《オーバーロード:前編》者-4

十字路で各チームそれぞれ違う道を選んだのだが、エルヤー・ウズルスが選んだのは最も奧に向かうだろうと思われた、真正面の通路だ。

途中石造りの扉や無數の曲がり角があったのだが、適當に選択して黙々と墳墓を歩いている。その間、何も無いのが非常に退屈である。モンスターどころか罠1つ無い。

この道は外れだったか。そう思い、エルヤーは舌打ちを1つ打つ。

「ノロマが。早く進みなさい」

エルヤーは立ち止まりそうになった10メートル先を進ませるエルフの奴隷に、強い口調で命令を下す。エルフの奴隷は一瞬だけを震わせると、とぼとぼと歩き出した。彼にはこの墳墓にってから、殆ど立ち止まることを許さないで歩ませ続けている。

それは言うまでも無く、命取りにも近い行だ。

現在のところ幸運にも何事も無く進んではいるが、下手に罠があったら彼の命は失われる可能が高いだろう。

そんなエルフの奴隷に捜索させながら歩かせているというよりは、鉱山に持ち込むカナリアのような使い方である。別に前を歩く彼に、技能が無いわけではない。エルヤーのチームはエルヤー自と3人のエルフの奴隷よりなる。レンジャー、プリースト、ドルイドの技を持つエルフだ。

そんなレンジャー技能――捜索するスキルを持つ彼の使い方としては、あまりにも勿無い命令の仕方である。

しかしこれには彼なりの理由がある。

それは単純に前を歩くエルフに飽きたのだ。

これだけを聞けば多くの者が驚くだろう。それは倫理観の問題ではなく、金銭的な面での驚きだ。

スレイン法國の奴隷商との取引は、安い金では全く無いのだ。特にエルフの外見や、所持している技によって金額が跳ね上がる。大抵の場合、エルフのは目が飛び出るような額の付く商品であり、一般市民では到底手の出せない領域での取引されることとなる。

技能持ちエルフともなれば、特殊効果を保有する魔法の武一本分ぐらいの額になるだろう。それはエルヤーでさえ、そうぽんぽん買うことの出來る金額ではない。

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しかし『天武』での報酬はエルヤーが獨り占めしているので、上手く事が進めば意外に早く回収が出來る。だからこそ飽きたなら、死んだとしても惜しくない使い方が出來るのだ。

――今度はもうのあるが良いですね。

エルヤーはとぼとぼと歩くエルフの後姿を見ながら、そんなことを思う。

――を強く握り締め、悲鳴を上げさせるのが楽しいのですから。

今回の依頼は幾つものチームとの共同ということもあり、數日間、一切エルフを抱いていない。別に抱いたとしても誰からも文句は出ないだろうが、不快は生じるだろう。それがどれだけ不利益に繋がるかという、エルヤーもワーカーとしての常識ぐらいはわきまえている。

そのため溜まったが、そんな考えをエルヤーに抱かせた。

「次のには、あのみたいなのを希してみますか」

エルヤーの脳裏に浮かんだのは『フォーサイト』の1人。エルヤーを不快な目で睨んできたハーフエルフだ。

非常に不快なである。隣にもう1人とも言えるようながいたが、別にあの娘に不快げな目で見られるのは仕方ないことだとエルヤーも納得する。しかし、人間よりも劣るであろう生きが、人間様にあのような目を向けることは許されない。

