《傭兵と壊れた世界》第二十話:傭兵の國
ナターシャが月明かりの森に迷い込んでから約一年。衰退した世界の勢はしづつ変化していた。大國ローレンシアはその勢力を拡大し、周辺諸國は警戒を強める。とある國では忘れられた宗教がひっそりと祈りを捧げ、とある國では結晶から生まれた花が國花として掲げられた。滅びた小國の生き殘りは、大國に一矢報(むく)いらんと牙を磨いた。
世界がゆるゆると滅び、ゆるゆると返り咲く中で、白金のは月明かりの森を南に進んだ。彼が目指したのは傭兵國シザーランドだ。巨大な渓谷に築かれた都市國家であり、ナターシャがい頃からずっと憧れていた國である。
そんな渓谷都市の表層部。傾斜が比較的なだらかな崖に建てられた訓練場から、大きな怒聲が響いた。砂巖ヒトデが驚いたように巖壁へ隠れ、窟ツバメが一斉に飛び立って訓練場の空を覆った。
「貴様らは今日から傭兵隊の新兵だ! これより訓練を開始する! まずは一列に並べ!」
教の命令は絶対だ。集められた新兵は一列に並ぼうとした。しかし、ろくに訓練をけていない彼らは、一列に並ぶことすらままならない。もたもたとく彼らを教は一喝した。
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「遅い! 隊列もまともに組めないのか貴様ら!」
新兵の隣を歩く教。その背後には鬼のような覇気が昇る。もちろん幻覚だ。しかし、教から発せられる雰囲気は新兵にとって恐ろしいものだった。かつかつ、と足音が近付くたびに彼らのが強張った。
「貴様。傭兵の原則を答えろ」
「はっ?」
「さっさと答えろ!」
杖で指名された新兵がみ上がりながら答える。
「も、申し訳ありません! 裏切りは死、です!」
「違う! 次!」
「分かりません!」
「次!」
「味しいものを食べる!」
「馬鹿者!」
小太りな男が杖でしばかれた。清々しいほどに大きな音が鳴り、男は何故か嬉しそうな表を浮かべる。教は顔をしかめた。
新兵たちは次々と問いかけられ、その度に教によって否定された。ふざけた答えには罵聲と叱咤を。どうしようもない奴にはの鞭が與えられる。教は白い修道服を著た青年を指名した。
「次! 貴様はどうだ?」
「主神のために命をささげ――」
青年は最後まで言いきることができなかった。なぜならば、教の杖によって青年の仏が押さえられたからだ。
「それはローレンシア軍の原則だ。貴様は本気でそれが傭兵の原則だと思っているのか?」
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「……っ!!」
「よもや大國の犬ではあるまいな? ここは自由と傭兵の國シザーランドだ。たとえ軍崩れだとしても我々は歓迎しよう。しかし、貴様がローレンシア軍に忠誠を誓うと言うならば今すぐ排除せねばならん」
教は逃げられないように青年の襟首を摑みながら、自慢の杖をグリグリと押し込んだ。青年は弁解の聲すら上げられない。教の左腕を摑んで暴れようとした。しかし、教はまるでびくともしなかった。
「貴様を撃つための弾一発すら惜しい。分かるか? 貴様の価値は弾丸に劣ると言っている。いや、貴様がこれから浪費するであろう弾丸を考慮すれば、ここで撃ち殺した方がシザーランドのためかもしれんな?」
いよいよ青年の顔が青を超えて白になり始め、周囲の空気が最高に冷えきった頃、隊列の間から小さなため息がこぼれた。
(うわぁ……面倒くさそう……)
長銃を背負った白金の。ナターシャは兵士の背中に隠れながら、そーっと様子を見ていた。件の青年は相変わらず教に絞められている。全くもって哀れな青年だ。答えが分からないならば、せめて無難な答えを言えば良かったのに。
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「あっ……」
そんな想いが伝わったのだろうか。ナターシャは教と目が合ってしまった。兵士の脇から見上げるような姿勢のナターシャと、男一人を絞め殺さんとする教。ナターシャはとっさに目を逸らしたが、教は見つめたままだ。
