《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第九十六話:修學旅行 その1 歌って踴って

十二月五日、月曜日。冬らしい清涼と冷たさに満たされた朝の空気の中、博孝達第七十一期訓練生は校舎前のグラウンドに集合していた。

生徒達の足元や手にはボストンバッグやキャリーバッグ、リュックサックなどが用意されており、修學旅行に対する準備が萬全であることを窺わせる。

「くぅ~……とうとう修學旅行っすね!」

拳を握り締め、喜びの聲を上げる恭介。周囲からはそんな恭介の聲に同意する聲が上がり、冬だというのに熱気が溢れているようだ。

博孝は周囲の熱気をじつつ、荷に不備がないかを確かめる。修學旅行ということで、著ていくものは訓練校の制服だ。『ES能力者』を証明するバッジをつける必要があるが、博孝がつけているバッジは銅――すなわち、三級特殊技能を発現している証明である。

砂原に言わせれば『まだまだ未に過ぎる』のだが、『飛行』を発現すること自は問題がない。本來ならば獨自技能保持者であることを示す黒のバッジをつけるべきだが、訓練校では公にしていないため銅のバッジをつけることになっていた。

「予備の制服にジャージ、下著、タオル、洗面道、筆記用、お菓子がし……あとはデジカメ、と」

バッグの中を確認し、博孝は頷く。旅行に行くには最低限の荷だが、こんなものだろうと博孝は思う。子の中にはボストンバッグを二つ抱えている者もいるが、何がっているのだろうと博孝は首を傾げた。

それでも聞くべきことではないと判斷し、つい先日購したデジカメを取り出す。訓練校の部は機に抵するため、基本的に撮影止だ。しかし、修學旅行の時だけは別である。機れない部分ならば撮影が可能であり、クラスのほとんどの者がデジカメを売店で購していた。

なお、余談ではあるがここ一週間の売店の売り上げは、旅行用のバッグやデジカメが多くを占めたらしい。

「……りょこう、たのしみ」

無表ながらもどこかワクワクとした様子で呟くみらい。その背中にはリュックサックを背負っており、パンパンに膨らんでいる。足元には服を詰め込んだボストンバッグが転がっているが、お菓子ばかりをリュックサックに詰め込むみらいを見た博孝が準備しただ。リュックサックを背負ったまま楽しげに上を揺らすみらいを見て、博孝は苦笑してしまう。

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昨晩、修學旅行の前日ということでみらいは眠ることができなかった。楽しみ過ぎて寢付くことができず、お菓子をリュックサックに詰め込んでは取り出し、取り出してはリュックサックに詰め込むという謎の行を一晩中取っていた。

博孝は“いつも通り”に徹夜で自主訓練を行ったのだが、朝方に部屋に戻ってからもみらいがお菓子の詰め込みを行っているのを見て驚いたものである。

「おはよう博孝、良い朝ね」

「おはよう、博孝君」

みらいを落ち著かせるべく頭をでていると、里香と沙織が聲をかけてきた。里香は大きいボストンバッグを一つ、沙織は小さいボストンバッグを一つ手に持ち、他に荷は見當たらない。

「おはよーっす。あれ? 里香はまだわかるけど、沙織は荷なくないか?」

沙織が手に持っているボストンバッグは、博孝のものよりも小さい。旅行で荷を減らすのは重要なことだが、小さすぎるのではないかと思ったのだ。沙織はそんな博孝の言葉に首を傾げると、ボストンバッグを開けて中を確認する。

「そうかしら? 予備の制服にジャージ、あとは下著にタオルに洗面に筆記用……それと“その他”。しおりに書いてあったものは全部詰めているわ」

そう言いつつ、沙織は開けたボストンバッグの口を博孝へと見せた。あまりにも自然にボストンバッグを見せられたため、博孝も反的に中を確認してしまう。

制服やジャージ、タオルなどの嵩張るものは圧袋にっており、その工夫によってボストンバッグを小型のにすることができたのだろう。空いたスペースには飾り気がない、淡い青のショーツやブラジャーがっており――。

