湯あみを終えて主寢室へるとアビゲイルの姿がなかった。

海を一できるテラスへと続く外開き窓から夜風が流れ込んでくる。

「アビゲイル？」

月明かりが赤髪を銀に縁取り、穏やかな風が薄手の寢をはためかせ。

寄りかかることなく手すりに手をおいたアビゲイルは、夜空と溶け合う水平線をまっすぐ見つめていた。

部屋からガウンを取って戻り、その細く薄い肩にかける。

「海風は冷えるだろう」

「旦那様」

そのまま抱き込めば見上げてくる金が、月のように靜かなを湛えている。

「森と同じ音がします」

「森と同じ？」

「はい。魔王のいた森です。ざぁざぁって、葉っぱを風がでる音です」

視線を遠くへとまた戻し、俺のに預けきる背中が信頼と安心を伝えてくると思うのは自惚れではない。けれど同時に、こうして魔王の森を語るアビゲイルはどこか違うところにいるようで、この細いの頼りないにらしくもない不安が沸く。

「魔王は翼もあって飛べたので、時々空から森を見下ろしてました。見渡す限りに広がる木のてっぺんを風が揺らして、ほら、あんなふうにきらきらする波と同じです」

今夜の月は明るくて、打ち寄せる波頭は瑠璃の空が映り込む海に輝きを乗せている。

魔王自のや思考は覚えていないというアビゲイルだけれど、魔王が見ていたものを語るときの口ぶりは魔王を俯瞰して見ているようでいて、しっかりと魔王自の目線だ。

布団の中で居心地のいい場所を探るときのように、自分の前に回った俺の腕に頬を摺り寄せ、首から下げたサファイヤ魔石を片手でいじりながら、また金の視線が俺に戻ってくる。

「月の周りのは、波の間の海のと、それから旦那様のと同じです」

視線を絡ませたまま、もっとよく覗き込むように首を傾げて。

「森の泉とも同じです。鏡みたいに空を映して、若い葉っぱの緑がちょっとだけ溶けてる」

魔力量の多い者の瞳は、の濃度を変えて炎のように揺らぐ。揺らぎの幅が大きいほどに、魔力量を重視する貴族の間では特に稱賛されるもので、俺自そう稱えられるのは珍しいことでもないから慣れているはずなのに。

「魔王は、しょっちゅう空や泉をじっと眺めてました。ずーっとです。その間はなんにも食べないくらいで、あ、でも襲ってくる魔は一口でぱくんとしましたけど」

「お、おう」

「私はきらきらとかぴかぴかが好きですから、きっと魔王の時も好きだったのかもしれません――どうしましたか旦那様」

「いや――なんでもない」

俺のだといってサファイヤ魔石を気にってるのは知っている。綺麗だとかしいだとかそういうのはわからないと言いつつも、好き嫌いがはっきりとしているアビゲイルの言葉は、時々こうして不意打ちのように俺を恥で悶えさせる。なんだって俺の方が顔を熱くさせているんだ！

海風が頬を冷やすようにでていく。すっぽりと腕の中におさまったままで見上げてくる金は、強く艶やかに味を変えて揺らいでいる。金はの濃度差があまりないだからわかりにくいけれど、きっとこの小さなに包する魔力は俺のそれより強く多い。思えばアビゲイルが魔王の生まれ変わりだと、早い段階で理解できたのはこの魔力量がじられたからというのもある。アビゲイルに言わせれば、魔力は魂に紐づいているものだからだそうだ。

「今、君のの魔石を探してる」

「私のの魔石」

「そう、金よりも魔石の方がずっと君のになるだろう？見つけたら、そうだなぁ、俺は剣を持つから指は常時つけていられないし、ピアスにでもしようか」

「私が旦那様のを持つのと同じに、旦那様も私のを持つのですね」

「うん。俺は君の夫だからな。だけど、君のほど綺麗な石はなかなか見つからない」

「綺麗、ですか」

ロングハーストでは、貶められたことこそあれ、褒められたことなどないだろう。もちろんこっちに來てからというもの、タバサをはじめ母からだって何度でも綺麗だと言われ続けているし、俺も俺なりに言葉を惜しんでたつもりはない。だけどどうしたって、アビゲイルにはなかなかぴんとはこないようだった。

晝間の襲撃者たちが放ったような罵倒をずっとけていれば、綺麗だとかそういったが育つわけない。

それでも俺のが好きだというアビゲイルが、自分のも好きになってくれはしないだろうかと思う。

「旦那様」

わずかに眉を下げて俺を呼ぶ聲がし沈んでいて、俺の心臓までざわりとする。

今日はロングハーストからの襲撃まであった。いつも通りに気にしていないようだったけれど、普通ならあんな罵聲を浴びて平常心でいられるわけがないんだ。

冷たい風がしでも當たらないようにと抱え込む。

「――どうした？」

「やっぱりサーモンはどこにいるかわかりません」

「さーもん」

「はい。山とか森ならわかりますのに、海はわからないみたいです。魔っぽいなぁっていうのが大どのあたりにいるかはわかるのですが、サーモンは……」

「お、おう。そりゃあ……殘念だったな……」

アビゲイルは、なかなかないほど殘念そうにため息をついた。そうかー。サーモン探してたのかぁ。ジャーキーもスモークサーモンも大好きだもんな。サーモンはすごいとも言ってたもんな。

「はい……十匹は捕まえたかったのに」

「多いな？」

「私と旦那様と、タバサとロドニーと護衛と、者と」

「アビー、サーモンは一人一匹じゃなくていい」

「えっ」

ほっとの奧がほどける覚にまかせて、細くらかいをもう一度抱きしめる。じわじわとわき腹が痛くなってきた。一人一匹て。

「くっ、ふっふふふ……そ、そうだな、船にも乗ってみるか？さほど沖までは出られないだろうが」

「船！あの！あの辺にある船ですか！」

「ああ、うちの事業で使ってる船もある」

「わぁ……船に乗るの初めてです！」

わあ、わあ、と呟いてるのがしくて、どうやら跳ねたいようだけれど離せない。

「明日ですか！明日乗りますか！」

「あー、天気が良ければな」

「良いです！明日のお天気は良いです！早起きですか！」

「うんうん」

あー、うちの小鳥可い。

「じゃあ早く寢なきゃいけません！旦那様！ベッドに行きます！閨をします！」

「うんう、いや、んん？」

ぐいぐいと腕を引かれるままに、部屋に戻って寢臺に座らされた。

アビゲイルはぴょんと飛び乗ってちょこんと膝を揃えて座って両手を広げて。

「妻は！旦那様にお任せすると習いましたので！どうぞ！」

うん。ほんと俺の妻はらしくて凜々しい。知ってた。

stay, stay, stay

言いたいことはわかります

次回は朝チュンからスタートですよっ全年齢なのでっ