《傭兵と壊れた世界》第七十一話:ろくでなしの夜

足地ナバイアは一年を通して雨が降り続ける広大な地帯だ。かつて海だった頃の名殘である原生生が生息する。

百年戦爭が起きるよりもずっと前、中立國はナバイアの奧地にの研究所を作った。表向きは莫大な雨を処理するための水処理施設として。その実は非人道的な実験を繰り返す研究施設として――。

「というのが依頼主(クレメンス)の説明ね。どこまでが本當かわからないけど、なくとも中立國の跡があるのは間違いないわ」

「話は理解したが、そもそも何で跡に行くんだ?」

「中立國の技しいんじゃないかしら。私たちや大國が使っている機船って、元は中立國が開発したものだし、商業國からすればお寶が眠っているように見えるんでしょ」

目的地について話すナターシャとイグニチャフ。そして狩人のナナト。

調査隊はナバイア水沒原が広がる、中立國の國境付近へ向かっていた。傭兵の門出を祝うような晴天だ。ドットルは甲板で周囲の警戒をしており、リンベルも縦で手が離せない。殘りの三人は暇そうに部屋で談笑をしている。

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「お寶探しなんて男心をくすぐるよねー。を見つけたらやっぱり早い者勝ち? 超わくわくしない?」

「わくわくしないし、寶は一応、依頼人のものよ」

「そんなの黙っていたら見つからないって。ねぇイグニっち」

「神はいつでも見ておられる。よこしまな考えは捨てるんだな」

「殘念ながら俺は星天教ではありませーん」

ナナトはもたれ掛かっていた姿勢から勢い良くを起こし、イグニチャフに向かって人差し指を向けた。

「いやぁーっ、実際どうよイグニっち! 世界が壊れて幾星霜、夢と危険を追い求めるのが傭兵という生きじゃん! 謎に満ちた未開の地、ワクワク止まらないっしょ?」

「お前の自信はどこから湧くんだ。俺は不安でいっぱいだよ」

「男がひよったら駄目だぜイグニっち。こういうのを何て言うの? 気合い? 覚悟? とにかく男気さえあれば怖いなしよ!」

ナナトは傭兵に偏見を持っていた。期から厳しく育てられた反だ。傭兵とは謎を追い求め、危険をかえりみずに戦場へ向かうものだと信じている。

「ナナトの言葉を鵜呑みにしたら駄目よ、イグニチャフ。夢と危険を追い求めるなんて一部の傭兵だけだし、気合いだけでは生き殘れないのが足地。そもそも結晶化現象(エトーシス)のきっかけである百年戦爭は幾星霜ってほど昔じゃないでしょ」

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「ナターシャは細かいなぁ。もしかして乗り気じゃないじ?」

「乗り気に見える?」

「いんや、まったく」

ちなみに、第二〇小隊として危険をかえりみずに足地へ向かうナターシャは「一部の傭兵」に含まれているのだが、本人に自覚はなかった。

「お寶は、眠っているかもしれないわ。滅多に人が立ちらない場所だから、誰も知らないが隠されていてもおかしくない。でも、夢はない」

「えー、ないの?」

「ないわ。夢を求めるなら賭博場にでも行くことね」

「じゃあまた今度一緒にいこうね」

「イグニチャフをいなさい」

「星天教は賭博止だ」

飲んだくれ神父、酒は飲んでも戒律は破らない。

「とりあえず、足地で人と出會ったら警戒して。大抵が、ろくでもないわ」

足地に人がいるのか?」

「案外いるの」

ナターシャは足地で出會った人々の顔を思い浮かべる。月明かりの森で襲ってきたディーバーと、彼の仲間であるロダン隊の兵士たち。ラフランをさまよう巡禮者や巨人、もしくは聖代行。

そして、第二〇小隊と自分。

皆ろくでなしだ。人を食いにし、人を陥れ、人を撃つことに何のためらいも持たぬ者たち。足地に訪れた者を聖のような顔で騙し、他人の死に慣れすぎて涙を流す方法すら忘れ、業を背負い、白夜に生きる。

