《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》閑話:未だ知らぬ、そのの名は その3

「――みらい、“それ”は嫉妬よ」

遠慮の欠片もなく斷言する沙織。その言葉を聞いた里香と鈴は、思わず目を丸くしながら絶句する。

「……しっと?」

そんな里香と鈴の反応に気付かず、沙織の言葉を聞いたみらいはオウム返しに尋ねながら首を傾げた。『嫉妬』という言葉の意味を脳で検索してみても、いまいちピンとこない。

訓練生時代にES能力だけでなく一般教養として國語や數學、英語や理科、社會などといった科目の授業もあったが、みらいはお世辭にも優秀といえる績を取ったことはなかった。

「ちょ、ちょっと沙織ちゃん!?」

しっと、しっと、と呟くみらいの姿に焦ったような聲を上げたのは里香である。こういった繊細な話はもっと慎重に伝えるべきだと思ったのだ。

しかし、そんな里香の焦りを微塵も気にせずに沙織は言う。

「隠すようなことでもないでしょう? ここはむしろみらいの長を喜ぶべきところだわ。“あの”みらいがこんな相談をしてくるようになったのよ? 今夜はお赤飯を炊かないといけないわね」

「そ、それはその、たしかに長って言えるとは思うけど……」

心底嬉しそうに笑う沙織に対し、里香はどう答えたものかと視線を彷徨わせる。

何に対しても無表かつ無だった頃のみらいを知っている里香としては、沙織の言葉に頷ける部分があった。“あの頃”のみらいと比べれば、自に対して頭を悩ませている今の姿はたしかに長していると言えただろう。

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それは里香とて否定しない。自のことを『おねぇちゃん』と呼び慕うみらいの長は心から喜べる――が、何事にも言い方やタイミングというものがあるのだ。

沙織は戦い方と同様に真正面から斬り込んだが、里香としてはもうし手心を加えてほしかった。

「わたしとしては博孝にも伝えて盛大にお祝いするべきだと思うわ」

「それはやめてくださいまし……お兄様に事の経緯を説明すると、最近の忙しさから生じるストレスの全てが武倉尉に向かいますよ?」

里香だけでは止められないと判斷した鈴がすぐさま沙織を止めにかかった。もしも博孝が今回の件を知ってしまえば、笑顔を浮かべながら恭介に襲い掛かるかもしれないのだ。

(いえ、武倉尉が相手ならお兄様はむしろ安心するかも……でもそれはそれで……)

むむむ、と眉を寄せながら鈴が唸る。兄妹として接することになった博孝だが、その行はいまいち読みにくい面があった。

大袈裟に怒って見せる気もすれば、安心してかに喜ぶような気もする。もしくは真顔になって詰問を始めるかもしれない。

しかし仮に博孝が諸手を挙げて喜んでしまった場合、鈴としては恭介に対して何も言うことができなくなる。姉妹として仲を深めつつあるみらいを“取らないでほしい”などと、言えなくなってしまう。

「博孝なら大丈夫でしょう? 恭介が相手なら怒るどころか喜ぶと思うわ」

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心での思考を読み取ったように話す沙織に、鈴は驚きの目を向ける。確信の響きが込められた言から、自の考えが見抜かれたのかと思ったのだ。

