《斷罪された悪役令嬢は、逆行して完璧な悪を目指す(第三章完結)【書籍化、コミカライズ決定】》02.悪役令嬢は挨拶を重んじる

「ようこそおいでくださいました。ご足労をおかけし、まことに恐です」

「わたくしの都合ですもの、お気になさらないで」

季節は初冬。

寒くなってきたにもかかわらず、店前に停めた馬車から降りるなり、紳士服店のオーナーに出迎えられる。

オーナーは、片眼鏡(モノクル)が目を引く白髪の老紳士だった。

穏やかな人柄が雰囲気に現れ、自然とクラウディアの表も和む。

「この寒い中、ずっと外で待ってらしたの?」

「リンジー公爵令嬢にお會いできると思うと、年甲斐もなく気が急いてしまいまして……ちょうど頭に上った熱が冷めてきた頃合いにございます」

「まぁ! でも寒さはに毒よ。次からは中で待ってらして」

「お心遣い、痛みります」

慇懃でいて、好々爺然としたオーナーの立ち振る舞いは、店を利用する機會があまりないのを惜しくじるくらい好ましかった。

前を歩くオーナーに応接室へ案されながら、店を眺める。

婦人向けの店では、裝の鮮やかさが目立つけれど、紳士向けの店となると、また趣が違った。

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柱や棚だけでなく、床にも深い暗褐が特徴のウォールナット材が使われているからか、彩は落ち著いていて重厚がある。

だからといって重苦しさはなく、信頼だけが殘るよう設えられたインテリアデザインは秀逸だ。

普段の買いは、屋敷に商人を呼んで済ますことが多いだけに、店の趣向を味わえるのが楽しい。

ついの長い絨毯からそれて、ヒールで床板を小突きたくなる。

「磨かれた床の上を歩いたら、きっと小気味良い音がするでしょうね」

「クラウディア様?」

「そんなはしたない真似はしないから安心して」

「お気持ちは、とてもよくわかります」

神妙に頷くヘレンと、顔を合わせてくすりと笑う。

それだけ、敷かれた絨毯の防音能は高かった。

屋敷でなら、きっと二人で音を鳴らしていただろうけれど、流石に外ではできない。

(あら……?)

何となく視線を巡らせた先で、店員と話している男客が目にとまる。

知った顔ではないけれど、佇まいや風貌に馴染みがあった。

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娼婦時代に、請けを申し出てくれた青年の顔が浮かぶ。

(正式な名前は、わからないままだったわね)

娼館では稱で呼び合っていた。場所柄、珍しいことではない。

結局、請けについて返事を出す前に、死に別れてしまった。

その青年は隣國、バーリ王國の上級貴族だった。

彼を連想させるくらい、客のなりは良い。加えて、會話の合間に見せるボディランゲージも上品だ。

(でも上級貴族が王都に滯在している話は聞かないし……それならパーティーで會ってるはずよね)

耳にっているのは、バーリ王國の王弟のきくらいだ。

現在、彼はハーランド王家の直轄領である港町に滯在しているという。

王都にも訪問する予定だが、まだ王都りしたとは聞いていない。

それこそ隣國の王族の來訪ともなれば、クラウディアも悠長に買いなどしていられないだろう。

(面識がないってことは、職業外かしら)

他にも上がる候補を消去法で消していき、殘った答えがそれだった。

には貴族や軍人が任命されがちだけれど、など特殊な技能を必要とされるため、最近では職業外も目立つようになってきている。彼らは分こそ低いものの、特権を持つため、扱いはデリケートだ。

それでも公爵令嬢(クラウディア)が出席するパーティーに招待されるのは、分差があって難しかった。

客の袖にるものを見つける。

(チェーン付きのカフリンクスね。やはり家紋はないタイプみたい)

