《12ハロンの閑話道【書籍化】》終わらない夢(9)

アスコット競馬場のコース特はと言うと、単純に言えばひたすら続く上り坂だろう。大まかに言って三角形のコース。スタート後暫くで下りの1コーナーに差し掛かり、後はゴール板まで22m強をひたすら上り続けることになる。

道中のペースは坂の道中であることを考えれば避けたい。そのため仕掛けどころである最終コーナー直前までは淡々とした流れになりやすく、そこまでどれだけ余計な力を使わず腳を殘しておけるかが勝負となる。

走破のために必要なタフなと他馬をちぎって勝つために必要な切れる末腳。まさしく競走馬の選定のためという競馬の原點に立ち返るかのようなコースだ。

馬場に出てみると、広大な平原にぽつんとある競馬場とは々趣が異なり、整備された人の手をかんじることが出來る。それというのもこのアスコット競馬場の馬場は俺が子供の頃に改修されており、以來英國の競馬場にしては珍しくあれこれ試行錯誤していたかららしい。ドバイや日本ほどではないが、路面もそれなりに整えられいくらか走りやすくなっている。

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セルクルはこのコースを走るのは初めてだ。一応調教でコースをキャンターさせてはいるが、このコースの真髄は全力で走ってこそ現れる。セルクルがこの程度の坂でどうにかなるとは考えていないが、これは競馬で勝負事だ。俺の手綱次第でセルクルの手伝いにも邪魔にもなりえる。必然気合もろうものだ。

(しかしこのコース……)

案外スタート直後の坂を利用して、勢いそのままに逃げを打ってみても面白いのかもしれない。數がなく角度も緩いがコーナーを二度曲がるのだ。先頭を走る優位は確実に存在する。

まあ、今日はやらないけどね。

「ん? どうしたセルクル」

乗りをしていたセルクルの足が突然止まり、後続の馬が迷そうに蛇行して抜かしていった。

セルクルはじーっと何かを見つめている。

視線を追って目を凝らすと、ラチに摑まった鳩の群れがあった。職員に追い払われて一斉に飛び立つと分かりやすい。

そういえば競馬場で鳥を見かけるのは久しぶりだな。

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ああそうか。例の鳥獣保護団が喚いた所為で開催期間中以外で追い払うことが出來なくなったんだったか。まあ昨日今日でああして追い払ったところで意味はないだろうな。なにせ競馬場は広い。一度居ついてしまうと今もそうだが別の場所に著地してしまう。

「鳩だな、セルクル」

暫くそれを眺めやがて興味を失ったのかセルクルは馬列に向かって歩き出した。

ゲートりが始まりセルクルと俺も納まる。

今回は幸いといってよいのか枠だ。2400mも走ってだ外もないと思うが、得られる選択肢は増える。事前の打ち合わせではペースに合わせて追走し直線勝負のオーソドックスな走りを予定しているが、果たして思い通りになるだろうか。恐らくムーランホークが先を行くだろう。その程圏を維持しつつ進んだ時、それは想像通りのペースであるだろうか。まあやってみれば分かる。どんなレースだって俺とセルクルなら負けやしないさ。

ゲートを嫌がった馬の影響で枠に居た時間が長かったが、間もなくスタートだ。

軋む音。今!

まずまずのスタート。外から抜いていく馬を見ながら位置を維持する。

下げるでもなく上げるでもない。枠だから出來る外へプレッシャーをかける乗り方。抜いていく馬はコーナー前に位置取りを決めたいという思があるが、こちらは無理をしなくても位置が確保されているため使う力に差が出るのだ。どこかで抜く以上誤差でしかない、が、そういう積み重ねが最後の著差になる……こともある。

セルクルはゲート前もよそ見していたから気が抜けすぎかと心配したが、しっかり前を見て走れている。現在13頭立ての7番手。先頭までは5馬といったところか。ラチ側を走っているおかげで経済的だ。