「でも、神楽坂さんとは友達として付き合いがあるし、なんだかんだで慌てるかもしれないわね」

「どっちですか……」

しかし、すぐさま鈴は力しながら肩を落とすこととなる。からかっているのかと思った鈴だったが、沙織に視線を向けてみると、沙織は慈しむような眼差しでみらいを見ていた。

「……けっきょく、しっとってなに?」

沙織達の會話を聞いている間も考えていたのだろう。腕組みをしながら右へ左へと頭を傾けていたみらいが尋ねる。

そんなみらいの質問に対し、沙織は手っ取り早く教え込もうと口を開く。

「そうね……それじゃあみらい、頭の中で恭介の姿を想像してみなさい」

「うん」

沙織の言葉を聞いたみらいは素直に頷き、脳裏に恭介の姿を思い描いた。

「追加で神楽坂さんを思い浮かべて恭介の隣に並べてみなさい」

「……うん」

脳裏に優花の姿を追加で思い描く。そうして恭介と優花を並べて想像してみると、みらいの返事は自然と遅れていた。

「そして次に、恭介と神楽坂さんが正面から抱き合ってる姿を想像してみなさい」

「…………むぅ」

沙織の言葉通りに想像したみらいは眉を寄せながらを尖らせる。

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「そこから更に、抱き合った狀態からキスを――」

「す、ストップ! ストップです! お姉様もそこでストップです!」

どこまで想像させるつもりだ、と言わんばかりに鈴が止めにった。放っておけばブレーキを踏むことなく突き進むと思ったのである。

「どうかしら? どんなじがする?」

鈴のび聲が聞こえたのか、あるいは無視したのか。沙織はみらいの前で膝を折ると、視線の高さを合わせながら今の心境を尋ねた。

「……んぅ……なんか、むねがちくちく……する?」

みらいは顔を俯かせると、自に手を當てながら呟く。その聲はどこか悲しげで、眉間の皴を濃くしながらを真っすぐに引き結んだ。

「それが嫉妬よ」

「……これがしっと」

繰り返すようにして呟くみらい。

沙織の言う通り恭介と優花が抱き合っている姿を想像した途端、鷲摑みにされるようにして心臓が痛くなった。それと同時に胃に冷や汗を掻くような、ぐるぐると重たいも宿る。

怪我などしておらず、戦いの最中に毆られたわけでもない。や腹部が痛む要素などないはずだというのに、勝手に涙が浮かびそうになる。

それはしっかりと自覚してみれば、今までにじたことがないような痛みと衝撃だった。

みらいはこれまでに様々なを學び、覚えてきた。だが、今のみらいのに宿るのは、複雑かつ強烈な違和である。

怒りたいような、びたいような、を掻きむしりたいような――泣きたいような。

「これ……“だめなかんじょう”じゃ……ない?」

鍛えられた『ES能力者』として、辛うじてを抑えながらみらいが尋ねる。

心中に宿っているのは、どう考えても良いではない。そう思ったからこそみらいは聲を震わせながら尋ねていた。

そんなみらいの様子に、沙織は穏やかな笑みを浮かべる。そしてみらいを優しく、ゆっくりと抱きしめてその背中を叩いた。

「勘違いしたら駄目よ? そのはね、人間なら誰でも抱くものなの。當たり前で正常なの」

と同様に穏やかな聲でみらいを諭す沙織。みらいはそんな沙織の言葉に噓はないとじたのか、おずおずと尋ねる。

「……さおりもしっとすること、ある?」

「ええ、あるわ」

縋るように尋ねるみらいに対し、沙織は穏やかな笑顔にしだけ苦いものを混ぜた。

「昔なんて博孝に嫉妬して斬りかかったことがあるし、“自分にないもの”に嫉妬したりするわ。今でも……」

そこまで言った沙織は僅かに目を伏せた。そしてみらいを抱き締める両腕にしだけ力を込めると、自嘲するように口元を緩める。

「……たまにあるわ」

――わたしが口に出して良いことではないけれど。

その呟きは、耳元で囁かれたみらいにしか屆かない。されど噓偽りなく、萬の想いが込められた呟きは“周囲”にも微かに伝わった。

(……沙織ちゃん?)

視線も、言葉も向けていない。だが、聞こえなかったはずの沙織の言葉は、自に向けられているように里香はじ取った。

何故そうじたのか、里香にもわからない。しかし沙織の纏う空気が僅かに変化していることに里香は気づいていた。

(うぅ……助けてくださいお兄様。急に空気が重くなりました……)

そして事の経緯を見守っていた鈴もまた、空気が変わったことを察していた。

そのため心中で博孝に助けを求めるものの、博孝が姿を見せることはない。今頃は執務室で今日行われた七面倒な會議の議事録に目を通すなり、書類に埋もれるなりしているだろう。

