《傭兵と壊れた世界》第十話:花の湖にひそむ者

人間の適応能力とはすごいもので、森にって數日が経てば段々と心に余裕が生まれてくる。ナターシャは教會の前で銃を構えた。

たとえ足地に放り出されても銃の練習を欠かしてはいけない。自分の命を守る武なのだ。食料集めも大切だが、同じぐらい銃の練習も大切である。

木の幹に向かって順番に発砲した。太いもの、細いもの、風に揺れる葉っぱ、果実のような結晶。ナターシャの弾丸はほとんどの的に命中した。以前ならば半分も當たれば上出來だった。しかし、今のナターシャは八割程度當てられる。

「うーん、よく見えるようになったのかしら?」

子供の長は早いと聞くが、どうやら自分は優秀なようだ。大とはまさにこのこと。ヌークポウで隠れて練習した果がようやく出始めたのである。

そう思いたいところだが、何となく違う気がした。そういえば黒水を飲んでから妙に覚が鋭くなったように思う。何かが変わったというよりは、徐々に変化しているような曖昧な覚。側からを焼かれるような激痛は二度と味わいたくないが、見返りはあったのかもしれない。

神様はいつも気まぐれだ。都合の良い時にしか手を差しべてくれないし、信心深さと慈悲は比例してくれない。敬虔(けいけん)な信徒には過酷な試練を。穢(けが)らわしい悪黨には幸せの結末を。困った神様なのだ。

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最後に一発。結晶を撃ち抜いてから銃をしまった。やはり調子が良いようだ。

「さてと、今日は群生地の奧に向かってみようかな」

ナターシャは目印を頼りに群生地を目指した。廃墟から離れると結晶の數はしずつ減っていき、その代わりに大きく枝を広げた楡(にれ)の木が森の空を覆う。鳥の消えた森は寂しさをじさせ、連なるような楡の巨木がナターシャに時間の流れを忘れさせた。空気がり気を帯び始め、背の高い草が茂り始める。

楡の群生地に到著したナターシャは真っ先に姿勢を低くした。

耳を澄まして黒い蟲達がいないか警戒したが、周囲に気配はじられなかった。代わりに冷んやりとした空気がでる。廃墟に比べればマシな方であるが、群生地の周辺も冷たい風が吹いていた。

ナターシャは草をかき分けながら奧へ進んだ。楡の種を集めたい気持ちもあるが、今日の目的は新しい食料を確保することだ。ついでに森を抜けるための道をしでも開拓すること。ナターシャの計畫では廃墟を拠點にしながら南を目指し、最終的には森を抜けて傭兵國を目指すつもりである。

楡の群生地を抜けるにはあまり時間がかからなかった。背の高い草が視界を悪くしていただけで、群生地自は広くないようだ。

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「沼地……ではなくて湖ね」

群生地の先には湖が広がっていた。水面には花畑の固まりがまるで浮かんでいるように見える。花畑はどれも大きな円形を描いているようだ。水面を覗き込むと灰の藻が大量に沈んでいる。何となくいているように見えるが、濁っているせいで詳細は不明だった。

ナターシャは手のひらほどの石を摑むと、花畑に向かって投げてみた。放線を描いた石は何も起きずに花畑へ落ちた。水の音が聞こえないということは、花畑の下には地面があると思われる。念のために大きさを変えて放り投げてみたが結果は変わらなかった。

「……えいっ」

思い切って花畑に飛び乗った。ナターシャが乗っても地面が沈むようなことはなく、このまま歩いても問題なさそうだ。浮島に咲くのは薄紅の花。彼を歓迎するように花びらが揺れる。

「何の花だろう。ヌークポウには咲いていなかったし本でも見たことがないわ。花を食べる地域があるって聞いたけど、これはどうかしら」

しゃがんで花を観察した。料理を嗜(たしな)む関係上、植の知識は富だと自負しているが、そんなナターシャでも見覚えのない花だ。月明かりの森にだけ咲く花だろうか。

「長く見つめても仕方がない」と立ち上がろうとしたとき、花の間をうようにして茶が襲いかかってきた。

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ナターシャは瞬時に銃を引き抜いて発砲する。茶の襲撃者は弾かれたように吹き飛び、花畑の上に亡骸をさらした。「我ながらよく反応できた」とナターシャは自分を褒めてあげる。やはり調子が良さそうだ。

