《傭兵と壊れた世界》第五十六話:され方が分からない
ナターシャは夢を見ていた。ヌークポウに捨てられる前の懐かしい記憶だ。世の中がどうしようもなくクソッタレだと最初に思ったのは彼が十歳になる前の頃、親のために作った料理が不味いと言われた時だった。一切の労力を費やしていない人間が我が顔で他人を小馬鹿にする姿を見て、彼はいながらに「こうはなるまい」と強く思った。にとって最も近な大人が両親であり、歳に似合わず聡明だった彼には反面教師として映った。
ナターシャの両親は戦爭屋だ。火種をまいて戦爭を生み、経済を回す者たちの総稱であり、かつては戦爭を始めるための大義名分として各國に雇われていた。それも文明崩壊前の話。世界から戦爭が減ると、途端に彼らの生活は苦しいものになった。
人からされる仕事ではない。恨まれてこそ利益があがる。そんな仕事柄だから周りに助けてくれる人は居らず、常に後ろ指をさされながら生きてきた。妬(ねた)み嫉(そね)みに恨み言。逃げるようにして移を続ける日々。
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ナターシャは優しい人間であろうと努力した。両親のような大人になりたくなくて、しでも周りからの非難を減らすために奔走した。おそらく、親は頭の回る人間ではなかったのだろう。何をするにも空回りして、他人の心を逆でして、そのたびにナターシャが頭を下げながら両親を支えた。そうすれば自分は役に立つ存在になれるから。
(嫌な夢ね。早く覚めないかしら)
親が嫌いではなかった。むしろ逆だ。嫌いならば彼らを助けようとしない。嫌われる仕事だったからこそ、ナターシャにとって唯一の味方が家族だった。外の世界は広くても彼の居場所は家族しかない。日を追うごとに生活が苦しくなってもナターシャは両親の拭いを懸命におこなった。
戦爭屋だと発覚して石を投げられても、泊まる場所がなくて震えながら眠っても、まともな食材を売ってもらえなくても。今にして思えば、ナターシャが忌み嫌う「思考停止」の狀態に、他ならぬナターシャ自が陥(おちい)っていたのかもしれない。
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(本當に、嫌な夢)
ナターシャは頑張ったつもりだ。両親にとって役に立つ存在になれたと思った。客観的に見て自分は“ある程度”できる人間だ。歳相応に、むしろ年齢以上に、は頭とを働かせた。
(結局はヌークポウに捨てられたのだから世話がない。そんなに私は駄目な子供だったかな。だって、ほら、まだ子供だよ。無理でしょ。これ以上、どうしたら良かったの?)
貧しい生活に限界を迎えたとき、ナターシャはたまたま訪れたヌークポウの寄宿舎に捨てられた。説明もなく、別れの言葉もない。
ナターシャは分からない。自分に何が足りなかったのだろうか。自分が必死に手伝っていたのは何だったのだろうか。有用だったとしても捨てなければならないほど邪魔だったのか。考えれば考えるほど思考は泥沼に沈んでいき、されど思考放棄は許されず、底無しの自己嫌悪がの心をがんじがらめにした。
人は裏切られた程度では絶しない。絶対に功しなければならない場面で失敗しても、取り返しのつかない選択をしてしまっても、絶するほどではない。
い(・)つ(・)か(・)報(・)わ(・)れ(・)る(・)と(・)信(・)じ(・)て(・)、(・)毎(・)日(・)毎(・)日(・)、(・)必(・)死(・)に(・)積(・)み(・)重(・)ね(・)た(・)も(・)の(・)が(・)何(・)て(・)こ(・)と(・)は(・)な(・)く(・)無(・)意(・)味(・)だ(・)っ(・)た(・)の(・)だ(・)と(・)気(・)付(・)い(・)た(・)時(・)に(・)人(・)は(・)絶(・)(・)す(・)る(・)の(・)だ(・)。(・)
はてさて、自分は一何が悪かったのでしょうか?
