《傭兵と壊れた世界》第八十六話:失われたおもいで

研究所から帰還する際、ナバイアの原生生がナターシャ達を襲うことはなかった。母なる妖が七りながら夜空を飛び、調査隊を見送るように巻貝の歌が流れる。研究所に眠る探求者は原生生たちの王だ。探求者が眠った今、ナターシャたちを襲う理由は無くなった。珊瑚憑きが水面に頭をり付けて、おかえりなさいませ、辛い道中だったでしょう、二度と訪れませぬようお願いします、と何度も何度もナターシャ達に懇願した。

原生生の脅威が無くなった結果、調査隊は何事もなく帰還した。金融都市カップルフルトに到著した彼達はブルフミュラー商會の本部に案され、調査の功を祝ってささやかな祝賀會が開かれた。本來の目的であるナバイアの薬は手にらなかったものの、研究所に殘された資料は大層貴重なものだったらしい。

たとえば、中立國がひた隠しにする機船の製造技。探求者は中立國の創始者であり、機船の研究もまたナバイア水沒原で行われていた。かの技は莫大なエネルギーを生み出す反面、研究に大量の冷卻水が必要であり、探求者達は水処理施設という建前の裏でナバイアの海を利用していた。

そういった外(・)部(・)に(・)(・)れ(・)て(・)も(・)構(・)わ(・)な(・)い(・)(・)(・)はクレメンスが得意げに話してくれた。それはもう隠し事を共有したい子供のようにペラペラと口走った。

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そんな口の軽くなった商人がらした戯言の一つにこんな話がある。

いわく、移都市ヌークポウは百年戦爭のために作られた巨大兵であり、巨大船の力は中立國の技が使われている。

話半分に聞き流していたナターシャも故郷の話題には興味がひかれ、気付けばの良い話相手としてクレメンスに捕まった。

宿蟲が高い知を持つのはナバイア由來の生きだからだ。

永遠の命を求めた実験、その過程で生まれたヨナキや妖は半永久的な壽命を持つ。

火膨れ珊瑚の毒は特別な方法によって薬にもなる。

そんな噓か本當か分からぬ話を延々と聞かされたナターシャは、「二度と商人の話をまともに聞くもんか」と心に誓ったという。

賑やかで楽しかった祝賀會も終わり、たちは現実に戻される。

華やかなパーティー會場から一転して薄暗い地下街を進むナターシャ達。本來の目的であるリリィの実家に向かっているのだ。地上階は商人のが街を照らしていたが、地上の競爭社會からはじき出された者達が集う地下は街燈がほとんど存在しない。ポツポツと家の明かりがれる程度。それも下層に降りるほどなくなっていく。

「本當に道は合っているのかしら。イグニチャフの案は不安だわ」

「安心してついて來い……と言いたいが、あいにく二日酔いでな。俺はもうダメかもしれん」

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「ダメなのは元からだろ。ほら、地図をよこせ。リンベル様が案してやるぜ」

くしゃくしゃの地図を渡されたリンベルは眉をひそめた。隣からナナトが覗き込む。

「ねぇねぇ、本當にこの地図合ってんの? どう見ても道が違うと思うのは俺の気のせい?」

「私も同だぜナナト。どうせイグニチャフが道を間違えたんだ」

「うるせえ、間違ってねえよ。よくみろ……リリィの家は夢街道十三番地の旗の下、四十苦節の坂を降りて、おもいで賭博場を抜けた先……ほら、合っているじゃないか」

イグニチャフが指をさした先には「おもいで賭博場」の立看板が見えた。はてこれはおかしいぞ、とリンベルは首を傾げる。

「家が増築されて道が変わったんじゃないかしら。カップルフルトではよくあることでしょ」

「ナターシャが言うんだから間違いないぜ。俺は方向覚に自信があるんだ。いつでも祖國に向かって祈るために……うっぷ」

「二日酔いなんだから無茶をしないの。吐きたかったら吐いていいわよ」

「そうか? なら遠慮なく……」

「きゃあっ、こっちに來ないで馬鹿神父! 道端にって意味よ!」

ナターシャたちの聲に負けないほどの歓聲が、おもいで賭博場から聞こえた。

一行は夜の道を進む。頭上をくるくると回る羽達を白黒に分けた。神父の顔は白く照らし、小太りの顔には影を落とす。

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「地下二層は賭博が盛んな地域らしいわ。金も地位も全部失った人が、一発逆転を狙って賭博場に足を運ぶんだってさ。分からないものねえ、全て失うような人間が賭博で逆転できるはずがないのに」

