《12ハロンの閑話道【書籍化】》終わらない夢(3)

出遅れた。

出遅れなんてもんじゃない。出なかった。

「セルクルッ!」

「? ……――!?」

前を行く馬は20馬向こう。しかもそれで最後列だ。前の馬はもっと先に進んでいる。このレースは1400m戦だが、俺達だけ1600mを走らされているようなものだ。

バタバタと慌てて走り出す相棒。

そんなに慌てるならキチンと出てくれよと苦笑しつつ前までの距離を測る。

ロンシャン競馬場の直線は長い。さらに言えばフォルスストレートの奧からスタートするこの1400m戦は後方待機で抜き去るにはもってこいのコースだ。

まあそれも実質200mのハンデを背負っていなければの話だが。

とはいえ慌てる必要はない。

やることは単純で、そして俺と相棒なら出來ることだ。

まずはペース。開いてしまったリードはある程度取り戻さなければならない。しかし完全に追いつく必要は今のところない。前は平均ペース。新馬戦にありがちな無理のない流れ。

前の馬がどれだけのかは知らないが、今更バタバタしたところでどうにもならない。ここは平均的な新馬を想定しておく。つまり先頭から20馬程度の位置に居れば間に合うということだ。

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本當にそう簡単にいくかどうかは、試してみないとわからないけどな!

「まだだセルクル、慌てるな」

行きたがるセルクルを押さえ宥める。

先頭の姿が最終コーナーで隠れ視界から消える。追いつかないと、と焦るセルクルの気持ちは分からないでもない。続々と直線へ向かう各馬。俺達だけが取り殘される。

そこでラチ沿いから進路を変更する。最後方だから走る場所はより取り見取りだ。から外へ持ち出す。「なんで?」と疑問を挾んだ相棒だが、今一度手綱をしごいて指示を出せばすぐに従った。

なんでかって? これはそういう遊びだからさ!

直線を向いた。

外に膨らませた俺達の直線上には遮るものは何も無い。俺達のためだけの緑のコースがびている。

右手側前方でその他大勢の馬群がごちゃごちゃと何かやっていて、彼我の差は目分量で30馬はありそうだ。うん、ちょっと離れすぎたな。

まだか、まだなのか、と下の相棒。

まださ。そう、あの殘り400のハロン棒。あそこからだ。

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見せてやろうじゃないか。

君という才能。

俺たちという無敵の存在って奴をさ。

観客席で見ている連中、きっと誰一人として俺達を見ていないぜ。

あんなその他大勢とは違うってところ、見せ付けてやろう。大外を走れば、奴等だって近くて見やすいだろ?

ハロン棒が近づいてきた。鞭なんかなくたってわかるよな?

3、2、1――……

「行くぞセルクルッ!」

「――ッ!」

ぐんっ、とが沈む。

発的推進力が鎖で縛るように膝と背中に襲い掛かる。

歯の奧を噛み締める。馬首のきを阻害するので首の手綱は摑むだけ。を丸めから腰の筋で姿勢を維持する。

馬の走りはちょっとした重心の変化で損なわれる。特に加速の瞬間にバランスを崩しているようでは騎手は務まらない。とはいえ厳しい負荷がかかることはかかる。特にセルクルのような、例外的天才の騎乗では!

「ハッハァッ!」

だがそんな事は些末なことだ。

俺だけが知る世界。

広いターフが一瞬にして狹まる。

視界の端が線になる。

まる差、冗談みたいな速度。

一完歩が叩く大地の衝撃、高速で連続する肢の律

あいつらが地であくせくやっている間に、俺達は空を飛ぶんだ。

正面スタンドが近づく。悲鳴のような歓聲が耳に屆いた。

先頭まではもう5馬ない。殘りは後100mか? それだけあれば十分すぎる。

よく見ておけよ。差しきるだけじゃない。

一瞬で並びかける。

勢いが違う。で応戦しようとでもいうのか、先頭の馬に鞭がった。

見る目がないね。叩き合いなんて起こりえない。もう抜いているんだよ。

簡単に抜き去った。

まだびる。

なあセルクル。どうせなら視界にらないくらいちぎってやろう。

腳が止まらない。400m程度の追い込みなら、セルクルにはやはり余裕があった。

二馬、三馬――。

ほら。やっぱり。俺達が一番だ。

五馬ちぎった所、そこがゴールだった。

ロンシャンの歓聲と祝福は俺達だけが獨り占めした。

「ばかやろう心配したじゃねーか!」「なにやってんだこのやろー!」

「ばかっ! ばかっ! セルクルのばかっ!」「本當にお前はいつもよー!」

関係者に囲まれぼこぼこ叩かれながらセルクルはすまなそうに耳を伏せていた。

一応やらかした自覚はあったらしい。

下馬して検量に向かう傍ら、ガーナさんが寄ってきた。

「発走でなにか問題があったのか?」

「いえ、単純にセルクルがぼーっとしていただけです。押しても引いてもかなかったので、何か考えていたのかもしれません」

「まあ、君に失策があったとは私も考えていないが……あまりやらない事だが、スタートの練習でも取りれてみるか」

「賛です。二度は無いと思いますが、その方が彼も反省するでしょうしね」

「変な馬だよ、まったく」

そう言いつつガーナさんの顔には笑みがあった。俺だって笑っている。

関係者にしたってそうだ。怒ったふりをしながら輝く笑顔で相棒を見守っている。

誰も彼も輝く未來を疑っていない。

と祝福はセルクルのためにある。

そんな期待に俺自を膨らませていた。

どこまで行くのだろう。行きつく先に何があるのか。

唯一つ分かること。それは彼と共に走るのは、他ならぬこの俺ということだ。

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當初競馬業界においてセルクルの評価は(なんと驚くべき事に)割れた。

