《12ハロンの閑話道【書籍化】》夢見る風(4)
ドバイ、ねぇ。
冬場の廊下がこんなじかもしれない。心なしかひんやり冷たい窓から雲間に臨む海と大地。高度1萬メートルから見下ろすそれらは現実味より作りめいた印象を橫田に與えた。
あまり良い思いの出のある土地ではない。若気の至り、己が無謀な行いが引き起こした慘事のは未だ手とに殘されている。関係者の多くが業界を去って尚続く贖罪は、即ち彼が抱く罪の意識そのものであった。
だからこそだった。競技者として晩節を迎えた今、得難い機會を與えられた。そうじている。きっと昔の相棒はそんなこと気にしないだろうし、今の相棒はこっちの事なんて気にしてはくれないだろう。
だからこそ、この地で勝ち星を挙げたかった。
機が降下勢にった事を機放送が告げた。
支度を整えながら、橫田は決戦の地ドバイと來る戦いへ思いを馳せた。
「ひ~~~~~~ん」
「…………」
揺れているというよりはいている。常時そのような覚に苛まれる飛行機は大半のサラブレッドにとって大変気味の悪い空間であるらしく、その大半に含まれるダイランドウは親友のたてがみをもぐもぐと咀嚼しながら、不安の嘶きを上げた。
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大半の競走馬に含まれない、というより分的に馬という種別が正しいかどうかも怪しい栗の魔王サタンマルッコは、狹い馬房で首だけ出して並ぶそんな僚馬を迷そうに耳で追い払っていた。
「お前はいつも余裕だなぁ、マルッコ」
「ぶる」
絵面だけ見れば仲睦まじいその様子を慣れない攜帯端末で撮影しながら、廄務員のクニオは気もそぞろな様子で聲をかけた。
あたぼーよ、とでも言いたげにを鳴らしたマルッコは、いい加減たてがみがベタベタで気持ちが悪くなったのか、絡みつくダイランドウを振りほどき彼から顔を遠ざけた。『ひ~ん』とダイランドウが甘えた聲を出し首をばしても、つーんと顔を逸らしてつれない態度だ。
あとでホームページで公開するから畫の撮影を忘れないように、とクニオは日本を発つ直前、ケイコから厳命されていた。だからこうして慣れない畫撮影にを出しているのだが、撮影した畫の殆どが靜止した馬の様子を淡々と映しているだけであり、それらの大半は後日沒になるのだがそれはさておき。
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「落ち著かない様子ではあるが、落ち著かないだけで済んでるな。妙な発汗もない、こりゃ楽でいい」
二頭の様子を見ながら、須田はあっけらかんと言った。
輸送というのは繊細な競走馬にとって一つの鬼門であり、言い換えれば遠地への適正能力とも呼べる。単獨では嫌がる輸送も、帯同馬を付けることで安心することがある。國輸送でも予定が合えば帯同していたが、須田は己が目論見通りマルッコがダイランドウの外付け神安定剤としての効果を発揮していることにほくそ笑んだ。一つ問題があるとするなら、帯同馬とするには凱旋門賞馬は豪華すぎるためそうそう採れる手段ではないというところだが。
「フランスの時もこんなじでしたよ。あの時は獨りでしたけど、ほんといつもと変わらないじで」
「得難い資質だわな。ダイスケも見習ってしいもんだぜ」
「ダイスケくんもダイスケくんで、マルッコが居て落ち著く辺り視野が狹いんじゃないですか? それはそれで才能な気がします」
「まっ、なんでもいいさ。事実起きていることが全て。コミさんに預かった大事な馬だ、このままつつがなく現地りと行こうじゃないか」
おっ、高度が下がってきたか? という言葉を追いかけるようにアナウンスが流れる。不安そうなフリをしたダイランドウがまた鳴いた。
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技の進歩は検疫期間を短くしたが、それに副次して馬への負擔も軽減された。余程の適正が無い限り海外遠征が行われなかったのも今は昔。元気にメイダン競馬場ダートコースを駆け回るマルッコの背に揺られながら、橫田は時代の流れをじていた。側にはダイランドウ。その背には主戦騎手である國分寺がっていた。先日の暴走を鑑みて併走はしない予定だったが馬房からマルッコが出される段階でダイランドウが酷く寂しがったため、こうして仲良く鞍を並べていた。
さすがに騎手を背にして暴走はしないのか、はたまた別の理由かは不明だが、二頭はのんびりと見慣れぬ景を楽しむように軽い調子で駆けている。
関西でレースがある度廄舎に顔は出していた橫田だったが、こうしてマルッコにるのは有馬記念での騎乗以來である。久しぶりの相棒のを確かめつつ、心では調子の良さをじず、やはりかとの思いを抱いていた。
(形容し難いけど、前肢の蹴りが軽い。支える重が軽い所為か?)
