《傭兵と壊れた世界》第八十二話:深海での再會

「ヒヒッ……ィ……」

「?」

猛烈な勢いで何かが落ちていった気がした。ナターシャは階段の手すりから吹き抜けを覗き込む。

「リンベル、何か落ちなかった? 変な音がしたよね?」

「いんや、なんにも?」

円筒狀の壁に沿うような階段、その中央にポッカリと空いた吹き抜けに何が落ちたのか。たちはまだ知らない。今はただ、黒く塗りつぶされたような暗闇を進むしかない。

「先を急ぐぞ。時間はあまり殘されていないんだ」

暗闇の奧からエイダンの聲がした。

は長く続かないらしく、迅速に調査を終えなければ再び海水に満たされる。限られた食料で次の干まで過ごすのは不可能であり、そうなったら調査は失敗だ。限られた時間。終わりの見えない階段。最奧までの距離も分からぬまま調査隊は暗闇を進んだ。

吹き抜けを囲むように研究室が繋がっている。水に流されて無慘な狀態になっているが、かつては多くの探求者で賑わったのだろう。螺旋階段を下りて、雑多な研究部屋を抜けて、また階段を下りて、下へ下へと進むのだ。

なりそこないの猛襲は続いた。

ただ進むだけならば容易であるが、無傷で通してくれないのが足地。調査隊は何度も襲撃をけ、自衛手段を持たない商會の者が二名犠牲になった。

なりそこないは人魚を目指した化けだ。冷たい暗闇の中でじっと息を殺し、獲が現れるのを待っている。斷続的に続く襲撃がしずつ調査隊の力を消耗させた。

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「お下がりくださいエメ様、どうか後ろに、このヌラを盾にしても構いませんから、安全な場所へ退避を!」

「安全な場所なんてありません。私だって傭兵です。戦うためにいるのです」

「なんと! 私の隣で戦いたいと申してくださるのですか! 有り余る栄、ヌラは涙で前が見えませぬ!」

「そんなことは言っていません」

小柄なエメは彼専用の拳銃で迎撃しており、二丁拳銃のヌラと背後で援護するエメの姿は皮にも様になった。何度もそうして戦ってきたのだろう。流れるような連攜には互いの信頼関係が垣間見える。

だが、なりそこないは純粋な數の暴力によって調査隊を圧倒した。次から次へと現れる化けに調査隊の足が止められる。このままでは埒が明かないだろう。エイダンは無理にでも進むことを決めた。

「あまり時間をかけられん。俺とウォーレンで道を開くぞ。ヌラとエメは依頼人の護衛、ネイルは狀況を見てけ!」

進め、下りろ、足を止めるな。化けの腕に摑まるな。エイダンは先頭で化けを薙ぎ払いながら調査隊を引っ張った。崩落の危険を考慮して重火砲を使えないため、ヌラと同じ拳銃による応戦、もしくは単純な弾戦によってなりそこないを退ける。

人間のほどはあろう太さの重火砲を擔いで暴れる姿、そのなんと大きな背中だろうか。第三六小隊はシザーランドの英雄だ。それは単に長く生き延びたからではなく、常に戦場の矢面に立って仲間を引っ張ったからである。

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たとえ不利な狀況であろうとも、言葉一つ、重火砲の一振りで士気を上げる。「彼に従えば生き延びられる」と信じさせてくれる。

「私たちも負けてられないわ。ドットルとナナトは後ろを警戒。イグニチャフは護衛の援護、リンベルは私の近くで迎撃して」

同期諸君も闘した。エイダンたちに比べれば経験が淺い支援部隊だが、なりそこないを相手にしても引けを取らない戦いを見せる。

「ナターシャ、ジャンク屋特製のはいらないか?」

「どうせガラクタでしょ」

「ガラクタだって使い方次第さ。まあ見てな!」

リンベルが小さな球を投げた。放線を描きながら化けの群れに飛び込み、やがて耳が痛いほどの甲高い音が鳴り響く。驚いたのはナターシャだけではない。至近距離で音を聞いたなりそこないは頭を抱えながら暗闇に落ちた。

「今の音は何……?」

「古い音響弾だ、凄いだろ。奴らは目じゃなくて耳に頼っているだろうから、こんな玩みたいなでも十分な威力になるのさ」

「せめて音が鳴るって言いなさい。びっくりしたわ」

「驚く顔を見るのもジャンク屋の楽しみってもんだ。ほらほら、また次が來るぜ!」

ポンポンポポポンと音響弾を投げるジャンク屋。敵にも味方にも効果絶大だ。エメから再び刺し殺すような目で睨まれたがナターシャは知らないフリをした。

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數十、もしくは百を超えるかもしれない數の化けを退け、調査隊は最深部を目指す。彼たちを鼓舞するように頭上から歌が聞こえた。きっと誰もいない歌織場でマリーが歌っているのだろう。耳に殘る歌聲は明るい曲調なのに、どこか別れを告げるような寂しさをじさせた。

