降臨祭當日、聖像の噴水前でミズーリと落ち合う事になっていた。同じ事を考えていた國民は多く、広場は凄い人だかりだ。ここぞとばかりに開かれた屋臺も、どこも繁盛している。聖教會が建てた櫓の上では、聖の代理人が緩やかな聖を著て祈りを捧げていた。頭から被ったヴェールからは、茶いポニーテールがぴょこんと飛び出している。

今日の聖の役割は、チャコ＝ブラウンが務めていると聞いた。學園新聞のあの記事は、案の定レッドリオ殿下を怒らせたらしく、それならモモ嬢が出られない儀式はチャコ嬢に代わらせてはと、イエラオ殿下が提案したそうだ。まあ降臨祭は國民総出で騒げる年中行事であって、本の危機を回避してくれる訳ではない。代理で充分なのだろう…今の私のように。

「お待たせしました、セイ様」

遠くから儀式を眺めていると、制服姿のミズーリが駆け寄って來る。學園ではずっと殿下かモモ嬢のそばにいたので、在學中ミズーリと過ごした事はなかった。まさか卒業してからこうして制服を著た彼と降臨祭に來る事になろうとは。

「今日のチャコ嬢、何だかっぽかったですわ。近くまで寄ってみます？」

「興味がない」

降臨祭を共に過ごすのも聖の儀式も、モモが良かった。去年一緒に過ごせた時間は、ほんの僅かな時間だけだった。今頃彼は、殿下たちと共にダンジョンの中だろうか…隣のミズーリを脳でモモに変換しながら、私は自分をめた。

夕方になると、貴族たちは王城の大広間へ向かう。夜からダンスパーティーが始まるのだ。ドレスに著替えたミズーリを見て、私は呆気に取られる。以前の彼であれば、出度の低い寒系の大人しめなデザインだった。それが今夜は、モモの髪を思わせる薄いピンクのドレスだった。大膽にも肩や背中は剝き出しになり、スカートは花びらのようにふんわり広がっている。それでいて子供っぽくならないのは、所々に誂えたアクセサリーのおかげだろう。コランダム王國は寶石の國。リクーム公爵令嬢とミズーリは、良い広告塔になっていた。

「カナリア様のドレス、素敵ですわね」

大広間の真ん中で手を取り合い、くるくると踴る第二王子カップルを見守りながら、ミズーリがうっとりと呟く。モモ嬢もこれを著られたら…とは思うが、おくびにも出さずに彼をダンスにう。

「君も見違えたよ。今宵の客は皆、妖を見たと錯覚するだろうね」

「お世辭をどうもありがとうございます。貴方以外の殿方からの印象は、気になっていましたから」

実に可くない返しに、引っ掛かりを覚える。私以外の男の印象だと？

「お忘れですか？　わたくしは貴方との婚約を解消するのですから、早急に次の候補を探さねばなりません。ですからファーストダンスが終われば、どうぞご自由になさって下さい」

冷めた眼差しを向けられ、眉間に皺が寄る。いつになく煽的な格好だったのは、男漁りのためか。…いや、私がどうこう言う資格はない。婚約破棄を打診したのはこちらだ。…ただ、し早いのではないかと思っただけで。私たちはまだ婚約中だろう。

「モモ嬢へのをアピールするチャンスだと申しましたでしょう？　ここにいる貴族の方々、わたくしたちの婚約が破綻している事を知っていましてよ」

「なに…！？」

戸う腕からするりと抜け出すと、ミズーリは次々と手を差し出す男たちのの中にっていく。思わずばしかけた手は、瞬時に群がって來た令嬢たちによって遮られた。

「セイ様、次はわたくしと踴って下さる？」

「いいえ、私とよ！」

「ウォーター伯爵令嬢とは家が無理矢理決めた婚約なんですってね！　斷のと分かっていても貫く一途さ……素敵ですわ」

「たとえお一人になったとしても、わたくしは一生貴方の味方ですから！」

口々に勝手な事を言いながら、我先にと次のパートナーの座をもぎ取ろうとするたち。さも理解者であるようなふりをしているが、私がモモ嬢とは結ばれない事を前提に、隣に侍ろうとしてくる……反吐が出る。

「君たち…私の実家の事に隨分と詳しいようですね」

「學園新聞に特集が組まれていましたわ。モモ嬢が一どの殿方を選ぶのかと」

「男子生徒はセイ様の婚約が続行か解消か、賭けていましたわ。酷いですわよね」

令嬢たちは私の機嫌を取ろうと、びた態度で告げ口してくる。だが私は、その衝撃の容に絶句していた。事もあろうに學園の者たちは、我々やモモ嬢の路を笑い者にし、あまつさえ賭け事の対象にしていたのだ！