コーナーを曲がり切り長い坂の直線にる。ここから1000mで約20mほどを上ることになる。

ペースはどうかな。先頭のペースメーカーは馬場の2分どころ狀態のいい場所を走りその真後ろにムーランホーク以下後続を引き連れている。あまり速いとはじない。俺たちは側で隊列を形している。タイミングさえ間違えなければ進路に困るような展開ではない。

と思いきや段々と位置取りが下がってきた。周りがペースを上げた? いや、これはセルクルのペースが落ちている。後ろの馬が外から抜いて前の馬のる。あっという間に殆ど最後方まで來てしまった。

急にどうしたセルクル。嫌そうな顔をして。一何が……何を不満そうに睨んでいる? ……坂? 坂か?

そういえばサンクルーの直線の時もなんだか嫌そうなじだったな。もしかしてお前、坂が嫌いなのか?

おいおい止してくれよ。坂なんかいつもシャンティイで走っているだろう。それと何が違うっていうんだ。

発破をかけるとしぶしぶ~と持ち直す。

仕方がない。奧の手を使おう。

「セルクル。ミーシャにいいところを見せるんだろう。このままじゃマズいぞ」

「!」

耳が立った。これで良い。いや、馬としてどうかとは思うが。

そうこうしているうちに坂も終盤。通用路のために一瞬だけある平地を超えればいよいよ最終コーナーが目前に迫ってくる。途中バタバタしたが力的には問題無い。背中のからもまだまだ走れると伝わってくる。

ここから側の隊列はコーナーで膨らみ後ろからでは進路がなくなる。仕方がないから外から全部抜いてやるとしよう。君のせいだぞ、セルクル。

外へ持ち出す。外目の隊列を更に外から追い抜いていく。こうやって勝負所であっさり位置を変えられてしまうスピードこそセルクルの最も優れた箇所だ。

よしムーランホークまで7馬。十分程圏で直線にることができた。

ん? どうしたセルクル、前を見て集中しろ、何を見て――

ドンッ、と強い衝撃に馬が泳ぐ。

なんだ。なにが起きた。橫から?

いや外側に馬はいなかった筈だ、じゃあ何が。

の間から背後を確認する。トラックに何かが落ちている。灰の羽の塊。

「鳩か……ッ!」

環境に配慮して、可哀そうだから、自然のままの。そんな聞き流してきた言葉たちが脳裏に蘇り瞬間的に殺意が増大する。

あの腐れ環境ゴロ共がッ! よりにもよって奴らの所為でセルクルが傷を負ったぞ!

「セルクル、大丈夫か!?」

「!」

ぶつかったのは腹か。クソッ、俺に當たるならどうとでもなったというのに!

どうする、競爭を中止するか? いや、今すぐ辭めるべきだ。

「!」

ハミが噛み合う。

本気かセルクル。まだやる気なのか。お前、ちょっと前まで坂が嫌でぐずってたじゃないか。なんでこんな時だけやる気なんだよ!

「やるのか、セルクル!?」

「!!!」

何に火がついたのか全くもって訳が分からないが、やる気は十分じられる。もしかしたらかなこの馬のこと、俺の怒りで煽りをけたか?

ええいやってやる。これで負けたらタダじゃすまさないぞ環境屋共め!

ゴーサイン。

首が下がり、馬が沈み込む。

いつもの、いつも以上の加速だ。

先頭は黒鹿の馬、恐らくムーランホーク。差は13馬ちょっとだが追い始めて間もなく10馬は切った。アスコットの直線は500mと長い。攻撃をけたのはコーナーの出口、そこから直線だけで捲るとなると、これは中々大仕事だぞセルクル!