「そのとおりだよナターシャ。僕もんな人を見てきたけどね、地の底にまで落ちるような人間は、たとえ一度功してもいつか足を踏み外すのさ。彼らは何度だって、おもいで賭博場に帰ってくるよ」

一度の功で返り咲く人間は、そもそも地下二層まで落ちたりしない。ここは敗者が集う地下街だ。夢に敗れ、志(こころざし)を捨てたならず者が、ダラダラと生にしがみつく街だ。

自然と足が早くなる。賭博場の聲が屆かない場所へ行きたい。黒、黒、時折混じる照明の白。彩度の低い世界に迷い込んだを、青白い顔の住民が見送った。

「嫌な街ね」

誰もが頷いた。きっと、カップルフルトを嫌な街だと思えるうちはマトモなのだ。一度でも金融都市のに染まれば戻れない。が持つ白金の輝きも金融都市の闇は照らせない。

やがて一軒の家が見えた。だらけの壁を植で塞ぎ、木の葉の隙間から暖がもれている。聲は聞こえない。人が住んでいる気配もない。ただだけが、雲の切れ目からさす月のように壁の隙間からこぼれた。

「誰かいるかしら?」

押せば倒れそうな戸を開けると、中からった空気がナターシャのでた。人がいる気配だ。だが姿は見えない。ナターシャは後ろ手で合図を出すと、足音を殺して中に進んだ。の視線は雑に積まれた服の山に向けられる。

「そこね」

「ひぃっ! 違うんだ! 今度こそ當たるはずだったんだよぉ、もうしだけ待ってくれ! 必ず返すから!」

「失禮ね。誰と間違えているのかしら」

服の山に隠れていたのは垢汚れた男だ。彼がリリィの父親だろう。油ぎった髪は何日も風呂にっていない証拠であり、死臭に慣れているナターシャも思わず不快な気持ちが顔に出そうになる。

「私たちはシザーランドの傭兵よ。リリィの代わりに、彼が殘したを屆けにきたの」

「ほぉ、シザーランドの? ということは借金取りではないんだな?」

「そうよ。だから奧に隠れている子供たちにも安心するように言ってちょうだい」

父親が驚いたような顔をした。この程度の気配は傭兵ならば誰だって分かるだろう。もっとも、どこぞの元神父を除いての話だが。

奧から様子を窺うように現れたのは母親と思しき、そして緩い癖だ。歳は十二ぐらいだろう。リリィとよく似た顔立ちをしており、怖じない様子は年齢以上に肝が據わっている。

「あなた達は誰ですか?」

「私はナターシャ。リリィとは同期だったの。あなたの名前を聞いてもいいかしら?」

「妹のチェルミィです」

チェルミィは頭を下げた。母親はまだ疑うような表をナターシャに向けたまま、チェルミィを後ろから守るように抱いている。疑い深い格はカップルフルトに住む人々の特徴だ。

「殘したものってのは一何のことだ?」

父親が期待するような目で鞄を見つめる。

「リリィは……任務で殉死したわ。この鞄には彼が使っていた道や思い出の品、任務で得た報酬金、それから、見舞金が詰まっている。なくない額よ。多分、元々あなた達に送るつもりで貯めていたんだと思う」

「よくわからんがはよう貸してくれ。中が気になって仕方ない」

父親は奪うように鞄をつかんだ。背後のイグニチャフから「ちょっとあんた」と不快そうな聲があがり、「どうどうイグニっち。ここは人の家だから」とナナトが宥めている。

ドットルは無言。ただただ表に影を落とすのみ。

帰ってきた娘にかける言葉が他にあっただろうに。ナターシャは靜かに目を細める。見たくない。知りたくない。足地から帰ってきたはずなのに、ここにも地獄が存在する。リリィが傭兵になってでも故郷から離れたかった理由の一端にれた気がした。

「本當に貰っていいんだな? 後から返せと言われても無理だからな?」

ナターシャは彼の問いには答えず、室を見渡した。家らしきものは一つも無く、戸は破れ、床板も剝げ、ゴミ山の中に催促狀らしきものが見えている。

「賭博が好きなのね」

「へへっ、おもいで賭博場の前をあんたらも通ったんだろ? あそこは夢街道で一番の賑わいなんだ。つい二、三日前に大負けしちまってよぉ、大事なもんをぜーんぶ持っていかれた」

