《12ハロンの閑話道【書籍化】》彼の夏、彼の夏(4)

同日2話更新しています。

番外編でるはずだった話なんですが沒にした鉄剣陣営の文昭くんの話。

ナミが誰だか覚えている人はいるんだろうか

それはサタンマルッコが凱旋門賞に挑戦するため渡航していた昨年の夏の話。

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夏競馬。関東、関西の競馬場が休場中に催される、所謂地方の競馬だ。

阪神競馬場休場以降を主に指し、7月から8月にかけて行われるため、季節を冠して夏競馬と呼稱される様になった。

地方の競馬というのは場所の話で、福島、札幌、函館といった首都圏から外れた地域で開催されるが、歴とした中央競馬だ。

三歳春をなんらかの理由で棒に振った馬が秋を目指して名乗りを上げるのもこの時期で、それらを上がり馬などと呼ぶ場合もある。花賞が"強い馬が勝つ"と言われるのは、こうした春に間に合わなかった実力馬達が揃い、世代の馬達が揃い踏むからといった側面も強い。

逆説的に順調に行っていた馬は暑い時期を避暑地で休養にあてるため、だいたいが放牧に出される事となる。

実は暑さに弱いテツゾーことスティールソードは殊更素早く比較的過ごしやすい北の牧場へ送られた。

今年の細原廄舎の管理馬はその殆どが実家(ぼくじょう)に帰っており、殘りない居殘り組みもレースが近づけば現地に輸送となり不在だ。

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つまるところ、週末の騎乗まで細原文昭はすることがなくなっていた。

「ちょうどいい。お前もちょっと休みにしろ」

そんなある日の細原廄舎。父、大吾が唐突にそう告げた。

「は? いいのかよ」

「週末に騎乗あるんだろ? それまで廄舎の方は手伝わなくていいぞ」

「まあそう言うなら休むけど。いいんだな?」

「ああいいぞ。ただ重だけは気をつけろよ」

「ンなこと言われなくたって知ってるよ」

さて降って湧いた休日。それもこの業界的に珍しい連休。

何をしようかと考えるが、そういう時には取り立てて何も浮かばないのが世の常。

「ん?」

バイブレーターの振がテーブル上でけたたましく響く。

持て余した時間をベッドの上でゴロゴロしながら過ごしていた文昭は、寢転んでいたベッドから起き上がり、機の上で振を続ける攜帯電話に手をばした。

開くとディスプレイには"ナミ"の文字。

ナミ? と呟き、若干の空白の後、記憶の糸が繋がる。顔の知らないキャバ嬢の名前であったはずだ。

「え、どうしよ、なんかかかってきたんだけど……」

父曰く、天皇賞の祝勝會の二次會で知り合ったナミというキャバ嬢。音沙汰がなかったので日々記憶から薄れつつあった名だった。

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コールが始まってから30秒程経過している。

取ろうか取るまいか。迷ったら行けの神が通話ボタンを押させた。

「もしもし」

『あ、もしもーし。久しぶりフミフミ。あたし。覚えてる?』

「キャバ嬢のナミだよな」

『そうそう。えーってか覚え方、雑っ!』

いかにも水商売をしていそうな相槌の打ち方に、おお、本當にキャバ嬢なのかと文昭は謎のを覚えた。そして聲にも全く覚えが無い。これは攜帯端末越しであるからかもしれないと整理をつけていると、聲が続いた。

『あのさ、私明日から久しぶりに連休なんだ。だからさ、フミフミ時間ある?』

「あーちょっと待って」

何が"だから"なのかさっぱり分からないが、一先ずスケジュールを確認する。即答するとなんだか格好悪い気がしての行。たった今暇を持て余していたのだから考えるまでも無く暇なのであるが。

「一日空いてるぜ」

『ほんと!? やったー。じゃあさ遊ぼうよ。どこにする?』

「行く事決定かよ」

『え、きてくれないの?』

「いや行くけど」

『フミフミツンデレさんかよー。まあ行き先なんか當日の勢いで決めればいいよね。待ち合わせ場所と時間だけ決めとこっか。フミフミのお家ってあれだよね、お馬さんのとこだよね。あ、そうそうあの時ビックリしたよー。タクシーで送るっていうから近場なのかなって思ったら、なんかとんでもないところまで連れて行かれちゃってさー。あの後大変だったんだよー? それでね――』

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喋るに口を挾める程経験の無い文昭はその後も辛抱強く會話を続け、なんとか『翌日の午前10時に東京駅の改札で待ち合わせ』という所まで聞き出した。

こんなんで明日やっていけるのだろうか。そもそもいく必要があるだろうか。いや、暇して家で腐ってるよりはいいだろう。というか酒に酔っていた過日の自分はどのように先ほどのナミなると會話していたのか。