みらいと比べれば緒面が発達している鈴ではあったが、さすがに現狀を打破できるような経験は積んでいないのだ。

そうしてオロオロと視線を彷徨わせる鈴を他所に、みらいは沙織を抱き締める両腕に力を込める。沙織の言葉を自分なりに噛み砕き、しでも納得しようと試みる。

みらいにとって、恭介という人間は博孝に並ぶもう一人の兄のような男だ。それでいて訓練校ではクラスメイトで、友人で、戦友で。大切な存在と表現できる相手だ。

みらいにとって、優花という人間は大切な友人だ。アイドルとしての優花に対してはファンとして慕う気持ちもあるが、私人としての優花に対しては友人というを抱いている。

砂原の娘である楓のように、純粋に友だけを抱いているわけではない。しかし傍にいれば嬉しく、共に言葉をわせば楽しいのだ。

“そんな優花”が恭介と親しげにしているところを見ると、どうしてもがざわつく。これまでほとんど抱いたことがないような、重苦しいが腹の底から湧き上がってくる。

それが何なのか、みらいは知らなかった。だが、沙織の言葉によってそのの名を知った。

嫉妬――しているのだろう。きっとそうなのだと、みらいは納得する。

「でも……ゆうかちゃんはだいじなおともだちだよ?」

だが、納得した上でみらいは疑問を抱いた。友人である優花に向けて嫉妬を抱くことが、とてつもない大罪のように思えたのだ。

「みらいは優しいわね。でも、もう一度言うわ。“それ”は人間にとって當たり前で、正常なことなのよ」

そんなみらいの疑問と葛藤を、沙織は肯定する。みらいを抱き締める両腕からしだけ力を抜いて、優しく頭をでる。

「そう……なの?」

「ええ」

「……そうなんだ」

普段の沙織からは考えられないような、穏やかな聲だった。だからこそみらいは素直に沙織の言葉をれる。

沙織はしばらくみらいの頭をでていたが、やがてそのを離し、みらいを至近距離から真っすぐに見つめた。

「あとはみらいが“その気持ち”とどう向き合うかね。こればかりはみらいが自分で決めて、乗り越えていくしかないわ」

「……うんっ!」

沙織の言葉を聞き、みらいは自分の中にあった曖昧ながしっかりとした形に変わるのをじた。同時に、今まで自分が抱えていたもおかしなものではないのだと理解する。

「さおり、ありがとーね?」

それまでの不機嫌さはどこにいったのか、みらいは笑顔を浮かべて禮の言葉を口にした。そして里香の部屋を飛び出し、自の部屋へと駆けていく。

そんなみらいの背中を無言で見送った鈴は、困ったようにぽつりと呟いた。

「……お姉様は納得したみたいですけど、これって本的な解決にはつながりませんよね?」

みらいが嫉妬というに関して理解したとしても、“嫉妬を抱く理由”に関してはそのままだ。だからこそ零れた呟きだったが、鈴の言葉を沙織は鼻で笑い飛ばす。

「あなたも聞いていたでしょう? ここから先はみらいが自分で決めて乗り越えていくことよ。これ以上は無粋ってものだわ」

「ですがそれでお姉様が傷ついたら……」

「それもまた人生でしょ。それに、わたし達の妹分はそんなに(やわ)じゃないわ」

突き放すように、それでいて信頼が滲む聲で沙織が締めくくるのだった。

一夜明けた翌日。

食堂で朝食を取っていた恭介は、隣に座るみらいを橫目で見ながら心で首を傾げていた。

(今日はやけに上機嫌っすね……)

恭介と同じように朝食を取っていたみらいだったが、鼻歌でも歌い出しそうなほどに上機嫌だった。

昨日はみらいの奇妙な行に驚かされたものの、今日はそのような素振りも見せずにいるみらいの様子に恭介は不思議がる。

(不思議っていやぁ、今日は博孝や岡島さんが基地にいるのにわざわざ俺のところに來て飯を食ってるし、昨日までと比べると何か違うような気も……)

