《【書籍発売中】貓と週末とハーブティー》1 プレゼント選びと反抗期の年と
――――その年はとぼとぼと歩道を歩いていた。
母親と喧嘩をしたすぐ後だからか、さを殘す顔は暗い。
夏もいよいよ終盤に差し掛かり、夏休みもあと一週間。
本來であるならば、年はクーラーの効いた涼しい部屋で、殘った宿題を片付けていなくてはいけなかった。
しかしやる気が起きず、新作RPGを延々としていたら、母親に『ゲームのしすぎ』といってゲーム機を取り上げられた。それで思わずキレて言い合いになり、そのまま家を飛び出してしまったのだ。
今年で小學校三年生になる年は絶賛反抗期中で、母親に対してとにかく噛み付いてしまう。
おまけに年の家庭事は々複雑で、母親は年を生んだ本當の母親ではなかった。生みの親はすでに病気で他界し、そのあとに父が再婚した相手が現在の母だ。
しかもその母は、金髪青目の超人。
生粋のイギリス人である。
のっぺり顔の父がどうやって捕まえてきたのかといえば、職場が一緒で仲良くなったから。年の父は高校の數學教師で、母親も同じ學校の英語教師だ。
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「オレは悪くないし……ちょっと言い過ぎたとか、思ってないし」
當てもなく歩きながら、アスファルトに向かって言い訳をする。
年は決して母が嫌いなわけではない。
し口うるさいところはあるが、基本的には明るくてパワフルな母を、のつながりがなくとも家族としてけれている。
ただ、反抗するようになった原因がひとつあって。
「にゃあ」
「……ネコ?」
その原因を思い出してイライラしたり沈んだりしていたら、足下から聲が聞こえた。いつのまにか一匹の三貓が年の足元にじゃれついている。
ふりふりと揺れる尾は年をっているようで、お子様な彼はすぐに飛び付いた。
「なんだ、野良貓か? あれ、でも首がついてる。どこから來て……あっ!」
しゃがんで首のタグを見ようとしたのに、貓はしなやかな肢をひねって駆け出した。
年がギリギリ追い付けるくらいの速度で、その三貓はトットトと道路を渡って、曲がり角に消えようとしている。
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「待って……!」
咄嗟に、年はその揺れる尾を追いかけた。
※
もうじき夏も終わりの、とある土曜日の晝下がり。
週末カフェ『ねこみんと』にて。
現在ただ一人のお客様である早苗は、ウッドデッキの席で晴天の下、ペンを片手にノートを広げて悩んでいた。
「ねえ、ハッカさん。友達や家族とか大事な人へのプレゼントなら、自分の好きなや、相手の好みのをあげればいいじゃないですか」
「ですね。俺も有給休暇もらえたら嬉しいな」
「それは上司にねだってください……そう、上司。嫌いな上司へのプレゼントなら、いったいなにを渡せばいいのでしょうか」
早苗は投げやりにボールペンを転がす。
そのペンをさりげなく避けて、テーブルに本日のデザートである『レモングラスのシャーベット』を置いた要は、「えーと」と首を傾げた。
「早苗さんの上司っていうと……あの早苗さんを目の敵にしている、ウルトラムカつく?」
「そうです。そのウルトラムカつく上司に、です」
なんでも同業者間で開かれたゴルフ大會で、早苗の直屬のウルトラムカつく上司が、會社の名前を背負って優勝したそうだ。
それで営業課でお祝いのプレゼントを渡そう……という流れになり、プレゼントの買い出し擔當に、早苗が任命されてしまったのである。
「最初は私の擔當じゃなかったんですけどね……本當は後輩のわんこが擔當だったんですが」
「わんこ? 早苗さんの會社、犬を飼ってるの?」
「あ、すみません。それあだ名です。限りなく犬に近い人間です」
わんこな善治は、新規取引先と々厄介な案件の真っ只中。
そこに面倒なミッションを加えたら、さすがに可哀想かなと仏心を出した早苗が、仕方なくプレゼント選びを引きけることになったのだ。
つまりは、自ら貧乏クジを引いた。
案件の方でいっぱいいっぱいな善治は、「うう……ありがとうございます、早苗せんぱい! そういうとこが二度惚れます!」と冗談を言って泣いていたが。
早苗も「惚れ直したなら高級店の焼おごってね」と冗談で返しておいた。
「引きけたからにはきっちりやりますけど……嫌いなやつに喜んでもらえるプレゼントって、地味に考えるハードル高いです。出來ればプレゼントしたいのは回し蹴りですから」
「でもこれはチャンスかもしれませんよ? ここで好度を上げて、いっそ上司と仲良くなっちゃうとか」
