《傭兵と壊れた世界》第四十九話:地下水路と大鐘樓

「ち、地上を歩くと大型に襲われるから地下水路で行くぜ。迷わないようについてきな」

バッカスに案されながら、第二〇小隊は地下水路に降りた。大型の巡禮者でも問題なく歩けそうなほどの大きさがあり、錆びたランプが天井からぶら下がっている。かつては街の生活基盤を支える重要な水路だったが、今となっては役目を終えた設備が殘るばかりで、水路としての機能は失われていた。

水路に降りる直前までベルノアとイヴァンの口論は続いたが、最終的にベルノアが折れたことで収拾がついた。折れたといっても本人は納得していないらしく、隊列の一番後ろで口を曲げている。

先頭を歩くバッカスが隣のイヴァンに話しかけた。

「街の外に大きな崖があっただろ?」

「あぁ、橋から眺めたが底が見えなかった」

「あれは崖じゃなくて本當は湖だったんだ。東の水沒原から流れる地下水が湧いていたんだが、いつの間にか水が枯れちまって、深い谷と橋だけが殘った。この水路も湖から水を引くために作られたものだが、見ての通りだ……ひどい有り様だろ」

バッカスの聲が水路に反響した。彼の足元を痩せた鼠が走っていく。人が消え、水が枯れ、殘ったのは空虛。

「機船が鐘樓に運ばれたのは本當なんだな?」

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「こ、この目で見たから間違いない。ソロモンって仲間が一緒だったかは知らないがな」

「十分だ。案してくれ」

街の地下に張り巡らされた水路は無數のパイプで繋がっており、同じような景が延々と続く。地図は無い。捨て去られた大迷宮。もしも迷えば二度と地上へ出られないだろう。

ナターシャが壁に目を向けると、どこの言語か分からない言葉で毆り書きがされていた。近くには白骨が転がっている。これは遭難者の末路だ。

ナターシャは後ろを振り返った。何となくベルノアの様子が気になったのだ。彼は列の一番後ろで念仏のようにぶつぶつと唱えていた。

「これは中立國の……彼らもを……いや、北の盜賊か……」

ふて腐れているかと思ったが存外、元気そうである。ナターシャは隣に立って尋ねた。

「どうしたの?」

の服裝が気になってな。いつのものか分からないが、恐らく中立國の調査団だと思う」

「大國の次は中立國ね。ここは観地かしら」

「それだけ彼らを魅了するものが眠っているんだ。わくわくするな」

楽しそうでなによりだ。

「中立國といえば、お前がいた移都市(ヌークポウ)も中立國に所屬するんだろ?」

「分類上はそうなるね。中立國に寄ることは珍しかったし、々な國の人が集まるから実は無かったけど」

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「中立國の技力はローレンシアにも匹敵する。ぜひ一度見てみたいぜ」

確かにヌークポウの技は他の街と比べて頭一つ抜けていた。街の隅々まで流れる循環水や設備區の配電システム。ドーム狀の天井だって見事なものだ。當時はおんぼろだと揶揄したが、今にして思えば素晴らしい建造だったのかもしれない。

「そういえば、ヌークポウの力源を一度だけ見たことがあるの」

力源?」

「設備區と呼ばれる地下深くに、青白くる大きながあった。數えきれないほどのパイプに繋がれた筒狀の設備。っていたのは中央部分で、その周囲を水が満たしていたわ。初めて見たけれど一目で力源だとわかった」

「水に満たされた……冷卻水か? 溫度はどれくらいだ? 他に繋がれていた設備は?」

「そこまで分からないわ。冷靜に調べる余裕は無かったもん」

「はぁ……」

呆れたようにため息を吐くベルノア。ナターシャは何故彼が他の隊員とよく喧嘩をしているのかを理解した。

一行はパイプの迷路をどこまでも進む。地上から見た鐘樓はそれほど距離がないように思われたが、地下の複雑な構造を歩くと想像以上に遠くじられた。

「気になったんだけど、ソロモンのことは心配じゃないの?」

「ソロモンを心配だ? なーに言ってんだナターシャ。あいつは銃弾の雨にさらされても一人で戦線をぶち抜くような奴だぜ。しばかり巨大な人間に囲まれたって平気さ」

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「……ベルノアに同意。心配無用」

「チビもこう言ってんだから問題ないぜ」

「……」

「痛っ!?」

一言余計なのはベルノアの悪い癖。ミシャが無言で彼の足を蹴った。

(ソ(・)ロ(・)モ(・)ン(・)が(・)い(・)る(・)の(・)に(・)船(・)を(・)奪(・)わ(・)れ(・)た(・)の(・)が(・)問(・)題(・)じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)の(・)か(・)し(・)ら(・))

