《【書籍発売中】貓と週末とハーブティー》6 彼の話と要の言葉と

「公園なんて、大人になってから來るのすごく久しぶりだわ。早苗さんは、ここの公園來たことある?」

「いえ……通りすがったことはありますけど、ったことはなかったです」

「そう、じゃあ一緒ね」

にこっと微笑んで、千早はブランコの傍のベンチに腰かけた。

早苗も倣って隣に座る。張のためか、一時的に二日酔いの辛さは吹き飛んでいる。

要の家からほどほど歩いたところにあるこの公園は、小さく廃れていて、日曜日の晝間だというのに子供一人いなかった。遊も錆びたブランコに砂場だけなので、今どきの子はこんな場所では遊ばないのかもしれない。

だけど早苗は、ポツンと俗世から切り離されたこの靜かな公園が、要の庭のカフェスペースを思わせて、どことなく落ち著いて嫌いではなかった。

「まずね、きっと誤解しているだろうから伝えておくけど。私と要さんは、もともと同じ職場の同期ではあったけど、別に人とかではないの。勘違いさせて嫌な思いをさせたならごめんなさい」

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「あ、いえ。その、私も別にハッカさ……要さんとは、人同士ではないので」

「? そうなの? 要さんがあなたのことばかり気にしていたから、私ったらてっきり……」

驚いたように、千早は細く白い手を口元に當てる。

その様子から、千早はまだ要に未練があって、わざわざ早苗をけん制しようとここにった……というわけではなさそうだ。

でもまだ真相はわからないので、の腹の探り合いなんて苦手分野な早苗は、もう開き直ってズバッと聞くことにした。

「あの……さきほど、人ではなかったとおっしゃいましたけど、要さんに気はあったんですよね? 今はそうではないんですか?」

「ん? ふふ、それはないから大丈夫よ。私、現在お付き合いしている人が他にいるし。昔だって要さんへの気持ちは、純粋な好意ではなかったから」

そういえば電話で鞠も、『あれは純粋な好意というよりは……』と、濁すように千早のことを語っていた。下から早苗の顔を窺うように、千早は「ちょっと私自の話をしてもいい?」と聞いてくる。

千早のに付けている香水だろうか、甘い花のような香りにわれるように、早苗はコクンと頷いた。

「私ね、家がとっても厳しくて、母も父も兄も、お堅い職業に就いている見栄っ張りな人たちだったから、なんでもかんでも制限されてきたの。學校も、習い事も、友達も……『この家の娘にふさわしいもの』を勝手に選ばされて。それは家を出て就職してからも続いてね。このままだと結婚相手まで決められちゃいそうで、そうなる前に自分で、両親が納得する『完璧な人』を探そうって考えたの」

「完璧な人、ですか」

「そう。とにかく両親が気にってくれそうな、完璧な人。そんなことを考えている時點で、私がそもそも親の押し付けから逃げられていなかったんだけど。そのときはただ、條件を満たす人を探すことに必死だった……それでね、要くんを見つけたの」

千早の目から見て、スーツさんな要は、すべての條件に見合う完璧な人だったという。

仕事が出來て、容姿が整っていて、プライベートも隙がなくて。

……真実を明るみにするなら、プライベートは隙だらけなのだが、社宅時代でオフでも気を張っていた要は、なるほど列挙してみれば、非の打ちどころのない男だ。

「だけど……アポなしで一度、仕事関係で、要さんの社宅の部屋を訪れたことがあって」

「もしかして、変Tを著て髪ボサボサで、貓背がヤバくてタレ目全開なあの姿を……」

「うん、別人みたいだった」

踵の低いミュールで、千早が座ったまま小石をえいっと蹴る。飛んでいった小石は、ブランコに當たってギィギィと軋んだ音を立てさせた。

……おそらく要はたまたま、スーツさんモードを解除していたところだったのだろう。

そこを運悪く、千早に目撃されたのだ。

「私は、私の勝手な都合で、『完璧な要さん』がしかった。だからこれ以上ないほどガッカリしたわ。それで、つい本人を前に言っちゃったの……『こんなの要さんじゃない、騙された気分だわ』って」