怒りで茹ってきた頭を冷やそうと、テーブルに向かおうとすると、ちょうど給仕が飲みを差し出す。しゅわしゅわと泡立つそれは酒のようにも見えたが、これくらいなら嗜んでいる。私は一気にそれを呷った。

（このバカバカしい宴から、早く退散しなくては）

パーティーの最中イエラオ殿下の王太子決定の知らせが発表され、會場は大いに沸いたが、誰もレッドリオ殿下の不在を気にしていない。だったらここには代理すら要らないだろう。

「これはこれは、左宰相殿の子息。今宵は隨分、召されているようですな」

バカを言え。この程度の酒、水と同じだ。

「しかし、惜しい事を。ウォーター伯爵令嬢と先程お話してきましたが、それは博識な方で。しかも大変おしい……本當に婚約者を辭めてしまわれるおつもりか？」

婚約者じゃなくなっても、付き合いがなくなる訳じゃない。あれは、優秀なビジネスパートナーだ。

「いえね、息子が以前から彼に……ですから今回の件はチャンスだと燃え上がっておりまして」

ミズーリは、そんなにモテるのか。モモ嬢なら分かるが、あの人形令嬢が……まあ、最近はそうでもないが。

視線を向けると、ミズーリは輝くような笑顔で一人の令息とステップを踏んでいた。ふわりと広がるピンクのドレスはモモを思わせ、相手の男のぱっとしない風貌、れた髪は、ここのところクロエ嬢の周りをうろちょろしていた、馴染みと言う――

「……っ！！」

世界が揺れた。中が熱い。何だこれは……周りがざわついているが気にならない。

「セイ様、どうなされたのですか？　気分が優れないのでしたら……あっ」

ミズーリの聲がどこか遠い。にもかかわらず、彼の細い手首のがこの手の中にあった。気付けばどう戻ってきたのか、彼と寢室にいた。ミズーリは私をベッドに橫たえ、元を寛げようとする。極めて事務的なその手付きが、もどかしかった。離れようとする手を逃がすまいと摑むと、振り返ったその姿に息を飲む。

『誰にでもそのような振る舞いは、お控え下さい』

マスミ様だった。ミズーリだと思ってベッドに引き込んでしまった事に仰天する。…いや待て、ミズーリならいいのか？　今は彼と婚約破棄するためにいている訳で、その間はとして見てはいけない約束だ。

『好きになってしまったのなら、仕方ないですよ』

マスミ様の髪が黒から桃に変わり、モモ嬢の姿になる。ああ…君だったのか。この腕の中に抱きしめる事を、ずっと夢見ていた。君を、私だけのものにしたい。君がいればもう、何も要らない…

『セイ様』

顔を上げた彼は、ミズーリだった。目に涙を溜めてこちらに訴えかけるように見つめている。

（結局、君は誰なんだ…）

頭がくらくらする。腕の中のの髪が、目まぐるしく変わる。おかしい、こんな酒の酔い方はした事がない。それにこの匂い……

『わたくしでは、いけませんか』

『わたくしには魅力がありませんか』

『わたくしはつまらないですか』

『セイ様が好き…マスミ様をするセイ様も、モモ嬢をするセイ様も、多くのと遊び歩くセイ様も…わたくしを決してさないセイ様を、ずっとずっとお慕いしてきました』

『けれどわたくしだって傷付きもします。わたくしは人形じゃない、なのです。貴方をする一人の…』

の聲に、のに包み込まれる。本能で、手がいた。意識はそこで途切れた。

次の日、まだはっきりしない頭を押さえて起き上がる。ぼんやりと部屋を見回す、だんだんの気が引いてきて、嫌でも覚醒した。

私は、何一つに著けていなかった。ぎ散らかした服は、ベッドの周りに散している。それに重なるように、妖のような桃のドレスも――

（昨日、何があった…！？）

ファーストダンスを終えてからの記憶があやふやだ。確かあの後、學園新聞に好き勝手書かれて生徒たちに笑い者にされている事に憤り、を潤すために酒をけ取ったのだった。妙な香りのする酒だった。それに、どこかで嗅いだような…

「う、んん…」

隣のシーツの塊が、もぞもぞいている。ドキリとした。私は昨夜…この中にいる者と……

シーツの隙間から、輝くような空の髪が流れ落ちた。