《傭兵と壊れた世界》第七十話:金融都市カップルフルト

ナターシャの眼前に金融都市が広がる。細かく分けられた階層が積み上がるようにして形されるカップルフルトは、「暗い街」というよりも「夜に生きる街」と呼ぶのが似合いそうだ。街のいたる所に階層を支えるための支柱が生えており、上階に遮られて日のらない。初めてナターシャが訪れた時はそれらの階層を見上げて、無數の茸が折り重なっているような印象をけた。

傭兵たちは奧へ進む。結晶化現象(エトーシス)の影響が見られたのは街の外周付近だけだ。夜風にあたる部分を先に結晶化させてしまえば街の部は安全になる。そのため不必要なゴミや人の住まなくなった住居を街の外周に集中させ、側に広大な地下帝國を作り出した。複雑な街の構造が結晶の侵を防ぎ、人々が安心して暮らすことができる。

ナターシャは封晶ランプを掲げながら、リンベルと並んで歩いた。時間の覚を忘れさせる夜の街。外界から隔絶された商人の楽園。記憶とは違う街並みに圧倒されつつも懐かしさをじた。道ゆく人々はどこか酩酊したような表で暗がりへ消えていく。常に誰かの騒ぎ聲が木霊し、道なかばで挫折した商人がひっそりと店を開く。

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「ここは相変わらず暗いし、うるさいし、道も複雑ね。長くいると頭がおかしくなりそうだわ」

「前に來た時はもうちょい明るかったと思うが、この街も変わったな」

「地下暮らしのリンベルも金融都市は嫌い?」

「嫌いというかに合わないぜ。便利ではあるんだがな。カップルフルトならしいが大抵見つかるし、の振り方をわきまえれば良い暮らしが送れる。でも、私はに囲まれて整備をする生活が好きだ」

ナターシャは頷いた。

後ろを振り返ると、初めて街を訪れたイグニチャフが目を輝かせながら歩いている。ナナトも楽しそうに辺りを見渡し、ドットルは綺麗なが居ないか探しているようだ。この浮世離れした街並みは彼らの心を躍らせるのだ。彼らは街の裏側をまだ知らない。都市のもっと下、商の道で敗れた者達の末路を知れば違った反応をするだろう。

金融都市の闇は深い。かのローレンシアですら隣接していながらも手を出さないのだから。

「依頼人はどこにいるんだ?」

「階層を三つ昇った先、ブルフミュラー商會で待っているわ。カップルフルトじゃ隨分と名の知れた商人らしいね」

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「ブルフミュラー商會といえば、を専門に扱う変わり者集団じゃないか。どおりで足地に行きたいと言い出すはずだ。依頼人は會長か?」

「ううん、息子のクレメンスって人。後継としての実績がしいのかもね」

商人が自ら足地に向かうのは珍しいが、ブルフミュラー商會は別だ。彼らは収集に文字通り命をかけており、実を自分たちの目で見なければ納得しない。ナターシャは任務が荒れるような予がした。商の道で功していながらも、自ら足地に向かうような変わり者が、はたして大人しく調査をしてくれるだろうか。

不安を抱えながら階層をのぼる。貧富の差は顕著だ。上に近付くほど人々の生活は豪華になった。勝者と敗者。階層とはつまり境界線だ。

「ねぇイグニチャフ。リリィの実家はどの階層か知っているの?」

「地下二階層だ」

地下二階であれば、まだ落ちていない。苦しい生活だと思われるが、都市の底まで落ちなければ大丈夫だ。カップルフルトでり上がれなかった者は地下に追いやられ、深くの底に落ちていき、いつか人ではなくなってしまうから。地下二階層ならば間に合うだろう。

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「やっぱり、先に會うべきだと思うけどな」

ナターシャの呟きは誰にも聞こえない。やがてブルフミュラー商會に到著した。

商會の中に通されたナターシャたちは、妙に手厚い待遇をけながら客間に案された。「まるで逃げられないように歓迎しているみたいだわ」とナターシャは不気味にじる。客間には無數のが飾られているが、悠長に鑑賞する余裕はなかった。

(あれが第三六小隊ね)

客間には圧がある。人の経験から生まれる覇気。小隊としての積み重ねが生み出す圧が、客間の空気を壁へ、外へ、ここから失せろと押し退ける。

一番目立つのが大男のウォーレンだ。彼はナターシャを一瞥するだけで特に反応をしない。大化した筋は戦士としての才能が人並み外れている証拠である。イヴァン隊長から弾戦の手解きをけたナターシャであっても、拳を合わせて彼に勝てる未來が想像できない。

ウォーレンの隣には傭兵に似合わぬ可憐なが立っていた。シザーランドでは珍しい黒髪だ。華奢なだが、人の目を惹く特異な雰囲気である。

ナターシャは友人からもらった報を脳裏に並べた。

(あのの子がエメね。優秀な衛生兵であり、第三六小隊を支える影の立役者、だったかしら……想像以上に小さいわ。ミシャといい勝負ね)

冷靜に観察をしていると、エメの隣にいた気弱そうな青年が會釈をした。親しみやすい印象の男だ。消去法で考えるに、偏卿ヌラか、もしくは苦労人ネイルだろう。恐らく後者だとは予想する。

