《12ハロンの閑話道【書籍化】》溶ける黃金(3)

「今日は気楽に回ってきなよ、川澄くん」

パドックで聲をかけてきたオーナーだったが、その口元が引きつっていたのは印象的だった。特段指摘もせず無難に返し馬の背にる。

(まぁ、気持ちは分かる)

口を突いた言葉は真実なのだろう。GⅠを勝った後、オーナーサイドは急速に態度を化させた。「一発ぶち上げるのを見てみたい。君に任せる」等と白紙委任狀のような言葉さえ頂戴した。

さりとて彼らも張を強いられていた。

何にか。

ラストラプソディーの視線を追えば、原因があった。

の怪、サタンマルッコ。

賑やかなパドックで有名な彼の馬が、今日はやけに靜かだった。

靜々と闘志をめ周回する様は、酸素を絞った爐心のように黒々と赤熱して見えた。

空気がヒリついてじられる。関係者一同、日の魔王が醸し出す雰囲気に呑まれていたのだ。

「関係ないさ」

相手は相手で走る。

自分達は自分達で走る。

それだけの事。

周回が終わり馬場場が始まる。

地下馬道を抜ければ、戦いの始まりだ。

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《グレード・ワン。

國際的な格付けをけた競走だけに許される稱號。

今年も選ばれし格を有した優駿達が集いました。

長雨も終わり、紅葉もづく秋の府中。

さあやってまいりました古馬王道。東京競馬場芝2000m、天皇賞秋。

間もなく発走時刻を迎えようとしています。

実況は私、黃島達也、解説は吉村公平さんでお送りいたします。

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待ちに待ったと言って良いでしょう。

東京競馬場上空は快晴の青空。馬場狀態は良。

理想的な環境が準備されております。

そして、最高のメンバーが揃いました。

世紀の一戦であり、三本勝負の一戦目でもあります。

夢のようなレースを間近に見ようと、ここ、府中のスタンドには16萬を越えるお客さんが詰め掛けています。

さてそんな中注目されているのは、やはり5歳4強と謳われる4頭。

節目節目の激突はありながら、これまで天皇賞秋への出走はなかったサタンマルッコの初參戦。

この辺り如何でしょう、吉村さん》

《ええ。サタンマルッコ自は2000mのGⅠ勝ち鞍がありますし、倒した相手もそれこそ去年の天皇賞秋覇者であり翌年大阪杯覇者のストームライダー。他の実績も鑑みれば偶然でもなんでもなく、好走する條件であると思います。

ましてや今日は2枠4番ですからね。スタートの速いこの馬に府中の2000mは有利に働きますよ》

《オッズの方も同じに考えてか、サタンマルッコの……3.2倍。それほど抜けた一番人気ではありませんが、3.2倍の一番人気。次いでラストラプソディーの5.3倍、ストームライダー5.4倍、スティールソード7.8倍、セヴンスターズ8.1倍、キャリオンナイト9.9倍、以下10倍を越え離れたオッズとなっております。

吉村さん。人気の各馬は4枠以に収まっておりますが、特にスティールソードの1枠1番、これは如何でしょうか》

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《そうですね。

これだけ実力のある馬達がったとなると、実績に劣る外の馬は厳しい戦いになりそうです。

そしてスティールソードですが、この時期の枠にったにしてはやや人気が薄い印象ですね。

同じ府中でも2400mでこそという印象が強いですし、春の天皇賞を勝った馬ですからね。府中2000mのスピード勝負では一枚劣るという評価をされているのではないでしょうか》

《それでは昨年覇者ストームライダーは如何でしょうか》

《今年はぶっつけでの天皇賞。昨年度は毎日王冠からのローテーションでしたね。

やはりというか仕上がりの面で言うと、メイチで仕上げてきた昨年度には劣る印象をけますが、十分実力を発揮できる狀態であるように見えます。

この距離に対する能力は高いですし、今回はサタンマルッコの隣で2枠3番。小細工なく得意のペースで勝負するんじゃないですかね》

《注目の集まっておりますラストラプソディーについてお願いいたします。

事前のお話では吉村さんは本命に挙げている馬でしたね》

《ラストラプソディーもぶっつけ、というか上位の人気馬達はキャリオンナイト以外ぶっつけできてますから、ある意味條件は平等なのかなと。

仕上がりがいいというより、馬が昨年度や春とは見違えて良いです。

ここで好走は間違いないんじゃないかなと私は踏んでいるのですが、如何せん相手も強い馬達ですからね。ここが試金石となりそうです》

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《さあほかの馬も、といった所でスターターが臺に上がろうかというところ。