向けのアクセサリーとしてシャツの袖につけるカフリンクスは、主に貴族社會で用されている。

その場合、家紋を象るのが一般的で、一目で貴族とわかる作りになっていた。

職業外は貴族と並んで渉の席に著くために上質な裝いを心がけ、見た目では上級貴族と変わらないが、彼らが家紋をつけることはない。

オーナーにはし待ってもらって挨拶へ向かう。

客しかいない売り場に、華やかなクラウディアが姿を見せれば、相手もすぐ彼に気付いた。

「歓談中、失禮いたします。わたくし、クラウディア・リンジーと申します。バーリ王國の方とお見けしたのですけれど、合ってますかしら?」

「これはこれは……! 完璧な淑と名高いリンジー公爵令嬢にお聲がけいただけるとは外の喜び! お恥ずかしながら、てっきり妖が店に迷い込んだのかと思っておりました。いかにも、わたくしめはバーリ王國で外を務めております。何かご用がおありですか?」

おどけながら、照れた様子で笑顔を見せる男に嫌味はない。

生來のものか、技巧か、初対面にもかかわらず場を和ませる手腕に、人知れず舌を巻く。

けれど彼から香ったアロマからは、悲しい思い出が蘇った。

(もしかして、娼館帰りなのかしら?)

娼婦時代、同じアロマを用していた娼婦がいた。

勤務時間外の晝下がり。窓からる日差しが、眠気をうほど暖かかったのを覚えている。

娼館の遊戯室で、クラウディアはヘレンや先輩娼婦たちとお喋りに興じていた。

その最中、件の娼婦は自ら命を絶った。

死が近だった頃の記憶。

人生の苦みが顔に出そうになって、慌てて意識を切り替える。

「用というほどではないのですけれど、ご挨拶がしたくて。王太子殿下のご誕生、おめでとうございます」

今年にって、バーリ王國では第一子となる王太子が誕生していた。

子寶に恵まれなかった國王にとっては待ちに待った慶事で、國は今も祝賀に沸いているという。

一方、新たな問題も生まれようとしているみたいだけれど――。

「ありがとうございます。わたくしめのような、しがない外にも直接ご祝辭を仰っていただけるとは、栄の至りにございます。もしかして、これだけのためにお聲がけくださったのですか?」

「あなたを見て、懐かしい方を思いだしましたの。バーリ王國では、人と出會ったら、必ず挨拶をなさるのでしょう?」

「我が國の文化をよくご存じでおられる……! 次に私的な場でバーリ人とお會いになるときは、気軽に『オウラー』とお聲がけください。リンジー公爵令嬢のおしい聲で挨拶されれば、相手はたちまち虜になるでしょう」

「『オウラー』が挨拶の言葉ですのね、わかったわ」

「いやはや、リンジー公爵令嬢におかれましては、一目見た瞬間から心を奪われてしまいそうですが」

「お上手ですこと。あなたのような大人の男からすれば、わたくしなんてひな鳥と同じでしょうに」

「まさかまさか! 若くはあらせられますが、リンジー公爵令嬢の魅力を前に、さを覚えるものなどおりますまい! そうだ、ぜひリンジー公爵令嬢の気品にあやからせていただきたいものがいたのですが……ちょうど席を外しているようです」

「殘念ですわ。教えていただいた挨拶を試す機會でしたのに」

実のところ、挨拶については知っていた。娼婦時代は、青年と顔を合わせるたびに言ったものだ。

しかし公爵令嬢である今、バーリ人とは公的な場でしか會うことがない。

「オウラー」はあくまで、日常で使える挨拶だった。

と別れたあとは、つつがなく品け取り、オーナーに店前まで見送られる。

そして、馬車へ乗るための踏み臺に足をかけた、そのときだった。

背中に視線をじて、振り返る。

挨拶した外が、やって來たのかと思ったからだ。

「クラウディア様、どうかされましたか?」

「いいえ、気のせいだったみたい」

振り返った先に誰も認められず、ヘレンに首を振る。

訝しみながらも席につき、馬車の窓から再度店前を確認しても、いるのは會釈するオーナーだけだった。

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