「……蛇だ」

襲撃者は蛇だった。に大きな風を空けてピクピクと痙攣をしている。首もとを摑んで口を開けさせてみると、二本の鋭利な牙から明のが滴った。十中八九、毒だろう。

「毒蛇は流石に食べられないかしら。いや、調理の方法次第では食べられなくも……」

ヌークポウでは頭を切り落とした毒蛇がよく売られていた。ナターシャ自も買ったことがあり、鶏のように淡泊な味で味しかったと覚えている。あぁ、ヌークポウが懐かしい。寄宿舎のみんなに囲まれて、今夜はカレーだよ、と聲高々に宣言して。子供たちと一緒に大喜びするアリアがいて。結局、最後に作ったカレーは食べられずに終わってしまった。間違いなく最高傑作だったのに――。

トリップ気味だった思考を現実に戻した。毒蛇の頭を切り落とし、浮島のほとりで抜きをする。抜きといっても、尾を逆さまに持って放置するだけだ。蛇から滴り落ちるが湖に広がった。

水面に映る自分の顔をぼんやりと見つめながら、ナターシャは考えにふけった。食の蛇がいるということは、他の小もいるはずだ。結晶の中心地である廃墟から遠ざかったことで、湖の周辺には森の原生生が生息しているのかもしれない。

よくよく目をこらしてみると、湖の中には魚らしき影も確認できる。何の種類かまでは分からないが、焼けば大抵食べられる。何ということだろう、ここは食料の寶庫じゃないか。月明かりの森には結晶憑きしかいないと思っていたのに。ナターシャは俄然やる気が出てきた。

「ふふーん、やっぱり神様は見ているのね。教會で毎朝お祈りをしているのが屆いたのかしら。それとも、いたいけなを哀れんで下さったのかも」

今日はおだご馳走だ。上機嫌で抜きをするナターシャ。

瞬間、水面から飛び出した手がナターシャの毒蛇を奪い去った。あまりにも綺麗な手さばき。はさっきまで蛇を摑んでいたはずの右手を見ながら呆然とする。

「――ハッ!」

我に返ったナターシャは水面を覗き込んだ。薄暗くてよく見えないが、細長い生きが蠢いている。

「う、うそ! 私のを返してよ……!!」

ナターシャは水中に向かって銃を撃った。水面が揺らぐせいでちゃんと狙ったはずなのに當たらない。それどころか、細長い生きが猛烈な速度で水面に近付いてくる。

勢いよく飛び出した手がナターシャの首に絡まった。咄嗟の出來事であった。蛇を奪われた際に反応できなかったのだから、二回目も手を避けられるわけがなく、そのまま水中へ引きずり込まれるナターシャ。後には靜寂だけが花畑に殘った。

淡水ミミズと呼ばれる生きがいる。月明かりの森の湖に生息し、花畑の下でじっと獲を待ち構えるのだ。地面の振で獲を察知し、勢いよく飛び出して水中に引きずり込むことで捕食する湖の番人。奴を知る者は決して湖に近付かない。

「……! ……!?」

ナターシャは淡水ミミズの全貌を見た。それは、生きと呼ぶにはあまりにもグロテスクであり、生理的な嫌悪を抱かせるに十分な様相をしていた。

ミミズ特有の長いを持ち、粘に覆われたが豚の腸を思い出させる。の幅は人間と同じ程度。先端には無數の手が揺れ、手の中央から大きな口が覗かせる。ナターシャから奪った蛇をむしゃむしゃと食らいながら、新たなる獲手をばすのだ。

(この……!)

ミミズとは思えないほどの締め付けだ。手でふり解くのは不可能である。ナターシャは半(なか)ば混しながらも、首に巻き付いた手を銃で吹き飛ばした。淡水ミミズが驚いたようにをくねらせる。その隙に浮上しようとするナターシャ。しかし、淡水ミミズの手が再度足に絡み付いた。ぬめりとした嫌なが足先から這い上がる。

(気持ち悪いって言ってんのよ……!)

手を撃ち抜こうと試みるも、うねうねときまる手に水中で當てるのは至難のわざ。四苦八苦している間に水底へ沈んでいく。更にもう一本、ナターシャの足を捕らえた。

(埒があかない……それなら、ナイフで……!)

