《傭兵と壊れた世界》第二十八話:ガラクタの朝と作戦報告書
シザーランドに朝がきた。白金のは誰かに揺すられるような覚に目が覚めて、ゆっくりと起き上がろうとする。しかし、力のれ方を忘れてしまったかのようにが重くじられた。まぶたを無理やり持ち上げると、ガラクタの海に沈む自分のが視界に映り、さらにちょうど腹のあたりでまたがっているリンベルの姿が見えた。
(はて、これはどういう狀況かしら)
知らない天井を見上げたは、考えることをやめて心地良い睡魔に再び沈もうとした。
「いや、寢るな」
「……? 私の家にリンベルがいる?」
「お前の家じゃねーよ」
「まさか夜這い……やだ、友達同士じゃ駄目よリンベル。私は軽いじゃないの」
「勝手に押しかけてきた奴がなにを言う。寢ぼけてねーでさっさと起きろ」
「いやぁ、無理かも」
「もがっ……!」
ナターシャの細い腕にからめとられ、ガラクタに沈むリンベル。彼は苦しそうに聲をあげた。
ナターシャは朝が弱い。どれぐらい弱いかというと、浜に打ち上げられた昆布のようにふにゃふにゃである。しかも、せっかく起こそうとしてくれたリンベルに抱きつき、そのまま一緒に寢ようとするのだから、たちが悪い。
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「お前の寢相はどうなっている! なんで一晩寢ただけでガラクタに埋もれるんだ!」
「それは……リンベルが片付けていないから……」
「寢ぼけながら正論を言うな!」
「今日は非番なの……つまり、惰眠をむさぼっても怒られないの……」
「惰眠と分かっているなら起きやがれ。私は暇じゃねーんだよ」
「どうせ客は來ないわ……」
「外に放り出してやろうか」
結局起こされた。
不満げに頬を膨らませるナターシャに朝食が用意される。何も塗っていないビスケットと薄めた珈琲。ヌークポウの黒パンに比べれば豪華な方だろう。乾いたビスケットを珈琲でふやかし、もっさもっさと口をかしながら、ナターシャの頭はしずつ覚醒した。
「今日は暇なんだっけ?」
「暇じゃないと言わなかったか?」
「夢の中で聞いた気がする」
「それが夢じゃないんだよなー」
「殘念ね。リンベルに頼みたいことがあったのに」
「……容だけ聞こうか」
ナターシャが頼み事をするときは、ほとんどが面倒な依頼だ。無理難題と言いたくなる類いのものだ。なにせ、自己完結主義のナターシャがあえて他人を頼るのである。
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しかし、リンベルは頼み事を斷らない。他ならぬナターシャからのお願いに彼は滅法弱く、ヌークポウにいた頃から無茶な注文を引きけていた。
「有力な小隊の報を集めてほしいの。特に第二〇小隊の報はたくさんしいわ。どんな些細なことでも構わない。彼らの辺調査、友関係、過去、そして求めているもの。全ての報がしい」
「第二〇小隊、地獄のルーロ戦爭を生き延びた英雄たちか。また面倒な奴らに食いついたな。あそこにりたいのか?」
「まだ分からないわ。月明かりの廃教會で會っただけだから、彼らがどんな小隊か知らないの。実は殘非道な傭兵の可能もあるからね」
「一応言っておくが、私は整備士であって便利屋ではない。ましてや傭兵を嗅ぎ回るような裏の人間でもない。出來る限り探ってみるが限界があるぞ」
「充分よ。リンベルの腕は信用してる」
そう言われると弱いリンベル。仕方なさそうに頭をかいた。
「リンベルの力が必要なのよ。傭兵っていうのは新兵訓練と初任務まで面倒をみてくれる。でも、それ以降は最(・)低(・)限(・)使(・)え(・)る(・)人(・)材(・)に(・)な(・)っ(・)た(・)ということで放り出される。りたい小隊は自力で探さないといけないの」
「だから私を頼るってのは分かるが、一介の整備士には荷が重いぜ」
「可能な限りで大丈夫よ。ある程度の手がかりさえあれば、殘りは私がなんとかするわ」
ナターシャが食を持って立ち上がると、リンベルが洗い場に向かって指を差した。「勝手に置いておけ」ということらしい。見事なバランスで積み重なった食を落とさないように気を付けながら、ナターシャは食べ終わった食を水に浸けた。
「ああ、それと朝食ありがとう。明日からは私が作るわ」
「分かっ……うん? 明日から?」
「一緒に暮らすのだから役割分擔は大事でしょ?」
「今、一緒に暮らすと言ったか?」
「だって宿で寢ると高いのよ。駆け出しの傭兵には痛い出費だわ。あっ、もちろん、泊めてもらう分のお禮とか食費は払うから安心してね」
「ここは狹いぞ」
「片付けたら広くなるわ」
「溶鉄所の音がうるさいし、地上からも遠い」
「ヌークポウに比べたら天國よ」
「だけどな――」
「私の手料理は嫌?」
リンベルは眉間に親指をぐりくりと當てて悩んだ。だが、いくら否定の言い訳を探しても、ナターシャと自分自の雙方を納得させる方法は見つからない。リンベルの口から出たのは大きなため息と了承の言葉だった。
「はぁ……よろしくお願いします」
ナターシャは満足げに笑った。
○
大國ローレンシアの軍本部にて、アーノルフ元帥は報告書に目を通していた。忘れ名荒野における待ち伏せ作戦の概要についてであり、それがアーノルフの予想を大きく裏切る結果になったことが書かれている。報告書を見るや否や閣下の瞳が険しそうに細くなった。
