「はぁっ……はぁっ……」

やっとの思いで、クロエは離れに戻ってきた。

早朝ということもあり、戻るまでに誰にも遭遇しなかった。

中にるなり機と椅子をドアの前にかして、外から人がれないようにする。

全力で走って來たとはいえ普段なら絶対に息切れしないような距離なのに、全が汗だくだ。

「……生きてる、よね？」

自分の手を恐る恐る確認する。

ちゃんといている。

ぷるぷると小刻みに震えているが、青白く不健康な自分の手だ。

そこでようやく、クロエは生の実を得る事が出來た。

（でも、あの時……）

あと一秒判斷が遅れていたら、あのナイフは確実に私を……。

「もういやだ」

ぽつりと、クロエは呟く。

聲量に反して、その言葉には力があった。

ずっと押し込めていた様々なが、思いが、求が、心の奧から湧き上がる。

脳裏を駆け巡る今までの記憶。

痛み、苦しみ、悲しみ、絶、絶絶絶絶絶絶。

たくさんたくさんたくさん我慢した。

もうたくさんだ。

もう……。

「もうこんな狂った家、いたくない……！！」

クロエは決意する。

この家から、逃げようと。

決めたあとは早かった。

山や森が多い田舎では必需品の、両肩にかけるタイプの大きなバッグに必要なものを詰め込む。

著替え、水、保存の効く食料、寒さを凌ぐための布、火打ち石、最低限のの回り品、そして、シャーリーから貰った寶……。

とにかく考えうる限り詰め込んでいく。

クロエの手つきには焦りがあった。

イザベラは普通じゃなかった。

ナイフを抜いたあと、こちらに向かっている可能が高い。

そう思うと未だに生きた心地がしなかった。

誰か屋敷の人間が、ナイフを手に走った目で離れに向かうイザベラを止めてくれないか……そんな希は、じきに打ち砕かれた。

──ドンッ。

鈍い音がしてクロエの心臓が飛び上がる。

音の出所は、ドアの方……。

──ドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッ！！

「〜〜〜〜〜っ！！」

クロエは言葉にならない悲鳴を上げた。

「開けなさい！！　今すぐここを開けなさい！！　開けろぉあぁあああああぁぁぉぉああ！！」

イザベラの怒號が鼓を劈（つんざ）く。

未だに鳴り響くドアを暴に叩く音と連して、しずつ椅子とタンスがずれていっている。

あのドアが破られたら殺される。

そんな恐怖が全を駆け巡りパニックになりかけたが、脳裏の芯の部分は冷靜さを保っていてくれた。

一心不に殘りの荷を詰め込む。

最後に、椅子にかけられていた姉のドレス（夜鍋済み）もバッグに詰め込んだ。

今まで散々な目に遭わせてきた姉に対する、ささやかな反抗であった。

クロエは立ち上がる。

途端に、ぴたりとドアを叩く音と怒號が止まった。

舞い降りる、怖いくらいの靜寂。

（……諦めた？）

僅かな希を抱いたその時、バンッと今までとは違う弾けるような音が部屋中に響いた。

びっくりして振り向くと、り口側にある窓にイザベラの姿が映っており──拳大ほどの石をこちらに振りかぶっていた。

そんなイザベラの憤怒に満ちた瞳と目が合った瞬間、クロエは駆け出した。

部屋の奧。

口から反対の窓を開けて、クロエはを投げる。

同時に、がっしゃああんっと窓ガラスが割れる音が響き渡った。