《傭兵と壊れた世界》第七十九話:マリアン・マレーの歌織場

エイダンとヌラがすぐさま大扉を閉じた。外部のうめき聲が消えて靜かな空間になる。

大扉の向こうは広間だ。淡いのランプが點々と燈っており、どこか月明かりの塔の書庫を思い出させるような雰囲気がある。はるか高い天井には大きなシャンデリアが吊るされていた。廊下は二つ。ナターシャたちがった扉とは反対側にも大扉が見える。

「すごい本の量ね。天井までびっしり、さぞ管理が大変でしょう」

見上げるような本棚が中央に続く。中立國の言語とは違う、もっと古い言葉だ。綺麗に整頓された様子は明らかに何者かの手が加えられていた。

「あら、お客さんとは珍しい」

聲が降ってきた。やはり人がいたか、と勘の鋭い面々は銃を構える。

現れたのは人魚だ。だがなりそこないの不気味な足とは違い、しい沢のある尾ひれがびている。海に沈んだ寶石のような藍の髪が、緩やかな弧を描きながら宙を舞った。

しいだ。彼は空中を泳ぐようにして下りてきた。足地の訶不思議に耐を持つナターシャは「人魚だって空を飛ぶよね」と落ち著いていたが、イグニチャフのような経験の淺い者は目を丸くしている。

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騒なものは仕舞ってくださいな。私は爭いを好みません。爭いなど、無意味で退屈ですから」

明確に人の言葉を介し、不戦を宣言する人魚。彼の雰囲気は神的であり、長く見つめていると、ここが水中の研究施設だということや、自分達は足地にいることを忘れてしまいそうだ。當然のように服は著ていない。ドットルが「任務をけて良かった!」と咽(むせ)び泣く。

「ここはマリアン・マレーの歌織場(うたおりば)。あなた方は歌をお求めですか?」

人魚は無表に尋ねた。長い時間を獨りで過ごした彼は笑い方を忘れている。けれど敵意はじられない。むしろ親しみや友好、興味をいったが見えかくれした。

代表するようにクレメンスが前へ出る。

「君は歌を作っているのかい?」

「詩を書き、歌を織(お)り、そうして獨りで歌っています。でも今日はお客さんが來ました。何でも申してくださいな、あなたがむ歌を織りましょう」

笑っていないのに嬉しそうな様子が伝わってくる。

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「申し訳ないけど、僕たちは歌じゃなくてしいんだ。ぜひ換をしたいのだが、どうかね?」

ですか。歌は、要らないですか」

沈んだような様子の人魚にクレメンスがし慌てた。

「歌もしいよ。でもしい。報が、しい。だから互いに利のある取引をしようじゃないか。について教えてくれるなら君の歌を高値で買うよ。あぁ、金が要らないなら君のみを言ってくれてもいい」

やはり金。商人は足地でもぶれない。

だが二人の間で大前提となる知識が食い違っていた。

とは何でしょう?」

を知らないかい?」

「外のことは分かりません。で歌は織れますか?」

「そんなもあるかもしれないけど、僕たちが探しているのは別だよ。この地には人の構造を作り変え、ある者には膨大な知識を、ある者には永遠の命を授けてくれる薬が殘されているそうだ。君は何か知らないかい?」

クレメンスは半(なか)ば確信していた。ナバイアに來るまでは彼自も半信半疑だったが、目の前の人魚こそ薬を用いた結果ではないか。

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「君ではなく、親しみを込めてマリーとお呼びくださいな」

「あぁ、わかったよ。それで君はの場所を知っているのかい?」

「マリー、と」

「マリー」

は満足げに頷いた。主導権を握らせてくれない相手にクレメンスは困った様子だ。

薬かは分かりませんが、心當たりがあります。そこの扉、あなた達とは反対の大扉から下を目指してください。海の底に三人の探求者が眠っています」

「三人の探求者? そこに薬が?」

「彼らのを飲みなさい。あなたが言う、膨大な知識と永遠の命は殘っていません。片方は失われ、片方は枯れました。ですが人ならざる力は殘っているでしょう」

さて、いよいよ難しい話が始まって、イグニチャフは理解が追いつかなくなった。聲をひそめながらナターシャに尋ねる。

(なぁ、どういうことだ?)

(探求者のを飲んだら力が得られるんだってさ)

(何でを飲んだら強くなるんだよ)

(知らないわよ。足地に理屈を求めたって仕方ないでしょ。とにかく三つあったは一つしか殘っていないってこと。力がしかったら下を目指せって)

イグニチャフは未だ納得できない様子で頷いた。

「なるほどね。僕が聞いた話とはし食い違うけど、恐らくそれが薬だよ。それにしてもか。ふむ、流石に他人のを飲むのは気持ち悪いな」

を飲みたくありませんか」

「飲まなくて済むなら飲みたくないね」

「そうですか、殘念です」

いったい何が殘念なのか分からなかったがクレメンスはあえて追求しなかった。自分たちと人魚では価値観がずれているのだろう。そんなこともあるさ。細かいことを気にしては商の道は歩めない。