「って、“中”を見せんなよ!? 普通に見ちまったじゃねえか!?」

音が立つ速度で首を振り、視線を外す博孝。里香は驚愕したような顔で聲を張り上げた。

「博孝君何を見てるの!? 沙織ちゃんも何をしてるの!?」

「事故です! 俺のせいじゃないと思うんです! いや、見た俺が悪いんだろうけど!」

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里香の聲を聞き、博孝は必死に言い繕う。沙織はボストンバッグのチャックを閉めると、不思議そうに首を傾げた。

「見られて減るものでもないし、博孝以外には見せないから大丈夫よ」

「だ、大丈夫じゃ……あれ、大丈夫? ……ううん、絶対大丈夫じゃないよ!」

あまりに沙織が平然としているため、一瞬納得しかけた里香。しかし、深く考えずともおかしいことに気付き、困ったような聲を上げた。修學旅行ということで、普段よりも元気が良いようだ。

「全員、揃っているな」

里香が説教や説得、ついでに教育を兼ねた文言を沙織にぶつけていると、砂原が姿を見せた。これまでの任務と同様に野戦服を著ているが、迷彩柄のボストンバッグを手に持っている。その後ろには校長である大場が追従しているが、こちらは普段通りにスーツを著ていた。

生徒達はすぐさま私語を止めると、整列して砂原の言葉を待った。そのきが普段よりも素早くじられ、砂原は思わず苦笑してしまう。

「準備も萬端のようでなによりだ。それでは、これから修學旅行へ出発するにあたり、大場校長より諸君らへの訓辭がある。拝聴したまえ」

砂原の言葉に促され、前へと大場が出てくる。そして生徒達一人一人の顔を見回すと、穏やかな笑みを浮かべた。

「みなさん、おはようございます」

『おはようございます!』

最初に挨拶を行うと、即座に元気の良い聲が返ってくる。その反応の良さ、元気の良さに大場は笑みを深めた。

「元気が良くてなによりです。さて、修學旅行の前に長々と話していては嫌われますし、手短に行きましょうか」

大場が茶目っ気を含めて話すと、生徒達も破顔してしまう。それでも拝聴の姿勢を崩さず、大場の言葉を待った。そんな生徒達を見て、大場はよく通る聲で話し始める。

「修學旅行……私にとっては何十年も昔の思い出です。修學旅行で味わった楽しさは、今でも思い出すことができます。しかし、浮かれてばかりもいられません。君達は『ES能力者』の訓練生として、様々なことを知ることになるでしょう」

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その聲は、生徒達を思い遣るに満たされた聲だった。年若いへ、年長者が激勵をするような、そんな聲だった。

「それが君達にとって良いことなのか、それとも悪いことなのか……それを判斷するのも、君達自です。良く學び、良く遊び、この修學旅行が実りあるものになることをみます」

大場としては、これから続く『ES能力者』としての人生の中で支えになるような験をしてほしい。人知を超えた力を持つ『ES能力者』も、元々は普通の人間だ。貴重な験や思い出は、大きな力になる。

そして大場は一息吐くと、訓練校の校長として、一人の大人として最もむことを口にすることにした。

一杯、楽しんできなさい。そして、無事に、元気にこの學校に戻ってきなさい。以上で話を終わります」

短く、それでいて生徒達のを慮った話だった。それが十二分に伝わり、生徒達は自然と拍手をする。大場はそんな生徒達に対して微笑むと、後ろへと下がって砂原に場を譲った。

「大場校長の話を、しっかりとに留めておけ。だが、今回の修學旅行は護衛任務を兼ねている。実際に護衛される立場になり、周囲の護衛者のき方や心理をよく學べ」

大場とは対照的に、砂原は『ES能力者』としての立場を強調した。それでも、最後には口の端を吊り上げて笑う。

「その上で、修學旅行を楽しみたまえ。羽目を外し過ぎるのは法度だが、修學旅行の間はそれほどうるさく言わん。せっかくの修學旅行だ。一生の思い出に殘るものにしろ。良いな?」