思い出すだけでエルヤーの端正な顔に怒りの炎が浮かぶ。それを伺い、隣で歩く2人のエルフは怯えたようにを震わす。

その怒りが自分達に向けられることを恐れたのだ。エルヤーはこんなダンジョンの中でも平然と毆りつけてきたりする男なのだから。

さらには自分達と同じような存在が増えることへの哀れみ。そして増えるということは、自分達の誰かが殺させるかもしれないという恐怖もあった。

「あの不快な顔を抵抗しなくなるまで毆ってやりたいですが……」

それは無理な注文だ。奴隷のエルフは使用者の手に屆くまでに、様々な手段で完全に心を砕かれている。そんなエルフの奴隷が反抗できるはずが無い。

想像の中でイミーナの顔を數度毆っていると、前を歩くエルフが立ち止まっていることに遅れて気付いた。

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「何故、止まるんですか? 歩きなさい」

「ひぃ……あ、あの音が聞こえます」

「音ですか?」

勇気を振り絞って答えるエルフに対し眉を顰めると、エルヤーは全神経を耳に集中させる。辺りは靜まり返っており、聞こえそうなのは靜寂さが生み出す音のみだ。

「……聞こえませんね」

ただ、エルフの聴覚は人間よりも優れている。エルヤーに聞こえなくても、エルフには聞こえている可能が高い。確認の意味で隣にいる2人にも問いかける。

「お前達はどうですか?」

「は、はい、何か聞こえます」

「き、金屬のぶつかる音みたいです」

「ほう。……そうですか」

金屬音が自的に起こることはまず有り得ない。

ならば、何者かが立てている音。つまりはこの墳墓にってから初めての戦闘になる可能があるということ。それを考えると、わくわくとした気持ちがエルヤーに浮かぶ。

「その音の元に行きますよ」

「は、はい」

エルフの奴隷に先行させ、音のあったという方角に近づく。それにつれ、徐々にエルヤーにも聞こえてきた。

それは確かに金屬音。

いものといものが激しくぶつかり合う音。さらには裂ぱくの気合などの喧騒。それは戦闘をしているときに起こるもの。

「別のチームですか?」

浮かんでいた喜悅にも似たに水をかけられたように、エルヤーはため息をつく。

「まぁ、いいでしょう。もしかしたら援軍ということで戦えるかもしれませんし」

徐々に目的地に近づくにつれ、エルヤーは違和を覚える。戦闘にしては変だと。まるでこれは――

エルヤーの疑は角を曲がったとき氷解した。

そこはかなり大きい部屋となっていた。天井までの高さにして6メートル以上。広さもかなりのもので、何十人もが走り回っても問題ない広さだ。そんな室にいたのは立派な鎧にを包んだリザードマンが10。巨大なタワーシールドを持ち、管でも走っているかのような、真紅の文様が走る黒の全鎧を著た巨軀が1、そして最後の1人――。

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エルヤーはその最後の1人に引きつけられるものをじた。

人間の戦士だろう男だ。軀は中中背。大して強い印象を抱かせない。

仕立ての良い服の上からは、鈍い沢を放つチェインシャツを著用している。

黒髪は適當に切られているために長さは整ってない。そのためぼさぼさに四方にびていた。赤眼は鋭く。だが、今は驚きのためか僅かに丸みを帯びていた。

外見的にはさして強い印象をけない。若干、真紅の瞳に珍しさをじる程度。

だが、何よりエルヤーがひきつけられたのはその腰に下げた刀、そしての安定の良さだ。

リザードマンたちは黒騎士と対峙しながらも、手を止め、荒い息を吐きながら、エルヤーたちを不思議そうに眺めていた。そして男は若干離れたところで、その対峙を観察するような態度。

エルヤーの疑問への答え。

それは模擬戦である。リザードマンが黒騎士と戦い、男は立ち位置的にも指導というところだろうか。これなら戦闘と勘違いしてもおかしくは無い。

「こんなところまで……侵者か?」

男が怪訝そうにエルヤーたちを眺め、腕を組む。堂のった姿勢だ。この中では黒騎士とこの男が最も腕が立つのだろう。

エルヤーはリザードマンを視界から外す。リザードマンはどれもエルヤーより弱いし、さらには人間以外の種族をエルヤーは好きではないから。

男に真正面から視線を向け、エルヤーは持っていた刀を肩に擔ぐようにする。

「ここの方ですか? 今まで誰も迎えに來てくれなかったから、こんな深くまできてしまいましたよ」

「來訪者が來るとは聞いてないんだがな?」男は考え込むような顔をしてから、深いため息をつく。「……第1階層とはいえ、ここまで無事にこれるわけが無い。お前さん、ここまで導されたんだろうよ。とりあえず、今現在のけている命令はここにいるリザードマンを鍛えろなんでな。即座に後ろを見せて出て行くなら気にしないぞ?」

