《傭兵と壊れた世界》第七十六話:誰かの子守歌
「――突然――目――が――」
ウォーレンの切羽詰まったような聲。ナターシャは「勘弁してくれ」という言葉を飲み込んで縦席へ向かった。せめて晝間に襲われたのであれば対処がしやすいのだが、今は結晶風が吹きあれる夜だ。
「こちら支援部隊、狀況は?」
「――襲、巖――」
夜風が妨害して容を聞き取れない。ナターシャは舌打ち混じりに通信を切る。縦席に著くと、すでにリンベルが発進の準備をしていた。
「休む暇がないねリンベル。何が起きたの?」
「さぁな、暗くて何も見えないんだ。さっきのは商業船からの通信だよな?」
「ウォーレンの聲だったわ。容は全く分からないけど、まさか妖が追いかけてきたのかしら」
「あんだけボロボロにしたのにか? 流石に不死が過ぎるぜ」
前方で発砲のが見えた。戦闘が既に始まっている。
「とにかく急ぐぜ。依頼主が食われたら任務の意味がないからな」
ナターシャは何かを忘れているような気がした。この覚を彼は知っている。月明かりの塔で腹抱えの結晶憑きと出會った時や、ラフランに鳴る鐘のを知った時にじた、無視してはいけない類いの違和だ。
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(何かしら、何が気になる、誰かの言葉、忠告――)
されど狀況は刻一刻と変化する。商業船の近くで大きな炎があがり、暗闇の中で手を広げる妖の姿が見えた。
「あの炎はエイダンの重火砲……やはり妖と戦っているわ」
「しかも二だ。ちょいと急ぐぜ、摑まってな」
リンベルが船の速度を上げた。再度、炎があがる。
「リンベルの防護服を貸してくれる?」
「外に出るのか?」
「じゃないと妖を撃てないわ。量産品の船は駄目ね、夜間の戦闘が想定されていないから対抗手段が限られる」
第二〇小隊の機船ならばベルノアの魔改造によって船からでも砲撃ができた。だが、支援部隊用に貸し出された機船はあくまでも人員輸送に主眼を置いており、船から狙撃するための覗きすら付いていない。
ナターシャは防護服を借りて甲板に出た。大きめの防護服はナターシャが來ても袖が余ってしまい、まるで著ぐるみのような格好だ。
結晶が混じった氷雨と叩きつける強風。大きな粒がナターシャのを打つ。
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痛いが、我慢できる程度の苦痛だ。マスクをかけ、手袋をはめて結晶銃を握り、船首から狙撃の構えにった。
照準は前方。暴れる二の妖。
片方は重火砲によって傷ついており、手が半分ほど焼け落ちている。流石は第三六小隊。的確な砲撃とエイダンの重火砲でなんとか対応していた。
あれは任せていいだろう。ナターシャは無傷な方の妖に狙いを定めた。
(仲間に指示を……いや、必要ないか。リンベルなら上手く縦してくれるし)
深く息を吸い、心を落ち著かせるように細く、長く吐いた。ナターシャの思考が狙撃手に切り替わり、引き金の指に力が込められる。
ぱすん、と放たれた結晶の弾。
一発目は妖をかすめただけで終わり、続く二発目が手を貫いた。妖が赤いを発しながらナターシャを睨む。新たなる敵。迫り來る機船を排除すべく、妖は息を吸い込んだ。
「遅いわ。この距離じゃ間に合わないでしょ」
妖が衝撃波を発するよりも早く、ナターシャの次弾が妖を撃ち抜いた。結晶弾は臓の一つを傷つけ、妖のにり込んだ結晶の種が急速に大化する。こうなれば逃れられない。
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妖は苦しそうにをくねらせながら上空へ舞い上がり、やがてから突き出した結晶によって絶命した。夜空に咲く結晶の花だ。月が出ていれば大層しく輝いただろう。妖はゆっくりと地面に落下し、大きな水飛沫を上げた。
先の戦いでは不意打ちに合ったせいで連攜がされたが、落ち著いて対処すれば結晶銃の相手ではない。
「こちら支援部隊、片方は排除したわ。そっちはどう?」
「――援護謝する。殘りは既に瀕死だ、任せてくれ」
「了解。念のため商業船の近くにいるわ」
エイダンとの通信を切り、ナターシャはもう一度照準を覗いた。確かに援護の必要はなさそうだ。殘った妖は手がすべて失われており、巖山の近くで、力無く橫たわっている。
「うん、問題なさそう。クレメンスも無事ね」
商業船も一部損壊しているが走行には問題なさそうだ。ナターシャはホッと息をついた。襲撃の報をけた際は焦ったが、第三六小隊の迅速な対応もあって、無事に乗り切れたようである。
「ねえリンベル、他に異常は無いかしら?」
「――問題なし。しいて言うなら私のケツが割れそうだ。縦士の代を希するぜ」
「殘念ながら誰も縦できないわ。あなたが必要なの」
「――そいつは嬉しい言葉だ。できれば灑落たバーで聞きたかったな」
ナターシャは念のために周囲を見渡した。ヨナキはいない。妖も飛んでいない。結晶憑きも今夜はおねんねだ。塔のような巖影が機船の隣を過ぎていく。
「あら、誰かが歌っているのかしら」
遠くから聲が聞こえた。
小さく、儚く、優しげに。
「――ラ――ララ――」
だんだんと大きくなる。人間が歌っているとは思えないほど綺麗な歌。
「歌、ナバイアの歌……」
ナターシャは思い出した。出発前に団長からけた忠告だ。
「水沒原で歌う、巻貝の歌……?」
瞬時に歌の出所(でどころ)を探した。近くに生きの影はない。だが歌は聞こえる。どこだ、上か、水中か、視界に移るのは珊瑚礁と巖山だけ。まさか珊瑚が歌ったりはしないだろう。
――あれは本當に巖山か?
