《12ハロンの閑話道【書籍化】》夢見る風(6)
いつも勝ってるアイツがいて、いつも勝てないアイツがいる。
春先の冷えと暖かさが繰り返す日々の中、その報せは街中のテレビジョンからもたらされた。
「そうか、そういえばドバイは今日か」
めっきり數の減った町の電気屋。埃でややくすんだガラスの向こう、サラブレッドと見慣れた子レポーターの姿を見かけて記憶を繋いだ。夕暮れというにもあまりにも遅い時間。土曜日曜と立て込み休日出勤で彼の日付覚は麻痺していた。それなりに楽しみにしていたはずなのに、日々の忙しなさの中で埋もれてしまっていたらしい。
しかし、そうと分かれば応援モードだ。
幸い明日は代休を取得済みで、日本時間で深夜にずれこむレース開始も翌日の起床を度外視できるならば問題とならない。
応援グッズと銘打ったツマミと缶チューハイを近所のコンビニで揃え、1kのアパートに帰宅後風呂にって落ち著く頃には22時。
テレビをつけて特別番組にチャンネルを合わせれば、これから始まるアルクォズスプリントの解説が始まっているところだった。
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出走馬は誰だったっけと番組を聞き流しつつ手元の競馬雑誌を確認する。
おお、そうだダイランドウだ。
こいつも俺は好きなんだよな。
特別番組での予想もやはりダイランドウ有利の向きが強かった。そうした図抜けた存在が國を代表して、いや別に國別競技でもないから代表とかではないのかもしれないが、気分的に代表として評価されているのは気分が良いものだ。
冷蔵庫から取り出した缶チューハイを開けた。小気味の良い音が味の薄い室に響く。
『ダイランドウ一著! ダイランドウ圧勝!』
ダイランドウが圧倒的勝利を飾る頃には裂きイカが無くなった。
ラストラプソディーがとてつもない瞬間最大風速で駆け抜けた頃にはチーかまを食べつくした。さて次は柿ピーでも食べようかという頃合いで、ドバイシーマクラシックが始まろうとしていた。
「よしよし、ようやくだな」
彼にとってのメインディッシュはこのシーマクラシックだった。これまでのレースは観戦のみだが、ここでは馬券を買っている。端末をぽちぽち、良い時代だ。
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購したといってもるか反るかの大勝負ではない。一人暮らしのサラリーマンでそんなことばかりしていたらが持たない。家賃に付き合いに貯金にとしていると存外金は使えないものなのだ。
だから単勝一點、1000円の勝負。
それが彼にとっての競馬だった。
各馬が紹介されていく。シーマクラシックに參加する日本馬は二頭。
『今日のサタンマルッコはどうですか、竹中さん』
『ええーそうですねェ。の出來はやっぱり年末なんかとね比べちゃうと。見劣りっていうのとは違うんだろうけどやっぱりあの時と比べるとし、ていうところはありますねェ。ただまぁこのお馬さんの場合、わからない部分がありますからね、そういうところだけじゃ。私は十分やる気だと思いますよ、廄舎の仲間のダイランドウに続いてしいですねェ』
解説者のそんな話の中、鼻息を荒くしながら周回する栗の怪馬は、しかし向けられるカメラのスコープに都度都度ちょっとしたポーズをキメていた。
「おーサタンは元気だな。一時期やばいかもとか言われてたけど、この馬競馬場に來ると急にやる気出すからなー」
だけど、こいつじゃない。
『続いてキャリオンナイトは如何でしょう』
「おっ、待ってたぜキャリーちゃん!」
一人暮らしが長いと獨り言も増える。されとて誰に咎められるでもない。酒の勢いもあって彼の興は高まっていく。
キャリオンナイト。それこそ彼がここ數年追いかけている馬の名前。
會社の同僚に訊ねられたことがある。どうしてキャリオンナイトなんだ? と。彼は答えた「好きだから」。
彼は運命めいた考え方をするタイプだ。
初めて出向いた競馬場で、たまたまやってた新馬戦。
なんとなく買った単勝。冴えないありふれたの鹿の馬。キャリオンナイトその馬だった。ただそれだけ。
2歳の頃は強かった。3歳になると急に戦績が悪くなり、以降はさっぱり勝たなくなった。勝たないだけで、弱い訳じゃないのはすぐわかった。
なにせ重賞でも馬券圏の3著にる。2著も珍しいがなくもなかった。
そんな戦績で3歳、4歳となって5歳。何度かは掲示板に乗らなかったが、凡走は一度もない。ただずーっと勝たず。でも走り続けている。
故にその間彼の単勝は當たらずじまいだ。なんと、丸4年もの間だ。
同世代に王者はおらず、年下のクエスフォールヴが世代を席巻し、次いで古馬になったサタンマルッコ世代との戦い。その間もやっぱり彼は勝ちもせず、さりとて凡走もせず走り続けた。
新馬戦のように、2歳の頃のように、また當たらないかなと期待している。あたらなくても別にいいとも思っている。勝手に始めたこの関係。なんとなく終わらせたくないこの関係。
キャリオンナイトも今年でもう8歳。なんやかんやと5、6年こんな事を続けていたのかと慨にふける。彼が走り出した時、就職先に社したての新人だった。今では職場の人員もれ替わり、すっかり中堅所のベテランに數えられるようになってしまった。
彼は、まだやれるのかな。まだ見ていたいな。
つまるところ彼にとっての競馬とは。
キャリオンナイトが出走したら単勝1000円。
そういうことだった。
やがて出走の時間となった。柿ピーはあまり進んでいない。やけにが渇いて酒ばかりが進んでいた。
今日はなんだか違って見える。乗りやゲートりするキャリオンナイトの瞳に力がある。そんな気がする。そんな気がしはじめてもう數年経過していたりもするが。
もしかしたら、と思いたい。今日は勝つかもしれない。あるいは惜しいところまで行って負けるかもしれない、もしかしたら不甲斐なく慘敗する事だってあるだろう。
ゲートが開くまでのこのドキドキが彼は好きだった。
ゲートが開いた。
《スタートしました! 果敢に飛び出していったのはサタンマルッコ! 金の馬がドバイの芝を駆け抜けます!
