《傭兵と壊れた世界》第九十話:知らない街

ナターシャは商業區まで走り続けた。鉄板の壁にを預けながら息を整える。まだ心が揺しているのだろう。無駄な力がって余計に力を消耗した。

日はまだ落ちていない。だが、東の空から分厚い雨雲が広がっている。った空気は雨の香り。幾重にも層をなしながらを濃くする曇天を見上げた。ナターシャの瞳もまたがぐるぐると渦巻いていた。活気のある商業區のに照らされて、の影は深く、長く、パイプの奧にびていく。

「はやく、帰ろう……」

一歩踏み出す。

帰ったら団長に報告だ。売人が見つかりました。大國の花(イースト・ロス)を國に広め、傭兵の報をローレンシアにらしていたのは私の同期でした。

どの面を下げて言おうか。売は重罪だ。ましてや大國の花(イースト・ロス)の被害は甚大(じんだい)である。深刻な中毒癥狀によって生まれてくる子供にも悪影響が殘り、優秀な傭兵になるはずだった人材が芽を摘まれる。許され難い、行為だ。

団長は処分を命じるだろう。選ばれるのは恐らくイヴァンだ。表に出せない汚れ仕事は第二〇小隊の役目。他に適任者はいない。

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だが、それで良いのか?

人を撃つのが苦手だったと打ち明けてくれたイヴァンに、撃たせて良いのか?

駄目だ。彼は優しい人なのだ。ナターシャは知っている。イヴァンが「合理的に考えよう」と口にするくせに、彼自が非合理的な行を取ってしまうのは、合理的だった妹の影を追ってしまうほど繊細な人間なのだ。なのに見栄っ張りで弱い部分を一つも見せない。

そんな男に撃たせたら、ナターシャは一生の後悔を背負うことになる。

ならばどうする?

説得は不可。黙認なんてもってのほか。

撃てるのか?

この手で、友を。

早く帰らないといけないが、ナターシャの足取りは急に重くなった。心の疲労。それ以上に、シザーランドへ帰還することへの重責。

「おーい、嬢ちゃん。どうだい、新鮮な果実を買わないかい?」

ナターシャは足を止めた。見れば懐かしい店がある。寄宿舎(きしゅくしゃ)暮らしだった頃によく利用した野菜売りの店であり、ナターシャが最後に買いをしたのもこの店だ。

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「悪いけど急いで……いや、一つ貰おうかしら」

ナターシャは自分でもわかるほど焦っている。こんな狀況でアリアに會ってもまともに話せないだろう。し冷靜になる必要があった。

「まいどあり。見ない顔だが旅人かい?」

「パルグリムの商船に乗ってきたの。久しぶりに訪れたら街が変わっていて驚いたわ。知っている店が全然ないんだもの」

「そりゃあそうだろうな。商業區の競爭率はピカイチだ。ぼーっとしていたら店が潰れちまうよ」

商業區の風景はナターシャの記憶とずれている。同じ道、同じ場所、されど、構える違う店。ナターシャが思っていた以上に時間の流れは早いらしい。

アリアは変わっていないだろうか。きっと寄宿舎の子供たちも大きくなっているはずだ。みんなに會えると思えば沈んでいた気持ちがしだけマシになる。

そういえば、この辺りはナターシャがよく客引きに捕まった場所だ。隙あらばナターシャを抱き込もうとよく勧してきたのを覚えている。

「ねぇ、派手な格好で客引きをしていたがいたんだけど、知らない?」

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「あー、あいつか、どうやら病気にかかってしまったみたいでな。亡くなったよ」

そうだったのか、とナターシャは視線を落とした。衛生環境が特段悪いわけでもないのに、この街の住民は何故か病気にかかりやすい。

昔からそうだった。ヌークポウで暮らすと早死にする、というのは有名な言葉だが決して比喩ではない。元気で若々しい人があっという間に衰弱する景をナターシャは何度も見た。