奧へ進むたびにマリーの歌聲はどんどん遠く、寂しくなっていく。もう二度と會えないほど離れた場所に行ってしまう。古びた研究所に殘響しながら、徐々に細くなっていく歌聲をナターシャは聴いた。マリアン・マレーが織る曲は、文明崩壊以前を彷彿させる古風で繊細な旋律だった。

やがてマリーの歌がほとんど聞こえなくなった頃、調査隊は最後の階段を下りた。

り口が分かるように封晶ランプを扉にかける。

「まずい……浸水が始まっているわ。急がないと干が終わってしまう」

「冷たっ。おいナターシャ、こんな冷水に浸っているとか弱い私は風邪を引いちまうぞ」

「みんな同じだから我慢して。もしもの時は私が抱きしめてあげるわ」

「我慢できないぐらい冷たいから言ってんだよ」

最深部は大きな広間だ。構造はマリーの歌織場と似ており、袖廊の先に円形の吹き抜けがある。本棚の代わりに結晶がびっしりと生えており、中央には人魚ではなく巨大な珊瑚礁が広がっていた。

「ここが探求者の眠る場所かい。とても研究所には見えない有様だ。長い時間の間に海水と結晶で風化してしまったのか。ああ、君たち、珊瑚には気をつけなよ。こんなに小さな個でも火膨(ひぶく)れ珊瑚は毒がある」

クレメンスは地面の珊瑚に足を取られないよう注意しながら進んだ。中央の珊瑚礁は高さだけでも人の背丈の三倍ほどあり、周囲に腕を広げて鎮座する姿は雄大な自然をじさせる。本部分から結晶化現象(エトーシス)が始まっているため、結晶珊瑚、とでも呼ぶべきだろうか。

「あんたの目的はここで問題ないか?」

「そう焦らないでくれエイダン。まずは人魚が言っていたとやらを確認しようじゃないか。探求者のというのはアレだろう?」

クレメンスは結晶珊瑚の中に半を埋めた人間を指した。數は三。知恵と力、そして命の探求者だ。

問題は三人とも亡者のように干からびてしまっていることである。云うなれば木乃伊(ミイラ)。ナバイアが衰退してからの月日を考えれば當然であるのだが、果たして彼らのは殘っているのか。

ナターシャも後に続いて結晶珊瑚を登った。防護手袋越しに伝わるは想像以上にもろく、気をつけて登らなければ珊瑚が砕けてしまいそうだ。

「探求者のはどうかしら?」

「駄目だね、完全に干からびているよ。マリーめ僕を騙したな……いや、人魚の時間覚ではまだ生きていると勘違いしたのか。どちらにせよ目的の薬は殘念ながら無さそうだ」

「ちなみに、もしも殘っていたらクレメンスが飲むつもりだったの?」

「まさか」

商人は肩をすくめる。

「僕は食家なんだ。趣味の悪い富豪に高値で売りつけるだけさ」

「得の知れないしがる好きがいるのね」

「たくさんいるさ。僕のように商の世界で生きていると、良くも悪くも人の多様というものを目の當たりにする。常識が壊れたこの世界、人の倫理も価値観も、時代に合わせて変わるのだ」

「壊れた価値観、ねえ」

「僕からすれば君もソッチ側だよ」

飲みの変態と同じにされては困る、とナターシャは首を振った。だが、ふと冷靜に考えてみると、月明かりの森で黒水を飲んだのだからクレメンスの言葉は否定できない。発端こそ生き殘るための手段だったが、得の知れないを口にした事実は変わらない。