間がし切れてキャリオンナイト、キャリオンナイトも2コーナーへ向かっていきます。
あ、キャリオンナイト? キャリオンナイトは今日は珍しく、この馬にしては珍しく前からの競馬。手綱はぶらりと八源太、今日は前目のキャリオンナイト!
後続はちょっと離されて行きます。1000m通過が手元の時計で58.5、夜風に吹かれてサタンマルッコ軽快に飛ばしております。3馬程切れてキャリオンナイト、カクテルライトを切り裂いて軽快に飛ばしております。そこからまた4~5馬ほど切れてアメリカのウィンドブルドッグが――……》
「おお、おおおお? なんだなんだキャリーちゃん、今日はやけにやる気じゃない」
鞍上にガシガシ押されて嫌な顔するでもなく、誰に指示されるでもない前目の競馬。ここしばらく見ることの出來なかった積極的な競馬。
馬場の狀態など細かいことまでは知識のない彼にとって、破滅的ペースブレイカーサタンマルッコに追走している、その事実だけが判斷材料だった。
「だけどこんなペースについていって大丈夫なのか? そりゃ若い頃は前目でやってたけど……」
懸念材料としてはそれで走りきれるのかという事だ。大において後方一気の作戦が多いキャリオンナイト、2400mという距離は問題とはならずとも、高目の位置取りのために足を使い、それで最後に差しきるだけの足を殘せるのかどうかは未知數だった。まして、先頭を走るのは稀代の逃げ馬サタンマルッコ。それに遅れて3馬程度での追走はいかにも厳しいように見えた。よしんば走りきるだけの余力を殘せたとして、2枚腰のサタンマルッコを捉えられるのか?
沸いては起こる疑問の中、レースは向こう正面を終え勢いを増して3コーナーへ突しようとしていた。
「なんでもいい、頑張れキャリーちゃん!」
細かいことはどうでもよかった。競馬はゴールを先頭で駆け抜ければ勝つ競技だ。よりゴールに近い位置を走っていて何が悪いものか。このまま走り続けて、最後には先頭を追い抜いてしまえばいいのだから。
《さあ後続馬が差を詰めにかかるがサタンマルッコまだまだリード7、8馬!
追走キャリオンナイトは2馬後方、さあ直線へってまいりました!
メイダン競馬場の直線は400m! 後続はどうか差が詰まってこない!
サタンマルッコ先頭! サタンマルッコ先頭! ぴったりつけてキャリオンナイト、日本勢2頭が獨走だ!》
「ああああ! 頑張れ! 頑張れキャリーちゃん! キャリーちゃん!」
《殘り200m! サタンマルッコ先頭! キャリオンナイト追いすがる!
キャリオンナイト鞭がった! キャリオンナイト並ぶか!
並んだッ!
サタンマルッコここからもう一びあるか!
外キャリオンナイト! 腳で勝るか!
上位を日本勢獨占!
二頭の競り合いだ、二頭の、差したか! わした!
キャリオンナイトが単獨先頭ッ!》
「うおわまじか!」
キャリオンナイトが、冴えない見慣れた鹿のサラブレッドがカクテルライトのを一に浴びて緑のターフをひた走る。先頭をだ。橫に並ばず、単獨で先頭を!
《キャリオンナイト! キャリオンナイト!
サタンマルッコはどうだここからまだびる腳があるのか!
殘り50m!
しかし!
キャリオンナイトだ!
キャリオンナイトだ!
キャリオンナイト、宿願達ッ!》
眼球がキャリオンナイトの一位線を認識した瞬間、彼のは発した。
「ほわあああああああああああああああああ!!!!!!!」
人間喜びすぎると頭が沸騰するというか真白になるものなのだと気付いたのは正気を取り戻した10分後だった。
「そうだ、お祝いだ!」
別に彼の関係者というわけでもない。そうする義理も何もない。
ただしたい、そうしたいというの起こりが行させた。
寢巻きに一枚シャツを羽織って。目指すは近所のコンビニエンスストアー。
お酒もまた買いなおそう。そうだ、本のビールを飲むのもいいかもしれない。
だって今日は勝ったのだから。彼も自分も。
玄関を出て4階から地上まで降りる。気分がいいから階段だ。
道路に出た。
風が吹いた。
春風と呼ぶにはあまりにも彩度の高い、極彩の気持ちのいい、心地よい風が。
「おめでとうキャリーちゃん……おめでとうキャリーちゃああああーん!
そして、やったぜ俺!」
いつも勝ってるアイツがいて。
いつも勝てないアイツがいる。
だから競馬は面白い。
それが、いい。
それでいい。
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