《傭兵と壊れた世界》第八十四話:守るべきもの
流する水が増えたのだろう。水位がいよいよ腰が浸かる高さまで上昇し、ナターシャたちは各々が近くの珊瑚礁に避難した。逃げ場のない狀況と上昇し続ける水が調査隊を焦らせる。
きが制限されるナターシャたちに対し、ロダンは宿蟲を足場にして宙に浮いた。執念に燃える瞳が調査隊を見下ろす。
「リンベル、火炎瓶はあと何個?」
「三つだけだ。だが奴に炎は効かないぞ」
「宿蟲を封じられるだけでも十分よ。すぐ投げられるように全てそこへ置いておいて」
肩が重い。隊を率いる者にしか分からぬ重圧だ。誰もが理不盡な生に恐怖し、自分が狙われたらどうしよう、もっと広い足場はないか、と探す一方で、ナターシャだけは隊全の位置を把握し、迫り上がる水位と殘された時間を考えていた。そんな彼に救いの手が差しべられる。
「手を貸そう」
ヌラだ。
彼は何食わぬ顔でナターシャの隣に立っていた。隣、つまりは水の上だ。の力で堂々と水面に立ち、一切の恐怖もないと云わんばかりに二丁の拳銃を構える。
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「エメに付かなくて良いの?」
「向こうには隊長がいる。ウォーレンとネイルもいる。ならば私の役目は、この場所で、エメ様に追い縋らんとする不屆き者を殺すことだ。迷うまでもない。貴様もそうだろう?」
ナターシャは口を曲げた。「第二〇小隊ならば判斷に迷うな」と挑発してくるのだ。彼は結晶銃を擔ぎ直す。細く、長く息を吐き、深い海の中へ意識を埋沒させ、「仲間を生還させる」というただ一點にのみ集中する。
「迷ってなんかいないわ。私は一度も迷っていない。そんな時間はないんだもん」
ナターシャは全員宛てに通信をつなげた。
「――私とヌラは殘るわ。他は先に退避。出路の確保を優先して」
背後に立つリンベルから非難がましい視線をじた。そう睨みなさんな。ここが正念場、そして自分は第二〇小隊。足地の化けには負けられない。
「私も殘るぜナターシャ。奴に近づかれたらお前だって対処できないだろ」
「ヌラがいるから大丈夫よ。いいから先に逃げなさい。どうせイグニチャフが足を引っ張るだろうから、リンベルが手伝ってあげて」
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「だが――」
「いいから行きなさい」
ナターシャはおもむろに立ち上がり、なおも食い下がろうとするリンベルを水面に蹴落とした。
あらゆる無駄を排除せねば勝てない相手だ。恐怖は無駄、迷いも無駄。敵を貫くという一點のみに集中する。
「ヒヒッ、守りたいものは遠ざけたいよな小娘、わかるぞ」
沸々と火のを飛ばすロダン。
「だが戦いは數だ。數こそが絶対的な正義だ! 個は群れに勝てぬ。傭兵が二人殘ったところで意味がない!」
炎の男が宙を蹴る。を焦がし、執念の炎で心も焦がしながら、男は拳を握りしめた。脳を結晶に食われたロダンは、既に正常な思考能力が殘されていない。宿蟲の苗床として生きるうちにあらゆる希を失った。ただ一つ。結晶憑きに墮ちる間際、自らを宿蟲の群れに追いやったの姿のみを反芻する。
「お前は脅威だ。我らが祖國、偉大なるアーノルフ閣下の障害だ! あぁ、これで國に帰れるぞ! 勇敢なるロダン小隊の凱旋だ!」
「真に偉大なのはエメ様だ。貴様のような愚か者には分かるまい」
ヌラは水面を蹴った。による力を推進力に変え、人間離れした腳力でロダンに接近する。
ロダンは歓喜の笑みで歓迎した。今にも抱きつこうと両手を広げて襲いかかる。口元に見え隠れするのは宿蟲の羽。ヌラを苗床の仲間にするつもりだ。
「矮小なり。星天教の威において、萬は矮小なり!」
ロダンの結晶化したが鉄壁の鎧となって、あらゆる銃弾をはじいた。
「違うな結晶憑き。エメ様以外の全てが矮小なのだ!」
ヌラも銃が効くとは期待していない。ロダンの懐に潛り込み、流れるような作で人の弱點、ロダンの顎に蹴りを放った。
ただの蹴りではない。によって増幅された力がヌラの足に込められる。
「合わせろ小娘!」
掛け聲と共にロダンのが浮いた。更にもう一発、瞬時に繰り出された回し蹴りがロダンの腹部を打ち上げる。
「任せなさい」
ナターシャの狙撃が追い討ちをかけた。一発はロダンの額(ひたい)、次いでヌラの回し蹴りによって凹んだ腹部に二発。正確な銃弾が燃える男に放たれた。
たとえ生でなくとも結晶化現象(エトーシス)を引き起こすことは可能だ。人の手が加えられたものならば何でも結晶に飲まれる。故に文明が滅びたのだから。だが、既に結晶化したものは例外である。
