《オーバーロード:前編》者-5

「押し返せ!」

かび臭さと死の匂いが充満する玄室に、グリンガムの怒鳴り聲が響いた。

部屋の大きさは25メートル四方か。天井までの高さは5メートル以上はあるだろう。そんな部屋には魔法使いの作り出した魔法の明かりと床に落ちた松明に照らされ、溢れんばかりの人影があった。

部屋の隅に追いやられているのがグリンガムたち『ヘビーマッシャー』の面々だ。そしてその他の玄室を覆いつくさんばかりの存在はゾンビ、そしてスケルトンからなる低位のアンデッドの群れ。

その數は數えるのが馬鹿馬鹿しくなるほど。

そんな死の濁流をグリンガムと盾を持つ戦士が2人で正面からけ止め、後衛に回さないための堤防となっていた。

グリンガムのフルプレートメイルにゾンビの振り回す手がぶつかる。死となったことで通常の人間よりは力が出せるとはいえ、鋼の鎧を傷つけることが出來るはずがない。腐敗し脆くなった手が砕け、腐敗臭を放つ分泌がフルプレートメイルに付著する。

スケルトンもまた同じだ。手に持つ錆びた武ではフルプレートメイルを貫けるはずが無い。

無論、偶然という言葉がある。場合によっては攻撃が抜ける可能だってあるだろう。そんな雰囲気がまるで見られないのはそのに掛かった防魔法のおだ。

グリンガムは手に持つアックスでなぎ払うが、1倒れても直ぐに別のアンデッドが開いたを埋めようと向かってくる。そしてそのまま押しつぶそうといわんばかり距離を詰めてきた。

「ちくしょ! 數多すぎるだろ!」

グリンガムの橫で盾を構える戦士が苦痛の聲をらす。全をすっぽり覆うほどの盾のため、一切の攻撃がにはれてないが、盾は汚いで完全に覆われている。

メイスでゾンビやスケルトンの頭を砕いているが、やはり圧力に負けるようにゆっくりと後ろに下がりつつある。

「一、これほどの敵何処から現れたんだよ!」

戦士の疑問も當然だ。

グリンガムたちは十字路で分かれてから幾つかの部屋を捜索。殘念ながら霊廟のような寶は発見できなかったが、幾つかの部屋でなくない額の寶を発見しつつ、牛歩の歩みでしずつ探索を繰り返していた。そしてこの部屋にり、同じように捜索をしようとし始めたとき、部屋の他の扉が不意に開くと、一何処から現れたという數のアンデッドが流れ込んできたのだ。

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ゾンビやスケルトンなど大した敵ではない。しかしながらその數はまさに暴力だ。

もし引き倒されたり、覆いかぶされたりした場合、死なないでもきが出來なくなってしまうだろう。そうなればアンデッドの群れは後衛に襲い掛かる。

流石に後衛もそう簡単には負けないだろうが、この數の暴力の前だと々不安がある。

このままでは致命的なミスで戦線が崩壊する。そう判斷したグリンガムは、溫存しようと思っていた力を解放することを決定する。

「一気に勝負をつける! 頼む!」

その言葉を聞き、今まで投石を繰り返していた後衛がき出す。

元々、グリンガムたちヘビーマッシャーからすれば、この程度のアンデッドなら敵でもない。ただ、敵でもないからこそ、力を出來る限り溫存しようと後衛が待機していたのだ。

後衛がくならこの程度のアンデッドの掃討は容易いのだ。

「我が神、地神よ! 不浄なりし者を退散させたまえ!」

聖印を握り締めた神び聲が、力となる。不浄な空気に満ちた玄室に、まるで爽やかな風が通り抜けたような清涼――通常よりも強い神聖な力の波が生まれた。神のアンデッド退散能力の発だ。

それに合わせ、神に近かったアンデッドたちが一気に崩壊し、灰となって崩れ落ちる。

アンデッド退散は互いの実力に圧倒的な差がある場合は、退散ではなく消滅させることが可能となる。ただ、多くのアンデッドを消滅させようとなると、飛躍的に困難になっていき、それだけの力を必要とするのだ。