ナターシャは用にくねらせると、腰のナイフを引き抜いた。銃が當たらないならば確実に斬り落とすのみ。思い切り上半を屈ませて、左足に絡まった手にナイフを突き立てる。淡水ミミズにも痛覚があるのだろうか。締め付けが緩んだ隙に右足の手も斬り裂いた。

(よしっ、今のうちに呼吸を……!)

しかし、淡水ミミズも黙っていない。水の抵抗を無視した勢いで薙ぎ払うように手が振るわれた。水面へ上がろうとしていたナターシャの腹を正確に捉え、橫なぎに吹き飛ばす。

「ガッ……!」

一瞬、意識が飛びかけた。肺の空気が一気に吐き出され、「これはまずいなぁ」と他人事のような想が浮かぶ。殘った手がナターシャに絡み付いた。

ぐんぐんと引き込まれるナターシャ。もうしだった水面が遠ざかっていき、代わりに大口を開けたミミズが歓迎してくれる。ミミズに似合わぬ、立派な牙だ。円形に並んだ牙には蛇の一部が殘っている。このままでは自分も同じ結末を迎えるだろう。

――あぁ、まったく、本當に最悪だ。ナターシャは自らの境遇を嘆いた。

警備隊のエルドに囮にされ、ヌークポウからはじき落とされ、廃墟につくなり水も食料もなく。井戸は黒い水しか出さないし、腹をくくって飲んでみれば文字通り反吐を吐いた。結晶憑きのせいで夜も安心して眠ることが出來ず、楡(にれ)の木を見つけたかと思えば蟲の群れに殺されかけ。そしてついには巨大なミミズに食われかけている。

ふざけるな、と不運なは聲にならないびを上げる。は確かにヌークポウの外をんだ。しかし、それはこのような誰も知らない湖の底で淡水ミミズに食われるためではない。自らの足で、自らの生き方で人生を選び、そしていつかヌークポウに帰って友人に自慢する。私はこんなに々な世界を回ったんだぞ、と。そのために知識をにつけ、技を磨いたのだ。

ナターシャは最後の力を振り絞って、元にまで迫る手をナイフで突き刺した。殘った右手で銃を引き抜き、照準を淡水ミミズに合わせる。

(死ねよ、くそミミズ……)

大口を開けたミミズに照準を合わせ、ナターシャは引き金の指に力を込めた。

本來、水中では銃の威力は激減する。発砲こそ可能であるが、水の抵抗によって勢いが落ちるのだ。首元の手を吹き飛ばしたように、ゼロ距離で狙い撃つなどの工夫をしなければ淡水ミミズまで屆かない。

このとき、ナターシャは全ての勢いを利用した。推進力、角度、もしくは淡水ミミズが手で引っ張る力。それらを一発に込めて放たれた弾丸が、淡水ミミズの大口へと吸い込まれていった。剎那、弾は淡水ミミズの頭を貫通して赤黒いをまき散らす。

「ぶはっ……!! ゲホッ、ゲホ……ハァ……」

手から解放されたナターシャが水面から顔を出した。

空気がある。もっとたくさんの空気をよこせ、と肺がんでいる。力のらないを懸命にかして、ナターシャは湖のほとりへ泳いだ。とにかく地上へ上がりたい。結晶だとか、黒いもやの集合とか、そんなものはどうでもいい。一刻も早く安全な場所へ。手が屆かぬ、地上へ。

這うようにして水から上がったナターシャは、力が抜けたように仰向けで転がった。まだ呼吸が整っていない。今まで散々な目に合ってきたが、今日は一番最悪な日だった。「ミミズに食われかけました」なんて笑い話にもならないだろう。

濡れた髪のが額(ひたい)に張り付く。白金のまつから水滴が落ちた。楡(にれ)の木れ日がこれほど暖かいのだと初めて知った。自分は今、生きている。淡水ミミズのはまだに殘っているし、寒さでカタカタと震えているが、それでも自分は生き殘った。空に向かって手をばしてみた。こんな小さな手でも、やろうと思えば案外やれるものなのだ。

冷たい風が「早く帰れ」とを急かす。濡れすぼったでは風邪を引いてしまいそうだ。早く帰ろう。火を焚いてを溫めて、それからゆっくり眠ろう。

「……ケホッ、本當に、ひどい目にあった……」

フラつきながら立ち上がる。ポタポタと水滴をこぼしながら、彼は自らの住処へ帰っていく。

次の日、腹が立ったナターシャはバケツいっぱいの黒水を湖にぶち込んだ。哀れな魚がぷかぷかと浮かんだという。

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