ナターシャは照準を巖山に向ける。そして、巖から生えた大きな目玉を見つけた。あれだ、歌っているのは奴だ。ナバイアの各所に生えた大きな影を、調査隊の誰もが巖山だと思っていた。思い込みである。奴は初めから近くにいた。
(歌う巻貝ってのはこいつか! 分かりにくいのよ団長!)
ナターシャは迷わずに引き金を絞った。彼の直が、今すぐ目玉を撃つべきだとんだ。油斷はない。迷いもない。だが、目玉はナターシャの狙撃を予測したかのようにまぶたを閉じる。
「リンベルッ、至急撤退! 巖山から離れて!」
「――巖山? 何を言っているんだ?」
「いいから早く!」
山がいた。
そう錯覚するほどの巨が、地響きを上げながら機船を向いた。他の船員もようやく異変に気付き、暗がりで悠然とく巖山を見上げた。
「――ナターシャ、ありゃなんだよ! 撃った方がいいんじゃないか!? お、俺も甲板へ向かうぞ!」
耳元から混したイグニチャフの聲が響く。來なくていい、むしろ何が起こるか分からない以上は船に居てほしい。指示を出すよりも早く、巖山がきを見せる。
◯
円筒狀の口がびた。空を摑もうとするように、高く上へ突き上げる。
「――ララ――ララララ――ララ――ラララ――」
耳を塞ぐほどの大音量だ。それは母なる妖の絶命に反応した巻貝の聲であり、特定の周波數によって発せられた聲はナバイア全土に屆く。人間に近い聲帯を持つ巻貝の歌はしく聞こえるが、決して聞きってはいけない。彼らの歌聲は則地が目を覚ます合図なのだ。ナバイアが則地になる前、ヨナキや妖が他の姿をしていた頃、歌は警告のために用いられた。外敵からの襲撃を知らせる歌聲は、彼らが異形の生になってもなお殘っている。
バンッ、とナバイアの暗闇が一斉に晴れた。水沒原に眠る妖たち、もしくは白化しかけた火膨れ珊瑚、そのすべてが歌に反応して目覚めたのだ。彼らのがナバイアを照らす。
この時、ナターシャたちは初めてナバイアの全貌を目の當たりにした。
水が張られた大地に無數の珊瑚が腕を広げ、白化した珊瑚礁によって丘のような地形が形されている。丘の中は妖の住処になっており、彼らは七のを発しながら次々と飛び立った。
誰もが巖影だと思っていたのは螺旋狀に大化した巻貝だ。長い時を経て、塔のように長した貝殻が空にびる。ウォーレンが船で見た目玉も螺旋貝の瞳だ。
「急げ急げ、もうしで水沒原を抜けられる! 我らが目指す跡は目の前なのだ!」
クレメンスがんだ。き始めた獲を狙うように、螺旋貝の口が機船を向く。
「何か來るぞっ、跳べ!」
指示に合わせて機船が跳躍した。螺旋貝から放たれた針が足元を突き抜ける。両手を広げたほどの太い針だ。もしも機船の力源に當たれば発は免れない。
続けて別の螺旋貝が口を持ち上げた。機船はまだ地面に著地しておらず、回避は不可能。
だが針が出されるよりも早く、螺旋貝の瞳を銃弾が貫いた。衝撃によって螺旋貝の口がはずみ、針は見當違いな方角に出される。
「支援部隊だな! やるじゃないか、高い金を払った価値はある!」
ナターシャの狙撃だ。クレメンスは上機嫌で褒めながら、各乗組員に命令を飛ばす。
「――各員傾聴、これより調査隊は最大速度でナバイアを抜ける! 燃料を惜しむな! ブルフミュラー商會の意地を見せる時だ、命懸けの金稼ぎをしようじゃないか!」
機船が水沒原を駆けた。第三六小隊を先頭に、商業船と支援部隊が続く。彼らを追うのは妖の群れと螺旋貝。一度目覚めた則地、夜が明けてもナバイアは眠らない。
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