「仲良く、ですか」
私とアイツが? と、早苗は渋面を作る。
「俺の姉さんも言っていました。『どんな理不盡で嫌な上司だろうと、所詮は一個人。所詮は人間。己が働きやすい職場にするには、相手に取りって隙あらば懐すべし』って」
「お姉さん、たくましすぎる……」
さすがはゆるいハッカさんを、バリキャリのスーツさんにまで創り上げた傑だ。
寢癖のついた髪を跳ねさせながら、要は「プレゼント候補はあるんですか?」と首を傾けた。
「それが今のところ皆無なんです。消えが一番かなとは思うんですが、定番のお菓子はあのウルトラムカつく上司、嫌いなんですよね。甘いもの全般ダメとか、どっか行った際に土産選ぶのも大変だっての」
「あーみんなまとめて渡せないの、地味に困るよね。わかります」
「そうなんですよ! 面倒くさい! けど直接上司には聞き辛いんで、周りにリサーチれたんですが、仕れたのはまったく関係ない無駄な報で……」
「報に無駄なものは何一つないですよ? ぜんぶ有効です」
「それもお姉さんのけうりですか? けど上司が奧さんと最近不仲で、原因は奧さんの更年期のイライラらしい……とか、知ってどうするんだってじです」
早苗は「はあ」と深い溜息をついた。
溜息をつくと幸せが逃げるというが、その程度で逃げる幸せなら見送ってやると早苗は思う。
「ふむ…………ここは『將をんとすれば先ず馬をよ』作戦が適切か」
「え」
機にもろもろを並べ終えたところで、要が鼻の上辺りを中指で押さえた。眼は鋭く、貓背がびているので、束の間のスーツさんモードだ。
「うん……ここは俺にも案を出させてください、早苗さん。いいプレゼント、考えます」
「は、はあ。それは有難いですけど」
「さ、この話は後にして、まずはシャーベットをどうぞ。溶けちゃうよ」
早苗はいったん思考を中斷し、テーブルに広がるメモやペンを片付けた。
ハッカさんモードに戻った要に勧められるがまま、レモングラスのシャーベットを一口。
「あー……生き返る」
ひんやりした冷たさのあとに來る、まろやかな酸味が舌にやさしい。外の熱で茹でられたと、オーバーヒートしかけていた脳を気持ちよく冷やしてくれる。
今日のような蒸し暑い日にはぴったりのデザートだ。
「レモングラスって……前にミントティーにブレンドしていたやつでしたっけ?」
「正解。うちにもわさわさ繁ってる、イネっぽい背の高い草がレモングラスね。葉が鋭いから、カットするときは気を付けないと危ないよ。手をスパッと切っちゃう。超痛い」
「切ったことあるんですね……ああ、あれですか」
早苗はチラッと後ろを振り返った。
このカフェスペースからは、周囲の緑がいろいろと見渡せる。
最初に來たときは雑草かと思った緑たちも、今はすべて立派なハーブなのだと理解できる。
「前に消化に効くって説明したけど、レモングラスは抗菌作用もかなり強いから、風邪やインフルエンザ予防にもなります。葉を浴槽にれたらおにもいいよ」
「香りがいいですもんね、シャーベットもおいしかったです」
「じゃあそろそろ本日のハーブティーの登場です。今日のはちょっと、早苗さん驚くかもよ?」
そうイタズラっぽく笑って、要はいったんカウンターの方に引っ込んだ。
程なくすると、ティーセットを乗せたワゴンをガラガラと押して戻ってくる。ガラス製のポットの中を見て、早苗は「わ」と小さく歓聲をあげた。
「すごい、綺麗なですね!」
本日のハーブティーは、雄大な海を思わせるブルー。
ハイビスカスティーの鮮やかな赤にも驚いたが、見たときの衝撃は、早苗的にはこちらが上だ。
青いお茶なんて、どんな味がするのか見當もつかない。
「今回はホットじゃなくてアイス。水出しね。いろいろ面白いハーブティーなんだけど……」
ポットを手に取り、要がティーをカップに注ぎながら解説しようとしたときだった。
レモングラスの葉たちがガサガサと揺れる。
かと思いきや、パーティーでクラッカーでも引いたように、草場からポーンッと貓が飛び出した。
本日はどこかにお出かけ中だったミントである。
「ミントっ?」
「派手な登場だね。どこに行ってたの?」
要の問いに答えるように、華麗な著地を決めたミントが「にゃあ」と鳴く。その聲に重なるように、「おい、待てっ! 待てったら!」と、元気な男の子の聲が追いかけてきた。
草が先ほどよりもっと大きくざわめき、次いでミントの後から現れたのは、まだ小學生くらいの一人の年だった。
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