を抜けた先は半地下のような場所だった。天井付近に空いた窓からわずかにが差す程度であり、室は薄暗く、暖の燈りが機の上に置かれていなければ隣に立つ人の顔すら見えないだろう。部は四人がっても窮屈にじない程度に広い。そんな部屋の中央に痩せ気味な男がひっくり返っている。

「なっ……何すんだ馬鹿野郎！　人の家に土足でりやがって！」

「靴をいだ方が良かったか？」

「そういう意味じゃねえよ！　外が騒がしいと思ったらお前らのせいか！」

「俺たちの責任ではないと思うが、突然邪魔をしたのは悪かった。図々しいのは承知の上だがし匿ってくれないか？」

「お斷りだ！」

「貴殿の優しさに謝する」

「こら！　勝手に座るな！」

流石に他人の家に転がり込むのはどうかな、とナターシャは思いつつも、もう一度外に出ようとは微塵も思わないため靜観する。イヴァンが良しと判斷したならば構わないのだ。全ての責任は隊長が持つ、それが組織というものである。

「まったく……お前ら傭兵だろ。なんでラフランにいるんだ」

「よく分かったな」

「軍人以外で足地に來るのは頭のおかしな調査団か傭兵ぐらいだ」

「ハハッ、ラフランに住む人間も大概な好きだと思うぞ」

「そりゃぁそうだ。ここは足地だぜ」

小柄な男は巡禮者と違ってまともな格好をしていた。破れかけの外套の下に防護服を著ており、どちらかというと商業國に近い雰囲気がじられる。大きめの帽子をかぶり、雑に切られた髪が帽子の下からびていた。無髭がびた相貌は浮浪者のようだ。

「この中なら防護マスクは必要ない。俺の名はバッカス。厄介事に巻き込まれた哀れな住民だ」

「シザーランド傭兵団の第二〇小隊だ。俺は隊長のイヴァン。後ろは仲間だ」

ナターシャたちは防護マスクを外して順々に名乗った。一通り挨拶を終えるとイヴァンが先ほどの騒について尋ねた。

「大型の巡禮者に突然襲われたのだが、あれは一何だったんだ？」

「粛清だよ」

「粛清？」

バッカスが口元を歪めて答えた。

「大型の巡禮者は街の守り人でな、北に馬鹿でかい鐘樓があっただろ？　あそこを狙いに來る不遜な輩を追い返しているんだ。し前にギガン様の咆哮が聞こえたから、どこぞの阿呆が喧嘩を売ったんだろ」

「ギガン様というのは頭部に布を巻いた巨人のことか？」

「そうだ。見たのか？」

「あぁ、ローレンシア軍の兵士が巨人の頭を撃ち抜く瞬間もな」

「どおりで巡禮者が怒り狂っているわけだ。あのお(・)方(・)様(・)は聖都の頂點だからな」

大きなため息を吐くバッカス。

お方様とはまたかしこまった呼び方だ。イヴァンは機船について尋ねる。

「広場に俺たちの船を停めていたのだが知らないか？」

「船？」

「黒銀で外側に変なが引っ付いている機船だ」

変な、という言葉にベルノアが反応した。話がややこしくなりそうなため、察しの良いミシャが黙らせた。バッカスは顎髭に手を當てて宙に視線を向ける。

「船、船……あー、あれか。多分知っているぜ」

「教えてくれ、船はどこに行った？」

「ちょいと待ちな、お前らも傭兵なら世の中の仕組みは知っているだろう？　報がしいなら取引をしようぜ」

イヴァンは當然のように頷いた。彼も対価を払わずに報が得られるとは思っていない。バッカスは「話が通じる相手だ」と満足げに笑みを浮かべたあと、取引容を語った。

「まず前提條件として聞きたいんだが、お前たちは何の目的でここに來た？　それからいつ街を発つ？」

「目的は報収集とシザーランドに帰る寄り道だ。船が無事に見つかればすぐにでも街を離れるさ」

「了解、それなら好都合だな。実は俺も商業國(パルグリム)の調査船でラフランに來たんだが、船も船員も失って帰れなくなったんだ。あれからもう、三年が経っちまった」

足地で三年も暮らしてよくも生き延びられたものだ。同じく月明かりの森という足地で一年暮らしたナターシャは仲間のような連帯をじた。うんうん、と頷く彼をミシャは不気味な表で見つめる。

「お前たちの船に俺を乗せてくれ。無事に街を出て人の住む國まで屆けることが條件だ――」

「反対だ！」

聲を上げたのはベルノアだ。イヴァンが答えるよりも早く反発した。珍しく嫌悪で表を歪ませたベルノアは腕を組みながらバッカスを見下ろす。

「どんな理由があろうとも俺の船に商人は乗せられねぇ。救助船だと勘違いしているのなら橋のたもとで信號弾でも放ってろ」

「靜かにしていろベルノア。そもそもこいつは商人ではない」

「報一つでパルグリムの人間を國(シザーランド)まで送れってか！？」

「仲間を救う報だ。決定するのはお前じゃない」

「俺が船長だ！」

「俺が隊長だ」

ナターシャは二人がなぜ口論になるのか分からず、隣に立つミシャの橫腹を小突いた。

「何でこうなるの？」

「……ベルノアは亡國(ルートヴィア)の出だから。商業國とは因縁がある」

商業國(パルグリム)と大國(ローレンシア)に挾まれるようにしてルートヴィアという國があった。ルートヴィアは屬國として商業國に長く支配され続け、國民は過酷な環境下での生活を強いられた。ただでさえ結晶によって資源が乏しい時代、商業國によって弾圧される日々はルートヴィアに暗い影を落とす。