そんな砂原の言葉を聞き、生徒達は揃って元気良く返事をする。砂原はその返事を聞いて満足そうに頷くと、生徒達から視線を外して正門の方へと目を向けた。

「移用のバスと護衛の者達が來たな。諸君らはこの場で待機だ」

砂原の言葉を聞き、生徒達の多くが視線を移させる。その視線の先には、砂原の言葉通り移用のバスと護衛を擔當すると思わしき『ES能力者』達の姿があった。バスの移に著いていくためか、迷彩柄の軽裝甲機車がバスの後ろに続いている。

バスや軽裝甲機車が止まると、中から野戦服にを包んだ『ES能力者』達が下りてきた。その數は陸戦部隊が一個大隊に、空戦部隊が一個中隊である。その中でも、空戦部隊に見知った顔があることに気付いた博孝は片眉を上げた。

(あれ? 町田佐がいるってことは、第五空戦部隊から一個中隊が來たのか。修學旅行の護衛擔當になったのか……あるいは、意図的に?)

町田とは、海上護衛任務でも顔を合わせたことがある。見知った人が護衛に就くというのは安心できる話だ。その上、町田の実力についても実際に目の當たりにしたことがある。

(陸戦部隊は……どこの部隊だ? 護衛任務に就くぐらいだから、高い練度なんだろうけど……)

陸戦部隊については顔見知りがいないため、判斷がつかない。そのため心で首をかしげていると、隊長らしき男が砂原へと近づいた。外見年齢は二十代の前半だが、立ち振る舞いに隙がない。陸戦の『ES能力者』として練の風格があり、砂原と似たような格を持つ男だった。

「待たせたな、砂原軍曹」

「時間丁度であります、近藤佐殿。今日から五日間、よろしくお願いいたします」

敬禮をわす砂原と男――近藤。それほど多弁な格ではないのか、生徒達を一瞥すると再び砂原へと視線を戻す。

「バスは町田佐と共にチェック済みだ。盜聴や探知機もない。うちの部隊から一個中隊を先行偵察に回すが、問題はないな?」

「問題ありません、佐殿」

砂原が頷くと、近藤は即座にハンドサインで指示を出す。それを見た陸戦部隊の十二名、一個中隊が三臺の軽裝甲機車に分乗して訓練校を後にする。

「こちらからも一個小隊出しておきましょう」

二人の會話を聞き、町田も部下に指示を出す。すると、即座に一個小隊が空へと上がり、先に出た軽裝甲機車へと追従した。他にも私服に著替えて一般人を裝った兵士達が普通車で先行偵察に出ており、それを確認した砂原は生徒達へと向き直る。

