《傭兵と壊れた世界》第五十九話:作戦開始の合図

翌朝、見晴らし臺に停泊した機船の影で、ベルノアは大きく息を吐いた。その表にはくっきりと疲れが滲んでいる。事実として彼は昨晩の作戦會議以降からほとんど眠っていなかった。ほっと一息ついてから無線機を口元にあてる。

「――おーい、イヴァン聞こえるか。船の修理が終わったぜ」

「――早かったな」

「――俺様の手にかかれば余裕って言っただろ?」

「――あー、ああ、そうだな、流石はベルノアだ」

無線機からためらうような稱賛が聞こえた。「素直に譽めやがれ」とベルノアは口を曲げる。そんな雰囲気を察したのか、イヴァンが取り繕うように聲を発した。

「――予想以上に早くて驚いたんだ。まさか寢ていないのか?」

「――お前らと違ってが丈夫なのさ。研究のために數日寢ないことだってあるんだぜ。一日程度へっちゃらだ」

「――一言多いやつだ。なんにせよご苦労。合図がくるまで休んでくれ」

無線機を離して空を見上げた。相変わらず分厚い雲が広がっており、都合良く吹雪が止むことは期待できないだろう。作戦が功したとしても無事に帰れるかはベルノアの縦しだいだ。隊の命運を握るのはナターシャだけではない。各々が役目を擔っているのだ。

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「今度こそ失敗できねえな」

ベルノアは疲れた脳みそに喝をれて、縦席に向かった。

街の中央に大きな時計塔がある。大鐘樓には及ばないが、街中では隨一の高さを誇る建造だ。そんな時計塔の一室で、ナターシャはうつ伏せになって結晶銃を構えた。部屋というよりは時計臺にのぼる途中の踴り場みたいな場所だ。吹きさらしの部屋に冷たい風が容赦なく吹き込み、ナターシャはかじかんだ指をすり合わせた。

「寒いですか」

「手袋を用意しておけば良かったわ。このままじゃパラマが現れても指が凍って撃てないもの」

「帰ったら買いに行きましょうか。腕の良い仕立て屋を知っています」

「それは楽しみね」

の間(ま)は窓掛けがかかっているため中が見えない。しかし、日に一度、パラマは必ず現れるはずだ。機會は一瞬。外せば全てが水の泡。

ナターシャは手元に目を落とした。ちらちらと降り続ける雪が風に乗って舞い降り、結晶銃の黒い銃にうっすらと白化粧を施す。指越しに伝わるはどこまでも無機質であり、れているとナターシャの指も銃の一部になってしまいそうだ。かじかんだ指先がじんわりと赤くなった。

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このように心を落ち著かせて、慎重に狙いを定めるのはいつぶりだろうか。ヌークポウを落ちてからは激の日々だった。傭兵になってからもローレンシア兵と戦ってばかり。ずっと走り続けているような生活である。

「第二〇小隊はいつもパラマみたいな相手と戦っているの?」

「まさか。流石に命がいくつあっても足りませんよ」

「でも、足地に何度も足を踏みれたんでしょ」

「前もって準備をしてから向かいますし、収穫がなさそうならすぐに撤退します。今回のように事前の報がほとんど無く、任務帰りでローレンシアに追われ、おまけに足地を抜けなければ帰還できないような狀況は例外です」

「じゃあ私は第二〇小隊ですら未知の狀況で、任務の功に関わる重大な責任を負っているわけだ」

「偉いですよナターシャ。あなたの手柄は帰ったらきちんと報告しましょう」

帰還したら。帰還。シザーランドへ、帰る。そこにリリィの姿は無いというのに、どのような顔で帰ればいいのか。隊員を全て失ったイグニチャフに何と聲を掛ければいいだろうか。非難されるかもしれない。失されるかもしれない。そんなイグニチャフを見るくらいならば、いっそのこと、ラフランで散ってしまった方が哀れな傭兵見習いとして扱われるかもしれない。

「ナターシャ」

ソロモンの聲で我にかえったナターシャは、聖の間に目を向けた。まだパラマは現れていない。

「月明かりの森で初めてあなたに會った時、私は驚きました。結晶のまみれの廃墟の中、教會の祭壇に獣がいたのですから。今か今かと牙を研ぎ澄まし、襲い掛からんとする白金の獣。私はね、あの時にナターシャと爭わなくて良かったと思っています」

「爭わなくて良かった?」

「ええ、あなたという獣がどのような未來を歩むのか、おかげで見屆けることが出來ます」

「……獣は銃を撃たないわ。私は人間よ」

「あら、世の中には銃を撃てるぐらい賢い獣もいますよ。今はそういう話ではありませんが」

ナターシャは訝しげな顔で「どこまでが本當やら」と呟いた。

「いいですか。人は非常に殘念な生きなので、一人で全てを背負うことはできません。個の力には限界があり、たとえどれほど腕を磨こうともローレンシア兵を全て殺すようなことはできないのです。これも、そう。あなた一人で解決する必要はない」