ソロモンならば一人で殘しても問題ない。そう判斷したから彼に船を任せたのだろう。彼は第二〇小隊の最大火力だ。ソロモンがいなければ小隊の安定は大きく下がる。

それなのに、彼と船を連れ去ったであろう鐘樓へ向かうというのは、自殺行為に思えてならなかった。されど一行は進む。進む以外に、道は無い。

鉄錆香る靜寂。時折混じる鐘の音。失われた湖の水が遠く、遠くを流れている。揺れる地響きは巨人が大地を踏み鳴らす音。風が吹く。芯を凍らすような冷たい風が地下水路にまで屆いてくる。

「もうすぐ著くぜ」

かすれた聲でバッカスが告げた。水路の果てまであとし。

百年戦爭以前は「鐘の街」と呼ばれていたほど、大鐘樓はラフランにとってのシンボルだ。北側から街全を見下ろすように鐘樓が建てられ、その頂上には大きな鐘が吊されている。

バッカス曰く、鐘樓には聖と鐘守りが住み、しい音を街に響かせるそうだ。

「ここがラフランの大鐘樓か」

イヴァンが鐘樓のり口に立った。結晶化した門が大口を開け、枯れ果てた木に結晶の花が咲き、雪のように積もった結晶屑が風にのって舞い上がる。ここはラフランで最も神聖な場所。中庭には數名の巡禮者がうずくまって大鐘樓に祈りを捧げていた。

「巨人様の粛清、とやらは終わったようだな」

「そ、そうみたいだ……なぁ、本當に行くのか? 思い直さないか?」

バッカスが異様なほどに張していた。冷や汗が滝のように流れているのに、それを自覚していないのだ。何が彼をこれほどに怯えさせるのか。恐らく、彼が「あのお方様」と敬う存在のせいだろう。

「ここに俺たちの船があるなら行くしかない。ソロモンと船を回収できないと俺たちまでラフランに住むことになるからな。危険ならバッカスだけ殘ってもいいぞ?」

「そうしたら俺を放って帰るかもしれないだろ!」

「約束は守るつもりだが……」

「いいや信用できないね!」

彼はベルノアを見ながら宣言した。イヴァンならば勝手に約束を破るような真似はしないのだが、船をるのがベルノアという関係上、バッカスの言葉を完全に否定することは難しい。ベルノアならば平気な顔でバッカスを置いて行ってもおかしくない。

ちなみに、地上へ出ると同時に全員が防護マスクを裝著しており、バッカスだけは防護マスクではなく古びた布切れを口元に巻いている。あまりにも結晶化現象(エトーシス)が深刻すぎるのだ。

「本當に大きいわね。鐘樓以外にも幾つかの建が合わさっているのかしら。機船があるようには見えないけれど検討はついているの?」

「お、俺は運ばれるのしか見てないが、鐘樓の奧に大きな見晴らし臺がある。中庭にないってことはそこに運ばれたんだ」

「壊されていなければ良いけれど……」

ゴーン、と鐘が鳴った。音ではない。戦場で間近に聞く発音のほうが大きい。しかし、門前で聞く鐘の音は無意識に鳥が立つほどの神に満ちている。

がビリビリと震え、心臓を無理やり打ち鳴らされる。ナターシャの右手は反的に結晶銃へびた。何回聞いても居心地の悪い音だ。

「行くぞ」

イヴァンが先陣を切った。各々が銃を構えながら大鐘樓の門をくぐる。

最初に広がったのは教會だ。朽ちた聖城や月明かりの森で見かけた神像がラフランにも鎮座していた。今まで會った神像はどれも首がなかったり、ボロボロに破壊されていたりしたため、ナターシャは初めて神様のご尊顔を拝むことができる。自に満ちた微笑みは、どこか薄ら寒いものをじた。