「それでは諸君、バスに乗り込みたまえ。荷用のトランクはないから、荷を持ってだ。荷は中に置ける」

砂原に促され、生徒達はバスへと向かい始める。博孝もボストンバッグを持って歩き出すが、近くに町田がいることに気付いてそちらに足を向けた。

「町田佐、お久しぶりです。今日から五日間、よろしくお願いします」

博孝が聲をかけると、町田は小さく笑って気さくに頷く。

「やあ、河原崎君か。昨晩はぐっすり眠れたかい? 護衛については任せてくれよ。しでも手を抜いたら、“後”が怖いからね」

ハハハ、と笑いながら遠い目をして視線を逸らす町田。それを見た博孝は、思わず首を傾げてしまった。

佐が手を抜くとは思えないんですが、何かあるんですか? あ、もしかして教が何か?」

「……いや、それは僕の口からは言えないなぁ。まだ死にたくないんでね」

もしも手を抜いて生徒に害が及べば、その後の砂原が怖くて仕方ない。もしも襲撃してくるような輩がいれば、率先して叩き潰そうと思っていた。

「ほら、早くバスに乗りなさい。君達は修學旅行を楽しむと良い」

「護衛について學ぶ必要もありますけどね……」

博孝は肩を竦めて笑い、町田の言葉に従ってバスへと乗り込んでいく。バスは任務の移で使用するものよりも大きく、裝を見た博孝は嘆の息をらしてしまった。

「というかこのバス……滅茶苦茶でかくね?」

第七十一期訓練生全員が乗り込むため、車が大きい上に二階建てだ。しかも、通路が広く取られており、備え付けのリクライニングシートも肘掛けやドリンクスタンドが設置されている。肘掛けには折り畳み式のテーブルまで収容されていた。二階部分に座席はないが、トイレや簡易的な個室、自販機などが設置されている。その上、カラオケ機なども積み込んであった。

今まで見たことがない豪華なバスに、博孝は僅かに引きながら自分の座席に向かう。任務で使用するバスと同様に四列シートになっているが、第一小隊はみらいが一緒にいるため、最後尾の五人掛けの座席へと座ることになる。

一階の天井付近には荷置き場が用意されているが、その部分も大きなスペースが取ってある。砂原の言う通り、荷は全て中に収容できるようになっていた。

「このバス、いくらぐらいするんすかねぇ……というか、こういうバスって荷はトランクにれるものだと思ってたっすよ」

バスの裝を確認し、俗なことを口にする恭介。博孝としても気になるところだが、荷を中にれる點では同様の疑問を覚えていた。そのため、軽く自分の考えを口にする。

「バスが破された時、荷を持って出するためじゃないか?」

「そんなスリリングなバス旅行は嫌っすよ!?」

『ES能力者』ならば、によって破されても問題はない。だが、荷をトランクにれていればバスごと吹き飛ぶだろう。それを考慮しているのではないかと博孝は思ったが、恭介としては嫌過ぎる予想だった。

「おにぃちゃん、はやくすわって!」

窓側の席に陣取り、早く座るよう博孝を促すみらい。その隣には里香が座り、座席の中央に博孝、里香とは逆隣に沙織、みらいとは逆の窓側に恭介が座ることになる。添乗員はいないのか、運転を擔當する兵士と砂原が乗り込めばあとは出発するだけだ。

人で気立ての良いお姉さんが添乗員になってくれないっすかねぇ……」

恭介がぼやくように呟き、博孝も同意するように頷く。

「鉄板だな。いや、ES訓練校の修學旅行だから、普通の添乗員は乗せられないか。そうなると、の『ES能力者』が添乗員として乗るとか……」

「そんなわけないでしょ」

博孝と恭介の願を沙織が切って捨てる。博孝と恭介は肩を落とすが、砂原が乗り込んできたためすぐに顔を上げた。

「教! 添乗員のお姉さんはいないんですか!?」

人のお姉さんを希するっす!」

「早速アホなことを言っているな……添乗員という括りでいえば、俺が擔當する」

博孝と恭介の言葉を聞き、呆れた様子で砂原が答える。それを聞き、主に男子生徒達からブーイングが上がった。しかし、砂原が拳を鳴らしたことですぐに沈黙する。

「護衛についても解説する必要がある。一般の添乗員では務められないに決まっているだろうが」

「ですよね……うぅ、修學旅行のお約束が……」

意気消沈する男子生徒達。周囲の子生徒達から冷たい視線が向けられるが、それについては気付かない振りをした。

點呼を行って全員が乗っていることを確認すると、早速バスがき始める。みらいなどはきゃっきゃと喜んでおり、既にテンションが高い。

初日の予定としては、北陸にある旅館までの移だ。高速道路を使って五時間ほどの移であり、間に晝食を挾んでも夕方前には到著する。

バスの前後は陸戦部隊員や兵士が乗り込んだ軽裝甲機関車が固めているが、他にも普通車に乗って一般人を裝っている護衛もいる。上空では町田が率いる中隊が索敵と警戒を務めており、警護は萬全だった。

