《【書籍発売中】貓と週末とハーブティー》1 真夜中の遭遇と不審人

暑かった夏も過ぎ去り、秋も深まり出したとある金曜の夜。

早苗はにこにこと満面の笑顔で、家へと続く夜道を歩いていた。

「まさかあのウルトラムカつく上司が、私のことを素直に褒めるなんてね。お壽司も最高においしかったし、今日は最高!」

ヒールで歩く足取りは軽く、いまにも鼻唄を口ずさみかねない上機嫌っぷりである。

それもこれも、會社で敵対している例の上司が、本日はじめて、早苗のことを認める発言をしたのだ。

売り込みたいのだが、いまひとつ売り上げのびなかった新商品を、早苗は率先して擔當し、大口の契約をねばってねばって取り付けてきた。しかも、こちらにかなりの好條件で。

この功績には営業課をあげての大盛り上がり。

萬歳三唱で稱えられた。

さすがのあの上司も、早苗を「よくやった」と労り、なんと回らない高級壽司屋の特別ご優待券をくれたのである。

早苗は驚き過ぎて、券を持つ手が震えたものだ。

頂いた券は三枚しかないため、早苗は仕事終わりに善治と子をって、先ほどまでとろける大トロやぷりぷりの車海老などをぞんぶんに味わっていた。

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この二人には、直接ではないにしろ、細かい面でサポートしてもらったお禮もかねてである。

ガリやあがりもどことなく特別な味わいをじるなんて、高級な壽司屋はすごい。

「おいしすぎて、犬飼ったら泣きかけてたもんなあ……アイツよく泣くよね。子はいくらばっか食べてたし。あー、私もまだ口の中が幸せ。それもこれも、ぜんぶハッカさんのおかげかも」

いつもより大きな獨り言をこぼし、黒い空にぼんやり張り付く月を仰ぐ。

今夜は満月。

真ん丸な黃い円の中に、要のゆるい微笑みを思い浮かべる。

彼は『ねこみんと』で早苗の愚癡を聞きながら、取り組み中の早苗の仕事が上手くいくように、ときには心を落ち著け、またときには集中力が上がるハーブティーやハーブデザートなどを毎週チョイスし、ゆるく勵まし続けてくれた。

不可能に近い取り組みでも諦めず、最後までまっとうできたのは、要の存在がちょうどいい息抜きになっていたからだろう。

あともうひとつ、要への謝ポイントはある。

今日の素直に褒められたことといい、ウルトラムカつく上司の早苗への態度が、ここ最近、ほんのわずかだが化してきていた。

それはおそらく、いつぞやのゴルフ大會のお祝いに、早苗が上司にプレゼントとして渡したものが関係している。

渡したのは、『レッドクローバー』というハーブの茶葉と、ペアのティーカップのセットだ。

カップは男、どちらでも使いやすいシンプルなデザインのものを選び、「よかったら奧さんと一緒にこのお茶を飲んでください」と勧めた。

『レッドクローバー』ことアカツメクサは、幸運の印として有名な四葉のクローバーの一種だ。

エストロゲンというホルモンに似た分を含むため、特有の癥狀に有効で、レッドクローバーティーは荒れやニキビ、更年期のケアにも効く。飲み心地も比較的穏やかな癖のない味なので、には特にオススメのハーブティーである。