「そんな寂しいことを言わないでください。ここまで誰とも戦っていないから退屈でしょうがなかったんです。あっと遅れました。エルヤー・ウズルスです。お見知りおきを」

「ああ、ブレイン・アングラウスだ」

男の軽い態度には、エルヤーという帝國でも名の知れた剣士と対峙した驚愕といったは無い。

その態度に自分を知らないのかと、エルヤーは一瞬だけ怒りから眉を顰める。しかしながらこんな場所に住むものでは知らなくて當然かと、男――ブレインの無知を許そうとする。だが――

「……ブレイン?」

――どこかで聞いた名だと思い、そしてその名前を記憶という棚から引き出す。

そして即座に思い至った。

見る眼が無かった男――グリンガムが言っていた、自らよりも強いと評した男の名前だと。

あの時の會話は奴隷のエルフの使った魔法によって盜み聞きしていたのだ。だからこそ、自分よりも聞いたことが無い、ブレインとかいう男を上に評価されて腹を立てたのだ。その怒りのぶつけどころは魔法を使っていたエルフだったというわけだ。

「ああ、知ってますよ。あのガゼフに負けたとか言う」

「うん? ……知ってるのか。……懐かしい話だな」

僅かに遠い目をするブレイン。そこに執著するは無い。

つまりは勝てないことに――及ばないことに納得した者か。

エルヤーはブレインの態度にそんな判斷を下し、この負け犬が、と心で嘲笑する。その考えが表にも浮かんでいたのだろう。

「お前は何も知らないんだな」

エルヤーに話しかけた、ブレインの瞳に宿ったは哀れみだ。

「昔の俺もお前みたいな奴だった。天からの才能に溺れ、そして敗北を知り、強さを求めた。最強と――誰にも負けない強さを求め、當面の目的はガゼフを打ち倒すことだった……」そこで大きくため息をつく。「ただな……俺もお前も――所詮は人間としての強さを極めつつあるにしか過ぎないんだよ。本當の強さというものは、そういうものとは桁が違うんだ。……本當に強いというのはそんなものじゃないんだ」

フルフルと力なく頭を左右に振る。

「ご主人様であるシャルティア様にはることすら出來なかった。コキュートス様は俺の開発した最速の武技を見て、遅すぎるがそれが本気なのかと呆気に取られた。アウラ様は単純な戦闘能力ではシャルティア様以上だと聞く。そしてこのナザリック大地下墳墓の主人、全ての守護者の方々が傅くお方、アインズ様に至っては1つの湖を完全に凍らせるのだぞ?」

後ろに控えているリザードマンが、うんうんとブレインの話に相槌を打つ。

「強いというのはそういうことなんだ。俺達――人間ごときでは決して到達できない領域に座します方々。そういう方々が持つ強さこそ、最強と呼ばれる類のものなんだ。俺達のは……強さ? 最強? 笑ってしまう。そんなものは子供が棒を振り回すようなものだ。天才? 天稟? そんなもの人間の領域の言葉にしかすぎないんだよ。アインズ様や守護者の方々の前ではくその役にも立たない。あっそ、で終わりだ。……だからな、自害しろ。そうすれば自分は強いんだという希だけを抱いたまま、絶を知らずに逝ける」

「――くっ、くはは、ははははは!」

エルヤーは笑をもらす。ブレインが真面目な顔で何を言うのかと思って、黙って聞いていれば笑い話だったとは。

「ははははぁ、はぁ、はぁ」あまりの哄笑に息を切らせ、それを整えながらエルヤーは言う。「笑わせないでください。そいつはあなたに才能が無いからでしょうよ。だから負けたんです。私は違いますよ。その証明として、このナザリックの支配者であるアインズって奴も倒してさしあげますよ、この刀でね」

ゆっくりと刀を抜き払う。

無論単なる刀ではない。『神刀』と呼ばれる屬を持った一級品の武だ。今回の仕事の報酬で得た金で魔法を込めるつもりのため、まだ魔法は付與されてないがそれでも鋭い切れ味はエルヤーに自信をもたらす。