有馬以降、疲労で馬重が減っていたとは耳にしていた。競走馬の重が減る事は考えられている以上に危険な兆候でもある。鍛え上げられた競走馬のは全が筋であり、それを非食経由の食事で補わねばならないからだ。疲労が濃いとまず食事の量が減る。で消化される飼葉の分の重が減り、次いで筋が落ちる。この段階にまで進んでしまうと立て直すには數ヶ月を要する。俗に言う夏や冬に長期休養が必要とされるのは、こうした疲労による弊害を回避する、ないし立て直すための期間であるからだ。
(飼葉食いが戻ったのが二月の半ばで、そこから立て直したとするならこんなじになるか。にしても――)
橫田は側らのダイランドウに目を向けた。
漆黒の馬のなんと艶やかなことか。空輸中マルッコにべったりだったという彼の馬は栗の相棒から生命力か何かを一緒に吸い取っているのではないかと見紛うばかりだ。
元々4歳時も見惚れる様な馬をしていたが、むしろ今が全盛期なのではないかと思わせるような馬格と雰囲気。対戦する相手も強いと聞くが、隣を走っているだけでもじるこの狀態の良さからは負ける姿を全く想像出來ない。
「お前はどうだい。マルッコ」
ピクリと栗の耳が跳ねる。何か言う訳でもない。そもそも馬が言葉を喋るはずもない。しかし橫田にはその背が『愚問だな』とでも語っているように思えた。
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初めての空輸に張したのか、検疫時に計測した馬重は大幅に減りこそしていたがそこから三日。軽い運と食事で思った以上の回復を見せたラストラプソディーはきゅるきゅると鳴きながら指定の廄舎近くの角馬場で主戦騎手川澄を背にしながら、なじみの廄務員に連れられ引き運をしていた。
珍しい運容はレースに向けての集中力を高める目的と、ストレスの発散のためだった。
「今日は隨分ご機嫌だな、ラストくん」
効果はあったらしい。外國の見慣れない馬達と同じ空間で散歩をするのは彼にとって楽しい出來事であったらしく、先の薄黒い筆のような尾とたてがみをしきりに揺らしていた。
「そういえば川澄さん。オーナーもレースを見に來るそうですよ」
「あ、そうなんですか」
つまらない話題を耳にしたとの心をおくびにも出さず、川澄は平熱で相槌を打った。
ご執心だった馬を金儲けの道にしようとした男の話など、業腹以外の何でもない。川澄は自分の言いが理不盡かつ無意味である事は理解していた。しかしそう考えずにはいられない決斷――戦いからの逃走を選択――をしようとしている人間なのだ。顔も見たくはないし願わくば別の人間に所有権を譲ってしいとまで願っている。
いや、全ては結果を出せばいいだけの事だ。誰をも黙らせるだけの結果を……
(……いけないな)
いつの間にか彼の相棒が気遣わしげに川澄の様子を伺っていた。馬に心配させているようでは騎手失格だ。
「行こうか、ラストくん。ちょっとお散歩だ」
軽くトラックを一周。時間をかけて行われたその散歩の間、優しい相棒は終始ご機嫌だった。
(何かが変わるのだろうか。いや、変えなくてはいけない。俺が勝たせるんだ。俺が、俺が……)
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