《【書籍化決定】読家、日々是好日〜慎ましく、天無に後宮を駆け抜けます〜》22室、消えた刃1
靜かな冬の朝、宿中に響き渡る悲鳴で明渓は目覚めた。寢著のまま慌てて部屋を飛び出し、隣の角部屋の扉に手をかけたところで中に向かって大聲で呼びかけた。
「春蕾兄、開けるわよ!?」
返事を聞くことなく開けると、扉の前で構える春蕾と目が合う。
(呼びかけて良かった)
聲を掛けずに開けていたら拳が飛んできたかも知れない。避けれる可能は五分以下。當たれば骨折は免れない。
「明渓、今の悲鳴は?」
「分からない。下から聞こえたと思うけれど」
「俺は様子を見てくるから、ここを頼めるか?」
分かったと明渓の口がくより早く白蓮の聲がする。
「俺も行く。明渓、これを羽織れ」
いつの間にか著替えている白蓮が綿を投げて寄越した。來た時同様、町醫者のような簡易な服の帯を手早く結ぶその足元には、刃以外の醫が詰まった箱が置かれていた。
三人は揃って階段を駆け下りると二階の廊下に朱亞が青い顔でいる。
「悲鳴を上げたのはお前か?」
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春蕾の問いに首を振る。部屋の扉から娘がちょこんと顔を出していた。
「それなら、部屋に鍵をかけて中にいろ。俺が來るまで絶対に開けるな」
春蕾はびながらも、足は既に階段を下りている。明渓達も一段跳びに下り一階につくと、今度は廊下に萌がへたりこんでいた。震える指で一番奧の扉を指差している。
春蕾を先頭に中にると首からを流し倒れている燈実とその側で蹲って肩を振るわせている玉風がいた。白蓮が素早く側に駆け寄り脈を確認するも、すぐに首を橫に振る。明渓は玉風の肩を抱き部屋の隅へと移した。
「春蕾殿、これは刃による傷に間違いない」
「しかし、この宿には刃は持ち込めないようになっています」
「だが、宿にる度にを調べるわけではない。とりあえず男別に二部屋に分かれ、刃を持っている人がいないか調べてはどうだろうか?」
白蓮の言葉に皆は一度二階の部屋へと集められた。
朱亞の部屋に萌と玉風が集まり明渓が調べる。左隣の孫庸の部屋では春蕾が男達を調べた。白蓮は一階で燈実のと部屋を調べることになった。
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「お母さん、寒いよ」
「ごめんね。すぐ終わるからねー」
春蕾に言われた通りい蘭の服の中まで調べたけれど刃は見つからない。玉風は薄幕を取るのを嫌がったので服のみ調べた。もとより、薄幕に隠すのは不可能だから問題はない。ついでに部屋の中も探したけれど出てこなかった。
(念のため臺(ベランダ)も調べよう)
臺には足跡一つない新雪が積もっている。刃を雪の中に埋めたかも、と雪の中に手を突っ込み探して見たけれど見つからない。
明渓は朱の欄干に手を置きを乗り出す。下に見えるのは足跡のついていない雪ばかり。欄干からを乗り出して建の右側面を見るもそこにも足跡はない。
(足跡……。燈実が死んだのはいつなんだろう)
どんどんと扉を叩く音がして春蕾がってきた。
「白蓮殿から伝言だ。燈実が死んだのは寅の刻(午前四時)過ぎだそうだ」
「……春蕾兄は昨晩ずっと起きていたのでしょう。雪が止んだのはいつか分かる?」
「確か寅の刻(午前四時)ごろだったと思うが、それがどうかしたか?」
要領を得ない春蕾に苛立ちをじながら外を指差す。
「ここから見る限り外に足跡は見えないの。もし宿の周りに足跡があれば犯人は外から、なければ宿にいることになるわ」
春蕾はうん? と腕組みをしたあとポンと手を叩いた。
「そうか、燈実が殺されたのは雪が止んだあとだから外にいる奴がやれば必ず足跡がつく」
この雪山で、宿以外の場所に人が潛んでいるとは普通は考えにくい。しかし、この宿の周りには湯治場がいくつかあり、中には部屋のように屋や壁がある湯殿もある。そこに潛んでいる可能もないとは言い切れない。
「春蕾兄、ちょっと全員を見てて。私、外を見てくるから」
この場所からは宿の焼け落ちた部分と裏が見えない。そう言い殘して走ろうとする明渓の腕を春蕾が捕まえる。
「ち、ちょっと待て。俺はお前にこいつらを任せて三階を調べるつもりだったんだ」
「だったら白蓮様に頼んで。大丈夫、遠慮しなくていいから」
「いやいや、遠慮も何も、俺が彼の方に指図したら不敬罪だぞ」
「だったら私が頼んだことにすればいいわ」
「……一度、皇族でのお前の立ち位置を教えてくれないか」
なんかとんでもない地位を貰っているんじゃないか、と春蕾は呟く。
その聲は聞こえているけれど、面倒なので無視して階段を下りる。裏口から出ると、廚からこちらに向かう驛文と思われる足跡が一人分。それを確認すると、焼け焦げた宿の部分を見る。屋と柱數本がかろうじて殘って、焦げた土が剝き出しになっている。
そっと爪先を地面に降ろして見る。
(ぬかるんでいるわね)
屋があるので雪は積もってないけれど、水分を含んだ土のヌルッとした覚があった。足先を地面につければ、その跡がしっかり殘った。明渓はを屈め、土の上を隈なく見たけれど、そこに足跡は見つからなかった。
となると、と明渓はその細い顎を指で叩く。
(廚からの足跡は驛文のと見て間違いない。そして、屋敷の周りに犯人の足跡は殘されていない。……つまり、犯人はこの中にいる)
孤立し、雪に囲まれたこの宿は一種の室だ。そう思ってふと『室』という言葉に引っかかった。火の玉といい、手形といいこれで三度目だ。
(本當に三度目?)
