされていたため、紫藤のことを気にかけたのである。

「俺が原因とは認めにくいんですがね……教しお時間をいただけますか?」

そう博孝が尋ねると、砂原は頷いて歩き出す。この場ではなく、教室で聞くということだ。博孝はそんな砂原の後ろに続くが、不思議そうに首を傾げた。

(あれ? なんか、不機嫌そうだな……昨日は任務の報告があったんだろうけど、何かあったのか?)

背中を向けられようとも伝わってくる迫した空気に、博孝は心で呟く。それでも答えは出ず、博孝は砂原と共に教室へと移した。

「それで、話というのはなんだ? 先程一緒にいた、紫藤訓練生が関係するのか?」

椅子に腰かけ、砂原が尋ねる。それを聞いた博孝は頭の中で考えていた話の運び方を放棄すると、その場で話を組み立てた。

「はい。任務で遭遇した『ES能力者』について悩んでいた時、紫藤の顔を見て正に思い至ったんですが、その時の俺の行を疑問に思ったようでして……紫藤も父親の消息を知りたいらしく、俺のところに來たんです」

「話したのか?」

まさか、機報をらしたのではあるまいな。そんな言葉を視線に乗せ、砂原が鋭く睨む。博孝は博孝の視線をけ止めると、苦笑して首を橫に振った。

「いいえ。機だと伝えてあります。しかし、どうしても知りたいらしくて……」

それが先ほどの騒ぎの原因だと匂わせる。実際は微妙に異なるのだが、噓も吐いていない。紫藤が復讐をんでいると言えば、砂原も許可を出さないだろう。そう思った博孝だが、博孝の表と口振りから何かを察したのか、砂原は鼻を鳴らす。

「あの訓練生の目的は復讐だろう? そのために父親の報をした。違うか?」

自明の理を語るように、砂原は紫藤の目的を言ってのける。それを聞いた博孝は、思わず両手を上げてしまった。

「……存知でしたか」

「その辺りは調査結果として上がっている。父親が『天治會』に所屬しているとなれば、推測するのも容易だ」

機を指で叩きながら、砂原は言う。その態度に苛立ちの匂いを嗅ぎ取った博孝だが、紫藤に関することとは別件だとアタリをつけた。それでも、紫藤へ報は開示できないと判斷して嘆息する。

「やっぱり駄目ですよね」

これからどうやって紫藤をあしらえば良いのか。そんなことを考える博孝だが、砂原の回答は予想を外した。

「構わん。紫藤訓練生にのみ、報の開示を許可しよう」

「え? 良いんですか?」

信じられないという気持ちを抱きつつ、博孝は顔を上げた。砂原はそんな博孝の反応が見えているのかいないのか、どこか遠くを見ながら機を指で叩き続ける。

「父親の報だ。娘である紫藤訓練生には知る権利がある」

砂原の言葉とは思えない言葉。それを聞き、博孝は反応に困ってしまった。まさかここまでスムーズに許可を得られるとは思わず、僅かに首を傾げてしまう。

博孝の反応を見た砂原は、どこか不機嫌そうな様子で首を橫に振った。

「それに、例え知ったところでどうにもならん。訓練生である以上、勝手に訓練校から抜け出すわけにもいかんからな」

「しかし、卒業後のことを考えればそうも言えないのでは?」

卒業後は正規部隊に配屬されるため、任務の最中に遭遇する可能もある。それに加えて、紫藤ならば休日を返上してでも父親の足跡を探すだろう。そう考えた博孝だが、砂原としては頷けない。叩いていた指を機に押し付けると、懐から煙草を取り出す。

「そうだな……河原崎、お前が紫藤訓練生に対して開示する報は、彼の父親が今も生きているという一點だけだ。良いな?」

「……? ええ、実際に俺から話せるのはそれぐらいですけど……」

砂原が何を語ろうとしているのかがわからず、博孝は曖昧に頷く。博孝が知る紫藤の父親の報は、任務で遭遇して逃げられたということだけだ。戦闘スタイルなどは、紫藤が“真似”をしている點から考えても教える必要がない。

「あとは、知らぬ存ぜぬで通せ。例え、“今後”何が起きようともな」

「……了解です」

砂原の口振りから、何かしらの“裏”があると博孝は判斷する。しかし、博孝にはそれが皆目見當もつかなかった。そんな博孝に対して、砂原は憂慮を含んだ聲をかける。

「下手をすると、お前が紫藤訓練生に恨まれる可能もある。その點だけは覚悟しておけ」

「え? 俺が……紫藤にですか?」

一瞬、何を言われたのか理解しかねた。それ故に問いかける博孝だが、その合間に思考を巡らせる。

(俺が紫藤に教えるのはこの間の任務のことだけ……それ以降のことは何も言うな……そして、俺が紫藤に恨まれる? 今後紫藤の父親と遭遇した時に報を渡さなかったら怒りそうだけど……って、そういうことか)

心で考えていた博孝だが、砂原の言いたいことを理解して暗澹たるを覚えた。

今後、自分が紫藤の父親と遭遇する可能はゼロではない。むしろ、可能はかなり高いと博孝は判斷する。紫藤の父親の姿を見たのは今回の任務が初めてだが、それ以前に何度も攻撃をけているのだ。今後も接してくると考えた方が自然である。

砂原が言っているのは、何度も接するに紫藤の父親が捕縛されることを指しているのだろう。下手をすると、紫藤の父親を殺すのが博孝になると思っているのかもしれない。

博孝の顔に理解のが浮かんだのを見て取ったのか、砂原はどこか迷った様子で口を開く。

「河原崎、目先のことだけでなく“今後”のことを考えるようにしろ。お前は目の前で起こったことに対する対応力はそれなりに優れているが、まだまだ視野が狹い。常に視野を広く持て。良いな?」

“上”との話し合いで語られた容を教えるわけにもいかず、歯にが挾まったような口調で砂原が言う。博孝はそんな砂原の様子に心で首を傾げるが、すぐに頷いた。

「わかったのなら良い。食堂に戻って朝食を済ませてこい。今日も厳しくいくぞ」

「了解です。それでは、失禮しました」

腑に落ちないが、それでも一禮してから教室を後にする博孝。そんな博孝の背中を砂原が苦々しい表をしながら見送ったが、それに博孝が気付くことはなかった。

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