40近いアンデッドが一気に崩壊したのは、それだけグリンガムの仲間の神の力が優れているということに他ならない。

「吹き飛べ! 《ファイヤーボール/火球》」

魔法使いから火球が放たれ、アンデッドたちの群れの中央で発する。炎が一瞬だけ上がり、その範囲にいたゾンビやスケルトンが偽りの生命を焼き盡くされ、崩れ落ちる。

「まだまだ! 《ファイヤーボール/火球》」

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「我が神、地神よ! 不浄なりし者を退散させたまえ!」

再び範囲攻撃が放たれ、アンデッドの數は激減する。

「行くぞ!」

「おう!」

盾を捨て、メイスを両手で構えた戦士と共にグリンガムはアンデッドの群れに毆りかかる。魔法使いたちに任せれば掃討は容易なのにグリンガムたちが突撃する理由は、出來れば魔力は溫存してしいというのが本音だからだ。特に神のアンデッド退散は使える回數が決まっている技。対アンデッドに特化したクラスについている人だからこそ、この墳墓においては切り札になりかねないのだから。

く死の集団に飛び込み、グリンガムは斧を振るう。というよりはドロドロのが、斬り飛ばしたの部分から――心臓がいていれば吹き上がっただろうが――死であるために勢いなくどろりと流れ落ちる。切斷面から吐き気を催すような悪臭が漂うが、我慢できないほどではない。

いやもはや鼻はバカになっている。そのため、さほど問題になる臭いではない。

戦士と協力し、攻撃して攻撃して攻撃する。防なんかは當然考えてもいない。

魔法の補助があり、い鎧にを包むからこそ出來る。そして弱いアンデッドが相手だからできる無理矢理な突撃だ。

時折グリンガムの頭部を毆られた衝撃が走るが、しっかりとした鎧であるために衝撃は吸収され、首に掛かる負擔も殆ど無い。や腹を毆られたとしても、やはり大した衝撃はじない。

戦士と共にグリンガムが腕を振るうたびにゆっくりとだが、確実にアンデッドの群れは駆除されていく。後衛を襲おうとしたアンデッドは盜賊と神によって倒されていく。

部屋の床が腐った死と骨の欠片によって覆われるころ、くアンデッドの影は無くなっていた。

「ふぅー」

グリンガムのため息に合わせ、全員が息を吐く。流石に負けないとは思っていたし、後衛は途中から見守るだけだったが、それでもこれだけの數のアンデッドを相手にすると神的な疲労はかなりある。

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「さぁ、扉を閉めて休息を取ろう」

「それよりはこの部屋から離れた方がいいんじゃないか? 酷い匂いだと思うんだよ」

「違いない。それに何でこの部屋にったときに襲われたか謎だしな」

「全くだ。アンデッドの姿なんか今まで全然見なかったし、気配もじなかったぞ? 一何処から沸いて出たって言うんだ」

確かに、とグリンガムも納得する。

この部屋の出り口は3つ。グリンガムがってきた扉と、その他に2つ。アンデッドはこの3つの扉から流れ込んできたのだ。そう、グリンガムたちが通ってきた扉からも。

それにこの酷い部屋で休む気はどうもしない。それに鎧にこびりついた、どろりとしたをせめて布で清めたいものだ。これだけの悪臭のだ、拭うだけでは恐らく気休めだろうが、それでも一張羅だ。しは綺麗にしておきたい。

「では、移を――」

そこまで言葉にして、グリンガムは口を閉ざす。仲間の1人、盜賊が口に指を1本あて、耳を澄ましているからだ。

グリンガムも耳を欹て、そしてコツリ、コツリという何かが規則正しく叩く音を聞き取る。

全員の視線が音のした方――グリンガムたちがってきた扉の方に向けられる。

「敵……だろうな」

「ああ、音は1つだものな」

全員でゆっくりと武を構える。先頭に立つ戦士は盾を構えると、その後ろに半を潛める。魔法使いは明かりの込められた杖を扉に突きつけ、即座に魔法を放つ準備をしている。神は聖印を掲げ、盜賊は弓の狙いをつける。