「オエッ、ヒヒッ、我らが加護に謝する!」
ロダンは倒れない。
結晶憑きにも痛覚は殘る。しかし、を焼かれ、骨に銃弾が撃ち込まれようとも、ロダンはニタニタと歪んだ笑みを一度も崩さない。
◯
激戦の一方で、影の闘と呼ぶべき努力を見せる者がいた。
ナナトだ。
「しっかり摑まってねー。俺ってそんなに力ないからさ」
「がーぼがぼがぼ」
ナターシャは知らなかった。リンベルは泳げないのだ。
「げほっ、あの野郎、私を殺す気かよ」
「リンベルなら大丈夫だって信頼したんじゃないの?」
「……そうか?」
胡な表を浮かべつつ、信頼という言葉にしだけ嬉しそうな様子のリンベル。存外、灰被りは簡単に舞い上がる。
「あっ、そっちじゃないよイグニッち、こっちこっち。ドットルは……おっ、既に逃げてるね、流石の逃げ足だ。イグニッちも見習いなよー、戦場で生き殘るのはああいう強(したた)かな人間さ」
「う、うるせぇ、あいつは軍で訓練をけているからだろ」
「言い訳しても生存率は上がらないぜ……あぁっ、またリンベルが沈んでる」
「がーぼがぼ」
頭上を火のやら宿蟲の死骸やらが飛びう中でナナトは懸命に仲間を運んだ。もちろん焦りはあるのだが、狩人の経験が彼を冷靜にさせる。事に頓著しない分も理由の一つだろう。
「ナターシャが俺たちのために戦ってくれているんだから、せめて邪魔にならないよう急ぐんだよ。というかリンベルさ、泳げないくせに殘ってどうするつもりだったの?」
「ガボッ」
「あはは、そんな怖い顔で睨まないでよ」
り口まであとしだ。そう思ったのも束の間、ナナトの前で水飛沫が飛んだ。
「うわっ!」
ヌラが吹き飛ばされたのだ。彼は水を滴らせながら水面に立ち、ふとナナトの存在に気づいて「まだ居たのか」と怪訝な顔をした。
「早く逃げんか」
「俺は結構頑張っているつもりなんですけどねぇ」
「ふん。俺とあの小娘に比べれば、仲間を抱えて逃げる程度簡単だろう」
「いやはや、おっしゃる通りで」
吹き飛ばされたヌラの代わりに、ナターシャが火炎瓶と狙撃を駆使してロダンの足を止めている。珊瑚の丘に背中を預け、片膝を立てて結晶銃を構える。火膨れ珊瑚の淡いが彼を包み、火のが舞うたびに周囲の結晶が反する。まったくもって場違いなであるが、一枚の絵になるようなしい景だった。
「やっぱりナターシャは凄いねぇ。何であんなに強いんだろう。やっぱり守るべきものがあるからかな?」
「守るものは大抵の人間が持っている。大切なのは何を守るかだ。自らのを投げ打ってでも守りたいものがある人間は、努力を苦とも思わずに繰り返し、努力の中が正しいかを問い続け、時に豪運すらも手繰り寄せる」
「ちなみにヌラっちは何を守っているの?」
「エメ様のすべてだ」
「ですよねぇ」
分かっていた答えにナナトは納得する。
「貴様は何を守る?」
「んー、なんだろう。俺って狩人だし、やっぱ誇りとか? あっ、イグニッち達も守りたいし、集落のみんなも大事だなあ。師匠とか學士様とか……祭司様にもまだ想いを告げていないし」
「そうか。ほら、守りたいならば拳を握れ。奴が來たぞ」
「え?」
ヌラを追うようにロダンが飛んでくる。よく見れば額の一部にヒビがっており、繰り返し撃ち込まれた銃弾が著実に傷を作っていた。
「無理でしょ! あんなの毆ったら俺の骨が砕けちゃうよ!」
「狩人ならばの一つや二つは持っているだろう。今こそ見せ場ぞ年よ」
「傭兵の間は使用できないの! 一人前の狩人になって初めて許されるのさ! あぁ、もう目の前、すぐそこだよ!」
「ふむ、仕方なし」
ヌラが拳銃を納め、水面に這うような勢いでを屈める。収と発散、狙うべきは脆い箇所。彼のが青白いを発した。
「ぬん!」
力の発は一瞬だ。目で追えないほどの速さで振り抜かれた足がロダンを捉え、頭部にっていたヒビを更に広げた。空気が揺れ、衝撃波がナナトの髪を巻き上げる。
水面に立つヌラの背中が堂々としていた。戦士の、人間の格とも呼ぶべき覇気が滲み、決して先を通さぬという不の覚悟がじられた。
「誇りを守れん男はする者を守れない。する者を守れん男に、誇りなどない! 仲間を守りたいならば漢を見せたまえ年!」
ヌラは変人だ。エメを過度なほど崇高する奇天烈で型破りな男だ。だが彼の言葉は常に本心のびであり、エメを守るためだけに磨き上げた力は足地にも通用する。その大きな背中にナナトは目を輝かせるのであった。
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