《【書籍発売中】貓と週末とハーブティー》2 看病と置き去りのレシピと
なにこれ、なにこれ!?
顔を恥で染めながら、早苗はパニックにおちいっていた。
らかな黒髪が頬を掠め、熱い吐息が耳にかかる。覆い被さる要のは、上背があるぶん細のわりに大きくて、早苗は見事にすっぽり収まってしまった。
はたから見れば、人同士の抱擁のように映るかもしれない。
これはいったい全、なにが起きているのだろうか。
「あ、あの、ハッカさん……!?」
「本當にごめん、早苗さん……」
要がいつもより掠れた低い聲で、早苗の耳奧を震わせる。
「俺、もう……」
「も、もう?」
「もう……ムリ……………しぬ」
「ハッカさんんんん!?」
しかしながら、ドキドキタイムはそう長くは続かなかった。
要は早苗を抱き締めたまま、力が抜けたようにズルズルと崩れ落ち、そのまま倒れかけたのだ。早苗を巻き添えにして。
乙スイッチのっていた早苗は我に返り、ヒールでなんとか踏みとどまる。
「ハッカさん待って! 重い! けない! なんとか部屋にるまでは頑張って!」
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「どうか俺の代わりに……上司に、復讐を……」
「言殘さないで! 復讐は自分でしてください!」
「ああ、ほら、早苗さん見て。羽の生えたミントが迎えに來てくれていますよ……」
「それついていっちゃダメなやつだから!」
早苗は辛うじてかせる手で、要の背を叩いて彼の意識を現世に戻そうとするが、要は熱に浮かされ幻覚を見ている最中だ。「ミントがコサックダンスを踴ってる、面白いなあ」などとうわ言を呟いている末期狀態である。
羽も生えていなければコサックダンスも踴っていないリアルなミントは、すでにドアの隙間から室にり、早苗に向かって尾を振っている。
「にゃあ」
「早くご主人を連れてこい……って、催促している気がしなくもない」
こうなったらと、早苗は最終手段を取ることにした。
「ハッカさん……いえ、『羽塚さん』」
「ん……?」
要がピクリと反応する。
早苗は続けて、なるべく事務的な聲音を使い、「あなたの仕事は、きちんと部屋に戻って寢ることです。ちゃんと業務をまっとうしてください」と、暗示のように繰り返し唱えた。
儀、『強制的にスーツさんモードに切り替えさせて、意識を保たせよう作戦』である。
「仕事……業務……可及的速やかに実行しなくては……」
「そうです、さあ離れて。回れ右」
「ああ……」
なんとか現世に帰ってきた要は、早苗を解放すると、覚束ない足取りで玄関から部屋を目指して歩みはじめる。
……くっついていたぬくもりが消えて、ほんのし名殘惜しいなんて。
そんなことを無意識のうちにじながらも、早苗は「お邪魔します」と小さく告げて、要の後を追いかけた。
「はあ……やっと寢てくれた」
どうにか要を寢室まで導し、ベッドに押し込めることに功した早苗は、ふうと息をつく。
さすがに人男を、が一人で運ぶのにはムリがあったので、咄嗟の作戦が上手くいってよかった。質のいいシーツの上に橫たわる要は、死んだように端正な寢顔を曬している。
布団をかけ直してから、早苗は改めて室を見回した。
目立つものは、木製のクローゼットに、なにも置かれていない機、それからこのベッドと、キャスターつきのサイドテーブルくらいか。実にシンプルな部屋で、おそらく寢るためだけに使っているのだろう。
ただクローゼットの取っ手には、早苗の見慣れたグレーのスーツがハンガーにかけられており、それが『要の空間』というじがして、早苗はなんだかし気まずくなった。
「え、ええっと、氷枕とか冷卻シートとか……なにか探してきますね。おとなしく寢ていてくださいね」
「……うん」
まだぼんやり起きていた要が、小さく「ありがとう、ごめんね」と呟く。
早苗は「気にしないでください」と返して、どこか逃げるように部屋を出た。
「なんか……調子狂うな」
せめてミントでも傍にいてくれたら、弱った要と二人きりで、ここまで変に張することもないのに。
あの貓は要たちが寢室に著いた瞬間、「じゃ、あとはよろしく」といった態度で、トトトッと走ってどこかへ行方をくらませてしまった。
鞠もミントも、早苗に要を任せすぎである。
「普段お世話になっているし、別にいいんだけど……」
不意に先ほどの抱擁を思い出して、早苗の頬はじんわり熱くなる。
――――そもそも自分と要は、今さらだがどんな関係なのだろう。
普通に考えれば、ただの客とお店の店主。
しかも週末にしか會わない、言葉にするとずいぶんと稀薄な関係だ。
だけど、それだけじゃないような。
それだけだと……寂しいような。
度しがたいごちゃついたが、早苗のをぎゅうぎゅうと締め付ける。
今はまだ、そんな想いに気付きたくはなかった。
気づいてしまったら、あの心地のよい空間で、二度とハーブティーが飲めなくなってしまうような、そんな嫌な想像をしてしまったのだ。
ふるふると首を振って、早苗は思考を切り替える。
「……キッチンを探そう。ハッカさんの看病しなきゃ」
といっても、捜索しようにもこの洋館は広い。
裝も外裝に違わずカントリー調で、ところどころ見かけるインテリア品は鞠たちが住んでいた名殘か、とてもアーティスティックでおしゃれなのはいいのだが。
とにかく部屋數が多くて困りものだ。
要の寢室がシンプル過ぎたのも、仕事をする部屋やくつろぐ部屋が、きっとそれぞれ別なのだろうな、と早苗は推測する。
「とりあえずキッチンは普通一階だよね」
階段を下りてしばしさ迷えば、目論み通りダイニングキッチンを見つけられた。當たり前だが、カフェスペースのキッチンよりでかい。
四人がけのテーブルの上には、菓子パンの袋と市販の風邪薬の箱がおいてあり、要がここで簡易的に食事を済ませたことがわかる。
お晝に薬は飲んでいたようだが、まだ効き目は出ていないみたいだ。
そしてキッチン臺には、見知った明なティーセットに、ハーブティーのレシピメモ。
薬を飲んだがなかなか寢付けず、要がみずから淹れて飲もうとしていたものだろう。
「……レシピさえあれば、私でもハーブティー、作れるかな」
お店の方から持ってきたのか、三種のドライハーブの瓶を睨み、早苗はレシピを手に取る。
貓の球マークりのメモ紙には、要のゆるゆるな文字で『風邪回復ブレンド』とあり、スプーンでどのハーブをどのくらいぶん調合したらいいのか、きちんと記されていた。
これに沿って作れば、なんとかイケるかもしれない。
ラベルに書かれているのは、『リンデン』、『エルダーフラワー』、『タイム』。
どれも聞いたことのないハーブだ。
改めてこんなに種類も効能も富なハーブたちを、細かく把握して、おいしいお茶に変えている要はすごいなと、早苗は尊敬の念を抱いた。
レシピを読み返し、要がいつものカフェスタイルで、『ねこみんと』でハーブティーを淹れている姿を思い返す。
「よし」
冷蔵庫をあされば、氷枕はなかったが冷卻シートは発見。要があとで食べようとしたのか、作りおきのお手製ヨーグルトもあった。ミントの葉が乗っていて、ちょっと胃にれるのにはよさそうだ。
これらと合わせて、風邪に効くハーブティーを持っていこうと、早苗のはじめてのハーブティー作りが幕を開けたのだった。
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