コツリ、コツリという音が大きくなり、扉からその姿を見せるものが1

豪華な――しかしながら古びたローブで、その骨と皮からなる肢を包み、片手には捻じくれた杖――これが音を立てていたのだろう。

骨に皮が僅かに張り付いたような腐敗し始めた顔には邪悪な英知のを宿していた。からは負のエネルギーが立ちこめ、靄のように全を包んでいた。

そんな死者の魔法使い。その名を――

「――リッチ!」

いち早くモンスターの判別に功した魔法使いがび聲を上げる。

そうだ。その姿を見せたモンスターの名を――リッチ。

邪悪な魔法使いが死んだ後、その死に負の生命が宿って生まれるという最悪のモンスターだ。今までの知の無いアンデッドモンスターとは違い、宿した英知は常人を凌ぐほどだ。

グリンガムたちはリッチと聞いて瞬時に戦闘態勢を変える。細かく説明すれば、一直線上に誰も並ばない。そして範囲魔法を警戒し、ある程度の距離を置くということだ。

リッチはかなりの強敵でありAクラスで微妙、A+クラスで互角という存在である。グリンガムたちでは々厳しいという相手だ。ただ、幸運なことに今回の構メンバーにはアンデッドに対しては素晴らしい強さを発揮できる仲間がいるというのが心強い。

そして距離をとられれば非常に厄介だが、この距離であればかなり有利に戦闘を持っていけるだろう。

「墳墓の主か!」

グリンガムはそう判斷する。リッチは死者の魔法使いであり、アンデッドを支配する側の存在だ。時にはアンデッドの群れを支配し、生者とも場合によっては取引をする。

1つの廃城を支配する有名なリッチがいるぐらいである。

そんなリッチであればこの墳墓の主だといわれても可笑しいことはまるで無い。

「おれたちが大當たりか、超らっきー!」

「別に墳墓の主人をやることが依頼じゃないっていうのによ!」

「ヘビーマッシャーのパワー見せてやるか!」

「神の加護を見せようぞ!」

口々に他の仲間が吼える。リッチという強敵を前に、恐れを吹き飛ばす意味での咆哮だ。

「防魔法――」

決意を決めた仲間たちにグリンガムは作戦をぼうとし、違和に襲われる。その違和の発生源は即座に分かる。目の前にいる強敵、リッチだ。

「……どうしたんだ?」

「不意をうつ……つもりじゃないよな?」

リッチはグリンガムたちを視認しながらも、一切何か行しようという気配をみせない。杖を持ち上げることも、魔法を唱えることもだ。ただ、黙って眺めている。

これにはグリンガムたちも困を隠せない。即座に戦闘にるだろうという予想を崩されたのだから。しかし先手を取って攻撃することは二の足を踏んでしまう。

確かにアンデッドは生きる者に敵意を持つ。しかしながら一部の知恵を持つものとは、渉することが出來るのも事実だ。大抵の場合は不利益な取引となるのだが、時にはアンデッド側からの取引ではるか昔の、失われたアイテムを得る場合だってある。

なによりリッチほどの強敵なら、渉でどうにか出來るなら渉で終わらせるべきだろう。例え、多の不利益を被ったとしても。

それらを考慮すると先手を打って攻撃するのは、あまりにも淺はかな行としか言えない。それは渉の可能を完全に破棄する結果に繋がるのだから。

グリンガムたちは互いの顔を伺い、同じことを考えているという結論に達する。

そしてチームリーダーであるグリンガムが口を開いた。

「あのー、渉したいのだが……」

リッチはそのおぞましい顔をグリンガムに向けると骨ばった指をに當てる。

意味は――靜かにしろ。

リッチにはあまりにも似合わないジェスチャーだが、強者に対してそんなことを言えるほど勇敢――いや、自暴自棄ではない。

グリンガムは素直に口を閉ざす。そして靜まり返った室に一種類の音が聞こえてきた。

グリンガムは耳を疑う。

聞こえてきた音はコツン、コツンという何かが床を叩く音。それも複數――。

グリンガムたちは全員で顔を見合わせる。聞こえてきた音から想像される答えが信じられなくて。

そして――

「ぶぅううう!!」

――全員が一斉に吹き出した。

「誰だ! あのリッチが墳墓の主だって言ったのは!」

「ふざけんなよ! あんなのありえねぇだろ!」

「おいおいおいおいおい――勝てるわけないから!」

「いくらなんでも神の加護にだって限界がありますよ!」

ゆっくりとってきたのはリッチ。それも6を數える。最初から部屋にいたものもあわせれば計7。リッチという最強クラスのアンデッド・スペルキャスターがその數である。これだけいれば1つの小都市を攻め落とすことすら可能かもしれない戦力だ。