遙か南の都市より流れた、この武。これをもってすればブレインの言うアインズという者も倒せるだろう。エルヤーはそう確信する。

「大湖を凍らせるって、常識的に考えてありえないでしょう。それともどれだけ小さな湖なんですか、それ」

「……余計なお世話だとは思うし、信じられないのも理解できるのだが、アインズ・ウール・ゴウン様が視界にる、湖の全てを凍らせたのは事実だ。あの方々の力は世界すらも歪めるレベルだぞ?」

「あの方々の強さはおそらくは神様とかそういうレベルだと思うぜ?」

ブレインの後方で立つリザードマンたち。最も腕が立つだろうと思われる黒い鱗のリザードマンと片腕の太いリザードマンが話しかけてくる。それに対しエルヤーは辛らつに言い返す。

「黙りなさい、爬蟲類。知恵の無いあなた方には何も聞いてません」

リザードマンたちが憮然とした雰囲気で黙ったのを見て、エルヤーはふんと鼻で笑う。爬蟲類風が人間に話しかけるな。そう強いを発しながら。

「大、神とか……馬鹿じゃないんですか?」

「……ナザリック大地下墳墓はその辺のモンスターを捕まえて、國を滅ぼしてくださいといったら、軽くし遂げるような存在が多くいる場所だぞ。そしてアインズ様はその頂點に立たれる方だぞ? そんな方が神であったとしてもおかしくは無いと思うがな。そして、そんな方を倒す……本気でそう思っているのか?」

「無論。私の剣の才を持ってすれば必ず出來ること」

、神とか――例えにしても笑ってしまう。

もしこれがドラゴンとかを例えに出されれば、凄く強いのかとも思ったが、いくらなんでも――

「神は無いでしょ。神は」

くくくと笑うエルヤー。それに対し、ブレインは深いため息をつく。

「何の拠も無い自信……愚かとはこういうことか……。シャルティア様に戦いを挑んだ俺はこんなにも愚かだったのか……。まるで自分の無様な鏡だな……」

さらに続けて、何かを言おうと口を開きかけたところで、真紅の瞳を大きく見開く。それは突然、上位者から聲を掛けられた者が浮かべる驚きだ。

「――コキュートス様!」

空中にお辭儀をするブレイン。ある意味稽なその姿にエルヤーはあざ笑い、リザードマンは張のあまり背筋をばす。

コキュートスから《メッセージ/伝言》の魔法を持って下される命令を諾し、ブレインはエルヤーを始めて敵と認識した目で眺める。

「これからお前のその増長を打ち砕く。そういう命令が來た」

「そうですか、出來るものならどうぞ? そうですね、ハンデとして全員で掛かってきても問題ありませんよ?」

ブレインはなかなかの強者。そして黒騎士も同等か。かなり遅れて、氷で作ったようなシミターを持つ黒い鱗のリザードマン。その次が片腕の太いリザードマンだろう。

々厳しいものがあるが、エルヤーに負けるかもという考えは無い。

一度も負けたことが無い、天凜の持ち主。だからこそできる考えだ。

「……お前達も後ろで何もせずに見てろ。実際、あいつはお前達では勝てないし、それにコキュートス様の命令は俺が戦うところを見せろ、だ。それとデス・ナイトさんはリザードマンを守ってやってください。こいつらに何かあったらかなり不味いことになります」

