《傭兵と壊れた世界》第八十話:手掛かりはしずつ
干の前日、ナターシャは様子を見計らってクレメンスに尋ねた。団長から頼まれた「通者の件」について報を集めるためである。彼は最初こそ救援部隊にあまり期待していない様子だったが、ナバイアでの戦闘を経て認識を改めたようだ。ナターシャの問いに快(こころよ)く答えてくれた。
「ミシェラの売人か。また懐かしい名前だね」
「ミシェラ?」
「大國の花(イースト・ロス)の売人、ひいては彼らの源たる民族の名前だよ。花が橫行したのは僕が會長になる前だったが、そうか、今度は傭兵國で中毒者が出たのか」
「今はまだ広まっていないわ。報規制をしているから存在を知らない人のほうが多い。だからこそ混が起きないうちに手を打ちたいんだけど、売人について何か知らないかしら?」
かつて商業國では大國の花(イースト・ロス)の蔓延が深刻だった。街の區畫をまるごと一つ隔離して絶を計るほどに、かの花が持つ魅は凄まじい。
「殘念ながら僕は詳しく知らないんだ。當時は僕の父が會長だったから、ミシェラの対処はすべて父の主導で行われた。僕も後を継ぐために必死でね、ミシェラの騒には関わらなかったんだよ。良かったら僕の武勇伝を聞くかい?」
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「興味深いけどやめておく。また依頼してくれた時に聞くわ」
「それは今回の調査次第さ」
ちゃっかりと次の依頼を取り付けようとするナターシャだが、商人は軽くけ流した。
「あぁ、でもそうだ、あの時は下級階層の被害が大きかったんだ。カップルフルトの地下に賭博が盛んな地區があるんだけど、賭けに乗じて大國の花(イースト・ロス)の売買が橫行した」
「売人の良い隠れ蓑ってわけね」
「あえて下級階層に潛る好きはないから、大國の花(イースト・ロス)は猛威をふるったよ。賭博の商品になったり、違法な醫者が薬だと偽って処方したり、それはもう、絵に描いたような暗黒時代だったと聞いている」
カップルフルトの地下、と聞いてリリィの実家が思い浮かんだ。確か地下二層で暮らしているはずだ。
「父が絶やしにしたから花弁一つ殘っていないだろう。まあ住人に聞けば當時の様子が分かるだろうし、名殘りぐらいは探せば見つかるかもしれないけど、あまり期待しないことだね」
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ナターシャの表が歪んだ。落膽が三割、団長からの苦言が確定したことに対する悲観が七割。今すぐにでも逃げ出したい。
「何の話ですか。歌の話ですか」
「歌じゃなくて花の話よ」
「花の歌を織りましょうか」
「嬉しいけど、またあとでね」
マリーが殘念そうに肩を落とす。この人魚はどうにも人のに訴えかけるのが上手い。わざとではないかと疑ってしまうほどだ。ナターシャはふと思い出した。
「ねぇ、知識のはどうして失われたの?」
「中立國の偉い人が飲みました。ここにはもう、ありません」
「それって昔の話よね?」
「私がまだ上手に歌を織れなかった頃です」
そう言われてもナターシャにはピンと來ないが、とても昔の話なのだろう。そもそもマリーの年齢はいくつなのか。非常に気になったがナターシャは我慢する。
「その人が生きていたら売人について聞こうと思ったんだけど……自力で探すしかなさそうね」
「偉い人は死にましたが、が無くともは殘ります」
「子孫にけ継がれるってこと?」
「はいな。は薄れ、多くの知識は時間と共に忘れられましたが、探求者のは潰えません」
クレメンスの瞳が鋭くった。商人の嗅覚が敏に反応する。
「面白くなってきたじゃないか。金の匂いがするよ、僕にも聞かせてくれ」
「知りたい報、歌一編(いっぺん)」
マリーが手を差しのべる。白くて綺麗なだ。ナターシャのように戦場で汚れ、固くなった手とは違う。
「歌を聴けってかい?」
「違います。一人で織るのは飽きました。歌は絆、心の拠り所。さぁ、一緒に織って下さいな」
人魚はまっすぐにナターシャを見た。
「え……私?」
「はい」
「歌えないけど」
「はい」
「いや、はいじゃなくて……」
「はいな」