「それじゃあさ、擬屋のフェルミって男は知らない?」

「あぁ……どうやら、病気らしくてな。もういないよ」

ナターシャのきが止まった。

よく見れば野菜売りの店主も違う人だ。兄弟か、息子か、面影はあるものの、ナターシャは知らない。

「ねぇ……あなたの先代は?」

「病(・)気(・)で(・)、(・)な(・)」

バッと辺りを見渡した。何度も、何度も、確認するように店の一つ一つへ目を向けた。知っている店がない。顔見知りの店主がどこにもいない。派手な客引きは? 擬屋のフェルミは? 旬の食材を語り合った八百屋の店主は?

「ここは、どこだ?」

店主が「ヌークポウの商業區だよ」と笑った。

知らない街だ。はて、こんなにも薄ら寒い雰囲気だっただろうか。

ナターシャは果実をけ取るのも忘れて走った。後ろから「忘れているよ嬢ちゃん!」とぶ店主の聲が聞こえたが、お構いなしに地面を蹴った。

嫌な予がする。周囲に見知った顔は一人もおらず、錆び臭い街を走るたびにどんどんと焦燥が大きくなる。ヌークポウは元來、人のれ替わりが激しい街だ。だが、は勘違いをしていた。否、正確には長く暮らしていたせいで覚が麻痺してしまっていた。誰もが諦めたように「ヌークポウの呪いだ」と言うが、これは呪いなんてものではない。

ドクン、ドクン、と心臓が跳ねる。彼は目まぐるしく頭を働かせた。

なぜ移都市の住民は早死にをするのだろうか。なにか明確な理由があるはずだ。食生活。空気。。もしくは洗濯などで毎日のようにれる何か。

(生活にかかわるもの、水、循環水……水はなぜまわるのか。下まで落ちて、上に運ばれ、冷やされて、また落ちる……)

足元を循環水が流れていた。街のいたる所で見られるが、なぜ水が流れているのかを知る者もいない。知りもせずに彼らは生活水として利用していた。ある者はパイプを増設して水を引き、ある者は農業用水として畑に散布した。

水と聞いて思い浮かぶのはナバイア研究所だ。ヌークポウは中立國の巨大兵であり、ナバイア研究所で実験を行なっていた。大量の水を冷卻水として利用し、強大で有害な力を制する試みだ。つまり、本來は人が長期間にわたって暮らすことを想定していなかったのである。

(ヌークポウの力源は、危険な力。何人もの研究者が実験の最中に命を落とした)

チリチリと脳裏に痛みが走る。

風(みかぜ)様いわく、ヌークポウの力源は近付くだけでも危険だそうだ。巨大なエネルギーを生む反面、青白いと共に発熱し、人に深刻な損害を與える。

きっと、発熱した力源を冷やすための水が循環水なのだろう。

ああ、と走りながら嘆いた。住民が早死にするのは呪いではない。人間の明確な悪意。底なしの愚かしさが生んだ悲劇の結果である。ヌークポウがき続ける限り、この巨大なおんぼろ船は人に有害な毒を循環水として流し続けるのだ。

の腐った婆さんだわ……!」

風様がその事実を知っているかは分からない。元々は正常にいていたが、老朽化によって有害質がれるようになったのかもしれない。だが、もし不可解な死の原因を知っていたとしても、あの老婆は船を止めないだろう。

は夢中で走る。彼の知るヌークポウは死に絶えた。ここは知らない街だ。

孤児になったばかりの頃に世話をしてくれた人も、彼の料理を味しいと言って買いに來た常連客も、誰も、一人も、この街には殘っていない。

船が揺れる。雄大なる六本足が進むたびに、誰かの命がこぼれていく。

「なんでっ、どいつも、こいつもっ……」

何も信じられなくなってしまいそうだ。大人は平気で噓をつき、他人を蹴落として甘いを吸おうとする。し考えれば分かるはずなのに、考えなしで他人を傷つける。人の世は地獄だ。節は安り下がり、倫理は指導者の玩になった。