両國間で戦爭が発すると、商業國は強制的にルートヴィアを同盟國として參させ、さらに両國の中間地點であるためルートヴィアが戦場になった。

商業國の代理として戦火にさらされたルートヴィア。本來は商業國と大國の戦爭だったにも関わらず、ルートヴィアが最前線で大國と戦うことになり、その狀況を指してルーロ戦爭という呼び名で語られるようになった。

「……屬國として支配した商業國と、戦爭によって故郷を奪った大國。亡國(ルートヴィア)からすれば両者とも変わらない」

「戦爭の犠牲者たち、ね」

「……支配からの卻。國の誇り。恨む理由は々ある」

ナターシャは戦爭を知らない。本當の戦火を見ぬまま第二〇小隊の傭兵としてラフランに立っている。神が死してなおき、ルーロの亡霊とまで呼ばれたミシャたちと、ヌークポウという箱庭で生活したナターシャ。両者を分かつ明確な壁。

「……あの戦爭は、ゆっくりと首を絞めるように人の正気を奪った」

ミシャがおもむろに口を開く。燃え上がるような彼の髪がランプに照らされる。思い出すだけでも不快そうに眉を歪め、赤い瞳にルーロの戦火が広がった。

「……上を失ったにも関わらず最前線で砲弾を撃ち続けた兵士。略奪した金で前哨基地に問団を呼ぶ指令部。大國の花(イースト・ロス)に溺れて味方もろとも自した中毒者。どれも、私が経験した戦場の一端」

寡黙なミシャにしては珍しく饒舌だ。

ナターシャの脳裏に、戦場を駆ける赤髪のが思い浮かんだ。小銃を抱えて硝煙にかすむミシャ。煤(すす)けた頬。ぬかるんだ地面。思い浮かべた姿は何故か、いつも獨りで戦場に立っている。

「……イヴァンと出會わなければ、私はルーロの戦場に骨を埋めていた」

ナターシャはふと気が付いた。思い出したくもない戦爭の記憶を、聲を潛めてミシャが伝えるのは、彼やベルノアが傭兵として戦う背景を教えることで、ナターシャに歩み寄ろうとしているのではないか。小柄なに抑え込んだ戦爭の恐怖。弱さとも呼べる一面を先輩である彼があえて見せることで、ナターシャを仲間に迎えようとしているのではないか。

「ミシャは戦爭が怖い？」

「……ううん、怖いのは簡単に変わってしまう人間の方」

「あぁ、それは同ね。人は狀況一つで容易く冷徹になれるもの」

ミシャの大きな瞳と目が合った。し長めな前髪の奧に赤い寶石がある。どれだけ澱(よど)んだ世界でも濁らないであろう綺麗なだ。

「……私たちは変わらない」

「本當に？」

「……それぞれが大切な一つを持っている。迷わないための指針。あなたは持っている？」

「私は――」

ずっと傭兵に憧れていた。優しい大人になって、何にも縛られず、自由な人生を送ろうと考えていた。しかし、いざ傭兵になってみると世界は存外、生きにくい。大人は平然と子供を襲い、酒をわした友人は戦場に散った。

ミシャ達は確かに、大切なたった一つを持っているのだろう。イヴァンは亡き隊員を墓を立てること。ソロモンは大國への復讐、ベルノアはの研究といったところか。

何を大切にして生きたらいいのだろう。

憧(・)れ(・)と(・)は(・)夢(・)を(・)見(・)つ(・)け(・)る(・)た(・)め(・)の(・)最(・)も(・)(・)近(・)な(・)手(・)段(・)で(・)あ(・)り(・)、(・)何(・)か(・)を(・)生(・)み(・)出(・)す(・)原(・)(・)力(・)は(・)大(・)抵(・)が(・)憧(・)れ(・)か(・)ら(・)生(・)ま(・)れ(・)る(・)。ナターシャは外に憧れた。そうでなければ傭兵になる必要すら無かった。

そこから先は？　は傭兵となって何をす？

「……ないならここで探したらいい」

わずかに口元を緩ませてミシャが言った。最初は棘のある態度にじられたミシャだが、共に朽ちた聖城で戦い、何週間も船に揺られながら荒野を進むうちに化したようだ。ミシャは口數がないせいで勘違いされがちだが、忠告の意味を込めてわざと強く當たっていたのだろう、とナターシャは勝手に納得する。

今日を生きることすら大変な世の中だが、第二〇小隊でならば大切なたった一つを見つけられるかもしれない。

「足地を巡りながら探すんじゃ命がいくつあっても足りないわ」

「先輩の好意を無下にするなヒヨッ子」

「口が悪いよチビ」

見つけられないかもしれない。