殘り2ハロン。末腳のびはいい。他馬が止まって見えるのもいつも通りだ。

しかし先頭、ムーランホークに余裕がある。3馬、一息に詰め寄ったがここからだぞセルクル。

2馬、1馬、並んだところで殘り1ハロン。

ムーランホークに鞭がった。馬が弾ける。さすがに余力が殘っている。

外馬を離して並ぶ。並んでいた。二歩前に出られる。

セルクルは……きついか。最大速度を使い切って維持にっている。この段階で抜けていない以上、相手も同じだけの速度に上げてきたとしか考えられない。やはりムーランホークは生中な相手ではないようだ。しかしこっちはあのロスからの追い上げだ、普段ならとっくに抜いている。いや、意味のない思考だ。

どうする。再びの逡巡。

セルクルは燃えている。背中に闘志が漲っている。

勝負を降りようなんて気配が全くない。

純粋な、ただ走るだけの生き

翻って俺はどうだ。騎手とはなんだ、するべきこと、為すべきことはなんだ。

それは勝利だ。ならば、もう一度だ。

それが俺の役目であり、お前の役目であるのだから。

鞭を抜く。セルクルが振り上げた鞭を見つめる。

いくぞ、殘り100m、ここだ!

鞭をれた。二度目の加速。

ここまでセルクルを追ったのは2000ギニー以來だ。

打ち付ける風が頬を叩く。

差が詰まる。並ぶ、くそっ、向こうも二の足を出してきた。

差し切れる自信がない。

頼むセルクル。あとはお前だけだ。

がんばれ。

がんばれ、セルクルっ!

――……

何か、聞こえた気がする。セルクルの側から?

「頑張れセルクル~っ!」

いや、外だ。ゴール板の辺りにミーシャの姿がみえる。もう殘り20mもない。

「ふぎいいんッ!」

起した。最後の一び。

を合わせろ、最も首が前に出た瞬間をゴールの瞬間に。

気づけば、音が戻っていた。そのことで自分が今まで音の外側に居たことを自覚する。

耳の割れんばかりの大歓聲とため息混じりの驚き。

最後の瞬間、絶好の形にすることはできたが、差し切れたかどうかの自信はない。

「どうなんだセルクル……そうだ、セルクル、は大丈夫なのか!?」

レース後の高揚も一気に醒める。

下馬して衝突のあった辺りをる。が出たりとかはしていないようだが、こういうのは部にどれだけの衝撃が加わったかが重要だ。るときながら嫌がる素振りを見せる、なくとも打撲は負っているようだが……。

「ぶほーぶひーん……」

と、俺の心配をよそにセルクルはどこかけない表をしている。

この顔はあれか、ミーシャにいい所を見せられなかったってじか。

お前、こんな時に心配するのはそこなのか。

「なあに次があるさ。凱旋門賞、きっちり勝つところを見せればそれでいい、違うか?」

だからまずは獣醫に掛かって傷を癒そう。きっとミーシャも今日のレースっぷりなら文句は言わないさ。

慌てた様子で駆けつけてくる職員。

なんだ、と思ったがそうか、レースが終わって下馬していれば、あんな事があった後だ、何かあったのかと考えるのは當然だ。

そもそもこいつらさえしっかりしていれば、あんなアクシデントは起きようがなかったというのに。

そうだ。意地悪な考えが思い浮かんだ。

一杯悲しげな顔をしておいてやろうか。

あいつらめ、きっと青い顔をするに違いない。

遠くでわっと歓聲が上がった。著順がでたようだ。

「おめでとうございます」

駆けつけてきた職員のその言葉で、俺たちの勝利を知った。

セルクル、お前はすごい馬だな。

見上げた相棒は浮気のバレた男のようにどこかオドオドとしていた。

勝者なんだからを張れよ。ミーシャだって怒ってないさ。

まだ実の沸かない危うい勝利だったが、勝ちは勝ちだ。

振り返った掲示板にはハナ差でセルクルの一著と表示されていた。

実家に帰省中

環境変わると意外と文字ってかけないもんですね…

駆け足気味ですが運命のレースが近づく

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