《傭兵と壊れた世界》第五十七話:頭痛の正
機船でナターシャが目を覚ましたのと同時期。
イヴァンとミシャは足地に関する報を集めるために、大鐘樓の広間でパラマと會っていた。広間といっても聖が來客と會うための小さな応接間だ。奧には小さな神像が祀(まつ)られていた。
「結晶風が吹かない地を探している、ですか」
「各地の足地を巡禮するあんた達なら何か知っていないか?」
「そうですねえ。確かに巡禮者は世界各地の足地を巡りますが、全ての巡禮者が再びラフランに帰るとは限りません。むしろ街を出た巡禮者は二度と帰らないと思って見送っていますので、何でも知っているわけではありませんよ」
「……私たちは足地で何度も巡禮者を見た。みんなぼろぼろ」
「そうでしょうね。巡禮者は世界をまわり、神の教えを人々に説き、すべき化けたちの眠る足地へ足を運び、そしていつか、ラフランに帰ってくるのが役目ですから」
第二〇小隊はルーロ戦爭以降、各地の足地を巡った。その先々で多くの巡禮者を目にした。彼らは常に前を向き、たとえ足を失っても地べたを這いながら進む。その姿、度を越した信仰心は洗脳に近い。
(まるで狂信者だな)
ゴーン、と響く鐘の音。イヴァンの懸念は消え去った。
「彼らが外の世界を教えてくれるおかげで、私は世の移り変わりを知ることができます」
「それで結局、俺たちの知りたい足地の報はあるのか?」
「そうでした、話がし逸れましたね」
パルマは眉を下げて微笑んだ。これは偽りの笑顔だ。だんだんとイヴァンにもわかってきた。
「一つだけ心當たりがあります」
「教えてくれ。金で良ければ対価を払おう」
「必要ありません。我ら“慈しみの子供達”は無償のを掲げております。対価はどうぞ、神に謝を伝えて下さいませ」
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「いいや、傭兵は無償の施しをけない。俺たちは信徒でもない。対価をけ取るのはあんたの義務――」
「黙りなさい」
しゃらん、と鈴を一振り。イヴァンの口が止まった。聖代行は毅然(きぜん)として斷ると、イヴァンが固まっているのを良いことに話を進めた。
「さて……結晶風の吹かない地についてですね。“ミラノ水鏡(すいきょう)世界”という足地をご存知でしょうか」
「……」
「おっと、喋れないのでしたか」
パラマが笑顔のまま拘束を解いた。イヴァンとミシャは不服そうな顔で首を橫に振る。
「……知らない」
「俺も聞いたことが無い」
「やはりそうですか。実は私も知らないのですよ」
「あんたも知らない」
「正確には場所がわかりません。ミラノ水鏡世界こそ、巡禮者が各地を歩き回りながら探している場所なのですが、未だにたどり著いた者はいません」
「……ミラノ水鏡世界は結晶が吹かないの?」
ミシャが訝しげに尋ねた。彼たちは足地に関する報をまさに死に狂いで集めてきたのだ。なのにミラノ水鏡世界をいう名は聞いたことがない。そんなミシャを安心させるようにパラマはゆっくりと頷いた。
「曰(いわ)く、人と化けが共存している世界だとか。俗世との関わりを斷ち、古き王が目指したとされる理想郷で穏やかに暮らす。俗世でないが故に、結晶風は吹かない」
「まさに夢語だな。だが俺たちは聞いたことがなく、あんたも何処にあるのか分からない足地が実在するのか?」
「ミラノ水鏡世界はありますよ」
「……駄目だよイヴァン。また神のお告げとか言って誤魔化される」
「あらあら。可いことを言っているとあなたの心臓ごと止めてしまいますよ」
パラマは聖鈴を片手に脅すような言葉を吐いた。本人は冗談のつもりだろうが、パラマが言うと本當に止められそうだ。
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「ミラノ水鏡世界は、あります。聖代行の名に誓って偽りではありません。ただし、誰も見たことがないのですから、貴方たちのむものがあるかは斷言しかねます」