リザードマンに命令を下し、デス・ナイトに依頼をし、ブレインは自らの腰に下げた刀を抜き放つ。

エルヤーはその刀を見た瞬間、魂を吸い込まれそうになる。

綺麗な作りなのだ。刃紋はぼんやりと輝いているようで、それに対比し地の部分は深みある黒

エルヤーは自らの刀と心比べて、激しく嫉妬する。自らが持つものよりははるかに上の武だと判斷して。

もし金額にしたらどれほどになるのか。どれだけの強い魔法が――特殊能力を保有しているかで金額は変わってくるだろうが、それでも數萬はいくだろうか。

「良い刀ですね。あなたを殺したら頂くとしましょう」

「出來るものならどうぞ……だったな?」

先程のエルヤーの言葉を真似したブレインの言いに、舌打ちを1つ。

「ならば、そうさせてもらいましょう!」

エルヤーが走り出し、ブレインも走り出す。お互いの重を込めた一撃が、火花を散らす。

片側が攻撃、片側が防。そして次に攻撃した側が防し、防した側が攻撃をする。そんなゲームのような戦い方が現実であるはずが無い。

攻撃して攻撃して攻撃をする。それが勝つための戦いだ。

刀同士がぶつかり合う。

重く高い金屬音が響き渡る中、刀に込められた相手のきや狙いを読み、しでも有利になるようにく。刀に沿って刀を走らせたり、即座に引いて突きに切り替えたりという合にだ。

そうすることで結果、効果的なダメージを與えるチャンスが生まれてくる。

エルヤーとブレインの戦いもそういうものだ。

刀がぶつかり合うと同時に、即座にフェイントをえながら、互いの隙を突こうとく。そして再び刀がぶつかり合う。

刀がぶつかり合う音が止まずにどこまでも続く。いや、あまりにも激しく続くために、まるで1つの金屬音が長く響くようだった。

有利なのはエルヤー。確かにブレインも見事なきはする。しかし一瞬だけきが遅く、判斷に時間が掛かる。それはこのレベルの戦いであれば致命的だ。

數十度の互いの武差を得て、ブレインのをエルヤーの持つ刀が斬りつける。

しかしながらやけに質なチェインシャツに阻まれ、切り傷を與えるには至らない。チェインシャツ越しに鈍で毆ったような、軽い打ちを與えるのがやっとだ。

そのため、エルヤーはブレインの顔や手といった出している箇所を攻撃しようとするが、流石にその辺りはガードが固く、や肩といったところを中心に攻撃を繰り返す。

數度。

ブレインのをエルヤーの持つ刀が毆打した頃、と、と、と、というじで後退するブレイン。絶好の機會だというのにエルヤーは追撃をかけない。それは自らとブレインの剣の腕の差を認識したからこそ來る余裕のためだ。

「大したことが無い!」

エルヤーは強く斷言した。

短い時間の攻防だが、刀をえたおでブレインという男の実力をほぼ完璧に把握したためだ。そこそこは強いが、この程度の強さなら幾人も下してきた。その程度の強さだと理解して。

「確かにやるな」

それに対し、ブレインは素直に賞賛する。しかしその褒め言葉をけてもエルヤーにとっては喜びをじるものではない。弱者の賞賛なんか飽きるほど浴びてきたのだから。それよりは弱者の嫉妬や憧れといったを向けられる方が強い喜悅をじられる。

「……この程度で私より強いとは……あの男、やはり目が腐っていましたね」

エルヤーはこの場にいないグリンガムの見る眼の無さをあざ笑う。

「……俺の剣技はかなり落ちたからな。このになったとき、急激に失われてしまったよ。昔に比べて半分程度かね」

エルヤーは不思議そうに顔を歪める。ブレインの言っている意味が理解できなかったからだ。まるでが変化したような奇妙な言い。ただ、その意味は直ぐに理解することとなる。

「だから……人では無いものとして、これから戦うとするぞ?」

ブレインが僅かに構え、踏み込む。

「なっ!」

豪風。ブレインの踏み込みはまさにそんな言葉が相応しい。先の踏み込みをはるかに凌駕したき。人間というくびきから解き放たれたかのような速度だった。

その踏み込みから続く、白き閃のごとき速度で振り下ろされる刀に、何とか視認できたエルヤーは負けじと刀をあわせる。

刀と刀がぶつかり、甲高い音で――刀が悲鳴を上げる。その2つの刀がぶつかるあまりの勢いに、刀が僅かに欠け、火花と共に飛び散った。

「ぐぅ!」

エルヤーは歯を噛み締め、軋む手で次のブレインの一刀に合わせ、刀を振るう。

再び、火花が飛び散り、金屬音が響き渡る。

再び、と、と、と、というじでブレインが後退する。

やはりエルヤーは追撃しない。ただ、これは先程の理由とは大きく違う。

ろくに刀がもてないほど、ビリビリと手が震えるためだ。もしもう一撃あったら、無様にも刀を落としていただろう。

エルヤーは愕然とする。ブレインの人間を超越したとしか思えないような、その圧倒的な能力を前に。

もし巨人のような巨軀であったり、桁外れなほど筋が隆起していれば、今の速度も腕力も納得がいっただろう。しかし、ブレインのは中中背。いくら鍛えただからとはいえ、あれだけの力は常識から外れている。