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足地には、ろくでなしどもが集(つど)っているの」

ナターシャの口調は確信めいたものがあり、それが彼の経験則によるものか、それとも足地に向かう自分たちに対して大袈裟に言っているのかは判別できなかったが、彼の「ろくでなし」という言葉はイグニチャフの中に泥のような塊となって殘った。もしもナターシャが自分のことすら「ろくでなし」と呼んでいるのなら、イグニチャフはひどく悲しい気持ちになる。リリィと並んで銃を磨き合った友人が、數多の戦場を通して変わってしまった。

「ねぇねぇ、それじゃあ足地に向かう俺たちもろくでなしってこと?」

「そうよナナト。みーんなろくでなし」

「なるほどねー。俺たちは今、世界の真理にれちゃったかもしれないねぇ」

二人が緩い會話をわす中、機船は刻一刻と足地へ近付いていた。空はいつの間にか灰に染まりつつあり、遙か遠く、南東の方角にはナバイアの分厚い雨雲が広がる。ろくでなしが集う足地だ。

油鷲も鳴かない夜、ナターシャは機船の談話室で考え事をしていた。窓の外は強い夜風が吹いており、小さな結晶粒が船に衝突して甲高い音を鳴らしている。

深い夜だ。どんな隠し事も夜に滲んでさらけ出してしまいそうだ。

こんな夜に寢てしまうのは勿ないだろう。ナターシャは椅子に深く腰掛け、結晶粒の音を聞きながら、団長からの任務について整理をした。

通者探し。

それが団長に依頼された任務だ。シザーランドでは以前から通者を厳しく調査しており、一旦は落ち著いていたのだが、ナターシャが隊した年から再び増加した。そのとばっちりがナターシャに飛んできたわけだ。

もちろん彼通者を憎む気持ちはある。初任務では待ち伏せをされたし、救援任務では友人の命を奪われた。もしも目の前に通者が現れたら迷わずに撃つつもりだ。だが――。

が足りないなあ」

ナターシャはただ、第二〇小隊の狙撃手として彼らの役に立ち、共に結晶風が吹かない地を探したい。第二〇小隊に隊した彼にとって、最優先するべきは隊の夢なのだ。通者は探したい。しかし、この任務が終われば第二〇小隊の活が再開する。通者探しに割く時間はなくなるだろう。

「悩み事かい?」

談話室の扉が開いた。暗闇から現れたのはドットルだ。彼はどこか疲れたような様子で、ナターシャの向かい側に座った。

「ちょっと、ね。ドットルも眠れないの?」

「いいや、さっきまでシザーランドと連絡をしていたんだよ。おかげでこんな時間になっちゃった」

「そういえば忙しそうね。イグニチャフも働きすぎだって心配していたわ。配屬先の小隊が活発なの?」

「僕は隊を掛け持ちしているんだ。元工兵だからって便利に使われちゃってさ。ろくにの子と遊ぶことも出來ないや」

「健全な生活でなによりだわ」

ドットルのは以前よりも白くなった。渓谷都市で暮らしていれば誰もが太から遠ざかる。ましてや彼は渓谷の下層で暮らしているため、余計に日のを浴びる時間がないはずだ。

彼は煙草を咥えた。吐き出された煙は若干の甘い香りがする。

「傭兵団に通者がいるって話、ドットルは知ってる?」

「噂で聞いたよ。僕たちの初任務、パトソン小隊が待ち伏せをされたのも、通者の仕業らしいね。ひどい話だ」

「リリィの襲撃もそうだし、他にも通者が関わっていると思われる任務はたくさんあるわ。早く見つけないと被害が拡大しちゃう」

「ナターシャは通者を探しているのかい?」

「団長から頼まれてね。探すといっても私は手伝う程度だけど」

ドットルは「そうかい」と呟くと、おもむろに立ち上がって談話室の棚を開け、常備されている酒を用意した。勝手に飲んで良いのだろうか。「誰の酒?」と聞くと、「イグニチャフのだよ」と答えが返る。飲んだくれ神父の酒ならば構わないか。