風邪をひいたとき、要は確か「千早さんにはあんなこと言われちゃったのに」とこぼしていた。『あんなこと』というのはきっと、この言葉のことだろう。

自分の二面に悩んでいた時期に、その言葉はおそらく要のに鋭く突き刺さったに違いない。しかもパートナーとして信頼していた千早からだ。なおさら堪えただろう。

現に千早は申し訳なさそうに、「あのときの要さんの、ショックをけた顔が忘れられなくて」と瞳を伏せた。

そのことを、彼もとても悔いているようだ。

「それから程なくして、私は思うところがあって仕事を辭めて。それ以來、要さんには會っていなかったわ。だけどあの発言に対してずっと謝りたかったの。だからあの貓ちゃんが、たまたまとはいえ、私を要さんの元に連れていってくれたことには謝している」

「あの貓、たまに信じられないくらい賢いんですよ。人間のこと、怖いくらい観察していそうで……」

とにかく侮れないことは確かだ。

それとまったく関係ないし今さらだが、結局ミントはオスなのかメスなのか。

もしオスだったら、三貓のオスの希価値は高いがどうなのだろう……と、つい早苗の意識は逸れていったが、最終的にはどっちでもいいかというところに著地した。

要がハッカさんだろうとスーツさんだろうと、要であることに変わりないように、ミントもオスだろうとメスだろうとミントだ。

「貓のことは置いといて、あの、謝れたんですか? 要さんに……」

「ちゃんと謝れたわ。もう気にしていないからって許してもらえた。それでね、仲直りの印に『お客様』としてハーブティーを淹れてもらったの」

『お客様』の部分をやけに強調して、千早は『タイム』を中心としたブレンドティーを出してもらったのだと言う。

タイムといえば、風邪ひきさん用に早苗が作ったリンデンティーに、加えた覚えのあるハーブだ。咳やの痛みに有効だと要が説明していたが、千早が振るまわれたタイムティーには、別の意味が込められていたらしい。

「タイムって、古くから『勇気』の意味を持つハーブなんですって。ヨーロッパでは戦いの際に、持ち主に勇気を與えるためにタイムを持たされたとか。私がこれから、親と戦いに行くことを話したからね、きっと」

「ご両親と戦うんですか……?」

「今のお付き合いしている彼との、結婚を認めてもらうため。私の彼ね、まったく両親が認めてくれそうにない、高卒で見た目は熊みたいで、年収も高いとはお世辭にも言えない人なんだけど。すごく優しくて誠実で、とても素敵な人なのよ」

青い空を泳ぐ雲を見上げて、『彼』のことを口にした千早の橫顔は、早苗が見た中では一番キラキラしていて綺麗だった。

それは彼が、親がどうとか、外側の完璧さがどうとかなんて関係なく、自分自でその人を選んだからなのだろう。

「でもまさか要さんに、あんな特技があったなんてね。手作りのデザートもおいしかったし、びっくりしたわ。本當は今日、これから私の彼と親に會いに行くから、もう一杯だけタイムティーをもらおうかと思っていたんだけど……早苗さんと話していたら勇気が出てきちゃったから、このまま行くことにする」

「い、いいんですか? まだお店はやっていますし、今からでも……」

「いいの。聞いてくれてありがとうね、早苗さん。お禮にいいこと教えてあげる」

千早はそっと早苗の耳に、ピンクのリップが塗られたを近付けた。その近さと強くなる花の香りに、早苗は妙にドキドキしてしまう。

千早はゆっくりとかす。

「あのね。要さんのハーブティーが想像より効いたから、私、冗談じりにこう言ったの。『また元同僚のよしみで、ハーブティーを淹れてくれる?』って。そうしたら『お客様としてここに來てくれるなら、いつでも』って素っ気なく返されて。そのあとにね――――」

――――続けられた言葉に、早苗は目を見開いて固まった。

次いで、じわじわと這い上がる熱に、耳までほんのり赤くづく。そんな早苗の反応に満足したらしい千早は、軽やかに微笑してベンチから立ちあがった。

「要さんが待っているから、もう行ってあげて。私もそろそろ行かなくちゃ。引き留めてごめんなさい、本當にありがとう。またね、早苗さん」

「あ、千早さん……!」

長い髪を遊ばせて去ろうとする千早に、早苗は迷ったが「がんばってください!」とだけ聲をかけた。もちろんこれから発するであろう、ご両親との戦いに向けてだ。

千早は「あなたもね」と悪戯っぽく笑うと、その場から姿を消した。

「……がんばろう」

殘された早苗も、半分走っているような早歩きで、公園を出て『ねこみんと』を一目散に目指したのだった。

次が最終話です

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