「――このように、護衛対象が車を使って移する場合は護衛も車を使うことがある。空戦部隊ならば周囲を固める。陸戦部隊ならば周囲を車で固める、あるいは護衛対象と一緒に車に乗り込む……様々な護衛方法がある。諸君らも、將來的には車両の運転免許を取得した方が良いな」

修學旅行の修學の部分として、バスの外を並走する軽裝甲機車や空を飛ぶ『ES能力者』を示しながら説明を行う砂原。マイクを使って説明を行い、生徒達は肘掛けのテーブルにノートを置いてメモを取っていく。

上がったテンションが下降しそうだが、必要なことだと判斷して生徒達は砂原の話に聞きる。それでも一時間ほど“授業”を行うと、砂原はマイクを持ったままで助手席へと座ってしまった。

「あとは旅館に著くまで好きに過ごせ。騒ぐも良し、菓子を食べるも良し……いないと思うが、バスから飛び出るなよ。特に河原崎兄」

「異議あり! いくらなんでもバスから飛び出たりしませんよ! あと、騒いで良いのならカラオケ機を使っても良いんですかね?」

「構わん。好きに使え」

砂原からのお墨付きを得て、博孝だけでなく他の生徒達も笑みを浮かべる。博孝は席から立ち上がると、他の生徒達に向かって笑顔で話を振ることにした。

「それじゃあ、最初に歌いたい人は挙手!」

騒いで良いと言うのなら、とことんまで騒ごう。そう思った博孝がカラオケのトップバッターを募るが、さすがにクラスメート全員の前で最初に歌う度を持つ者はない。

「おろ? 誰も歌わない? んじゃ仕方ねえ、まずは俺がトップバッターを……」

ウキウキしながらカラオケ機に手をばす博孝。しかし、カラオケ機作するよりも先に、一人の生徒が手を上げた。

「……うたう」

みらいだった。バスの最後尾、窓際の席から小さな手を上げ、自分が歌うと意思表示をする。

「ま、マジで!? というかみらい、歌える曲があるのか?」

まさかみらいが真っ先に手を上げるとは思わず、博孝は驚愕しつつも曲を力するための小型端末とマイクを渡す。みらいは小型端末をけ取ると、扱い方がわからないのか首を傾げた。

「……おねぇちゃん」

困った様子で小型端末を里香に渡し、作を頼むみらい。里香もみらいが歌うということに困していたが、それでもみらいが口にした曲名を検索していく。

「みらいが歌う……マジか。カメラカメラ! 撮影しておいて、帰省した時に父さん達に見せないと!」

我に返った博孝は、購したばかりのデジカメを起する。寫真だけでなくビデオを撮る機能もあるため、迷うことなくビデオ機能を使うことにした。

みらいは椅子から下りて通路に出ると、マイクを両手で持つ。バスの中にはテレビモニターが二つ設置されており、カラオケの歌詞などが表示されるようになっていた。

里香が小型端末の作を終えると、數秒置いてから軽快なイントロが流れ始める。すると、生徒のほとんどが大きな反応をした。

「あれ? この曲は……」

「もうカラオケにったんだ……というか、バスに設置されたカラオケ機なのに、なんで最新曲がってるんだ?」

「みらいちゃん、この曲を歌えるの?」

周囲からそんな聲が聞こえるが、博孝には聞き覚えがない曲だった。訓練校に校する前はそれなりにJ-POPも聞いていたが、校してからは訓練漬けである。音楽を聞くどころか、まともにテレビを見た記憶もない。

「やべぇ、俺って時代遅れ!?」

「大丈夫よ博孝。わたしもわからないわ」

「ああ、うん……それは予想通りだから」

沙織がめるように言うが、沙織も博孝同様に訓練漬けの生活を送っている。部屋に戻るのは、著替えや寢る時だけだ。

博孝と沙織が顔を見合わせていると、歌唱部分にってみらいが口を開く。それに気づいた博孝は、即座にデジカメを構えて撮影を開始した。

みらいが歌っているのは、ボーカルの曲らしい。若者向けと言うべきか、歌詞も前向きで曲調も非常に明るい。博孝としては歌の部分を聞いても覚えがなかったが、問題はそこではない。一生懸命に歌うみらいこそが重要だった。