もちろん、この茶葉をプレゼントするよう、早苗にアドバイスしたのは要だ。

「ウルトラムカつく上司の奧さんは、更年期でイライラ中なんだよね? それが原因で夫と喧嘩しているなら、奧さんの方から攻めるプレゼントでどうかな?」――――と。

ハッカさん、いや、スーツさんいわく『將をんとすれば先ず馬をよ』作戦である。

目論みはどうやら、じわ……じわ……と効果を発揮したようで、上司は奧さんとぶつかることが減ったらしいと噂で聞いた。

奧さんのイライラが心なしか収まってきた、と。

それにともない、上司の方にも気持ちに余裕が生まれたのか。あるいは奧さんのイライラ緩和は、早苗がプレゼントしたハーブティーのおかげだと理解しているのか。

とにもかくにも、早苗への嫌味な態度が、ちょっぴりマシになったのだった。

「……そうだ、せっかくだしハッカさん家、通ってみようかな」

気紛れでそんなことを思い付き、早苗は真っ直ぐ進めていた足の方向を変える。あの緑あふれる洋館にまだ燈りがついているか、なんとなく見に行こうと考えた。

深夜遅くまで持ち帰りの仕事か、はたまたゲームをしていないといいけれど……。

「あれ?」

そんな懸念と共に、ハッカ宅のフェンスのところまで來たら、早苗は門の前で誰かが立っているのを見つけた。

暗くて顔はよく見えないが、シルエット的におそらく長は150センチあるかないかくらいで、全的に隨分と小柄だ。パーカーにタイトパンツで、格好はラフである。

まさか中高生だろうか。

その場合、二十二時を過ぎたこの時間に、外を出歩いているのはあまりよろしくない。

大人の責任として聲をかけるべきか、悩んで早苗は立ちどまり、離れたところから様子を窺う。

その人は、なにか四角い箱のようなものを両手で構え、要の住む洋館をじっと見上げている。

「あれは……カメラ?」

――――まさか、要のストーカー?

真っ先に早苗の脳裏を過ったのは、実に不穏な発想だった。

耳を研ぎ澄ませば、カシャッカシャッと、シャッターを軽快に切る音も聞こえてくる。

……素の中はどうあれ、顔がモデル並みにいい要のことだ。

例えばだが、ご近所の子中學生や子高校生が、たまたま要を見かける機會があり、一目惚れして、家を突き止めてここまで來た……とか、わりと有り得そうではないか。

行き過ぎた慕で、好きな相手の住処を寫真に収めているところかもしれない。

「あ!」

一通り撮り終えたのか、暫定ストーカーはカメラを下ろし、うんうんと満足そうに頷くと駆け出した。早苗は反的に呼び止めようとしたが、足が速く、あっという間に見えなくなってしまった。

「これはちょっと……ヤバそう、だよね?」

早苗は呆然と立ち竦んだまま、暫定ストーカーが消えた先を見つめる。走っていなくなるところもますます怪しい。

まさかの事態に、幸せ気分も一気に吹っ飛んでしまった。

とにかく明日……ハッカさんにこのことを伝えなくちゃと、早苗はぎゅっと拳を握った。

翌日の土曜日。

先週の週末は殘念ながらザアザアの雨降りだったが、今週は青空の広がる秋晴れだ。

いつもなら午前中はたっぷり惰眠をむさぼり、晝食を食べてからのんびり『ねこみんと』に向かうことが多いのだが、昨日のこともあって、早苗は午前十時には家を出た。

……昨晩、家に帰ってから缶チューハイをあおりつつ、改めて不審人について思い返してみたのだが。

やっぱりあれはどう考えても、悪質なストーカーの類だという結論以外たどり著けなかった。深夜に人様の家をカメラで撮るなんて、どう考えても危ない。

これ以上エスカレートする前に、100%なにも気付いていなさそうな要に、まずは一刻も早く危険を伝えなくては。

「スーツさんモードならまだしも、ゆるだるなハッカさんだからね……」

スーツさんだったら、片手であしらって追い払えそうだけど、ハッカさんは所詮ハッカさんだ。

勝手に家に侵されてもあっさりれ、『あ、いらっしゃいませ。今お店はしまっているんですけど、とりあえず上がっていきます?』なんて。

ストーカーのみならず、よくない宗教勧や押し売りに強盜まで、普段通りの調子でのほほんとハーブティーを振る舞いそうだから心配である。

あまつさえ、デザートにお代りまで勧めそうだから目も當てられない。

要への失禮な想像をしつつ、早苗はいつもより長くじる道を早歩きで進む。ストーカーにハーブティーを飲ませる前に止めなくちゃと意気込んで。

そしてようやく、昨日も訪れたハッカ宅の門の前まで辿り著いた。

「ん?」

しかしそこで、いつもと違う點に気付く。

「これは……看板の上になにか……?」

アイアン調の門の取っ手には、『ねこみんと』が営業中のときは常に紐でかけられている、貓の顔をかたどった木製の看板があった。

それに変わりはないのだが、本日はその看板の上に、橫長の白いプレートがペタッとくっついていたのだ。

そのプレートには、要が書いたらしいゆるーい文字で、シンプルに一文。

『本日貸切り。

ごめんなさい、また來てね』

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