吉村さん、総評をお願いいたします》

《はい。キャリオンナイトは前走は緩い仕上げで読みきれない。セヴンスターズも好走は間違いないですが、では何著かと聞かれるとまた答えにくいところのある馬です。複勝はラストラプソディーよりも売れているみたいですね。

月並みな表現ですが、決著自は上位で決まると見てよいでしょう》

《吉村さん。ウーサワイアー、その他4歳勢は力が足りずと見ますか》

《一波あるとすれば枠先行ですが、そこを5歳の先行勢に抑えられているようではちょっと何もしようがないかなと。

何か一頭となれば、私はラストラプソディーを推させていただきます》

《はい。では、間もなく天皇賞秋、ファンファーレです――……》

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人間に反省があるように、馬にも反省があったらしい。

マルッコと共にゲートに収まった橫田は、靜かに集中力を高めていたマルッコになからず驚いていた。

(そりゃ要所要所じゃ締めてたけどさ。今ここでやるのか……分からないヤツだな)

レースに集中しているからといって勝ってきた訳でもない。レースに集中していないだけで負けてきたわけではない。

この馬にしては久しくなかったここ一番に対する意気込みのようなじる。

(ともあれ、怪我無く無事に帰ってくるのが一番大切だ。スタートで変な躓きをしないように、俺も気をいれよう)

ゲートりが終わる。

係員が離れ、軋む音、今ッ!

相変わらず絶好のスタート。、視界の端にスティールソードの姿が映るが、既に2馬は後ろ。切れ込んで問題なしと判斷した橫田は手綱をに切った。

マルッコの蹄鉄から伝わる振の質が変わる。グリーンベルトの手応えだ。

狀況と足音から推察して後ろはスティールソード、その後一団でもう一塊かと中りを付けるが振り返って確認はしない。後方の向よりも己がペースを計る事に意識を裂く。

危険な第一、第二コーナーは抜けた。

府中の長い向こう正面。殘り1400mの標識を通過する。

(34……秒は切った、テン7か……? 速いが府中で2000mなら無茶ではない)

スプリント戦でも速いとされる時計だが、この馬に限っていえばゲートの差であり無謀な速度ではない。

3コーナー目掛けての上り坂。ここから直線までを緩めて、最後の直線で……

「…………!」

「……っ、マルッコ……っ!」

緩まない。

上りの途中、僅かに息をれたように思えたがペースがしも衰えない。

むしろこれは――

《1000m通過は56.9! 56.9秒!》

1000m通過が問題なのではない。世界一の3ハロンを持つサタンマルッコであればこれくらいはやれて然るべきだ。

問題は、『そこ』から緩めていない事だ!

(このまま直線までいくつもりかマルッコ! ダイランドウのように直線で息をれる、そんな考えなのか!?)

手綱を握る手に力がる。

無理だ。

ダイランドウの回復は心肺機能に由來するもの。持たざるものには決して真似できない天凜だ。

マルッコのソレも確かに優秀だが、パフォーマンスを発揮するためには前肢の大きな可と全を駆使した補助が必要だ。ペースは緩めてもきは変えず。それがサタンマルッコの息れ。

きの鈍るレース後半の直線では息のる余地が無いのだ。

(分かっているはずだマルッコ。お前はそうじゃないだろう。抜群のスタートでポジションを決め、中盤……そう、レースでいうなら丁度3,4コーナーで息をれ、後ろと同じだけの腳を使う。位置取りの差が決著の差、それがお前の競馬だろう、マルッコ……!)

手綱を引いたところで意味は無い。

しかし伝えなくてはならない。緩めるべきだと。

大欅は既に流れ去り、右半に歓聲の波が押し寄せてきている。

4コーナーも出口に近い。

(わかった。手綱は引かない。お前がそういう心算なら――……ッ!?)

沈む頭。変わる手前。

急激な重心の変化の後に待つ加速。

誰に言われずとも。

サタンマルッコは自らの意志でステップを繰り出そうとしていた。

「ばッ……馬鹿野郎ォッ!」

無理だ!

