《【書籍化決定】読家、日々是好日〜慎ましく、天に後宮を駆け抜けます〜》21束の間の休息

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「これが硫黃溫泉、しかも源泉ですか」

明渓が湯気が湧き出る溫泉を覗きこむ。獨特な匂いと湯気が辺り一面に充満している。

「おい、落ちるなよ」

「落ちても溫泉だから大丈夫です」

決して大丈夫では無いと思うが、明渓はを乗り出し溫泉の底を覗き込む。目を凝らせば、巖の隙間からユラユラと湯が湧き出ている様子が見て取れる。

源泉の周りには石が敷き詰められており、そこに座って足を湯にれる仕様になっていた。辺り一面は雪景だけど、湯に近いせいか、もしくは地熱かで石の上は暖かく雪も積もっていない。

ペタリと腰をおろすと、明渓は早速靴をぎ、の裾を膝の上まであげる。雪のように白いき通るような素足を湯にれようとしたところで、白蓮に止められた。その視線は微かに泳ぎ、耳がし赤い。

「湯に浸かれる時間が決まっていると言っていただろう。ちょうど良いからこれを使おう」

白蓮は袂から小さな筒狀のものを取り出すと、コトリと石の上に置いた。

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「砂時計ですか。どうしてこんなもの持ち歩いているのですか?」

「薬草を煎じる時に時間を計るんだよ」

そう言うと自も靴を足になる。二人揃って湯の上ギリギリに足を垂らし、せーの、で中にれた。

寒い時に湯にると痺れるような覚がするけれど、この溫泉はそれを強くじる。

「ちょっとがピリピリしますね」

「そうだな、傷がある者は止めた方がよいかもな」

明渓は源泉の近くにあった看板を思い出す。傷を癒すと銘打った溫泉はあるけれど、この看板にそれは書かれていなかった。

の巡りを整え、皮の疾患を治し、若返りの効果があるそうです」

「先の二つは分的にも理解できるが、最後のは気のせいだろう」

明渓もそう思う。大、なぜ若さを求めるのか、失うことを恐れるのか分からない。母に言うと、若いから言えるのだと睨まれた。梨珍には恐ろしくて言えない。

始めにじたピリピリとした覚が和らいできたと思ったのは砂時計の砂が落ちた頃だった。時間がきたので二人は一度湯から足を上げる。冷たい空気にれているのに足先までポカポカと暖かい。

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「何をじっと見ているのですか?」

明渓が半目で白蓮を睨み、足をで隠す。

「い、いや、ちょっと待て。誤解だ。酸が強いからが負けて炎癥していないか見ていたのだ。お前の足は白いから皮が弱そうだし」

白蓮が、顔の前で手を振る。

(噓は言ってない、かな?)

會った頃に比に比べると醫としての自覚も意識も高くなったと思う。本當に心配しているのかもしれない。明渓はからし足を出して見る。

「大丈夫だと思います。特に痛みもありません」

「そうか、何なら俺がじっくり見てやろうか?」

「結構です」

の裾を捲ろうとするので、その手を容赦なく叩く。

「だから、誤解だと言っただろう」

「今のは邪念がっていました」

叩かれた手を白蓮は大袈裟にでる。その手は以前より節くだって大きくなっているように思う。なくともつるりとした子供の手ではない。

(元服したんだものね)

伽藍の寢臺の上で見た目を思い出す。熱の篭った視線だった。

(私はずっとこのままがいいのに)

嫌でも時は過ぎていく。容赦なく。老いに抗う気はないけれど、時に抗いたい気持ちは何となく理解できた。

「……湯治というのは何日かかけてするらしいな」

しぼんやりしていた明渓は、慌てて答える。

「はい。始めの二.三日は調を崩すこともあるそうですが、一週間ほど続ければ慢的な病も改善するそうです。因みに水蟲も治るとそこの看板に書いてました」

「俺は違うぞ」

「私も違います」

お互いの足先を確認すると再び湯にチャポントれた。

「ところで白蓮様、紗麻の件はもう良いのでしょうか?」

足先を湯の中で前後に揺らしながら明渓が聞く。いや、呟く、といった方がよいぐらい小聲だ。

「あの部屋は鍵がかかっていたし、福壽草で心の臓が止まることはある。特に不自然ではないが、何か気になるのか?」

「どうして紗麻があの部屋で亡くなっていたかが気になります。自室でも問題ありませんよね」

何かが引っかかる。しかし、否定するほど確信があるわけではない。

二人は暫く湯に浸かっては、足を外に出すのを繰り返し腹が減ったので一度部屋に戻ることにした。

「白蓮様、私廚に寄って行きます。人が足りないでしょうから配膳ぐらいお手伝いしようかと」

明渓はそう言うと白蓮と別れ、臺所へと向かう。

(この辺りは雪も大分、踏まれているわね)