「よし、謝するよ。対価はどうしようか」

「お金は要りません。そのかわりに、もしも探求者のもとまで辿り著いたならば、彼らの心臓を刺してください」

「ん? 殺せってことかい? いや、そもそも死んでいるか」

「簡単に刺さります。一突きで刺さります。だから、どうか刺してくださいな」

「あぁ、分かったよ。いや、よく分からないが、君のみは把握した」

「君ではなく、マリー、と」

「マリー」

マリーは靜かに頷いた。

調査隊はすぐに準備を整えて出発した。船から持って來た食料に限りがあるため長居は避けたい。広間から去る際、マリーは宙に浮かびながら手を振ってくれた。

穏やかな場所だ。あの膨大な本はきっとマリーの歌が記されているのだろう。どれほどの時間を生きたのだろうか。しき人魚を大広間に殘して、調査隊は研究所の下を目指す。

そうして數刻後。

マリーの前に困った様子の調査隊が帰ってきた。

「なぁマリー、扉の向こうが水に沈んでいるんだけど、他に道はないのかい?」

クレメンスの聲には落膽した様子がにじんでいる。意気揚々と出発したは良いものの、階段が全て水沒していて進めなかったのだ。先の見えぬ暗闇を泳ぐ気にはなれず、彼らは諦めて大広間に戻った。

マリーは思い出したように聲を上げる。

「あぁ、そうでした。今宵は満月。研究所は海に沈みます」

「海に沈むと困るんだ」

「泳いでいけませんか?」

「殘念ながら君のように素敵な尾ひれを持っていなくてね」

「君?」

「マリー」

何度目かのやりとりをする商人と人魚。

「それでは待つしかありません。月が欠ければ水は引きます。探求者の元まで歩いていけます」

「それは良い報だ。ありがとうマリー」

「ふふん」

人魚は無表で鼻を鳴らした。存外、かな人魚である。

時間が余った調査隊は大広間で休ませてもらった。ナバイアにって以降、常に張り詰めていたしだけ和らいだ。時には休息も必要である。

月が欠けるまで數日。

ある者は広間の書を読み漁り、ある者は銃の整備に集中し、またある者は人魚と言葉をわす。

「ねぇマリー。あなたは服を著ないのかしら?」

「服を著れば良い歌を織れますか?」

「織れるわ。だから服を著た方が良い」

「そうですか。でも服がありません」

ナターシャは天を仰ぐ。しかし厳かな天井が映るのみ、人魚に著せる服は落ちてこない。

諦めて傭兵用の上著をマリーに著せた。耐結晶用の貴重な防護服なのだが、上を放っておくよりはマシだろう。彼は著せられた上著を暖かそうに抱きしめ、嬉しさを表すように尾ひれを跳ねた。

「お禮に昔話をしましょうか」

「あなたが話したいだけじゃなくて?」

「聞きたくありませんか?」

「聞きたいわ。だから、そんな悲しそうな表はやめて」

「ふふん、では話しましょう」

なんだなんだ、と同期諸君が集まってくる。服を來たマリーに落膽する同期がいたが、ナターシャは見て見ぬふりをした。

「研究所ができるよりも前、二人の探求者がいました。彼らは優秀な兄弟で、特に兄は天才と呼ばれて周囲に持て囃(はや)されました。ですがある時、兄は忌の研究に手を出してしまい、結果として命を落としてしまいます。殘された弟は途方に暮れ、そして兄の研究を引き継ぐために仲間を集め、國を作り、ナバイアに研究所を建てました」

「あぁ、ここの話だったのね」

「弟は頑張りました。才能の差を努力で埋め、それでも足りない時間のために、命を削ってまで研究に打ち込みました。けれど中々果は出ず。兄の友人も手伝ってくれましたが、思うように進みません」

「それでどうしたの?」

「弟は海の神に答えを見出しました」

「ん?」

おやおや、急に話が飛躍したぞ。

ナターシャの頭に疑問が浮かぶ。

「海は生の原初であり、命の源です。あらゆる病いを退けてくれる。生命に祝福を與えてくれる。だって、海に暮らす生きは、人間のように病いで死んだりしないでしょう?」

「弟はそれを信じたの?」

「信じました。人間というからの卻。海の寵けるための研究。人と海が融合するために行われた人改造はある意味で、兄が行なった忌の研究に近いものでした」

「話がだんだん不穏になってきたわね」

いつの間にか他の傭兵たちも耳を傾けている。整備に夢中なエイダンも、エメを崇拝するヌラも、書を読み漁っていたクレメンスも。

「弟は數多の実験を繰り返しました。多くの人が研究所を出りするようになり、出ていく人よりもってくる人の方が多くなり、人間のような姿をした生きが研究所の周囲で現れるようになります」

マリーは続けた。

「夜泣きする赤ん坊が消えました。我が子を守ろうとする母親が消えました。私の歌を大好きだと言ってくれた子供たちも、消えました。でも、たまに私が教えた歌が研究所の外から聞こえてくるのです。私はそれが嬉しい。先ほど子供たちが大合唱をしていたようですが、みなさんにも聞こえましたでしょうか」

何て返事をすれば良いだろうか。ナターシャは困ったように口をつぐむ。周囲に救いを求めようと視線を向けるも、同期たちは一様に目を逸らした。これが隊長の宿命か。

「マリーは、実験に、功したのね」

「はいな。おかげで沢山の歌を織ることができます」

「それは良かったね」とは流石に不謹慎だろう。誰がんで化けになるものか。いや、もしかするとマリーならんだのかもしれない。ずっとずっと、自分だけの世界で歌を織りたい。そう思って自ら人魚になったとしても納得できるほど、マリーの口調は幸せそうにじられた。

マリーはこの作品の癒し枠です。たぶん。

先日、東京の喫茶店に行った際に珈琲を飲んでいたら、隣の二人組の會計が四千円を超えてて目が飛び出ました。東京の価は恐ろしいね。

またね。

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