○
ナターシャはゆっくりと目を開けた。封晶ランプの淡いが視界にり、思わず右腕で目を覆った。ぼやけた頭が徐々に覚醒し、自分が聖の間を出てすぐに意識を失ったのだと思い出す。上半を起こすと頭痛がしたが、倒れる前ほどの痛みはない。
「こんな昔の夢を見るなんて……いつまで引きずっているんだろうね」
どうにも普段は平気なのに、夢の中では自分がとても無力な存在に思えてしまう。ナターシャは立ち上がって談話室へ向かった。船に誰か殘っているはずだ。とにかく狀況を把握しよう。
(どれくらい眠っていたのかしら。吹雪が止んでいたらいいけれど。船の修繕は……進んでいそうね)
談話室にると、ソロモンが椅子に腰掛けていた。どうやら焼夷砲の整備をしていたようだ。彼はナターシャの姿を見ると手を止めて立ち上がった。
「起きたのですね、ナターシャ。調はいかがですか?」
「し頭が痛いけれど平気よ。心配をかけてごめんなさい。他のみんなはどうしている?」
「イヴァンとミシャは聖代行に會いに行きました。足地についての報を集めるそうです。私はナターシャの看病をしつつ、船の護衛ですね」
「ベルノアは?」
「適當にふらふらしていると思いますよ」
ベルノアらしい行だ。
「看病してくれてありがとう。どれくらい眠っていたの?」
「二日ほどです。大寢坊ですよ」
「あはは、ごめんね。よほど疲れが溜まっていたのかも。ソロモンは大丈夫?」
「私はこう見えても元軍醫なので、力に自信があります。戦場で寢ずに治療したこともありますし、の子一人を看病するぐらいどうってことありませんよ」
「軍醫……軍醫? ソロモンが?」
「言っていませんか?」
「初耳よ」
全をで包んだ彼が軍醫をしている姿は想像がつかない。そもそも第二〇小隊は報がないのだ。彼らは一般的な傭兵とは異なり、団長から直接任務をけて行している。その容も足地に関するものや口外できない調査が多い。故に集まる報は曖昧になる。
「軍醫ってことは、傭兵になる前の話?」
「そうですね。ルーロ戦爭よりも前は世界中で爭いが起きていましたから、私は祖國の軍醫として何度も戦場に向かいました。イヴァンたちと出會ったのも私がまだ軍醫だった頃です」
「……ちなみに味方として?」
「幸いながら、味方として。いつも敵はローレンシアだったので」
正直なところ、ナターシャはなぜソロモンが全をで隠しているのか疑問だ。「その頃はを出していたの?」と聞いてしまいたい気持ちだったが、ナターシャは雰囲気を察して自制した。他人の過去はむやみに聞くものではない。
「あの頃は私もまだ生でしたよ」
どうやら言うらしい。
「それって聞いてもいいの?」
「構いません。その代わりに他の傭兵には緒ですよ」
そう言って彼は自らの右足を持ち上げると、膝のあたりにある留めを外した。
鋼鉄の下から現れたのは義足だ。ナターシャは何となく予想していた通りの答えに納得した。
「戦場で足を……というよりも、の大部分を失いまして、右腕と両足はご覧の通りになりました。おかげで銃で撃たれても平気です」
「痛くないの?」
「衝撃はもちろん響きますが、を焼かれた時に比べれば平気です。傭兵にはぴったりですよ」
仮面の奧でソロモンが微笑んだ気がした。彼もんで鋼鉄の乙になったのではない。だが、第二〇小隊のために戦う彼は不幸には見えない。
「まぁ、悪いことばかりでは……よいしょ、ありませんよ」
ソロモンは留めをはめた。彼が歩くたびに鳴る「カシャン」という音の正はこれだろう。
「整備を怠らなければ素晴らしい力を発揮しますし、以前よりも視界が広くなった。焼夷砲を持っていても疲れませんし、自らの炎に焼かれることもない。そして何よりも、第二〇小隊の最前線に立つことができる」
「確かにソロモンがいると頼もしいわ。聖城での戦いでも、あなたのおかげで狙撃に集中できた」
「それなら良かったです」
「ローレンシア兵からすれば恐ろしいでしょうね。いくら撃っても倒れずに、炎の中を突っ切って現れるのだから」
「それなら、本當に良かったです」
彼がローレンシア兵に恨みを持っているのは以前から察していた。ナターシャはその理由がしだけはっきりしたように思う。ソロモンが焼夷砲を好んで使用するのもローレンシア兵が関係しているのだろう。
「ナターシャは病み上がりなので船で休んでいてください」
「ううん、もう大丈夫。私も手伝うわ」
「そうですか? それでは……どうしましょう、とりあえず居場所の分からないベルノア(ばか)を探してくれませんか? 船の修繕が殘っているのですが、彼がいないと進まないのです」
「了解。首っこを摑んで連れ帰るわ」
「お気をつけて」
ソロモンとの距離がまった気がして、ナターシャは普段よりも上機嫌で船を出た。
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