青年の首から手を離すと、教はなぜかナターシャの元へ歩いてくる。人違いでしょうか、とナターシャが兵士の影に隠れた。教は逃がすまいとナターシャを覗き込む。
「貴様は分かるか?」
切れ長の瞳が問うてきた。周囲を見渡すが助け船はなく。ナターシャはせめてもの意地として思い切りを張る。
「太く、短く」
「続きは?」
「誇りのために戦い、誇りのために死ぬ」
ナターシャの口から咄嗟(とっさ)に出たのは月明かりの廃教會でイヴァンという傭兵が口にした言葉だった。教は腰を曲げ、鼻があたりそうな距離での顔を覗き込む。続けて匂いを嗅いだ。悪くない匂いだ。このは最低限の一線を越えている。なくとも他の愚鈍な男どもよりは使えそうだ。
目の前で自分の匂いを嗅がれたナターシャは思わずを引いたが、教は顔を変えずに話を続けた。
「よかろう。我々は戦場でしか生きられない屑の集まりである。だが、誇りを捨てた屑は人ですらない。貴様はそう思わないか?」
「おっしゃる通りです」
「よろしい。名をなんと言う?」
「ナターシャです」
長銃を背負ったは、綺麗な敬禮と共に名乗った。教は初めて笑みを浮かべる。笑顔と呼ぶにはあまりにも兇悪な顔だったが、たしかに彼は笑った。つられてナターシャも笑みを浮かべると、教は心するように頷いた。
「たとえ原則を知っていても戦場では役に立たないが、無能を選別する指標にはなる。貴様の名は覚えておこう」
「ありがとうございます!」
結構です、とびたい気持ちを抑えながら敬禮した。
教は鋭い目つきのまま、他の者に聞こえないように聲を抑えて続けた。
「……実は原則なんてものは存在しないのだ」
「存在しない? では、なぜ質問を?」
「自分の頭で考えられない無能は必要ないだろう? 貴様の答えは気にった。考えられる人間は良い」
教は橫目で無能を睨んだ。彼の言う無能とは、未だにを押さえる修道服の青年ではなく、「分かりません」と答えた男たちのようだ。なるほど、ただの憂さ晴らしで新兵を問い詰めていたわけではないらしい。
その後も訓練は続いた。訓練といっても力訓練ではなく、ずらりと並べられた銃をひたすら磨かされた。ちり一つでも殘せば教に毆られる。殘さなくても難癖つけて毆られる。手汗がついたからと毆られる新兵は流石に可そうであった。
ナターシャも人の心配をする余裕はなく、黙々と銃を磨き続けた。他の新兵よりも手際がいいのは灰被りのジャンク屋(リンベル)の仕事をよく見ていたからだろう。男もも容赦なく杖で毆られる中、ナターシャは気配を殺して機械の如く集中した。
「なぁ、あんた」
「……」
「おい、あんただよ」
「……何かしら?」
「さっきは助かった。禮を言う」
「別に助けたつもりはないわ。教がたまたま私を指名しただけ。ほら、喋っているとまた毆られるわよ」
どうやら先ほど教に絞め殺されかけた青年のようだ。ナターシャに助けられたと思っているらしいが、あいにくナターシャにそのつもりはない。むしろ巻き添えを食らいたくないから話しかけないでほしいと思っている。
そんなナターシャの気持ちを知ってか知らずか、修道服の青年は話を続けた。
「恐ろしい人だぜ……まるで鉄に摑まれたみたいだった。見ろよ、また別の男が毆られている」
「あなたも懲りないわね……お喋りは結構だけど見つかっても知らないわ」
「安心してくれ。こう見えても気配には敏なんだ」
「……それならなんで絞め殺されかけたのよ」
「いくら教の前だとしても主神に噓はつけないだろ。教えに背けば天罰が下る。あっ、もちろんローレンシア軍の諜報員ではないからな?」
「もしそうなら諜報員失格よ」
銃口を覗き込んで歪みがないかを確認した。掃除用のブラシで中を磨き、引き金のや持ったときの違和も忘れずに。問題ないと判斷したものは隅に集めた。ナターシャの見事な手際を見た青年は「俺だって!」と気合をれる。
「……ねぇ、意気込むのはいいけれど、自殺願をお持ちならよそに行ってくれない?」
「どういう意味だ?」
「中に弾がったままよ」
「なに? 弾倉は引き抜いたはずだぞ?」
「前に使った馬鹿がスライドを引いたままにしたんでしょ」