「知りたければ自分の目で確かめろってことか」
パラマは肯定するように頷いた。聖代行の名に誓う、その重みをイヴァンは理解できないが、他ならぬパラマが口にすると真実のように思えた。事実、この時のパラマは聖の如く錬で偽りのない瞳をしていた。
「報謝する。あんたの心遣いは國に帰ってから皆に伝えよう」
「せひお願いします。しき聖都へぜひお越しください、と」
「それは構わないが、足地への立ちりは止されている。期待しないでくれ」
「そうですか、殘念ですねぇ。えぇ、本當に、殘念です」
さして殘念でもなさそうにパラマは言った。最初から期待していないかのような軽薄さがじられる。名に誓った時とは真逆の瞳。聖の瞳は虛ろ。
足地・ミラノ水鏡世界。目指す場所への、たしかな手掛かり。二人の傭兵は顔を見合わせ、イヴァンが「やはり対価を払う」と言おうしたが、その前にパラマが何か気が付いたように聲をもらした。
「おや……」
イヴァンは見た。
パラマの笑顔が珍しく崩れ、眉間にシワを寄せてひどく不愉快そうにしている。想定外の問題が起きて「面倒だ」と言わんばかりに。
歯車が一段階すすんだ。時間の止まった聖都に新鮮な風が吹く。
「気になることがありますので失禮します。どうぞ、どうぞごゆっくりお過ごし下さい。傭兵たちの羽休めに安らかな加護があらんことを……」
去っていく。聖代行が去っていく。
○
船を出たナターシャはベルノアを探した。彼が向かうとすれば地下の牢獄だろうか。それとも二階から三階にかけて繋がる大書庫にり浸っているのか。もしくは街をうろつく巡禮者に手を出したとか。
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大書庫の本棚を端から順々に見ても、看守に會釈をしながら地下牢に足を運んでも、ベルノアは見つからない。頭を抱えたナターシャは柱にもたれかかってため息を吐いた。
「彼が行きそうな所は全部行ったけれど……ベルノアの考えることは分からないわね」
彼の思考回路は予測できない。そもそもナターシャにとっては第二〇小隊の全員が未だに謎多き存在だ。ミシャが過剰なほど小隊に依存するのも、ソロモンの側に燃える炎も、ナターシャからすれば壁一枚隔てた向こう側の話。イヴァンが妹の墓を建てるために足地を目指すのは聞いたが、彼が妹と共に戦場を駆け巡っていた頃の話は何も知らない。
だが、しずつ彼らの人となりは見えてきた。例えばベルノアは暴で探求者と思えない態度をとる男だが、その裏側には仲間への気遣いが隠れている。リリィの救援が間に合わなかったことをナターシャに謝罪したように、彼は決して思慮の淺い人間ではないのだ。
(……いや、でも結晶化した祭司たちを弄(もてあそ)んでいたし、やっぱりろくでなしかも)
何にせよ探すのみ。ナターシャは鐘樓の一階へ降りた。
歩き回ること數刻、ベルノアは裏聖堂にいた。頭を抱えて結晶化した祭司たちと、朽ちかけの神像に囲まれながら、ベルノアは片膝を地面に付けていた。一何をしているのだろうと近付いてみると、どうやら神像に向かって祈りを捧げているようだ。あまりにも似合わない姿にナターシャは足を止めた。
「ナターシャか。目を覚ましたんだな」
「お様でね。ソロモンがあなたを探しているわ。早く戻って船の修理を終わらせようって」
「ちょっとだけ待ってくれ。もうしで天啓を得られそうなんだ」
「天け……は?」
「神のお告げだよ。知らねーのか? 結晶の新たなる可能について道がひらけそうなんだ。俺のなる探究心が祈りを中斷するなってんでやがる」
「……? はぁ……うん? 分からないけど分かったわ。待っているから早く終わらせてね」
ナターシャは釈然としないまま長椅子に座った。隣に頭を抱えた祭司の結晶があるせいで気味悪い。