人魚から伝わる意志は苔むした巖石のごとく堅牢。なにがなんでもナターシャを逃がすまいとする強い決意がじられた。
ナターシャは悩んだ。それはもう、救援部隊の隊長を引きけた時と同じぐらい悩んだ。なにせ自分は歌に自信がないのだ。しかも周りには同期がいる。押し付けられて仕方なく隊長になったというのに、今度は全員の前で歌えと言うのか。
否、そもそもナターシャだけが犠牲になる必要はないのだ。彼はいつになく頭を回転させる。現狀を打破する方法は一つ、道ずれを増やすことなり。
「ねぇマリー、みんなで歌った方が楽しいよね?」
「楽しいです。私も嬉しいです」
「うんうん、そうよね。よし分かった。私に良い考えがあるわ」
ナターシャは「ちょっと待ってね」と言い殘して去った。
彼は衛生兵のエメを探す。何故エメを探すかというと、端的に嫌がらせだ。あのツンとした態度を崩してやりたいという悪戯心である。
エメは広間の隅っこで靜かに座っていた。厄介な変人(ヌラ)の姿も見當たらないため丁度良い。彼は突然近寄ってくるナターシャに戸った顔をする。
「な、なんですか、喧嘩はしませんよ」
「なんでいきなり喧嘩なのよ。いいから來て、あなたが必要なの」
「私が? 誰か怪我でもしましたか?」
「誰もしていないけど、これから大怪我をしそうなの。主に私の心がね」
エメは言われるがままに連行された。悲しきかな、衛生兵の細腕ではナターシャの力に敵わない。
折角なら道ずれをもう一人増やそうじゃないか。
ナターシャは周囲を見渡して、本棚の影に隠れるようにして眠る友人を見つけた。
「いたいた、おーいリンベル、あなたも暇でしょ。ちょっと付き合ってよ」
「んぁ、何だ、朝か?」
リンベルは長時間の縦で疲れた様子だ。いつになく覇気のない姿が珍しい。もぞもぞと起き上がったリンベルの腕を抱き、なかば引きずるようにしてマリーのもとへ引っ張った。
人魚の前に揃った三人の。マリーは嬉しそうに両手を叩く。
「狀況を理解していないのですか、衛生兵の私に何か用ですか?」
「今から歌を教えます。大丈夫、難しくありません。私に合わせて織りましょう。えぇ、力を抜いて、心を落ち著かせて、想いを言葉に込めるのです」
「歌? 織る? ちょっと待って、聞いていないのですが、待ちなさい、待てナターシャ!」
どさくさに紛れて逃げようとするナターシャをがっと摑むエメ。
「説明義務を果たしなさい。どういうことですか?」
「これも傭兵の責務なの。けるしかないわ」
「足地で歌うなんて責務はありません」
「世の中は分からないものね。傭兵をしていたら人魚と歌うことになるんだもの。さぁ、諦めるしかないわ。この世にはね、逃れられない運命の流れってのが存在するのよ」
「ちょっと羽無し、あなたの友人を説得してください」
「カッカしなさんな衛生兵、別に取って食われるわけじゃないんだろ。流れにを任せるって生き方もたまには良いもんだ。ふわぁ、眠い。そら、人魚様の歌が始まるぜ」
三人のがふわりと浮いた。マリーが持つ反重力の力だ。まるで重力から解放されたように、ゆっくりと床から遠ざかる。エメは突然の事態に困した。よもや宙を飛ぶ日が來るとは思うまい。
「わぁっ、見てみてエメ、私たち凄いわ! 飛んでる!」
「この狀況でよく楽しめますねっ、あなたの神経を疑います!」
「さぁ行きましょう。マリアン・マレーの歌織場、その最上部へ招待します」
「これが足地の神よエメ! 世界中を探したって、人魚と一緒に空を泳いだ傭兵なんて私たちぐらいだわ!」
「おいナターシャ! 羽無しと呼ばれた私が宙を飛ぶたあ、面白い皮だな!」
「うるさいうるさい、あーもう最悪です!」
騒がしい三人と共に人魚は広間を昇っていく。天井に近い最上段、うず高く積まれた本棚の頂點。古風なシャンデリアに照らされながら、彼たちは歌を織った。名も知らぬ歌だ。マリー曰く、遠い昔に月明かりの森で歌われた曲を模したらしい。長調の靜かで仄暗い雰囲気。靜かな夜にゆったりと聴きたい繊細な歌。
研究所の水位が最も低くなる干の日まで、彼たちは仲良く歌を織り続けた。
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