《【書籍発売中】貓と週末とハーブティー》6 ハッカさんと真相と

ガシャンッと、いささか暴にカップをソーサーに置いて、早苗は渾のツッコミをれる。

「あれ! さっきのあれなんですか!?」

「部下のミスのこと? 困りますよね、休日に。明日また會社に行くのが嫌になりますよ。いつも嫌ですけど」

「その気持ちは共度100%ですが違います! そっちじゃなくて! さっきのあのモードはなんなのかって聞いてるんです!」

「あ、そっち」

要はポンッと手を打つ。

その気の抜ける様子から、さきほどの彼はもしや夢だったんじゃないかとさえ思う。

白晝夢的な。

しかし、紛れもなくあの要も要であった。

「いやあ、俺って素はこっちなんですけど、これだと社會に出てやっていけないって、姉さんに怒られちゃって」

「お姉さんがいるんですか……?」

「うん。世界中を飛び回っていて、今はメキシコにいる寫真家の姉が一人」

「メキシコ……」

なんとなく、キャラが濃そうな気配を早苗はじとる。

「現に就活の段階で、このままの俺だと慘敗したんですよね。まあ、志機を聞かれて『ダーツでけるとこ決めました』はさすがにマズかったかなって……」

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「どんだけ適當なの!? 就活舐めてます!?」

「だから姉さんにとことん鍛えてもらって、あのお仕事モードを作り上げたんです。姉さんいわく、俺って基本は用な天才だから、素さえ隠せばイケるって」

そうしたらあっさりと就職先は決定。

しかも要が勤めている會社の名を聞けば、誰もが知っている大手広告代理店だった。

明かされた歳は二十七で、早苗とわずか二歳差なのに出世コースバリバリなところもすごい。仕事でも役立てているらしい要の観察力は、姉の『人をよく見て行しましょう』という教育の賜だとか。

ステータスは非の打ちどころがないので、やはり殘念なのは素の格だけのようだ。

「この家はもとは姉さんが會社員時代、建築家の旦那さんと住んでいた家なんです。旦那さんが事故で急逝してしまい、そこから姉さんは吹っ切れたように好きな寫真の道に走って……ここのハーブ自は、旦那さんが植えていたもので」

「そうだったんですか……」

「最初は俺、社員寮にってたんだけど、それだとあのモードを解除しづらくて。だから姉さんが外國出るときに、ここに住まないかって言われて飛び付いた的な?」

要一人が住むには広すぎる家だと思っていたが、そんな裏事があったとは。

ちなみにカフェ仕様には、要が姉に許可を取って改造したらしい。

人にはいろんな顔があるものだと、早苗はしみじみる。

そう……顔といえば。

「ハッカさん、つかぬことをお聞きしますが」

「はい。つかぬことをお聞きされますが」

「仕事モードのとき、眼鏡とか掛けていたりします?」

「ノンフレームの眼鏡かけてるよ。伊達だけど」

「伊達なんだ……スーツ勤務ですか?」

「スーツだね。姉さんが選んでくれた、グレーの高級スーツ。あれ著ると背筋が自然とびて助かっています」

「…………朝の出勤ルートで、『アンゼリカ』って名前のマンションの前とか通りますか」

「あー、通る通る。アンゼリカもハーブの名前だから、いつもマンションのプレート見かける度に、今度あれも育てようか悩むんだ」

アンゼリカは早苗が住んでいるマンションの名だ。

ハーブ名だとは知らなかった。

『天使』を語源とするアンゼリカは、様々な効果を持つ聖なるハーブとして古くから重寶されている。かなり長するので、びて2m、葉も大きい。

アンゼリカティーは香りが強く苦みがあるが、発汗作用があっても溫めてくれるので、風邪のときにはおススメである。

――――そしてやはり。

「完全にハッカさんがスーツさん……!」

早苗は衝撃で、椅子に座ったままよろめいた。ウッドデッキの上でガタガタッと音が鳴る。

「わ、大丈夫ですか早苗さん」と驚く要は、で付けた髪がぴょんぴょんと再び跳ね出し、なんとも間の抜けたじになっている。

「すみません、俺がなにかしちゃいました?」

「いえ……ハッカさんはなにも。ただ私が、勝手にスーツさんに夢を見ていただけで」

「スーツさん?」

「てっきり彼は、24時間きっちりしていて、プライベートを充実させつつも仕事が大好きな、己の業務に生きる男的なイメージを持っていたので……」

「え、なんですかソイツ。怖っ」

自分のことだとはつゆ知らず、要は軽く引いている。

「そんな男、俺はなれそうにもないなあ……。だって俺、出勤は玄関を出たところからすでに帰りたいし、會社に宇宙人が襲撃してきて上司が人質に取られないかなってよく妄想するし、理不盡な取引先の口にアーティチョークを詰め込んでやりたいとかいつも思ってるし。あ、アーティチョークは超苦いハーブね。これも二日酔いに効くよ」