通者探しは危険だよ」

「危険?」

「彼らと戦うのは戦場じゃなくて、裏の世界だからね。表の常識なんて通じないし、素人が手を出せば簡単に飲み込まれてしまう。たとえ団長の任務だとしても斷った方がいい」

「それは無理よ。団長の任務は斷らない、というのが第二〇小隊が優遇される対価だから。私たちは合意のうえで利用し合っているの」

「釣り合いの取れない対価じゃないかい? 僕だったら斷るけど、いや、絶対に斷るべきだ。通者探しなんてやめてしまえ」

ドットルがやけに反対する。そう言われてもナターシャに拒否権は無いのだ。

が首を振ると會話が止まった。部屋に響くのは煙草を吸う音と、グラスが機に當たる音。もしくは結晶風が吹き付ける音。夜がふけるにつれて結晶の數も段々と多くなる。

「風が強くなってきたね」

「それだけ足地に近付いているんでしょ。気を引き締めないといけないわ」

ふと、ドットルが珍しい首飾りを下げているのに気が付いた。綺麗な銀細工が施され、表面に星天教の印が刻まれている。

「素敵な首飾りね」

「あぁ、これかい。僕の人だったに貰ったんだ。しまったな、普段は服の中にれているんだけど」

「見せてもらってもいい?」

「――構わないよ」

ドットルは逡巡したのちに首飾りを渡そうとした。

丁度その時、一際(ひときわ)大きな突風が機船を揺らし、勢を崩したドットルは首飾りを落としてしまった。床にぶつかった拍子に口が開き、中から一枚の銀貨が飛び出した。銀貨はコロコロと地面をりながらナターシャの足に當たる。

「あら、銀貨を下げるなんて何かのまじないかしら」

ナターシャは銀貨を拾い上げた。それは優雅なドレス姿のが描かれた、見たことのない銀貨だ。

シザーランドではない。ローレンシアでも、パルグリムでもない。見事な絵柄のしい銀貨。

「すまない、大事な銀貨なんだ」

「ごめんね、返すわ」

「いや、落とした僕が悪いんだ。謝ることじゃない」

ドットルの聲音は普段よりも固い。雲の切れ目から一瞬だけ月明かりが差し込み、二人の間に月の壁ができた。ナターシャは背筋が粟立つような覚に襲われる。その覚の正が分からぬまま、彼は銀貨を友人に返した。

が描かれた銀貨は初めて見たわ」

、そうだね、珍しいと思う。東の民族に伝わる古い銀貨だから、持っている人の方がないだろう」

ドットルは首飾りを服の中へしまった。酒を一気に飲み干し、煙草の火を消して立ち上がる。

「僕は先に寢るよ。し、飲み過ぎた。イグニチャフに謝っておいてくれるかい?」

「自分で謝りなさい」

「ナターシャはけちだなぁ」

ドットルから笑ったような聲がした。月が再び雲に遮られ、室に暗闇が戻る。

「もしもの話だけどさ。自らの役目、例えば任務のために、大切な人を犠牲にしなければいけない時、君はどうする?」

「そんな事態を回避できるのが一番だけど、もしそうなったら――」

くるくるとグラスを回す。赤いお酒が二人の間で揺れた。

「撃たない。いや、撃てないかも」

「ナターシャはそうだよね。安心したよ」

「変な質問ね」

「すまない、どうしても気になってさ。ああ、まったく飲みすぎた。まいったなあ」

ドットルが申し訳なさそうに頭をかいた。ナターシャは殘っていた酒を一気に飲み干すと、空になったグラスをドットルに掲げる。

「おやすみなさい。良い夜を」

「あぁ、おやすみ。ナターシャも夜更かしは程々にね」

ドットルが談話室をあとにし、部屋に一人殘されたナターシャは椅子にもたれかかった。奇妙な夜だ。先ほどじた違和の正を摑めぬまま、眠くなる瞬間まで、彼が描かれた銀貨を脳裏に浮かべ続けた。

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