常の無表とは異なり、どこか楽しげに、どこか恥ずかしげにマイクを持って歌うみらい。歌詞は覚えているのだろうが、歌った経験がないからか歌聲がたどたどしい。それでも懸命に歌い、時折振付けらしききをしている。

そのき、そのダンスには見覚えがあった。以前、博孝の部屋でテレビを見ていたみらいが真似ていたダンスである。あの時はボールペンを片手に踴っていたが、今はマイクを片手に歌い、どこか楽しげに踴っている。

そんなみらいを撮影しつつ、博孝は涙を拭う仕草をしながら慨深そうに口を開く。

「あのみらいが……歌って踴るみらいを見られただけで、修學旅行に來た甲斐があった……例え今から訓練校に引き返したとしても、俺は一生後悔しないだろう……」

「満足するのが早すぎるっすよ!?」

長した我が子を見守る父親の心境で呟く博孝に、すかさずツッコミをれる恭介。そのツッコミをけた博孝は、みらいを撮影するデジカメを微だにさせず、顔だけで恭介へと振り返った。

「あのみらいが歌って踴ってるんだぞ!? 俺はこれだけで満足だ! って、邪魔だっ! みらいが映らないだろうが!」

博孝と同じように、デジカメのファインダーにみらいの姿を収めようとする男子生徒が數名、通路にを乗り出す。しかし、それに気付いた博孝が怒聲を上げ、デジカメがブレないよう注意しながら押し退けた。

必死に“妹”の姿を撮影する博孝を見て、里香は困ったように微笑み、沙織と恭介は呆れたように笑う。それでも、博孝に近い心境があったのだろう。里香もデジカメを取り出し、みらいの撮影を始める。周囲を見回してみると、子生徒の大半が揃ってデジカメを構え、笑顔を浮かべてみらいが歌う姿を撮影していた。

そんな生徒達の姿をバスの前方から見ていた砂原は、『なんだこの景は』と絶句する。騒いでも良いと言ったが、騒ぐ方向がおかしい。

「良いぞみらい! ほら、こっちに目線を向けて! よし、良いぞっ! よし、よし! オーケー! グッドだ!」

騒ぐ――歌っているのはみらい一人であり、螺子が外れたような歓喜の奇聲を博孝が上げているが、ある意味ではいつものことなので砂原も無視した。だが、寫真を取る子生徒達からは無言ながらも得の知れない熱気のようなものがじられる。

それでも騒いで良いと言った手前、特に注意はしなかった。そうして砂原が放置していると、やがてみらいの歌が終わりを告げる。みらいは歌っている途中で張が解けたのか、歌い終わった頃には満面の笑みを浮かべて頭を下げた。

「ごせいちょー、ありがとうございました!」

ついでに簡単なマイクパフォーマンスをするが、それを聞いた博孝は瞳をぎらつかせ、デジカメを傍の肘掛けに置いて頭上で両手を叩く。

「アンコール! アンコール!」

『アンコール! アンコール!』

博孝のアンコールに即座に乗り、他の生徒達もアンコールを行う。みらいは驚いたような顔をするが、照れながらも笑顔で頷く。

結局、みらいがマイクを手放したのは、博孝以外からのアンコールも含めて五回ほど歌った後のことだった。

「いやぁ、楽しかった……俺はもう満足だよ」

「だから早過ぎるっすよ。まだ一日目じゃないっすか」

バスから降りながら呟いた博孝に、恭介が呆れたように言う。晝食を含め、初日に宿泊予定の旅館までかかった時間は六時間ほどだ。しかし、バスで移する時間が非常に楽しかったため、あっという間にじた博孝である。そんな博孝だが、一つだけ懸念點があった。手に持ったデジカメに視線を落とし、さも困ったといわんばかりに呟く。