やがて、は息を切らせながら思い出の場所にたどり著いた。

寄宿舎があったはずの場所には真新しい家が建っていた。ナターシャは扉を何度も叩く。強盜かと疑われてもおかしくない形相だ。住民が怯えたようにしだけ扉を開けた。

「な、なんだい、うるさいよ」

「あの、ここに寄宿舎があったはずなんですけど、移設しました?」

「寄宿舎? あぁ、そんなものあったね。誰もいなくなったから潰れたよ」

「いなくなった? 皆は、寄宿舎の子供達はどうなったんですか!?」

「あんた寄宿舎の関係者かい? なら悪いことは言わないからやめときな。もう――」

「いいから教えて!」

元にすがる勢いで迫るに、住民は恐々としながら寄宿舎の行方を教えてくれた。それは、街を囲む壁の外側、誰も近寄らないヌークポウの端にあるという。だらけの鉄塊が目印になるからわかりやすいそうだ。

ナターシャは見覚えのある道を走った。人のような歪なオブジェを抜け、誰も使わないシェルターを通り過ぎる。沈みゆく夕日に細長い影が浮かんだ。彼基地、くず鉄の塔だ。

ぼろぼろになった鉄塔のり口付近に十字の柱が突き立っており、差部分にリボンがくくられていた。アリアがいつもにつけていたものだ。周囲には同じような柱が數本、並んでいた。

「ハッ……ハァ……」

ふらついた足取りでリボンに近寄る。とたんに懐かしい匂いがした。夕暮れの風に乗って、友の言葉が聞こえてくる。おかえりなさい、久しぶりだね。大聲で元気にぶ聲だ。

ナターシャはゆっくりと歩み寄り、膝を折った。虛しい再會だ。明るい笑顔も、らかな手のひらも、二度とれることはない。

「なんで……」

の頬に溫かなものが流れる。同期の友人を亡くして以降、ずっと枯れていたモノが、の瞳を濡らす。ナターシャはリボンにれた。冷たく汚れており、表面が結晶化し始めている。ここに殘してはいけない。風に飛ばされないようにリボンをほどくと、震える両手で抱きしめた。

「帰って來たんだよ、船から落とされて、兵士に襲われて、わけもわからず必死に戦って、撃って、殺して……それなのに、なんでみんな、私からいなくなるの……リリィも、アリアもっ――ドットルも!」

誰にも屆かぬび聲。ナターシャは努力した。常人ならば一夜として生きられぬ足地で暮らし、自分より力も技もある兵士と戦った。彼を支えたのは願いだ。傭兵への憧れと同じぐらい大切な、故郷で待つ友人と再會するため。

「帰るのが遅くなった私が悪いの? どうすればよかった?」

持ち得る力の限りを、否、それ以上の力を盡くした。今ならば結晶憑きに追われたって平気だ。寄宿舎のみんなを連れてシザーランドで暮らすこともできる。お金なら心配ない。だって団長からの無茶な依頼を何十件もこなしたのだから。

「寒いの。ねぇアリア、溫めてよ。よく抱きついてきたじゃない。私はここにいる。もう、勝手に居なくならないから――」

神は綺麗な花を摘みたがる。で汚れ染まった自分ではなく、綺麗な手のアリアを選んだのだ。

沸々と湧き上がる激を吐き出すように、聲にならないびをあげた。空は曇天。白金の輝きも分厚い雲に遮られた。

あぁ、イヴァンが妹を失った時もきっと、彼は芯を凍らすような寒さに震えたのだろう。消えたぬくもりの行方を探そうとするも、かない。どうしようもない無力が楔(くさび)となって足をい止めるのだ。

やがて雨が降り始めた。深々と力を奪う中、を抱きしめる者はいない。

三話更新でした。

また來週。

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