橫田のあらゆる常識が決定的に競馬を止めさせた。

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4コーナー中間。前方を走る金の馬との距離は、一時は10馬を越えていたが7馬弱。思ったより詰まっていない事に文昭は微かな引っかかりを覚えていた。

よりも速いのか、ないし己が遅いのか。それらを加味して仕掛けのタイミングを計っていた、その時だった。

前方の橫田がバランスを崩してサタンが失速した。

「なっ――」

何やってんだよ橫田さんッ!

右手綱を引き、にピッタリ取っていたコース取りを変更する。

すれ違う彼の馬は首を振って暴れていた。

まるで邪魔なな荷を振り落とさんばかりに。

目と目が合ったのをじた。己ではない。馬(マルッコ)と馬(テツゾー)の。

(何か起きたのか!? 何か一瞬ガクって沈んだが……いや、しかしあの失速の仕方は怪我じゃなく、どっちかというと落馬を堪えたような……だとしたら……ええいチクショー! 今はレースだ!)

手綱を摑んで立て直す。意識は前へ。人馬が4コーナー出口にろうかという時、意識は揃ってレースを向いていた。

(だが、どうする!)

文昭はレースの中心にサタンマルッコを置いて作戦を用意していた。

テン良し中良しのサタンマルッコは府中2000mを走る理想の馬である。その上無盡蔵とも思えるタフネスを兼ね備えるとあれば競爭相手は意識せざるを得ない。

誰しもが先頭で直線にるのはサタンマルッコだと思っていた。

だがそうはならなかった。

サタンマルッコはオーバーペースで自滅し、先頭を走るのは追走していた己(スティールソード)

こんな展開誰一人だって現実に起こりうると考えていなかった。

時速60kmの馬上、ゴーグル奧の瞳にめまぐるしい思考のが迸る。

(どうする。サタンは前に居ない。當初のプランは全部ナシだ。

後ろか?

後ろの、外の……ラストラプソディーあたりを待って……馬鹿が、そんな悠長な追い比べで勝てる腳な訳ねーだろ!

だいたいライダー辺りが勝とうと思ってるならその前に突っ込んでくるはずだ。

奴が勝とうと思うなら早めの抜け出しから馬場のいい所を選んで突き放す以外に方法はない。それは俺とテツゾーだって同じだ。

のラインは確保した。だがこっちもここまで結構無茶してきた。

やっぱりサタンのペースは無茶だった。緩みが無さ過ぎる。1400のレースじゃねーんだぞ。クソッ、しこっちもそれに引きずられちまった……幾ら府中のグリーンベルトでもここまで飛ばしたら腳が上がっちまう。

テツゾーはどうだ? このままペースの維持はできるか……?

でもそれじゃ勝てない。決め腳は……使えて100mか)

そんな思考を見かしたかのように後続が襲い掛かる。

ストームライダー、そしてセヴンスターズ。

いや、二頭ではない一頭が抜け出す。

の馬るように迫る。セヴンスターズ。

それも並ぶストームライダーを追い落とすかのような勢いでだ。

七星が輝きを増して深緑を弾む。

(セヴンスターズ! 切れないはずじゃなかったのか!?

いや、違う。俺たちの足が鈍っているんだ。

俺達の1000m通過が58.6、となれば3馬後ろだったあいつ等は59秒ちょっと。

そこからこのタイミングで追いつくってことは、後ろだってコーナーの途中から11秒臺半ばで追い通さなきゃこんなタイミングで追いつくわけがねぇ。

こいつ、このイカれたペースでもまだ息がありやがるんだ!

そんなことあんのか!?

ええい実際きてんだンなこと考えても仕方ねェ!)

まだ殘り400mもある。差は3馬。殆どないような差と言ってもいい。

は明らかにセヴンスターズ。2馬、1馬……並んだ、そして……

(來る。もう來る、居る、來た!

今日は変なの連れてねぇだろうなラストラプソディーよぉ!)