両足をばして暇そうに天井を見上げた。遠くで鐘の音がする。今ごろはイヴァンとミシャも足地についてパラマに聞いているのだろう。
顔を戻すと、ベルノアは神像の前に聖杯を並べてありがたそうに目を閉じている。黙っていれば整った顔立ちに見えなくもないのだが、彼の格を知ってしまうとどうしても殘念な目で見てしまう。いっそのこと一言も喋らずに祈っていれば良いのではないか。そうすれば第二〇小隊も平和で靜かになりそうだ。
「……祈る?」
はて、ベルノアが祈りとな。引いたはずの頭痛が再発し、彼の視界がぐるぐると回る。おかしいのだ。ベルノアが祈る姿を見ていると気持ちが悪くなるほどの違和に襲われるのだ。
ナターシャはひたいに両手をあてて俯いた。細くてらかな前髪が彼の視界に垂れ下がる。
視界の端にうつる祭司たち。苦痛に顔を歪めて、頭を抱えるように丸まりながら結晶化した姿は、まるで何かから逃(のが)れようとしてるように見える。今にも彼らのび聲が聞こえそうなほど口を大きく開け、結晶化した両眼からは底知れぬ恐怖がじられた。
ある者はうずくまり、ある者は背筋を反らせ、だが一様に、両手を頭の両側にあてる姿。
そこで、はたとナターシャは気付いた。
――祭司は頭を抱えているのではない。耳を塞いでいるのだ。
ナターシャはパッと頭を上げた。頭痛の正ともいうべき違和の形がしずつ見え始め、その奧に潛む聖代行の悪意が顔を覗かせたから。
「ベルノア」
「うるせえ、お祈り中だ」
「いいから聞いて。あなたは今なにをしているの?」
「だから祈ってるんだっつうの」
ベルノアは振り返らない。祈りに夢中な研究者の背中に向かって、ナターシャは疑問を投げかけた。
「……あ(・)な(・)た(・)が(・)?」
嫌な空気だ。いつの間にかが渇き、裏聖堂の天井がやけに高くじられる。
「俺が……祈るのは、おかしいか?」
「ありえないでしょ! 祭司の亡骸を指でつついて足蹴にするあなたが、祈り? 神に!?」
「足蹴には、してないだろ」
「してたわよ頓珍漢! 死者に対する敬意が微塵もないあなたが、実在するかも分からない神を信じるかしら? それよりも祭司の結晶を砕いて研究材料にする方がベルノアらしいわ」
ナターシャは言葉を切った。一拍あけて続ける。
「あなた、いつから信徒になったの?」
ベルノアが振り返った。なんということでしょう。倫理無き研究者は、敬虔な信徒になりました。
ナターシャは彼に近づいて無理やり立たせた。立ち上がる際にベルノアはふらつき、足に當たった聖杯が地面に倒れた。裝飾が外れて廊下の奧へ転がっていく。何も見えない、闇の中へ消えていく。
「おい……おいおいおい! 俺の頭がおかしくなったって言いたいのか!?」
「おかしいのは元からよ」
「やかましいわ、否定しろ」
「あなたが祈るようになったのはいつ?」
「さあな、數日前とかか?」
「多分、しずつ信仰心を植え付けられているのだと思う。あなたが気付かないほどゆっくりね」
「それじゃあ俺たちはラフランに來てからずっと、パラマの洗脳をけ続けてたってか?」
ナターシャが長椅子に點々と座する祭司の結晶を指差した。
「見て、祭司たちは耳を塞ぎながら結晶化しているの。いいえ、何も聞こえないように自らの鼓を破き、そこから結晶屑がり込んで結晶化現象(エトーシス)を起こしたの。そうまでして彼らが逃れようとしたのは何?」
結晶まみれのラフランをしいとじるようになったのはいつからだろうか。パラマに対する敵対心が薄れ、鐘樓で暮らすことに危機をじなくなったのは何故だろうか。夜風に吹かれなければ安全か? そんなことはない。ここは常識外れの足地。警戒すべきは結晶だけだと思うなかれ。
「鐘の音、か」
ベルノアは一番高い可能を口にした。祭司が鼓を潰してまで聞きたくなかったのは鐘の音だ。ラフランに居ると否応なく聞かされる鐘の音が、彼らを死に追いやったのだと考えれば納得がいく。