そんな驚愕の表を隠しきれないエルヤーに、皮っぽい笑みをブレインは向ける

「技を失い、能力を得た。こういうことだ」

「き、汚いぞ! 何をした!」

「汚い? ……本気で戦いだしただけだが?」

「噓を言うな! そんな能力があるものか! 魔法を使っただろう!」

魔法を使ったからといって何か問題があるわけではない。逆に持っているものを使ったとして、何か問題があるだろうか。ブレインはエルヤーのまるで豹変したような態度に頭を傾げる。

エルヤーからすればブレインの能力の向上――それはまさにイカサマだ。全ての剣士はエルヤーに負けるために存在するのに、今、ブレインはエルヤーを凌駕した。それは決して許されるものではない。

「おまえら! 何をぼうっとしてる! 魔法をかけろ! 1人であんな力が出せるものか! 誰かに魔法をかけてもらったからに違いない!」

「……おいおい。1対1じゃないのかよ」そこでブレインもあることを思い出す。「まぁ、確かにシャルティア様に頂いた力といえば力か……」

「な、なんだ。やはりイカサマか! 汚い奴め! はやく奴隷ども魔法をかけろ!」

エルヤー――自らの主人からの命令に慌てて、エルフたちが魔法をかけ始める。

能力の上昇、剣の一時的な魔法強化、皮質化、覚鋭敏……。無數の強化魔法が飛ぶ中、ブレインはその様を黙って見つめる。

幾つもの魔法による強化がされていくにしたがい、エルヤーの顔に再び軽薄な笑みが浮かびだす。

「馬鹿が! 余裕を見せたな! お前が勝つにはとっとと攻撃するしかなかったのにな!」

膨大な力がエルヤーのを走る。

今までこれだけの魔法による強化をけたとき、敗北したことは決してなかった。それがどれだけ強大な敵でもだ。

ブンと刀を振るう。通常よりもかなり早くなった剣閃だ。これならブレインにも互角……いや互角以上に戦えると自信を持って。

「……シャルティアとかいったか。お前のご主人様」

「そうだ。この世界で最もしい方だ」

「そうか。それならお前の首を持って會うとしよう。そしてねじ伏せて犯してやろう」

「――ふふははははは!」

笑。

心の底から可笑しいと、ブレインは大笑する。ブレインの後方、リザードマンたちもその顔に苦笑とも哀れみとも読み取れるような笑みを浮かべている。

「な、なにがおかしいぃい!!!!」

笑うことはあっても笑われることがほぼ無いエルヤーにとって、ブレインの哄笑は決して我慢できるものではない。そのため自らの主人を犯すといわれて、ブレインが何故笑したか、それにも思い至らない。

「いや、本當に……ふははははは!」

「糞が!」

ブレインの哄笑はしばらくの間続く。エルヤーは憎憎しげに睨むが攻撃しようとはしない。今ここで攻撃して一撃で殺してしまっては、後悔させる時間が無いからだ。必死の抵抗を打ち破って殺してこそ、自らの不快は拭われるというものだ。

やがて、息が切れたようにブレインの笑い聲は止まった。

「いや、本當にお前は一流の道化だな。俺ですらここまでは酷くなかったぞ? ……とはいえ、俺の最の主君、輝ける黒い花たるシャルティア様への侮辱、見過ごすわけにいかん」ブレインの目が煌々と輝く。真紅というよりもの様などす黒い輝きだ。口が開き、やけに尖った犬歯が突き出される。それは人間のものではない。「ここからは全力を出させてもらおう、ニンゲン」