「でも、私が外せば作戦は失敗するでしょ」

「その時は私が全てを焼き盡くしてみせましょう。たとえ巡禮者といえども骨まで灰にすればかなくなります」

ソロモンのから赤い覇気が昇った。暗く、深く、萬を焦がす炎の覇気。その深淵はパラマに匹敵せんとする。

「必ず當てるのではなく、必ず壊しなさい」

ソロモンが力強く命じる。

「あなたの役目はパラマを抑えることではなく、聖鈴を壊すこと。もしも外したならば、次の策を考えなさい。もしもパラマに気付かれたなら、逃げてもう一度狙いなさい。他の雑事はすべて私が引きけます」

突風が吹いた。白金の髪が巻き上げられての視界を明るくする。ソロモンは確かに宣言した。外してもいいから必ず破壊せよと。自分が付いているのだから、それ以外は何も考えなくて良いと。

ただ狙う。命中するまで狙う。それならば簡単だ。ナターシャは幾度となく繰り返してきた。ヌークポウで、月明かりの森で、シザーランドで、指が痛くなるまで続けた練習をここで再現するだけだ。ナターシャは結晶銃を構え直した。かじかんでいたはずの指先がいつの間にか熱を帯びて、全がいつになく高揚し、瞳はただ一點のみ、聖代行が現れるであろう窓を注視する。

來る。まだパラマの姿は見えていないのに、確信をもった。ナターシャはその直を一切疑わずに銃を構えた。閉じられた窓の向こう側にパラマがいる。見えずとも理解できる。

「きた……!」

代行パラマだ。窓掛けを開けて無表に街を見下ろしている。右手には聖鈴が提げられており、ナターシャ達に気付いていない。

照準をパラマの聖鈴に合わせた。風が強いせいで弾道がぶれるのは避けられないだろう。降りしきる雪のせいで視界の確保が困難だ。最悪と言っていい狀況の中、ナターシャはゆっくりと息を吐いた。細く、長く。防護マスクからこぼれた息が白い糸となって時計臺に昇る。

キューッと瞳孔が狹まり、あらゆる音が世界から消え、の意識は対象にのみ注がれた。経験に基づく勘と計算が最適な角を導き出す。を巡る黒水がドクン、ドクンと脈打った。心は冷靜に。激は弾丸に乗せて。添えた指先に力を込めろ。

(今……!)

慎重に狙いを定め、ここだと思った瞬間、ナターシャは引き金を絞った。撃ち出された弾丸は雪の間を抜けて聖鈴に吸い込まれる。

「……!」

當たった。當たったと思った。

「ハァッ……!!」

パラマがその場で踴るようにを捻り、聖鈴を弾道からそらした。彼はナターシャの弾丸が放たれてから反応したのだ。標的を見失った弾丸は窓を割り、天井の豪華な照明を撃ち抜く。窓ガラスが吹き飛び、照明の破片が部屋に飛び散った。

世にはホルクス軍団長のように、第六と呼ぶべき超人的な覚で弾道を予測する者がいる。パラマもまた同種。人の枠からはみ出た怪たちなのだ。

舞い落ちるガラスの破片に包まれながら、パラマは憤怒の表で時計臺を睨んだ。

ナターシャの判斷は早い。外したという衝撃をすぐに捨て、次弾を放とうと引き金に指をかけた。この距離ならば聖鈴の影響は屆かず、たとえ気付かれたとしても自分たちが一方的に攻撃できる。外したならば次の策を――。

「もう一度――」

「ギガァンッ……!!」

怒りに聲を荒げながら、パラマは巨人の名をんだ。ナターシャの背中に悪寒が走る。鐘樓から時計臺まで屆くほどの怒聲。屆くはずがない。これだけの距離、パラマに反撃のはない。

「いや……まさか!」

パラマの聲に反応して頂上の巨人がきを見せた。ギガンは軀に似合わぬ素早いきで一つ下の高臺に飛び降りると、そこに置かれていた大棒を摑む。ギガンが街を見回る時に持ち歩いていた棒だ。彼はゆっくりと棒を背中に回した。

「やば……ッ」

大きく振りかぶった巨人。その巖石が如く頑強な腕によって生み出された力が棒に伝わり、砲臺と見紛うほどの破壊力に変わる。空気を叩き潰すような重い轟音。続く風。放たれた大棒は逃げる余裕を與えず、次の瞬間に時計臺を砕した。

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