「家財は全て投げ売ってしまったのかしら。ほどほどにした方がいいと思うわ。借金をするぐらい厳しい生活なんでしょ?」

「あぁ、まぁ、金は必要じゃないんだ。場料さえ支払えるなら誰でも賭博に參加できる。なにせ俺たちが賭けるのは金じゃないからな」

「じゃあ何を賭けるの?」

父親は頭に指を當てた。

「おもいで、だよ」

彼は気味の悪い笑みを浮かべる。母親も「よそ者はそんなことも知らないのか」と馬鹿にしたような顔をする。

「大事な人との記憶、忘れられない思い出、する者との繋がり、絆、友。俺たちが賭けるのはさ。あんた、を食らう大目玉の噂は聞いたことがあるだろう?」

「金融都市の地下には人を捨てた化けが住んでいるっておとぎ話でしょ」

「いんや、それは真実だ。大目玉はカップルフルトの守り神でな。人間のを食って生きているんだ。つまり街を守ってもらう対価だよ。賭博で負けた人間はを捧げ、勝った奴は莫大な富を得る。そうして街は回るんだ」

遠くから歓聲が聞こえた。今この瞬間にも、誰かが栄を摑み、誰かが涙を流しているのだろう。

「せっかく金融都市に來たんだ。あんたらも賭博場に寄っていけよ。なんなら俺が紹介するぜ」

「結構よ。私たちは任務で來ているの」

長居してはいけない。金融都市の闇が目の前にまで手をばし、ナターシャを「あちら側」へおうとする。それは本能的な直だ。だが、ナバイアに踏みれた時と同じぐらい、ナターシャは得の知れない悪寒に襲われた。

「代わりに聞きたいんだけど、以前に大國の花(イースト・ロス)が蔓延した時のことを教えてくれない?」

「あぁ、あれは酷かったな。地下街から中毒者がわんさか現れてよ、あまりにも多いもんだから上の人間まで出てきたんだ。上界と下界が手を合わせるなんて前代未聞だったぜ」

「でも収束したのよね?」

「ブルフミュラー商會が売人を捕まえたのさ。おいお前、たしか売人は男の二人組だったよな?」

母親が首を振った。

「違いますよ、初めは二人とも捕まりましたが、売人だったのはの方です。の夫婦で近所でも評判だったから、余計に皆が驚いたそうですよ」

「捕まえた方法とか、売人の特徴は知らないかしら?」

「私みたいな地下街の人間は知りませんよ。あぁ、でも本當にしい二人でした。すらりと細い手足に、異國のじさせる顔立ち、二人が並べば花が咲いたとか。でも売人の罪を問われては処刑、男は絶して街を出たそうです」

つまり手がかりは無しというわけだ。

「そんなことを聞いてどうするんだ?」

「シザーランドでも大國の花(イースト・ロス)の中毒者が現れたの。本當に迷な話よ」

「それは大変だ。頑張れよ嬢ちゃん、売人探しは骨が折れるぜ」

達は家を出ようとした。

だが一つだけ思い立ったナターシャは父親に問いかける。

「……ねぇ、あなた。數日前に大負けしたのよね。いったい何を賭けたの?」

「さぁなぁ。覚えてないさ。だって全部捧げちまったんだからよ」

それはそうだ。負けたのだから何も殘っていない。

返事を聞いたナターシャは再び目を細める。細く、もう目を閉じているのではないかと疑うほどに、救いのない現実から目を背ける。

その後は何も言わずに家を出た。遠ざかる傭兵達の後ろ姿を見つめながら、父親の男は不思議そうに首を傾げる。

「帰ったか。それにしても何だったんだろうな。おいお前、心當たりはあるか?」

「私が知るもんですか。どうせあなたの賭博仲間じゃないんですか?」

「まさか。リ(・)リ(・)ィ(・)な(・)ん(・)て(・)名(・)前(・)は(・)知(・)ら(・)な(・)い(・)ぜ(・)」

両親は一度だけ顔を見合わせてから「まぁいいか」と笑った。彼らは何も覚えていないのだ。自分達が何を賭けてしまったのか。思い出の在り処はどこか。負けがかさめば、かさむほど、大切な思い出が失われる。

「細かいことはどうでもいい。これでもう一度おもいで賭博場にいけるぞ! 今度こそ俺たちが勝つんだ。待っていろチェルミィ、今夜はご馳走を用意してやる」

垢汚れた男がチェルミィの頭をでた。

「良い子で待っていなさいチェルミィ。すぐに帰るわ」

意地の悪い母親がチェルミィの頭をでた。

二人はそそくさと用意をして、リリィの鞄を片手に出発する。行き先はもちろん、おもいで賭博場だ。不思議と今日は勝てるような予がした。これで薄暗い地下暮らしともおさらばだ。

遠ざかる、三人の後ろ姿を見送りながら、チェルミィは小さく呟いた。

「ばいばい……お姉ちゃん」

死者の想いは闇の中。おもいで賭博場に歓聲が響く。

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