自分の思考が他人の手で変えられたという事実は想像以上に恐ろしかった。きっとラフランの信徒も同じようにして変えられたのだろう。何も知らずに聖都を訪れ、鐘の音を聞き、本人も気付かないうちに信仰心を芽生えさせ、いつの間にか立派な巡禮者として生まれ変わる。
パラマは親切だった。「夜風のあたらない鐘樓で暮らしませんか」と提案する裏側で、最も鐘の音が近い場所にナターシャたちを留まらせたかっのだ。親切の影に算段あり。聖のような笑みは罠を仕掛ける狩人の顔だった。
「イヴァンがね、聖代行を友好的だって言ったの。目の前でバッカスが殺されて、私も聖の間でパラマに襲われかけたのに、平然とそんなことを言うのよ」
「ありえねぇな。疑い深いイヴァンが足地で出會った人間を信用するはずがない……いや、パラマを良い奴だって言ったのは俺も同じか」
「ベルノアも?」
「あぁ、俺も、ソロモンも、チビすけも……くそっ、油斷したぜ。知らないうちに敵対心が消えてやがる」
「早く皆に伝えないと――」
二人は急いで船に戻ろうとした。しかし、足を踏み出そうとした瞬間に廊下の奧から気配をじた。
(……!)
足音がしなくともわかる。この絡みつくような闇は間違いなくパラマだ。ナターシャたちを決して逃すまいと、廊下からあふれ出した覇気が二人のにまとわりつくようだった。來る。奴は鐘樓の全てを把握し、音もなく現れる。偽りだらけの笑顔を浮かべながら、聖鈴を攜えて。
やがて、聖代行は暗闇の奧からぬっと現れた。封晶ランプがパラマの表を不気味に照らす。笑顔。相も変わらず、笑顔だ。
「あら……ここにいらっしゃると思ったのに、予想が外れましたか。どこに行ったのでしょう」
二人はとっさに長椅子の裏に隠れた。ナターシャが橫目でベルノアを見ると、彼は小さく首を振る。もしも今の狀態でナターシャたちが見つかれば、きっとパラマは二人の変化に気付くだろう。「あぁ、鐘のを知ったのですね」と。
ナターシャは音を立てずに顔をかし、長椅子の隙間からパラマの様子を伺った。封晶ランプによって照らされた影が天井に屆きそうなほど大きくびて、風が無いのにゆらゆらと揺れ、そこには、見た目以上に強大な化けがいた。パラマは足元に転がる聖杯に視線を落としている。笑顔ではなく、無表。能面のような顔で裝飾の取れた聖杯を見つめている。
(顔を引っ込めろ馬鹿っ、悟られる……!)
(そうは言っても見ないと分からないじゃない……!)
(いいから……!)
視線で會話するナターシャとベルノア。その間もパラマの獨白は続く。
「聖杯を壊すなんて罪深い……けれど、許さなければ、なりません。私は聖代行だから。妹のように、妹の代わりに……」
パラマがいつの間にかナターシャたちの隠れている長椅子に目を向けていた。その表は封晶ランプに照らされているにも関わらず、深い影が落ちて直視できなかった。の奧がキュッと狹くなる。ナターシャの手が反的に銃を摑む。勝てない。構える前に聖鈴を鳴らされて終わりだ。逃げられない。逃げる前にきを止められる。
「全て許しましょう。全てけれましょう。慈しみの子供達は、世のため人のためにあるのです」
パラマの言葉はまるで自分に言い聞かせているみたいだ。足音がせずとも近づくのがわかる。それほどに巨大な存在。歴の淺いナターシャですら理解できる異質さ。
パラマがあと一歩という近さにまで接近した。ナターシャは銃口を長椅子の向こうに構える。顔が見えた瞬間に撃つ。たとえベルノアが撃たずとも、ナターシャは撃つ。
來る。きっと來る。
パラマの輝くような金髪が視界にった瞬間、は覚悟を決めた。
――ゴーン……。
唐突に鐘の音が鳴り響いた。激しい頭痛が二人を襲う。同時にパラマの足が止まり、思い出したように聲を上げた。
「おや、もうそんな時間ですか。祈りましょう。ラフランの未來を、妹と共に願いましょう」
ナターシャから聖代行の顔は見えない。パラマがどんな表で長椅子を見つめているのか、想像もつかない。
(帰れ……!)