博孝は昨晩基地に帰還するなり執務室で書類仕事に忙殺されているが、里香は食堂にいる。沙織や鈴とテーブルを囲んで食事を取っており、普段ならばみらいもそちらに行くはずだった。

おかしな點があるとすれば、みらいと一緒にいると噛みついてきていた鈴が大人しい點もそうだろう。時折視線が飛んでくるものの、それ以上の行を起こす様子がない。

「ん? きょーすけ、なぁに?」

「いやぁ……元気そうで何よりだなぁ、と。昨日はみらいちゃんの様子がおかしかったんで、何かしちまったのかと心配したっすよ」

だからこそ、と言うべきか。昨日の出來事はたまたまで、みらいの気まぐれが原因なのだと恭介は思った。

(博孝に似て、昔から時折突飛な行をしてたしな。甘えたくなったのと遊びたくなったのが合した……みたいな?)

おそらくはそんなじだろう、と恭介は一人納得する。しかし、そんな恭介の態度に対してみらいはため息を吐いた。

「はぁ……きょーすけはやっぱりきょーすけだね」

「うぇっ!? やっぱり何かしちまったんすか!? ていうかみらいちゃんがそんな風にため息を吐くなんて初めて見たっすよ!?」

箸を止め、呆れたように呟くみらいの姿に恭介は焦りながら冷や汗を掻く。

(み、みらいちゃんにため息を吐かれた!? 何っすか!? 俺ってば何をやっちまったんだ!?)

“これまで”と比べるとしだけ大人びたように見えるみらいの仕草に、恭介は大いに慌てる。何かとんでもないことを仕出かしてしまったような、奇妙な焦りがあった。

「ぐ、ぐぬぬぬ……やべぇ、全然思い當たる節がねぇ!」

何をしたんだと記憶を探る恭介だったが、ピンとくるものはない。みらいが意味もなくこのようなことを言うとは思えず、最近の自の行いを必死になって思い出していく。

「……ふふっ」

そうやって焦る恭介の姿に、みらいは知らず知らずのに笑みを浮かべていた。

心配したように、焦ったように覗き込んでくる恭介。心から自分のことを案じてくれているということが伝わり、みらいはが溫かくなるのをじた。

兄である博孝が傍にいる時とは異なる安心と、わけもなく高まる鼓。時折が軋むような切なさをもたらすものの、“それ”は自分にとって大切で、人間として正常なものだとみらいは理解した。

「あ、あの、みらいちゃん? 俺が何をしたのか、できれば教えてほしいなー……なんて思うすんけど……」

一向に答えず、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべるみらいに恭介は困ったような聲を上げる。これまでもみらいの笑顔を何度も見てきたが、恭介が戸うほどに華やかな笑顔だったからだ。

そうして困する恭介の顔を見て、みらいは自然と笑みを深めていた。

図らずもみらいは嫉妬というを知った。だが、嫉妬と同居するようにしてに宿った“その”の名は未だにわからない。

そのを形容する言葉を、みらいは知らない。甘やかで溫かで、それでいてほんのしだけが締め付けられるような、そのの名を。

河原崎みらいは人工の『ES能力者』であり、“人間”である。

そして、に芽生えたそのの名は。

「んふふー……ひみつ、だよ?」

そう言ってみらいが浮かべた微笑みは、これまで浮かべたことがないような鮮やかなもので――その笑顔こそが答えだった。

どうも、作者の池崎數也です。

月日が経つのは早いもので、前回の更新から二年以上が経過していました……申し訳ございません。

想返しはできていませんが、新作を掲載し始めてからも何十件もご想をいただきありがとうございました。また、前回の更新時から7件ものレビューをいただきました。

いぬやんさん、ゆきさん、幻さくらさん、K.o-uさん、userさん、Quinさん、Shiroさん。

ありがとうございます。

久しぶりに書いたので以前と比べると文章量がないですし、掲載當時の書き方と違っているかもしれませんが、何卒ご容赦を。

それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

久しぶりに読み返して「おいこの作品続きはどこだよ」→「お前の頭の中だよ。書けよ」と一人ボケツッコミを行ったのは緒です。

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