夜中にはいつも雪が降るらしく、足湯に行く時は新雪の上を歩いていった。でも、宿の裏側の雪には沢山の足跡がついている。特に廚の周りに多い。

「どなたかいらっしゃいますか?」

明渓が扉を開けるとそこにいたのは燈実の妻、玉風だった。黒い薄布で表は見えないけれど、明渓の姿を見て軽く頭を下げた。

「何かお手伝いできれば、と思ったのですが配膳はもう終わりましたか?」

玉風は頷くと、手で宿を指先した。

(もう部屋に運んだってことかしら)

廚は正方形に近く、扉は右端にある。左手、壁側には小さな卓があり急須が並んでいた。卓の前に竈門があり、その隣にはに調理臺と流し臺がある。流し臺の上には、木の板を三枚使って釘で打ち付けただけのような簡易な棚があった。

「ではお茶を頂けませんか。湯に浸かった後は水分を補給するように、と足湯の近くの看板に書いていましたので」

玉風はくるりと明渓に背を向けると背びをして棚の一番下、真ん中あたりにある筒を手にした。明渓よりし小柄な玉風にこの廚は使い辛そうだった。棚には廚らしく調味料がずらりと並んでいる。一番上には急須が何種類か置かれていて、それぞれ季節の花が描かれている。

(部屋の掛け軸は雪景だった)

そういう細かなところでおもてなしを表しているのだろう。明渓が心していると、玉風は左隅の卓の上に盆をおき、茶葉を急須にれる。ついで竈門の上の鍋から湯を玉杓子で掬い急須にれた。準備ができたところで向かいの壁の真ん中辺りに立ち、卓を掌で差した。

(あまり近づかないようにしてしいと燈実が言っていたわね)

火傷の痕が気になる、というのは同じとして分かる。白蓮が良い薬を持っていればいいけれど、わざわざ王都近くの街まで行ったのだから出來る限りの手當は済ませているのだろう。

明渓は卓から盆を取ると、できるだけ距離を取るように壁際を歩き、軽く會釈して扉から出た。

出たところで、春蕾がそこにいた。

「どうしたの? 紗麻さんのの側に居なくていいの?」

「あー、狀況からいって事故死だろうしもう離れてもいいだろう」

「だったら私は今夜から一人で寢れるわね」

「籠絡しようという気概はないのか? というかさせれなかったのか?」

春蕾はため息をつきながら憐れみの目線を明渓に向けてくる。

「顔は悪く無いし、出るとこは出てるのに、なんでお前は気がないんだろ」

「能ある鷹は爪を隠すってやつよ」

「それ、俺でも使い方間違ってるのが分かるぞ」

気ねぇ、と呟きながら思い出すのは梨珍だ。立っているだけで匂い立つような香が漂ってくる。

「そういえば、だ。お前の侍の梨珍さんは、綺麗な人だな」

どうやら、同じ人を思い描いていたようだ。そして、春蕾からの名を聞くのはこれが初めてだ。

「彼、獨りか?」

「そうよ」

白蓮が言っていた気がする。多分。

「こ、人とか……」

「仕事一筋だと」

青周が言っていた気がする。なんとなく。

「だったら、俺が王都で働くことになればまた會えるだろうか。あっ、でもお前の侍ということは後宮にいるから外には出れないか」

しょんぼりと肩を落とす春蕾。

(もしかして、王都に來たがった理由は、それ?)

珍しい武を見たいだけではなさそうだ。そして、それは明渓にとって願ってもないこと。

(春蕾兄がを固めれば私は自由だ)

ここは是非応援しなければ。心優しい従兄弟として獻的に盡くすところだと明渓は思う。だから、本當のことを話すことにした。なんとしてでも春蕾には王都に來て貰わなくてはいけない。

「実は梨珍さん、普段は私ではなく、青周様にお仕えしているの」

「……それはただの侍としてか?」

明渓は力強く頷く。あの二人、並ぶと妙に絵になる。考えることは同じようだ。

「もちろん。だから、外出できるわよ。王都を案して貰ったりとか」

春蕾の頬がにんまりと緩むのを見て、明渓は拳を握る。何としてでも青周の母であることは隠し通そうと心に決めた。

……しかし、こんな長閑な會話をわせるのも、この時だけだったと気づくのは明日の朝のことだ。

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