「聖堂かしら。中は思っていたよりも綺麗ね」

ベルノアが得意げに答える。

「ラフランは聖の加護で守られている。聖が住む鐘樓は加護の影響が一番大きいのさ。戦の時代は巨大な障壁のおかげで他國に攻められてもピンピンしていたらしいぜ」

「加護ねぇ……そのわりには街中が結晶化現象(エトーシス)でぼろぼろだけど?」

「そりゃあ守るはずの聖が消えたんだろ。それか、訶不思議な力なんて元々無かったとかな」

「聖地で罰當たりな発言はやめなさい」

ベルノアは肩をすくめた。研究者は神を信じない。

「名も知れぬ滅びた宗教に気を使っても仕方ねぇ。我らが第二〇小隊は合理に生きるのさ! ナターシャこそ神無き時代に敬虔な振りはやめな?」

「本當に罰當たりね……世界中の信仰者を敵に回すつもりかしら」

「だって考えても見ろよ。慈悲深いはずの神様が、自分勝手な選別で人間の善悪を判斷し、気にくわないやつを永遠の業火で焼くんだぜ。そんな人間くさい神様は嫌だろ」

「あなたは間違いなく神様に嫌われるわ。地獄行き決定ね」

「なーにが地獄だ。全ての地獄は地上(ここ)にあんだろ」

「……ベルノアうるさい」

「なぜ俺だけなんだよ」と研究者は小さく呟いた。

一行は聖堂の中心へ向かう。奧の両脇から橫廊がびており、そのどこかに上階へ続く階段があるはずだ。見上げると豪華な天井畫が一面に広がっていた。ラフランが栄えていた証拠である。

「ねぇバッカス。あなたならラフランの宗教がどんな名前なのか知っているんじゃない?」

「もちろん知っているぜ。確かファル――」

イヴァンが素早い作でバッカスの頭を鷲摑みにし、そのまま長椅子の裏に隠れた。なぜ、と考える前に他の三人もを隠す。橫樓の奧から足音が聞こえたからだ。床を踏み鳴らす固い音が聖堂に近づいていた。

(合図をするまで撃つな)

イヴァンが小聲で命令した。

現れたのは黒い布を巻き付けるような格好をした巡禮者だ。右手を前に揃え、左手に鍵束を握りしめて、ゆっくりと踏み締めるように歩いてくる。他の巡禮者よりも確かな足取りだ。

ナターシャたちは長椅子の隙間から巡禮者の姿を確認した。相手にはまだ気付かれていない。

(バッカス、あれは何だ?)

(あ、あいつは看守って呼ばれている。この鐘樓には地下に牢獄があって、大型に捕らえられた人間はまず牢獄にれられるんだ)

(じゃあソロモンも地下にいるってことかしら?)

(おいおい、あいつから鍵を奪うってのか? ヘタに手を出したらまた巨人どもが怒り狂うかもしれないぜ?)

(……鬼ごっこはもう嫌)

何かを察したように看守の頭がナターシャたちの方を向いた。同時に全員が顔を引っ込める。気付かれてはいないはずだ。聲が屆くほど近くない。

コツ、コツと看守の足音が聖堂に響く。心臓の音が隣に聞こえそうなほど張が膨れ上がる中、足音はゆっくりとナターシャたちの隠れている長椅子へ近付いた。

ナターシャは銃を握りしめてイヴァンに目を向けた。彼は鋭い殺気を瞳に込めた狀態で息を殺す。撃てば終わり。撃たねば牢獄行き。撃つか。逃げるか。やり過ごすのは可能か。次第に大きくなる足音はまるで彼の心音を表しているかのようだった。

長椅子まであと一歩という瞬間、頭上から重厚な音が鳴り響いた。

――ゴーン……。

ラフランの鐘だ。看守の巡禮者は足を止めて天を仰いだ。謝するように右手を掲げ、言葉にならないうめき聲をあげる。

「ァ――ォア――」

鐘の音は二度、三度。

全ての鐘が鳴り終わったとき、看守の巡禮者はナターシャたちのことを忘れたかのように聖堂を引き返した。

「……はぁっ!」

看守の後ろ姿が完全に見えなくなったのを確認したあと、一同は大きく息を吐いた。イヴァンも額から流れた汗を拭っている。バッカスは震えを隠すように両腕を抱え、ミシャも目を閉じて呼吸を整えていた。唯一、ベルノアだけはし殘念そうだ。

「気付かれずに鍵を奪うのは難しそうだな……先に船を回収する」

「……ソロモンはその後?」

「退路の確保が優先だ。大丈夫だミシャ、仲間を置いて行ったりはしない」

「……うん」

「船さえ確保できれば何とかなる。ソロモンを救出して全速力で逃げれば大型に囲まれたって平気だ」

「……うん」

一度目は不安げに、二度目は安心したように大きく頷いた。

看守が消えた方向とは反対の橫廊へ、彼たちは進む。まずは機船の確保だ。

(もしも看守に見つかっていたら、イヴァンはどうしたのかしら)

歩きながらナターシャは想像した。早々に発砲していいれば今頃は巡禮者に囲まれていたかもしれない。しかし、もしも鐘が鳴らなければ、どうしたか。

何となく、イヴァンは命懸けでもソロモンを助けに行くような気がする。ミシャとベルノアは迷わずに従うだろう。バッカスはあたふたしながら逃げるかもしれない。ならば、自分はどうするだろうか。命をかけて仲間を助けるか、それとも自分だけが生き殘る方法を模索するか。

どちらを選ぶか分からないが、出來れば前者を選べるような人間になりたい、とかに思うのだった。

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