焼け殘った柱の隙間から見える先には中達が寢泊まりする長屋がある。そこにあるは本當に事故死なのだろうか。なんだかモヤモヤしたをにじる。明渓はぎゅと目を瞑ると、のもやを吐き出すように大きく息を吐くと、再び二階へと戻っていった。
結局、宿から刃は見つからなかった。外に出て行く足跡もない。
明渓と白蓮が遅い朝食として出された粥を食べていると、春蕾が渋い顔して部屋にってきた。唯一刃を置いている廚を調べたとろ、醫の小刀が一つなくなっていた。それについて、春蕾が今まで繹文を問い詰めていたのだ
「繹文はなんと言っている?」
「自分は醫には指一本れていないと」
「でも、それを証明するのは不可能よね」
していないことを証明するのは難しい。春蕾はうーん、と唸りながら腕を組む。
白蓮が空の椀を明渓に差し出しながら眉を顰める。明渓はそれをけ取り鍋に殘っている粥を注ぐ。ついでにとばかりに春蕾の分も用意するも、春蕾は手を振る。
「いや、俺はあとで別に食べる」
皇族と武が一緒に食事を摂ることはない。むしろ當たり前のように一緒に食べている明渓を半目で見ている。
「それから、繹文が殺した可能ですが、それはないと言えそうです」
白蓮は椀に匙をれ、粥を掬う。を見たあとでも食事を取れる図太さは持っているようだ。春蕾はその様子を見て、話を続けてもよいと判斷した。
「萌の話では、朝、燈実に白湯を用意するのが日課となっているそうです。それで今朝も廚に湯を取りに行ことしたら、丁度繹文が湯を持って出てきたそうです。裏口で白湯をけ取り、部屋に行ったところ死をみつけんだというわけです。廚と宿の間には、こちらに向かう一人分の足跡しかなく、二人の話と一致します」
貓舌の明渓は、匙に掬った粥に息を吹きかけながら、頭が痛くなってきた。言っていいのだろうか。いや、言わなくても皆んな気づいているはずだ。そう思いながら、重い口を開く。
「では、燈実が死んだあと犯人はこの宿を出ていない。にも関わらず兇だけが消えている、ということになるわ」
「殘る可能日は窓から遠くに放り投げただな。とりあえず午後からはその線で調るか」
明渓はやっぱりそうなるかと、グゥッと唸る。足跡と違い投げたとなれば探す範囲も広い。雪の中春蕾一人で探すのは重労働だ。しかも二晩祿に寢ていないその顔には疲労のが浮かんでいる。
「……春蕾兄、私も手伝うわ」
なんだかんだ言って放ってはおけない。そんな自分の格を恨みがましく思いながら言った明渓の言葉に、春蕾は嬉しそうに笑った。そして、粥のった椀を持つと部屋を出て行こうとする。おそらく廊下で食べるつもりだ。
「春蕾、ここで食べろ」
「しかし……」
「宿の者が不審がるだろう。言ったはずだ。俺を醫として扱えと」
春蕾は逡巡したそぶりをみせたあと、扉の前で胡座を組み食べ始めた。傍には剣がおいてある。明渓の手元にも用の模造刀がある。燈実が死んだので宿に刃を持ち込めるようになったのだ。
白蓮は目の前にある醫に何度も視線をやる。その目は厳しく辛そうだ。
(本來なら人を助ける道。それを人殺しに使われたなんて、やり切れない気持ちだろうな)
側にいる明渓は、白蓮がどれだけ醫を大事にしているかを知っている。皇族として來ながらも、それを持ってきたのは、自分の前で人を死なせないという醫としての矜持でもある。
そして、扉の前で粥をかきれる男もまた武としての矜持から一睡もしていないのだろう。でなければ雪が止んだ時間が分かるはずがない。
(そんな姿見せられたら、手伝うしかないじゃない)
冷めた粥を胃に流し込みながらそう思った。
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