何てことだと憤慨する青年。確認してみるとナターシャの言う通り、拳銃から弾丸が一つ転がり落ちた。またも青年は助けられたというわけだ。ナターシャが呆れたように青年を見守りながら銃を磨いていると、青年とは反対側から聲をかけられた。
「あなたって意外と面倒見がいいんだね」
薄茶の癖が可らしいの子だ。傭兵という職業柄、の割合はどうしても低くなる。ナターシャは同の存在にし安心した。
「火のを振り払っているだけよ。放っておくと私に弾が飛んできそうだわ」
「ふーん、火のを払うねぇ……ねね、あたしはリリィっていうの。あなたは?」
「ナターシャよ」
「よろしくねナターシャ。同士仲良くやりましょ」
リリィが手を差しべたので握手をした。彼の手はらかい。豆だらけのナターシャとは大違いである。きっと銃なんて握ったことがないのだろう。くりくりとした瞳もらかい手も、全てがの子らしさに溢れている。ナターシャは自然と目が細くなった。
「リリィはどうして傭兵になろうと思ったの?」
「そりゃあ良い男を捕まえるためだよ。中隊長が最低條件、理想は大隊長以上ね。年齢も一回り上だと最高だよ」
「……ご立派な目標だ。見つかるといいわね」
「ナターシャはどうなの?」
「うーん……銃の練習かな」
「はい?」
「銃を上手くなりたいなぁって。そしたらミミズに食べられなくて済むから」
「ミミズ……? よく分からないけれど、ナターシャは変わっているね」
「じゃあ変わり者同士よろしくね」
自分の願いを安易に話すのはやめた。ヌークポウで夢を語り合った男は、ナターシャを船から落としたから。信用できない相手に夢を語るべきではないのだ。考えすぎかもしれないが、いつだって正直者は誰かの食いにされるのである。
「ナターシャは考え込むと難しい顔をする癖があるね」
「この世はどうにも世知辛い」
「なにババ臭いことを言っているのさ」
「ば、ババ……!?」
「そんなんじゃ幸せも良い男も逃げちゃうよ。はなんだから」
自分はそんなにもババ臭かったのか。ナターシャは愕然とした表で自分の頬を挾んだ。ふにふにと頬をこねながら表筋を和らげる。
「……貴様、変顔が訓練になると思っているのか?」
そんなことをしていると教に見つかった。全くもって最悪なタイミングだ。ナターシャは両手を離して敬禮する。
「失禮いたしました。とは何たるかを考えておりました」
「ふん……?」
教は「頭がおかしくなったか?」と首を傾げた後、ナターシャの隣に積み上がった銃を橫目で見た。彼が磨いた銃は他の者たちと比べて明らかに數が多い。仕事も丁寧で申し分なく、新兵にしては上出來過ぎるほどだ。
教は反対側に目を向けた。例の青年がもたもたと整備をしている。彼の手元には黒ずんだ銃が一丁あるのみ。當然ながら磨き終わった銃は一つもなく、彼の周りは何とも広々として整備がしやすそうだ。銃一つまともに磨けない新兵を見て、教は頭が痛くなった。
「ナターシャと言ったな。貴様の仕事ぶりに免じて不問とする」
「ありがとうございます」
「その代わりに、この男に銃の磨き方を教えてやれ。方法は貴様に任せる。覚えが悪ければ毆っても構わん」
「ハッ、了解しました」
青年を思い切り睨みつけてから教は去っていった。殘ったのは突然の飛び火に青い顔で震える青年と、面倒事を押しつけられたと辟易(へきえき)するナターシャ。そして、「おっかねー」と他人事のように呟くリリィ。
「何で私が……ほら、さっさと終わらせるわよ」
「わ、悪いな」
「そう思うなら酒の一杯でもおごってちょうだい。無償の善意は持ち合わせていないの」
「おっ、いいねー。あたしもついていっていい? 親睦會といこうよ」
「それならリリィも早く終わらせてね。二人同時に教えるのは嫌よ」
ナターシャは面倒だと言いながらも丁寧に教えた。月明かりの森で暮らして早一年。ナターシャが自覚する以上に、彼は人との會話に飢えていた。普段よりも口調が弾んでいることに気が付かないほどに。覚えの悪い修道服の青年と、男癖が悪そうな。ヌークポウでは決して関わらなかったような二人と話しながら、傭兵としての初日は終了した。
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