その変貌。人にあらざる狂相。

エルヤーも冒険の中、見たことがある。

「ヴァンパイア!」

「ご名答」

簡潔に答えると、ブレインは刀を腰に戻す。チン、と音が響く。

ヴァンパイア。

ブレインの人間という生きから逸した力の源を理解し、エルヤーは急速に浮かびつつある不安を押しつぶそうと努力する。

ヴァンパイアは強いモンスターだ。確かにエルヤーなら1対1での勝負であれば勝ちを拾える。ただ、それは剣技を知らない単なるアンデッドの場合だ。ヴァンパイアの能力や特殊能力に技、さらには魔法の裝備まで備えた場合はどうなるというのか。

いや、負けるはずがない。

エルヤーは頭を軽く振り、生まれた不安を追い払う。

「そうだ! 俺が負けるはずが無い!」

「──稽だな。吼えれば不安が消えてなくなるとでも思うのか? まさに昔の俺だな」

ニンマリと、に飢えた獣が浮かべそうな笑みを見せるブレイン。

「舐めるなぁあ! ブースト!」

「ブースト2!」

通常魔法による強化の場合、最も強い効果のものが意味を発する。しかし武技の場合は別の効果と見なされ、累積することとなるのだ。2つの武技による強化。それはエルヤーの機能を極限まで上げ、今のエルヤーは小さな巨人とも言うべき能力を得た。

一般的に知られてる武技であれば、ブレインも理解できる。

「効果時間のある強化の武技か。ならば準備は整ったということか。では、こちらも最大の力で相手をしよう」

ブレインはゆっくりと腰を落とす。

抜刀の構え。

それを目にしたエルヤーは心笑う。確かに刀に自信を持つ剣士ならば刀での戦いをむであろう。ならば待ちに徹し、刀の屆く距離にった瞬間、最速で斬りつける抜刀は良い手だ。

しかし──エルヤーにはそれは意味の無い行為。

エルヤーは自らの武技を発させる。

「ファング!」

刀を振った延長上に放たれるのは風の刃。

それは炎のような揺らめきを殘しつつ、高速でブレインに飛來する。そして回避をしないブレインの部を切り裂く──。

武技『ファング』によって生じる風の刃の斬撃力は、放つ者の渾の一撃をかなり弱めただけの破壊力を持つ。通常であればさほど破壊力は生まれないのだが、現在のエルヤーの一撃は想像を絶するものだ。かなり弱めたといえどもチェインシャツぐらいなら両斷しかねない斬れ味を持つ。

しかし、驚愕に目を見開いたのは攻撃したはずのエルヤーだ。

「なんだと!」

両斷されると思ったチェインシャツは今なお健在。それだけではない。例えチェインシャツによって斬撃を防いだとしても、生じる衝撃までは消せないはず。しかし、姿勢は崩れず、ブレインの表には笑みすら浮かんでいる。

思い出さなくてはならないのは、ヴァンパイアの特殊能力。その中のある武だ。

神刀であれば貫けるはずのそれだが、ファングという武技によって生み出された風の刃には、貫通するだけの力はない。ただそれでも風という特殊要素によるダメージは存在するが、それも高速治癒でほんの數秒で癒される程度である。

結局、ファングではダメージを與えても、致命傷にはほど遠いということだ。

「ちくしょうが!」

己の必殺の一撃にも匹敵する技。それを持ってしても殺せないことにエルヤーは激しい怒りを覚える。

「悪いな。その程度避けるまでも無い」

ブレインの挑発じみた発言に、エルヤーの全から火が出そうなほどの怒りがこみ上げる。その反面、脳の一部が冷靜に戦略を立て始める。ヴァンパイアでも神刀の一撃は耐えられないはずだ。ならばこの一撃を心臓に正確に叩き込めばよい。しかし、ブレインの取るあの構えは待ちの構え。踏み込んで刀を振るうでは、先手を取られることは明白。

