僕は神様と東に走った。

朝方、太に向かっているのに、は夕焼け。世界全が狂ってしまったようで、ひどく不気味だ。

真っ赤なをけながら、大狼フェンリルが逃げていく。

「ソラーナ、このまま追い払って、ヘイムダルの戦いに加わろう！」

「うむ！」

前線に至るまで、冒険者達の戦列が１０層以上に連なっている。そこを『黃金の炎』を使った速さで駆けぬけた。

最前線へたどり著く。

どん、どん、と落雷のような轟音が前に進むにつれ大きくなった。

ヘイムダルとユミールが、剣と拳をぶつけ合っている。力の余波で周りの土がめくれあがり、不用意に近づいたスケルトンがバラバラになって吹き飛んだ。

「ヘイムダル！」

僕は聲を張った。傷だらけの顔でヘイムダルが笑う。

「來たか！」

「うん！」

ユミールの巨が地に拳を打ち付ける。巻き上がった土砂を、僕はを低くして掻い潛った。

「ガァ！」

り込んできたコボルトを短剣で切り払う。もう東ダンジョンの魔なんて、相手にならない！

腕利き冒険者が多い東側は、すでにあちこちで魔を押し返している。

ソラーナが囁いた。

「……加勢の前に、要注意だ。ユミールは油斷できぬ」

「わかってる。ロキも言ってた、敵にも策が――」

そこで、空気がびりっと揺れた気がした。

震えが中をはい回る。

「な、なに……？」

音の壁が叩きつけられた。

ユミールが空に向かって咆哮を放っている。

思わず腰を屈めた。そうしないと圧力で吹き飛ばされてしまいそう！

ソラーナが前に出て、僕のを抱いた。

「これは……何かの魔力が、渡っていく！」

あちこちから魔のびが強まる。冒険者の聲が耳をなでた。

――なんだこれは！

――倒した、魔が！

悲鳴に近い、狼狽聲。＜狩神の加護＞で探知しなくても、起きた異変はすぐにわかった。

倒されて灰になりかけていた魔達。

それが次々と起き上がり、戦闘を再開する。

ゴブリン、コボルト、オーク、炎魔犬(ガルム)、水馬(ケルピー)、それに巨人兵。種類も大きさも無関係。

しでもが殘っていたものは、蘇っているようだ。

「グ、ガ……！」

僕は後ろを振り返った。

さっき切り払ったはずのコボルトが復活してる。短剣を左手に持ち替えていた。右腕が灰になっているからだろう。よろよろと、こっちへ歩いてきた。

呟きがれてしまう。

「……復活？」

「いや、おそらく違う」

ソラーナが金の瞳をひらめかせた。

「これは……蘇生ではない。もっと別の、ひどいものだ」

飛び込んでくるコボルト。

「グ、ガガァァ！」

吠え聲というより、悲鳴だった。

これ、楽にさせなくちゃ――。

そんな気持ちが閃いて、僕は全力でを薙ぐ。今度こそトドメだ。上下に両斷されたは、真っ白い灰になって消える。

さらなる異変に気付いた。

コボルトが、何も落とさない。ドロップアイテム――必ず殘るはずの魔石さえ殘さないんだ。

「ソラーナ、これって……」

「魔は、死ぬときに魔石を殘す。息絶える時でも、いくらか魔力を殘すということだ。そしてこの狀況を見るに、ユミールは魔達に命じて絞り出させている」

何を、と聞こうとした。

でも答えは明白。

「魔石か……！　魔って、死んでも魔石分の魔力は必ず持っているから……！」

魔が死後、必ず殘す魔石。

ある意味、存在の核ともいえる魔力さえ、ユミールは絞り出させているんだ。

ソラーナがユミールを睨んだ。

「死にかけの魔に、さらなる苦痛を與えて、もう數分の働きを強要させている！」

戦況の風向きが、また変わろうとしていた。

狼骨フェンリルがユミールのさらに後ろに下がってから、じっとこちらを見ている。

ヘイムダルが振り返った。

「リオン、城壁へ戻れ！」

背骨を氷柱が貫いたような寒気。

そうだ、あそこには、まだあの魔の死がある――！

「急げ！　妹を守れ！」

一度は倒された魔が、ヘイムダルに殺到する。前線が、真っ黒い大波に飲み込まれていく。

「でも、でも……！」

「ゆけ！　大事なものを誤るな！」

僕は、城壁に向かって走った。

何に替えても守るって誓いが、今は重い。

◆

狩神ウルにとって、初めての経験が起こった。戦いの最中に、弓を取り落としそうになったのだ。

――オオオオオオォォォオオオ！

ユミールが咆哮をあげている。生き全て震わせる、原初の巨人の――創造主のび。

人間だけでなく、魔までが一瞬だけ戦うのをやめる。雷が鳴った時にをすくませるのと似ているかもしれない。本能的な恐れは、どんな生きでも誤魔化せない。

「――はっ！」

ウルは我に返った。

視線を下に向け、弓を構え、今まで追っていたその人を探す。

――いない。

眉をひそめる。

「……フレイ、どこへ消えた？」

咆哮とタイミングを合わせて、気配を消したのだろう。

フレイ神は今や人間のに宿っていた。完全に神としての力を封じれば人間に紛れることができる。警戒していたが、ユミールの咆哮で注意が奪われたところを狙われた。

「ボクとしたことが！」

その時、地上でびが起こる。