「ここに書いている……ディグリースが任務に失敗して殉死したというのは本當か?」
「殘念ながら、真実です。先ほど調査に行かせた者が帰還いたしました。ディグリース隊は忘れ名荒野の西、のり口付近で全滅を確認。ディグリース殿もひどい火傷と腹部の裂傷により死亡しておりました。ただ、気になることがありまして……」
「話してくれ」
「はっ、死亡した兵の中に結晶化した者が數名おります。人為的に引き起こされたと考えられ、なくとも結晶風によるものではないというのが現場からの報告です」
「不可解な結晶化現象(エトーシス)、か。覚えておこう。他には?」
「で傭兵の死を一名発見。第三三小隊のパトソン隊長であると確認しました」
パトソン、という名はアーノルフにも覚えがある。記憶に新しいルーロ戦爭で何度も聞いた名だ。あの戦爭を生き抜いた傭兵は數えるほどしかおらず、そのの一人を討ったというのは大きい。
しかし、同様にこちら側の犠牲も大きかった。ルーロの戦場を駆けたのはディグリースもまた同じ。優秀な部下であり、ゆくゆくは將としてローレンシアを率いてもらおうと考えていた。
育てた部下が散っていくのはいつだって虛しい。前れもなく消える命を何度見送ったことか。アーノルフは人差し指を額に當てて、星天教の祈りを靜かに捧げた。願わくば、部下が安らかに天へ昇れますように。祈りを終えた彼は隣に立つ老將へ聲をかけた。
「聞いての通りだ、シモン軍団長。勇敢な部下を失った。部隊を全滅させてしまったのは、一年前の調査依頼だな」
「一年前……月明かりの森への調査ですか。あそこは常識が通じぬ足地ですぞ。予想不能の事態が起きることも珍しくありません」
「だが、今回の任務は予想できたはずだ。忘れ名荒野に現れる敵小隊を殲滅(せんめつ)する。さして難しい任務ではないはずだったのだが……私には先見の才がないようだ」
「閣下……」
老將シモンが答えを迷うように口ごもった。
アーノルフはに骨が引っ掛かるような違和をじていた。一年前の調査と、今回の待ち伏せ作戦。どちらも全滅という最悪の結果で終わった任務である。そこに共通點は見つからないのだが、まるで自分たちが把握していないナニカがいるように思われた。否、アーノルフの直がじわじわと警鐘を鳴らしていた。
彼らは、まさか一人のによって返り討ちにされたとは想像もしないだろう。白金の悪魔がローレンシアを見つめている。
「困らせてすまないな。ディグリースとは長い付き合いだった……いや、なるはずだったから、し思うところがあるのだよ。祈りは終えた。今後の話をしようか」
アーノルフは立ち止まらない。彼はずっと先にある一點を目指して進むのみ。そして、シモン軍団長もまた、アーノルフ閣下と道を共にする忠臣である。
「最近、西が騒がしくなってきた。特に商業國パルグリムから不穏な気配をじる」
「報告に上がっておりましたね。パルグリムにきあり、火の流れに注意されたし、と」
「パルグリムが銃をかき集めている。しかし、買い集めた銃が國の外に出てこない。これは何を指していると思う?」
シモンはすぐに答えが浮かんだ。
「まさか、戦爭の準備ですか?」
「それも可能の一つだ。自國の軍備増長のために銃を集めているのならば分かりやすい。だが、私にはどうにもパルグリムが他國に銃を撃つ姿が見えてこないのだよ。彼らは商を生業とする者たちだ。自ら戦爭を起こすような、不利益の多い賭けはしないだろう」
「では、一……?」
あくまでもアーノルフの勘に過ぎない。そもそも、組織というものは常に一枚巖ではない。商業國に不穏なきがあったとして、それが國全の総意かも分からぬ狀況だ。うかつに手を出すわけにはいかず。されど傍観は悪手。ならば手を打っておくべきだ。
「表に流れぬならば裏を探れ。銃を握るのは誰か。戦いの火をくすぶっているのはどこか。火の行方を突き止めろ。それが貴様に與える次の任務だ」
「戦闘は避けますか?」
「場合によっては戦うこともあるだろう。その時に敵となるのがパルグリムではないかもしれんがな。な指揮を期待している」
「ははっ、このシモンにお任せください」
老齢の兵士による、洗練された敬禮。それだけでシモンという男の人柄がかいま見える。規律を重んじ、を見せず、與えられた任務を確実に全うする。彼ならばパルグリムが相手であっても深りするような真似はしないだろう。
「部隊の編も貴様に一任しよう。私は天巫様の元へ向かう」
「承知いたしました」
アーノルフは外套を羽織った。軍帽を被る仕草、ただそれだけでも、彼の品が一流であると凡人でも分かる。軍服が似合う男だ。中的な顔立ちと流れるような金髪、鷹のように鋭利で冷たい眼、そして、彼の背後にたち昇る元帥の覇気が周囲を否応なく惹き付ける。
(大きくなられたのう……)
堂々とした立ち姿を見たシモンは慨にふけった。閣下に仕えて早十數年。アーノルフの覇道を一歩後ろから見守ってきたとして、これほど立派な姿をみられるというのは、他の何よりも幸せであった。
臣下の忠誠は行で示すもの。著飾った稱賛ではなく結果を求めるのがアーノルフという男。故に、彼が部屋を出る瞬間までシモンはじっと頭を下げ続けた。
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