出遅れ云々に端を発する気不安説などまだ可い方で、母クローヌの勝鞍にマイルしかなかった事と、父がアメリカのスピード種牡馬であった事をあげつらい、短距離専用馬であると言ってのける奴までいた。

つまり、初戦の勝利は最適距離での完の早い早であったために起こった偶然であると彼らは言いたいわけである。

直線400mで30馬の差を抜き去ったあのレースは様々なメディアで取り上げられ、歐州圏では現代のダンシングブレーヴ、アメリカではシルキーサリヴァンの再來などと持て囃された。

強い勝ち方をするとメディアはすぐに○○の再來などと持て囃すが、それはブラッドスポーツでもある競馬のあり方を考えれば仕方のないことであるのかもしれない。

が、々面白くない。セルクルはダンシングブレーヴではない。ネジュセルクルであるのだ。彼より前に彼は無く、今後一生現れない唯一無二の存在。専門家を自稱するのならその事に気付いてもらいたい。

そんな俺の苛立ちを代弁するかのように、とある取材でセルゲイさんがメディアに向けてこんな発言を殘した。

「セルクルより速い競走馬は存在しない。それはこれからの戦いで証明される」

セルゲイさんもセルクルの新馬戦を見て確信を抱いたのだろう。

挑戦的な言いである。競馬の取材で大半の関係者は斷定系の発言をしない。

それがよりにもよってまだ二歳の馬が史上最強の競走馬であると宣言した訳で、それは業界人からも見ても、メディアから見ても、彼の発言はあまりに傲慢だった。

そんな発言には理由があった。

「二歳で短距離。三歳で歐州世代。四歳で世界を制する」

全て勝つ。

新馬戦の後、今後の出走計畫を話し合う場でセルゲイさんはそんな宣言をした。

堅実で知られるガーナさんは僅かな思索の後、頷く。俺はどこへだって行くつもりだしそもそも出るレースに関與できる立場じゃないからニヤニヤ笑っていた。

セルゲイさんの語った計畫はこうだ。

まず新馬戦を終えた6月。次走は8月の1200m二歳G1モルニー賞。

そこから凱旋門賞ウィークエンドの10月、アベイ・ド・ロンシャン賞を目指すという。それを聴いた瞬間思わず口笛を吹いてしまった。

なぜなら、アベイ・ド・ロンシャン賞はロンシャンで行われる芝直線1000mの"二歳以上"國際G1レースであるからだ。フランスで行われる古馬混合二歳重賞はこのレース以外にない。更に前回二歳で優勝した馬は40年以上前であり、それも斤量有利の牝馬だった。

なるほど二歳でアベイを勝てば短距離界はほぼほぼ制したと見てもいいだろう。直前が世代戦のスプリントであることから疑いの目は消えるはずだ。

野心的な試みであり、通常、算の低さから考えられない道だ。

だから面白い。そして同時に容易いともじる。セルクルの瞬発力を生じる俺だからこそ斷言できる。短距離で負けることはありえないと。

「その後はどうするんですか?」

馬産関係者なら誰もがやるだろうその妄想は、この瞬間においては実効を持って占われる未來予想だった。全てを勝つ前提。そんな危うさが面白い。

「あくまで國に拘るならクリテリウム國際だな。俺としては二歳で國はケリをつけて、三歳から遠征にしたいと考えている」

クリテリウム國際。ロンシャンで行われる二歳1400mの國際G1レース。

思わずニヤリとしてしまう。セルクルが話題になった新馬戦は同舞臺ロンシャンの1400mだった。あれがフロックでもなんでもないと証明するためにあるかのようなレース選択。

面白い遊びだ。ここまでやってやれば評論家様も短距離での実績を認めざるを得なくなる。

「年が明けたらクラシック。距離をばしていくつもりだ。英2000ギニーを荒らして仏ダービーを勝つ……そういう距離延長をな」

「楽しそうだ」

「四歳で有名どころを全部獲るぞ。アイリッシュCS、キングジョージ、凱旋門賞……ククク、夢が広がるな」

「実力で黙らせようってわけですね」

「ああ。五歳は……そうだな、その頃には敵が居ないだろうから、同じ事をしてもつまらない。ダートにでも挑戦してみるか? ブリーダーズカップクラシックでも勝てば大陸人も諸手を挙げて降參してくるな」

「はははっ! そりゃいいやセルゲイさん」

今はまだ、思い描いた未來の話。

これから一つずつ現実にしていく。まずはそう、二歳G1モルニー賞。

見せ付けてやるんだ。俺達の走りを。

歐州レースは日本のものより詳しくないのでしょーじき怪しい

3歳時、古馬混合以外でローテーション組むとどんなじになるんでしょう

作中では英2000→仏ダービー→そのたもろもろみたいな計畫ですが……

自信ニキ教えてください

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