「さっきの電話の部下の人が、こんなハッカさんを見たら腰抜かしそうですね……」

早苗はもう乾いた笑いしか出ない。すると、急に要がしゅんとした顔をした。

「……やっぱり早苗さんも、こんな周りに噓ついて生きているようなやつ、嫌ですよね。俺なんか極端すぎて、ほとんど詐欺みたいなもんだし」

早苗さん『も』ということは、要はかつてこのオンオフの激しさで、誰かになにか批判されたことでもあるのかもしれない。

彼の口調には、妙な実がこもっていた。

確かに早苗はスーツさん=ハッカさんと知って、ほんのちょっぴり夢が終わってしまったじで、ガッカリしたとこもある。そこは否定しない。

だけどそんなもの、こちらが一方的に理想を抱いていただけだし、他人にどうとやかく言われようと、それが彼の処世なら別にいいじゃないかと早苗は思う。

平日のスーツさん。

休日のハッカさん。

どちらも要であることは間違いない。

「嫌だとか詐欺だとかは、私はじませんから。むしろあれです、ほら、ハーブティーみたいでありですよ」

「ハーブティーみたい……?」

「この一杯のミントティーだけでも、いろんな効能があるわけでしょ? 一粒で二度おいしい……というか、一杯で二度おいしくて、ハッカさんも素のゆるい癒し系な面と、頑張って仕事しているクールな面と二つあって、それでり立っているんですから。他人の評価なんて、半分は聞き流せばいいですよ」

まあそう言いつつ、気にしてしまう気持ちも、早苗にだってよくわかるのだが。

それでも彼が気に病む必要はないはずだ。

ワゴンにもたれてほの暗い影を落としていた要は、早苗の言葉にタレ目の瞳を瞬かせる。

それから、眉をへにょりと下げて笑った。

「ありがとうございます、早苗さん。カッコいいですね」

「思ったことを言っただけなんで……別にカッコよくはありません」

「カッコいいですよ。さすが、ミントが連れてきた『特別なお客様』だ」

特別なお客様?

気になる言い回しだったが、機嫌よく機の上の片付けを再開した要に、早苗は追及する気はおきなかった。

それから一度カウンターの奧に引っ込んだ要は、サービスですと言って、お持ち帰り用のクッキーまで用意してくれた。三種ほどのハーブを練り込んであるという。

しつつもクッキーをけ取り、そろそろ立ち去ろうと、早苗は席を立つ。

「今日はありがとうございました……あの」

「本日はありがとう……えっと」

向い合わせになって頭を下げようとしたら、タイミングがかぶってしまった。

「ハッカさんからどうぞ」「いやいや早苗さんから」と譲り合い、なぜか「せーの」で一緒に言うことに。

「――――このカフェが気にったので、また來てもいいですか? 今度はちゃんと、普通の客として」

「――――俺が早苗さんを気にったから、また來てくれますか? 今度もまた、特別なお客様として」

晴天の空の下に、一瞬沈黙が落ちる。

自分と同じことを言っているようで、微妙に違う要の発言に遅れて気付いた早苗は、「は!?」と頬を赤らめた。

「き、気にったってなに……!?」

「あ、すみません。また電話が…………何度もかけてくるな、なんだ。は? それはうちの管轄じゃないだろう。他課の仕事まで無理して請け負う必要はない。突き返せ。文句を言うなら俺を通せと伝えておけ」

即座にスーツさんモードに切り替わった要に、早苗の頬の熱もスウッと冷めていく。

こっちの要はこっちの要で、むしろ早苗のタイプにドストライクなのだが、なにぶんこの変わりにはまだ慣れない。

トコトコトコ……と、食事タイムが終わったからか、ミントが早苗の足元にやってくる。

「……あなたのご主人様って、面白い人だよね」

「にゃあ」

だろう? と同意するように、ミントが三尾を振った。

し早い夏の風が、葉っぱの方のミントの香りを散らす。早苗はそのすがすがしい香りを吸い込みながら、そっと要の端正な橫顔を覗いた。

なくとも來週からの週末は、一人きりの虛しい時間ではなくなりそうだと思いながら。

【ねこみんと 本日のおまかせコース】

・二日酔い回復ブレンド

(ペパーミント+レモングラス)

・リンゴとカモミールのパウンドケーキ

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