「恭介、どうしようか……みらいが歌って踴る姿を最高畫質で撮影していたから、デジカメの容量が既に限界なんだが」

々とおかしいっすよ!?」

撮影したのはみらいだけでなく、他にも多くの寫真や映像を撮っている。恥ずかしそうに歌う里香や、持ち歌を熱唱する恭介、そして、マイクが回ってくるなり演歌を選曲して歌った沙織の姿。他にもクラスメート達の寫真を撮ったが、まだ初日である。

「ぬぅ……仕方ない。旅館の売店にメモリーカードが売っていることを祈るか」

「あるいは、余分なデータを削除したらどうっすかね?」

「今日撮った寫真や映像に、『余分』という言葉は存在しない!」

恭介の提案を有り得ないと一蹴する博孝。そんな博孝達を放置して、周囲では護衛の『ES能力者』や兵士が旅館の周囲へと散開していく。

博孝達が初日に泊まる旅館は、それなりに大きな旅館だった。三階建てだが和風の趣が漂っており、旅館の周囲には季節の木々が植えられて自然との一を醸し出している。山の麓に建てられ、周囲に民家などは存在しない。

旅館の口には『第七十一期訓練生様貸し切り』という札が下げられており、宿泊客が博孝達しかいないことを示していた。さすがに、『ES能力者』の訓練生が行う修學旅行ということで一般客は泊まれないらしい。

砂原に先導されて旅館の中へ足を踏みれると、將と仲居がそれを出迎える。旅館の部は外見に違わず、木の香りが漂う落ち著いた裝で占められていた。

「男子は二階の大部屋、子は三階の大部屋に泊まる。荷を置いたあとは、ヒトハチマルマルまで自由時間。それから一階の宴會場で食事だ。館には護衛の者や施設の関係者がいるが、迷をかけるなよ」

一階のロビーに集合した生徒達に今後の予定を説明する砂原。それを聞いた博孝は、楽しそうに挙手した。

「大部屋に泊まるのは、修學旅行の定番だからですか?」

「そうだ。定番だろう?」

博孝の質問に対し、砂原はニヤリと笑って返す。

「ということは、夜は枕投げも?」

「やっても良いが、備品を壊すなよ。壊した場合は自費で賠償しろ」

「壊しませんが、至れり盡くせりですね」

夜が楽しみだ、などと言葉をつなげる博孝。『ES能力者』が全力で枕を投げれば、薄い壁程度は衝撃で破壊できる。そのため加減する必要があるが、枕投げが出來ると聞いた男子生徒は楽しそうに笑った。様々な意味で、かった。

現在の時刻は、午後三時を僅かに過ぎた程度である。旅館の中には遊戯施設もあり、時間を潰すのは容易だ。それでもまずは部屋に荷を置くため、男に別れて大部屋へと向かう。

旅館の仲居に案されて到著した部屋は、三十畳の広さを誇る大部屋だった。テレビやフロントへの直通電話、荷れや冷蔵庫などもあり、敷き詰められた畳が仄かに香る。

(大部屋に泊まるのは、護衛者が守り易くするためかね……)

部屋の間取りや外につながる窓を確認した博孝は、心で呟く。窓から遠くを見ると、『飛行』を発現しながら周囲を警戒する空戦部隊員の姿が見えた。旅館の周囲では陸戦部隊員や兵士が巡回しており、侵者に対して目をらせている。

「荷を置いたら、何をするっすか?」

思考を巡らせる博孝に対し、恭介が尋ねた。博孝はすぐに思考を打ち切ると、ボストンバッグを畳の上に置いてから口の端を吊り上げる。

「決まっている……まずは旅館部の探検だ!」

「おお! それじゃあ早速行くっすよ!」

恭介だけでなく、他の男子生徒達も連れて館の探検に乗り出す博孝。旅行獨特のテンションで館を歩き回り、周囲に迷をかけない程度にはしゃぐ。子生徒が泊まる三階には行けないが、それでも旅館の中は十分に広い。