それも含めて會ってみればいいだろう。

謎は深まるばかりだったが、迷ったら行けの神で、文昭は明日の外出に備え、久しく袖を通していないよそ行きの服を簞笥から引っ張り出すのだった。

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浦から東京は思われているより近い。電車で大一時間強。これは東京なら

中央線で東西を橫斷して到著する東京、八王子間とほぼ同じだ。

文昭は待ち合わせの場所に時間よりも早く到著した。競馬學校にるより前、中學生の頃、友人が話していた「彼が出來たら」という妄想シリーズの中で、待ち合わせの場所には時間より早めについておくのがよいとされていたのを覚えていたからだ。

文昭にと待ち合わせをするといった経験は無い。騎手になった人間の大半がそうであると文昭は願っているが、騎手の極朝方の生活時間と毎週末出張という多忙さはを遠ざける要素だとじられるからだ。

(金だけは持ってるから、夜遊びして持ちを崩す奴も多いんだがな)

自戒の意味を込めて心のでそう呟く。

そして早めについたにも関わらず件のナミと思しき人はいた。

水商売の人間なのだからきっと派手な髪なのかと思いきや意外と黒髪。昇天しているような盛り髪が現れるかと構えていれば、片方に束ねて肩から垂らす無難な髪型。今の時分派手な盛り髪は珍しいと知るのはコレより後の事。

キャバ譲になるくらいだからきっと顔立ちに出るくらいキツイ格に違いないと思い込んでみれば意外と垂れ目の大人しそうなおっとり系。騎手として大きめな格の自分(165cm)と同じくらいの背丈。或いはヒールの高さの分自分よりは低いかもしれない。 襟元の広いTシャツから著の肩紐を覗かせ、下はショートデニムと腳部の出が激しいものの、気溫を鑑みた涼しげな服裝。

なにより。

ぶらさげられたバッグを持つ両腕でよけいに強調された

でかい。

どう考えてもでかい。FとかGとかいうレベルではないのではなかろうか。

キャバ譲といえばスレンダーなイメージしていた文昭はしばしフリーズし、その後想定とあまりにも異なる人相の人であったため、待ち合わせ場所が正しいか三度ほど攜帯端末で確認した。

本當に過日の己はどのような手法であの流を持ったのだろうか。酒の勢いとはかくも恐ろしい。

そんな作でナミなるも文昭に気付いたらしく、笑みを浮かべながらトコトコと歩み寄ってきた。

「こらーどこみてるんだ」

「お、おう。なんかすみません。見てたわ」

「もー。フミフミ、この前もそうだったけど直球すぎだよ」

「お、おう……いや全然覚えてないんだけどな……」

意外と、香水の匂いはしなかった。職業柄畜産の匂いに鼻が慣れているため、鼻が利いていないということもあるまい。

改めて直接呼びかけられるフミフミという呼稱に強烈な違和を覚えつつ、文昭は話を仕切りなおした。

「一応確認なんだけど、あんたがナミ?」

ナミと呼ばれたは首肯しつつ、呆れた表を浮かべた。

「そうだよ。本當に覚えてないの? 部屋まで肩貸して連れて行ってあげたのに」

「いや本當にすまん。マジで欠片も覚えてない」

「んもー。じゃあよく覚えてよね。あたしがナミだよ」

「はい。細原文昭です」

「あっは! フミフミそれ面白い! よし出発!」

どこにだよ、と聲を出すより速く腕を取られ、引きずられるように歩き出す。どうやら向かっている先は改札らしい。

もう、全て任せてしまおう。なるようになれ。

出遅れた馬にっているような心境で文昭は匙を放り投げた。

連れられて降りた駅は地下鉄でいくつか先の場所だった。

「よし、適當にブラブラしよう」との言葉に消極的賛を示し、小灑落た洋服ってこんな値段がするんだなーと半分関心しながら、お互い何を買うでもなく通りの店を冷やかす。

お互い妙な遠慮や沈黙も無く、不思議と會話は途切れなかった。或いは相手の會話が上手なだけの可能も高かったが、目にした想や、それで刺激され記憶野から飛び出したの話がつらつらと続いた。

一時間ほどそうしていただろうか。やはり移を決定した時のような唐突さでナミは「よし、ちょっと乾いたから喫茶店行こう」と言い出すや否や靴先の方向を変え、ズンズン歩き出した。奔放な格の放し飼いの犬みたいだと思った。