ではどうするか。

エルヤーは再びファングを放つ。

狙いは一點。

ブレインの目に真空の刃が叩き込まれた。両目を潰されたブレインめがけ、エルヤーは走る。

人を超えた知覚能力を持つヴァンパイアといえども、最も頼っているは視覚である。その視覚を潰されてしまえば、流石のヴァンパイアといえども回避は困難極まりない。

されど誰が知ろう。

ブレイン・アングラウスという男が、ガゼフ・ストロノーフという男に敗北を喫したため、再び戦ったときに勝つために開発した武技の名前を。

その武技の1つ『領域』。それよりヴァンパイアの能力をもって生まれた『神域』。

それは半徑6メートル。その部での全ての存在の行の把握を可能とするもの。この武技を使用している間は仮に1000本の矢が降り注いだとしても、自らに當たるもののみを切り払うことで無傷での生還すら可能とする。そして離れたところにある小麥の粒ですら両斷するだけのな行為すらも容易いそんな武技。

それは言うなら、知覚領域の結界。

「スラッシュ!」

両目を潰されたブレインに、エルヤーの武技が迫る。

武技によって速度を増した刀の一撃は確かに人の領域を超越したもの。だが、しかし――

「――遅い」

ブレインの冷たい言葉。その言葉がエルヤーの耳に屆くよりも早く、ブレインのもう1つの武技が発する。

それは――

「――神速2段」

エルヤーの放った武技を倍する――否、數倍する速度での刀が腰から放たれる。エルヤーの目にはが走ったようにしか思えなかった。外から見ているリザードマンからすれば何が起こったのか理解できないそんな速度だ。

常識外の速度を持って放たれた刀は2度、エルヤーのを通り抜ける。

一瞬の空白――。

遅れて、エルヤーの刀を持つ手がずるりとく。そして床にやけに重い音とともに肘の辺りから切斷された手が落ちた。持っていた刀は落ちた衝撃で元から折れる。

いや、違う。

折れたのではない――ブレインの武技によって切斷されていたのだ。

「――見たか。これが俺の最速の剣」それからブレインは寂しそうに呟く「……ちなみに本気を出されていないときのコキュートス様の通常攻撃の速度でもあるんだな、これが」

バシャバシャと大量のが床を叩く中、喪失した――心臓の鼓にあわせを噴き上げる右腕を、エルヤーは呆けたように見つめる。

「ひゃ、ひゃ、ひゃ……」

ようやく狀況を完全に把握したのか、引きつるような聲が上がる。腕より昇ってくる激痛。そういったものがエルヤーに混をもたらしていた。

「うで、うでがぁぁああ! ち、ちゆ、ちゆをよこせ!! はやくしろ!」

エルフに向かって割れ鐘のような聲でぶエルヤー。しかしエルフたちは一切のきを見せない。その瞳にあるのは歓喜である。今までげられていたものの暗い喜びだ。

「はぁ、目を見ろ」

ブレインは戦意を喪失したエルヤーに近寄ると髪を摑み上げ、正面から真紅の瞳を覗かせる。

次に糸が切れたように暴れなくなったエルヤーの首に手をかけ、を圧迫する。エルヤーの意識が數秒で失われたのを確認し、ブレインは部屋の隅においてあったポーションを持ってくるようにリザードマンに指示を出した。

本來であればリザードマンの傷を癒すためのものだが、ここでエルヤーを殺すわけにもいかない。そう、コキュートスに命令をけたのだから。

「さてと」

ブレインはただ黙ってエルヤーを眺めているエルフに向き直る。

エルフたちにきは無い。ただ、そのどんよりと濁った瞳の中に愉悅のが浮かんでいた。

「あー、お前達、このあと死ぬかもしれないぞ?」

者を捕縛せよ、生死に係わらず。ただ、なるべくなら生きたまま捕まえよ。それがコキュートスより與えられた命令でもある。エルフも侵者。溫ある判決があるかはまさに神――アインズのみぞ知るだ。

ブレインのそんな言葉に対し、エルフは何も返さない。

ブレインはエルフの瞳を覗き込み、はんと吐き捨てる。

それはれた者の瞳。ブレインが野盜と共にいた頃、浚われてきた達が數日後に見せていたもの。

「つまらん目だ」

自らに與えられた指令からすればこのエルフを殺す必要は無い。そして今の景はコキュートスが見ているはず。ならばブレインにこのエルフに対して何かすることはない。

刀を鞘に収め、リザードマンたちに向き直る。

「さて、充分な休みも取れただろう。訓練を始めるぞ?」

    人が読んでいる<オーバーロード:前編>
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