一階にはフロントや売店、食堂や宴會場、娯楽施設の他にも天風呂などが設置されている。博孝達の移に合わせて、陸戦部隊員もさり気なく配置を変えていた。博孝は視界の端でそれを眺めつつ、娯楽施設へと足を踏みれる。

そこにはゲームの筐や卓球臺、マッサージチェアなどが置かれており、博孝達は思うがままに遊び始める。訓練校の中にいると、些細な娯楽でも非常に楽しいのだ。

そうやって遊ぶこと三時間弱。食事の時間がきたため畳敷きの宴會場に集合し、夕食に移る。

博孝達が泊まっている旅館は日本海の傍にあり、夕食には海の幸がふんだんに使われていた。テーブルの上に乗る刺の巨大な舟盛りを見たみらいなどは、歓喜の聲を上げている。下手をすると、舟盛りを一人で食べてしまいそうだ。

これもみらいにとっては良い経験になるだろう。博孝はそんなことを考えながら食事を進める。訓練校の食堂で食べる食事も味しいが、旅行先で食べる新鮮な魚介類はそれを超えた。數々の料理に舌鼓を打ち、博孝は満足そうに頷く。里香などは、料理の味に驚きながらもレシピを考えているのか、時折首を捻っていた。

騒がしくも楽しい食事を終えると、それぞれが大部屋に戻ることになる。午後八時からは浴の時になっているが、他の宿泊客がいない。そのため、天風呂も貸し切りの狀態だ。天風呂は二ヶ所あり、男で利用する場所が別れている。

天風呂かー。いやぁ、楽しみだなぁ……ん?」

タオルや著替えの準備をしていた博孝だが、男子生徒が數人集まって何事かを話し合っていることに気付く。それに興味を引かれた博孝は、話し合いに熱中して接近に気付かない男子生徒達の背後から覗き込んだ。

「……いけると思うか?」

「どうだろう……危険じゃないか?」

「でも、この機會を逃せば……」

小聲で話し合っているが、會話の容はしっかりと聞き取ることができた。男子生徒達は『修學旅行のしおり』――その中でも浴時間の部分を注視しており、それを見た博孝は思わず手を打ち合わせてしまう。

「うわっ!? って、か、河原崎!?」

「げっ! き、聞いてたのか!?」

まずいことを、まずい奴に聞かれた。そんな顔で後ろに下がる男子生徒達。だが、博孝は満面の笑みを浮かべて男子生徒達の肩に手を置いた。

「おいおい――まさか、除け者にするつもりか?」

浮かべていた笑みの種類を変え、ニヤリと笑う博孝。それを見た男子生徒達は、すぐに博孝の意図に気付いた。そのため、頼もしい仲間を見るような目つきへと変わる。

「河原崎……お前、まさか」

「そのまさかだ。任せろ」

軽く肩を叩き、博孝は浴の準備をしていた他の男子生徒達へと振り返った。そして両手を叩いて注目を集め、気取った様子で両手を広げる。

「さて諸君、注目してくれ。現在我々は修學旅行の真っ最中であり、場所は溫泉旅館だ。時間は浴の時間であり――そして、子達もこれから浴を行う」

突然手を叩いた博孝に対し、多くの視線が集まった。しかし、その発言の容に目を見開く。博孝は集まった視線を見返すと、邪悪な笑みを浮かべた。

「あとは、言わずともわかるな?」

博孝がそう言うと、浴の準備をしていた恭介が弾かれたように振り向く。

「ま、まさか……博孝、“やる”っすか!?」

「応ともよ」

躊躇なく頷く博孝。そして、數秒を置いてから重々しい口調で告げる。

「――行くぞ野郎ども、覗きだ」

次回、『博孝、はっちゃける』。

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