城壁の近く、倒されたはずのハティが錫杖をついて立ち上がっていた。

「グ、ガ、グ！」

元は２メートル超の巨だったが、左半はすでにない。膝から下も灰になっており、立ち上がったというよりは、を起こしたという方が相応しかった。

眉間は深く陥沒し、左目から顎下にかけて、そっくり欠けている。口が耳まで裂けた右半面と、欠落し目だけが殘るもう半面。虛ろな眼差しが城壁を睨んでいる。

「ガァ……」

それでも、ハティは魔法を使った。

創造主に命じられたまま、苦痛と恐怖のびをあげ、錫杖を振るう。

「蘇生……！？」

ウルは矢をれ撃つ。

両目やといった急所を神威の矢で抜かれても、ハティは魔法を止めない。

狩神のが寒くなった。

まるでり人形だ。痛みも意思もなく、恐怖にだけ突きかされている。

ミアやフェリクス達が近くに殘っていたが、鎖斧も、魔法も、ハティのを砕するには及ばない。

「ギギ、ガ、カァ！」

伝説の魔の、最後のあがき。

特大の魔石を殘して消えるところ、その魔石分の力を、全て魔法に変えていく。

城壁は、速攻をもう退けたと思い込んでいただろう。そこに、炎、巖、そして氷が豪雨となって降り注ぐ。

連鎖するのは、怒號と悲鳴。小人達がもう一度備え付けた巨大弓(バリスタ)や、置いてあったゴーレム核が軒並み破壊された。

「ガ……ア……ぁ」

生涯最後の破壊を振りまいて、ハティはどうっと倒れる。

ハティは黒い灰ではなく、白い灰となった。かっと見開かれた目と、舌をひきつらせた口が、苦痛を語っている。

ウルのから聲がれた。

「恐怖で、命の最後まで戦わせたのか」

ぞくりとする。

原初の巨人と、魔達の関係。

それは圧倒的な、支配と被支配だ。

「……まずいぞ」

ウルは、神々に向かって念じた。

「すまない、フレイを見失った。この空気、猛烈な反撃が來るぞ！」

ウルは歯噛みする。

相手を狙いにい込んで、戦闘を有利に進める――それが作戦だった。

けれども、フェンリル達を退けた今、城壁前の防備は薄くなっている。い込まれたのは、神々の方かもしれない。

◆

男はと泥にまみれた姿で、城壁に戻る負傷者に紛れていた。

無理をしてきたせいか、視界が滲んで、足元がおぼつかない。

よろめいた時に、誰かが男の肩を支えた。

「……ひどい姿だな。ほら、摑まれ」

男は小さく顎を引く。

「ああ」

は泥まみれ。金髪はくすみ、あちこちについたがぷんと鼻を刺激した。

といっても、の方は返りばかりだが。

肩を借りながら、男は負傷者のように城壁へ向かって歩いた。

やがて、城壁前から魔の吠え聲が起きた。

恐慌したハティが、最後の命まで使い果たして、魔法を城壁にする。

予定通りのり行きに、男は目を細める。

「……可哀そうに。だが捨て駒ごくろう、ハティ」

死んだあとは魔石さえ殘るまい。自分の核となる、魔石として殘るべき魔力さえ、魔法にして投してしまう。

耐え難い苦痛だったはずだ。

微笑し、フレイは顔につけていた泥をぬぐった。

「私も行くか」

剣を、一閃する。

肩を貸してくれていた冒険者が倒れた。

すでに城壁の足元だ。ハティの魔法で、壁からはいくつもの黒煙が上がっている。

フレイは、神殿の大塔を見上げた。

あの中に妹がいる。泥をかぶってをひそめるなど、神々しさなどまったくない行為だ。それでも妹のためなら、どんな恥辱でも耐えて見せる。

フレイは泥のついた顔で笑った。

駆け出す。

「お前、フレイか！」

フローシアで顔見知りだった冒険者がいたのだろう。

そうんで來るが、すれ違いざまに切りつける。

フレイは走った。

上空のウルに見つかる。

次々と矢がやってくるが、今が、最大の好機だ。切り払いきれない矢が背に刺さる。それでも足を止めなかった。

城壁が迫る。駆けのぼる。

弓使い。巨大弓(バリスタ)。小人のゴーレム。

かろうじて殘った防設備を、次々と切り裂いていく。誰か來い、続いてくれ、と願いながら。

――オオオォオオオ！

今度は、世界蛇(ヨルムンガンド)の咆哮だ。巨は魔力でさらに大きくなり、一時的に、神殿の大塔より頭の位置が高くなる。

トール神との戦いは劣勢だったが、この魔も死力を絞ることを強制されているのだろう。

城壁の上で、フレイは剣を石積に突き刺した。魔力を流し込む。

全力でんだ。

「ここだ！　來い！」

大蛇にミョルニルが打ち込まれ、を吐いた。それでも世界蛇(ヨルムンガンド)は痛みをじていないかのように、城壁にを叩き付ける。

ハティの魔法、フレイの魔力で弱っていた城壁が、世界蛇(ヨルムンガンド)の突進で崩れ去る。

大蛇のを盾にして、鼓舞された魔の群れが神殿の城壁へ殺到した。

遠くでは、無數の復活した魔と共に、ユミールがヘイムダルの守りを抜いた。蛇が穿ったに向け、ユミール達が迫ってくる。

お読みいただきありがとうございます。

次回更新は１０月８日（土）の予定です。

（１日、間が空きます）

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