どんな手品を使えばこの超高速展開でそれだけの末腳を繰り出せるのか。

ただ現実としてあるのは馬場の外を閃のように駆け上がるラストラプソディーの煌めく蹄跡。

府中の芝生に大外一気の末腳は映える。耳に屆くスタンドの歓聲が一段と高くなった。

(考えろ。もしも俺が、俺たちが勝とうと思ったのならば)

視界の先、2馬前にはセヴンスターズ。ちぎられてしまった。

だが、まだだ。

そのもう1馬先に幻影が結ばれる。

が眩しく、走線のしい馬。

戦友(テツゾー)は戦意を失っていない。まだか、まだかと勝負の合図を待っている。

4コーナーで沈まずあのまま走り続けていたのなら。やはり今も尚先頭を走っていたのはサタンマルッコであるはずなのだ。

勝とうと思うのならば、目標とするのはサタンマルッコ。

己より後ろから來る馬は最終的にこの馬を基準に腳を測る。サタンマルッコを抜き去ることは、自的にスティールソードも抜き去ることを意味するのだから!

當たり前に組み立てた理屈に怒りが湧く。

いつからだ。

2番手を行く己等が軽んじられていたのは。

先頭だけ見ていれば勝てる? そんな風に甘く見られていたのは。

何よりもそれを極自然にれていた己に怒りが湧く。

基準はサタンマルッコ。

それはいい。

勝つならば、最低でもサタンマルッコを差しきらなくてはならない。

それは分かる。

ではこのスティールソードと細原文昭はどこにいるのか!

(気張れよテツゾー。

3馬(サタンマルッコ)だ。

2馬(セヴンスターズ)じゃねえ、3馬(サタンマルッコ)だ。

この差はきついぞ、なんせ100mでめなきゃならねえからな。

きついのは分かってる。でもやれるって俺は信じてる)

サタンマルッコ。

彼の馬の出現から競馬は想像で計れる競技ではなくなってしまった。

凱旋門賞を連覇するような馬が日本で走り、やらせてみたら世代の馬は勝ってしまう。60秒を平均としていたペースが58秒臺で推移する。その上終いが31秒で飛んでくる馬まで出てきた。

そんなことあるだろうか?

あるのだ。起きている。走っている。

眼前で弾む灰の馬が、そのやや後ろを走る漆黒の馬が、遠い所、大外を駆け上がる鹿の馬が。

どうしてそんな馬が同じ世代に集まってしまったのか。

理不盡で意味不明。

しかし競馬の本質とはそのようなものであるのかもしれない。

ただ強い馬が居て、ただ競い合っている。それだけだ。

3馬

レース中の競走馬ならば、0,5秒の差。

相手がもう失速しないとなれば、こちらが加速するより他ない。

この限界を超えた超ハイペースのなかで。

そんな事は可能なのか。

(やる!)

可能であろうか!

(出來る!)

だいたいなぁ……!

「府中のッ!

1枠がッ!

外の馬にッ!!!!!!

負けてらんねぇんだよッ!

気張れやテツゾォォォッ!」

鋭くった鞭一発。

相手がやれるのだから自分も出來る。

GⅠを4勝したプライドは馬にも宿る。

他より速く到達する使命を理解する。

瞳は鋭く、耳は絞られ。

極大の傲慢が発した。

狙い済ました半ハロンの一閃。

停止した時間の中を一人と一頭が泳ぐように進む。

橫に大きく広がり尚一線。

スティールソード、セヴンスターズ、ラストラプソディー、半馬遅れてストームライダー。

並んだところがゴールだった。

長い審議。

勝ちタイムR1:55.4

昨年度ストームライダーが記録した1:56.0を大きく上回る勝ちタイム。

勝ち馬の名はスティールソードと記された。

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坂路で暴れるように捻りが加えられた棹立ちで橫田は府中のターフに振り落とされた。歩くような速度で直線を駆け抜け、決勝線を越えた瞬間だった。

「いててて……どうしたんだマルッコ!? マル……」

怒り。

黒い眼の奧深く、憤怒の赤が燃えている。

『降りろ』

抜きの怒りに竦められる。

純然たる獣の怒りにれたのはいつ以來か。

橫田のは凍りついたようにかせなかった。

(何が。何故だ? 怪我ではない。いや、それよりも何故?)

纏まらない思考を呆然と繰り返す中、栗の魔王は馬首を返し、いっそ悠然と立ち去った。

帰る場所など知っている、お前はそこで腐っていろとでも言わんばかりに。

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