落ち著いた先の喫茶店。向かい合った二人席でカラカラと氷を掻き混ぜながら、會話の続きが始まる。

「フミフミしいものとか何かある?」

「今更かよ……んーいや、これと言ってないな」

「あ、もしやお金ない? というかジョッキーってお金稼げるの?」

「サラリーマンよりは稼ぐんじゃないか。あんまそういうの気にしたことねーな」

「へー。あたし競馬とかギャンブルってよく知らないから、何か勝手にジョッキー

ってあんまりお金稼げないのかと思ってた。みんな痩せてるし」

「調教師見てみろよ、みんなデブだぞ。いや皆は言いすぎか……まあとにかく痩せてんのは職業柄だよ。俺の長だと50キロ越えたらデブだ」

「えっぐ、モデルみたい。でもなんでー?」

「馬からしたら背中に乗せる人間は軽いほうがいいだろ」

「そうなの?」

「ああ。重たい奴が乗ると骨に機嫌悪くなる馬とかいるしな。うちのテツゾーがそうだ。親父が乗ると鼻鳴らす」

「あっは、それ可い。フミフミのとこのお馬さんテツゾーって言うんだ」

「渾名だけどな。この間あんたんとこの店行った時もテツゾーのGⅠ祝勝會だったんだぜ。記憶に無いけど」

「あ、そういえばそんな事言ってた。そのジーワン? ってすごいの?」

「すげーぞ。俺も自慢したくて仕方が無い」

「ふっふっふ、その辺今日はたっぷり聞いてしんぜよう」

「よし聞け。まず競馬の獲得賞金がだな――……」

やはり職業柄か生來のものなのか、ナミは聞き上手だった。俺だけペラペラ喋っているうちに、ふと思い浮かんだ言葉が口をついた。

「そういやナミはなんでキャバ嬢やってんだ?」

「えーフツーそーゆーこときくー?」

「そっちだって散々なんでジョッキーになったんだとか訊いて來たじゃねーか」

「たしかにたしかに。まあ、別にそんな深い理由もないんだけどね」

話す言葉を考えたのか、若干の間が空いて、

「あたし実家が新潟なんだけど、あ、新潟でも田舎の方ね。実家の方ってさ、本當に人がいなくてさ。地元で就職して働いてたんだけど、なんか顔ぶれ変わらなくて飽きちゃって。人が一杯いるところに行ってみたかったんだ。だからこっちにきて、どうせだったら知らない人とんなお話したかったから、じゃあキャバ嬢かなって」

「お前すげーな。勇敢すぎる」

「よほほ、ほめるなほめるな」

「どっちかというと呆れている」

「まー別になんでもよかったんだけどね! そろそろ飽きてきたから別の仕事しようかなと思ってるし」

「テキトーだな。仕事ってそんなんでいいのか?」

「いーのいーの。最悪実家帰ればなんとかなるし、こー見えてあたし結構貯金あるし」

「へー。キャバ嬢って金遣い荒いイメージだったわ」

「偏見だぞーあってるけど」

「じゃあ何かしいでもあるのか?」

しい? いやー別にないかな? なんとなく使わなかったから貯まってったじ。そーゆーフミフミだって稼いでるならなんか買いたいものとかしいないの?」

しいしい……ねえ」

しいものってなんだろうか。

元々は薄い。今までで一番高い買いは、たぶん原付自転車だ。

ナミに訊いておきながら、自分はどうして騎手(しごと)をしているのだろうか。

騎手はサラリーマンなどとは比較にならない程年収が高い。年間勝ち鞍が殆ど無いような騎手でさえもだ。

しかしそれを目的として騎手になったかといわれればそうではない。

はじめは家がそうだったから。

そのうち乗りたいと思ったから。

じゃあ騎手になったその先は?

「勝ちたいんだろうな」

質問に対する答えとしてはズレた回答だと思う。

不思議とナミは茶化さず聞いていた。

「何がしいかって聞かれたら、俺は勝利がしいね。アイツに勝ちたい」

誰かに、何かに、掛け値無しの本気の勝負で。

競馬場を舞臺とした命の削りあいの果て、勝利を摑みたい。

それがたまたま職業として存在して、仕事にすることが出來た。

こうして考えると俺って結構ツイてるな。

「アイツって強いの?」

「ああ、強いね。でもそれがいい」

「ふーん? よくわかんないや」

「人それぞれでいいんじゃねーの」

「そうかもね。じゃっ、次いこっかっ!」

來た時同様、唐突に立ち上がると伝票片手に腕を取って立たされる。

その拍子にふかふかのらかな塊が腕に押し付けられた。

こんなこと今日ずっとしてこなかったのにいきなりなんだ。

まあいっか。

人それぞれだ。そうしたかったから、そうしたんだろう。

顔に集まる熱を誤魔化すため、そんなもっともらしい事を考えて気をそらした。

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それから一年が経った。

今年も変わらず俺は騎手だし、テツゾーと一緒に戦っている。

寶塚はアイツにゃ勝ったがレースに負けた。

だが本番は秋だ。秋の府中GⅠこそがテツゾーにとって最も適正が高いレース。

格付けはまだまだ終わってないぞ、サタン。

「フミフミーご飯できてるよー」

「おーよ今行く」

秋が來る。勝負の秋が。

元々こういう話をかくために始めた閑話集だったのですが、もはや本編の続きになっているという。

夢見る風からここまでをそのうち本編の方に移しようと考えています。

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