(一人足りないのはヌラかしら。できれば顔を把握したかったけど――)

ナターシャは気付く。隣に立つ同期たちが一向に前へ進まない。ナターシャが進まねば、歩けないのだ。英雄の放つ重圧が、神父を、狩人を縛る。ナターシャは第二〇小隊での生活で慣れていたが、イグニチャフたちは見たことのない傭兵の覇気に気圧された。

隊長なんて免だが、進まねばならない。

ナターシャは堂々とした足取りで第三六小隊の隣に立った。そこで初めてエメが反応する。英雄の隣に立つ。その行為がかくも難しいのだと、他ならぬ彼が一番知っていた。

「エイダン隊長、例の支援部隊が到著しましたよ」

エメが隊長に聲をかける。

その男は大きかった。軀はウォーレンの方が大きいが、覇気では男に遠く及ばない。彼は炎だ。ソロモンのような鋼鉄の炎とは異なる、純粋な力の炎だ。彼が存在を放ったのは一瞬。すぐに覇気を収めた。

「貴様がナターシャか。第三六小隊隊長のエイダンだ」

「支援部隊の臨時隊長、ナターシャです。シザーランドの英雄に會えて栄ですよ」

「第二〇小隊が俺に世辭を言うか。イヴァンも珍しくまともな新人をれたな。足地は何度目だ?」

「三度目になります」

「なら勝手は分かるな。指示は出さん。貴様の隊は萬事任せる」

ナターシャが「隊長をするのは初めてですよ!」と抗議した。無論、心の中だ。

「ミシャはいないのか?」

「他の任務にあたっています」

「そうか、いないか。それなら丁度良い」

「丁度良い?」

「ん? 貴様は知らずに隊したのか? 第二〇小隊が輝かしい武功を殘しながら忌み嫌われるのは、なにも嫉妬や妬みだけではない。奴らは異常者の集まりだ。ましてや裏切り者の――」

エイダンの言葉を遮るように、勢いよく客間の扉が開いた。現れたのは満面の笑みを浮かべた男。背筋をばし、を張り、我こそがブルフミュラーだと誇示するように歩む。彼は金の輝きを放った。金をかし、金にまみれ、金を食らわんとする商人の輝きだ。

「やあやあ傭兵諸君! 全員揃ったようだね! 待ちくたびれたよ、まるで餌を目の前に置かれて待てと言われているみたいだった。君たちは商売というものを何も分かっちゃいない。客がんだ瞬間に、んだものを提供するのが商売だよ」

口がよくく男だ。それがナターシャの第一印象。続けて、この男が大商會の副會長だという事実に納得した。商人の価値とは知力、さらに砕けていえば本人がまとう空気だ。策を講じて戦う者が雰囲気で負けてはいけない。クレメンスには格がある。商の道で積み上げた、卑しく、人の怨嗟と商人の手垢で黒金に染まった格。

(イヴァンやエイダンとは違った怪ね)

クレメンス・ブルフミュラー。大商會の麒麟児は両手を後ろに組み、妙に爛々とる瞳で傭兵を値踏みした。

「君たちが支援部隊かい。ふーむ、なるほど……」

クレメンスは目を細めながらイグニチャフを見る。蛙のような瞳孔を何度も収させ、熾烈な競爭社會を生き抜いた逹眼(たつがん)が傭兵の価値を推し量る。この男の価値はどれほどか。支援部隊は役に立つか。彼の瞳はエイダンと見比べるように何度も差した。そして一言。

「弱そうだね」

元神父を英雄と比べるのは可哀想だろう。イグニチャフは傭兵になってまだ一年半ほどだ。普通の生活を送っていれば足地に向かうような経験はしない。

(不憫なイグニチャフ。後でめてあげよう)

ナターシャはさも他人事のようにイグニチャフを憐れんだ。何故なら自分は第二〇小隊だから。まさかクレメンスの言った「弱そう」に自分は含まれていないはずだ。

「まあいい。僕は人のかし方を知っている。支援部隊というのだから実力はあるのだろう。そんなことよりも足地の話をしようじゃないか!」

クレメンスが檀上に立つ。

「僕らが目指すのは足地ナバイアの奧、中立國が殘した百年戦爭の忘れだ! かの跡は數多の原生生と、今もなお殘る神の力によって守られている。しかし、僕たちなら越えられる! いいや、僕が、ブルフミュラーが越えてみせよう!」

副會長の言葉は絵空事ではない。彼が持つ実績と実力が、誇大とも思える言葉を真実にする。パルグリムの大商人がここにあり。彼を中心に、金の匂いで満ちた卑しい風が吹く。

「始めようか、我らブルフミュラー商會の偉大なる旅路を!」

クレメンスは聲高々に宣言した。ここが始まり。この日が、一つの分岐點。傭兵國が毒の花に揺れ、移都市が忌と呼ぶべきを運ぶ一方で、大國の花(イースト・ロス)の商人は花を売り、傭兵の報を売り、自らも足地へ向かう。

彼らの道がわるまであとし。なき道へナターシャは進む。

暑くてダウン中なので後書きもお休みです。

またね〜。

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