「おや、見てごらん」

クレメンスが探求者の腕を取った。近寄ってみると、探求者のがボロボロに石化しているのが分かる。

「なぜ海底に沈んでいるはずの彼らが干からびているのかと思ったけど、どうやら珊瑚と同化しているようだ。崩れた箇所を見てみたまえ、白化した珊瑚とよく似ている」

「火膨れ珊瑚に吸われちゃったのかしら。探求者の末路としては哀れね」

「人と海の融合を目指したのならむしろ本かもしれないよ」

クレメンスは腕を元の場所へ戻した。

「とにかく薬の件は諦めよう。それよりも研究の資料が殘っているか探そうじゃないか。エイダン、まだが満ちるまでの時間は殘されているかい?」

「さっきまでは薄く張っていた程度の水位が、今は足首まで上がっている。悠長に探す時間は無いぞ」

「急げば問題ないってわけだ。ささっ、手分けして探そう」

ナターシャが思い出したように呼び止める。

「待ってクレメンス。マリーのお願いはどうするの?」

「時間が惜しい狀況だ。急がないと干が終わってしまうというのに、死遊びをする余裕は無いんだよ」

「商人が契約をないがしろにして良いのかしら」

「それは駄目だね。でもマリーは人間じゃない。僕は人間以外を客とは認めないのさ」

問答の時間すら勿無いと言わんばかりにクレメンスは背を向けた。困ったナターシャは隣のエイダンに視線を向ける。

「あなたはどうするの?」

「依頼人の願いを優先する」

「それは何とも傭兵らしい考えだことで」

エイダンが結晶珊瑚から飛び降り、ナターシャは一人殘された。マリーの歌聲は今も微かに聞こえており、彼の願いを無下にするのは流石に良心が痛む。

「死を弄ぶようで気が引けるけど…… 恨むなら私じゃなくて人魚を恨んでね」

ナターシャは腰からナイフを引き抜き、探求者の上に立って干からびたを見下ろした。樹木のように乾燥した。落ち窪んだ瞳。祈るようにの上で両手を重ね、珊瑚に埋もれる死

意を決して元にナイフを突き刺す。干からびているはずなのに生の人間を刺したようなが手に伝わり、あまりの気悪さに手を離したくなった。探求者から淡いれ、珊瑚の奧へ染み込んでいく。

「命の殘かしら。今度こそ眠りなさい、名も知らない探求者たち」

奧まで刺したナイフを抜き、せめて安らかに眠れるように祈った。

ちなみに、當のクレメンスは流されずに殘った研究資料をかき集め、「これは中立國がひた隠しにする軌道技の研究じゃないか! ついに移都市のがあばかれるぞ!」と興したようにんでいる。他の傭兵も総掛かりでクレメンスを手伝っており、結晶珊瑚に登っているのはナターシャだけだった。

「せめてもう一人ぐらい私を手伝ってくれても良いのに……」

そうして他の二もナイフを突き刺して、同じように引き抜いた時である。

遠くで聞こえていたマリーの歌聲が止んだ。歌聲だけではない。上階で騒いでいたなりそこない達の聲も、足元を流れるの音も、全てが止まった。靜寂とした空気。それはいつだって予想外の何かが起きた瞬間。もしくは取り返しのつかない何かをしてしまった合図。

「ねぇリンベル、歌が――」

ナターシャは後ろを振り返った。

いつから立っていたのだろうか。り口に人影がある。最初は調査隊の誰かかと思った。だが、封晶ランプに照らされた影はあまりにも異様な姿だ。

を突き破って生える結晶と珊瑚。極端に細い手足。大きく膨れ上がったお腹を両手で抱える姿。彼はニタニタと笑みを浮かべながら、再會を喜ぶようにナターシャを見つめている。

「おーいナターシャ、どうかしたのかい?」

り口に近いドットルが不思議そうな顔で見上げた。彼は気付いていないのだ。正確にいうなれば調査隊の全員が資料探しに夢中であり、結晶珊瑚に乗っているナターシャ以外は誰も気付いていなかった。

「逃げて」

「ん? 何て言った?」

低い羽音が聞こえてくる。それだけでナターシャに潛在的な恐怖を呼び起こさせる。月明かりの森で何度も耳にした。そのたびに廃教會まで逃げ帰った恐るべき原生生

「早く逃げなさいドットル! そこから、り口から離れて!」

ナターシャがぶや否や、腹抱えの結晶憑きが大口を開けた。ブワッと広がる黒いモヤ。溢れ出すおぞましい覇気。あっという間に結晶憑きのが黒く染まる。

「ヒヒッ、あぁ、ようやく會えたな小娘――俺を覚えているか。お前に負けて、地獄に落とされた男だ――ヒィッ、あぁ、違うか」

黒いモヤに注意しろ。アレは人間や結晶憑きなどに寄生し、対象のに巣食うことで結晶からを守る小さな羽蟲の集合だ。

ナバイアにルーツを持つ宿蟲は殘忍で、獰猛で、そして何よりも聡明である。彼らは月明かりの塔で新たなる苗床を手にれた後、るよりも自由にさせた方が使えると判斷し、あえて苗床に意識を殘した。

「世は地獄、星天に神は無し! さぁ、俺は地獄に帰ってきた。再戦といこうじゃないか小娘!」

ローレンシア軍の特殊部隊隊長、敗北者ロダンがぶ。

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