二人の存在に気付いているのだろうか。あえて時間をかけて遊んでいるのだろうか。それとも二人が隠れていることを知らずに獨り言を話しているだけか。
どちらなのか、どうするべきなのか、迫した狀況がの思考を焦らせた。
(帰れっ、帰れよ……!)
ナターシャは銃を握りしめた。彼の脳には戦闘になったときにどうくべきかが無數に浮かんでいた。パラマが聖鈴を鳴らすよりも先に、奴の眉間を撃ち抜く自はある。どうせ巡禮者だから死なないだろう。
それからどうする? その選択肢に未來はあるか?
逃げて、追い付かれて、聖鈴を鳴らされて、その前に撃って逃げて――。
「次は無いですよ」
能面のパラマがすぐ隣に立ち、耳元で囁いたような気がした。
ナターシャはハッと顔を上げた。いつの間にかパラマは居なくなっており、朽ちた神像が淡く浮かぶのみで、重苦しい空気は霧散している。
「見逃された?」
「いや、どうだろうな。案外気付いていないだけかもしれねぇ。俺様の気配の消し方があまりにも上手すぎたな」
「うーん、それは……そうだったらいいね」
「どっちにしろ助かったんだ、さっさと戻ってイヴァンに伝えるぞ」
ベルノアの手をとって立ち上がると、張が解けたせいで一気に疲れをじた。見れば両手が小さく震えている。それは月明かりの森で宿蟲から逃げた時と同じであり、「自分はまったく長していないな」と悲しくなった。
ベルノアは見たところ平気なようだ。場數の違い、経験の差がここに出る。強くなるというのは、銃の腕を磨くとか、連攜力を高めるとか、たくさんの知識をつめこむとか、そんなことだけではないのだ。
限界の経験。足を踏み外せば落ちてしまいそうな狀況で、冷靜に考え、最適解を探す。
出來ないことや無力さ、恐怖を知り、後になってから、自分なら出來たことを知り、そうして経験という知識を自らに刻み込む。
そうすれば次は乗り越えられる。
「ベルノアはどうして構えなかったの?」
「俺はお前らと違って戦闘能力は皆無だ。真っ向からやり合って勝ち目がないんだよ。なら、隠れるだろ。戦っても勝てないなら、見つからない可能に賭けるだろ」
「見つかっていたら?」
「そんときはゴマすって信仰心を示すんだな」
平伏するベルノアの姿が容易に想像できたナターシャは表を緩めた。何を選ぶかは人それぞれだ。ミシャならば迷わず飛び出して発砲していただろうし、ソロモンなら話し合いを持ちかけたかもしれない。
「安心しろよ。戦闘能力はないがおれが発明した兵はいくつかある。街中を逃げたときみたいに晶壁を作れば、まぁ、お前を逃がすくらいは出來るだろ」
ベルノアが誇らしげにを張った。倫理観のかけらもない男だが言葉だけは立派だ。その気概をしでも隊外の人間に向けてあげられたら彼もされると思うのだが、ナターシャは殘念そうに首を振った。
「なんだその顔は」
「世の中はままならないなぁってじ」
「なーにババくさいこと言ってんだよ」
「ババッ……そういうところよ偏屈」
ナターシャはため息を吐いて裏聖堂を出た。パラマがいないか注意しつつ見晴らし臺の船に向かう。
やはり鐘樓に留まるのは危険だったのだ。斷続的に襲う頭痛がナターシャに信仰心を植え付けようとする。わされてはいけない。ここはと使命に狂った男が生み出した廃都。しい街並みも、らかな笑みも、全ては雪の中のまぼろしである。
今すぐ逃げよ。月明かりの森で水が逆流するように、腹の大きな結晶憑きが宿蟲をかかえて笑うように、聖都の巨人が銃で撃たれても死なないように、足地は人の世から外れた場所なのだから。
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