確かに同種の存在である以上、攻撃手段は統一されている。つまり完璧に全ての攻撃を無効化にする手段さえそろえれば、7全て倒せるのも道理だ。

しかし、そんな手段をそろえているわけが無いし、そろえられるわけが無い。ならば小都市を落とせるかもしれない存在と正面から戦いあうしかないということ。

絶対に勝算が無いこの狀況下、グリンガムたちから、もはや戦意というものは完全に失われた。

『では、はじめるか』

渉する気のまるっきり皆無な、リッチのそんな言葉に合わせ、ゆっくりと杖が持ち上がる。それを悟ったグリンガムの咆哮が響く。

「撤退!」

その言葉を待っていましたといわんばかりに、チームの全員が走り出す。目指したのはリッチがってきた扉とは違う扉だ。2つあるが先頭を走る盜賊が向かう方に全員で走る。無論、その扉の先がどうなっているのかとか考える余裕は無い。リッチの群れというありえないような敵からしでも生き殘れるチャンスを得ようと行するだけだ。

一行は開け放たれていた扉を駆け抜け、走る。

先頭は盜賊。そのあとをグリンガム、魔法使い、神、戦士という順だ。これは特に考えた結果ではない。たまたまそうなったという順である。

一行は走る。扉を抜けて出た通路。迷うことなく走る。

曲がり角。本來であれば罠やモンスターの存在を警戒すべき場所だろうが、後ろから足音がする中、注意深く観察をする余裕は無い。運を天に任せ、駆け抜ける。

通路の左右には石で出來た扉があるが、開けて飛び込む勇気はわいてこない。

金屬鎧を纏う者が走る、けたたましい金屬音が通路に響く。

《サイレンス/靜寂》をかければよいのだろうが、そのためには立ち止まる必要がある。後ろからリッチが追ってくる足音が聞こえる中、流石にそれだけの余裕も無い。

走り、走り、走る。もはや自分達が何処を走っているのか。さっぱり分からない。

幸運なことにモンスターと一切遭遇せずに、そして罠に掛かることなくここまで來られたことが救いだ。

「――まだ、後ろから來てるか!」

走りながらグリンガムはぶ。答えたのは最後尾を走る戦士だ。

「いる! 走ってきてる!」

「ちくしょ!」

「走って追っかけてくるなよ! 飛行の魔法使って來いよ!」

「飛行してきたら、連続で魔法が飛んでくるだろ、ばか!」

「小部屋に閉じこもって、渉を――」

息も絶え絶えに魔法使いがぶ。この面子の中で最も力が無い彼は、もはや倒れそうな雰囲気だ。

不味いとグリンガムは判斷する。魔法使いの力的にこれ以上は持たない。

リッチのようなアンデッドモンスターは疲労というものはない。このままでは追い詰められ、力がなくなった一行はゆっくりと殺されていくだけだ。

「なんで、リッチがあんなにいるんだよ……」

常識で考えればありえない話だ。リッチほどの強大なアンデッドが、他の同程度の強さを持つアンデッドと仲良く共存するというのが。

「この墳墓の主はリッチより強い奴なんですかね!」

考えられる答えはそれしかない。しかし、そんなアンデッドいるというのか。グリンガムはその答えが出せない。

「ちくしょう! このくそったれ墳墓が!」

ぜいぜいと切れる息を吐き出し、最後尾の戦士が怒鳴った。

その瞬間を待っていたように、床にの紋章が浮かび上がる。それはグリンガムたち全員を範囲に捕らえられるほど大きなものだ。

「なっ!」

誰の聲か、悲鳴にも似た聲が響き――

――一瞬の浮遊。そしてグリンガムの視界は漆黒の世界によって包まれる。そして足元からはペキパキという何かを踏み砕いた音と共に、ゆっくりとが沈んでいく。まるで沼に落とされたような覚だ。

靜寂のみが支配する漆黒の世界。

グリンガムはそれに飲まれたように、小さな聲で尋ねる。

「……誰かいるか?」

「――ここだ、グリンガム」

即座に、仲間の1人――盜賊の聲が返る。それもさほど遠くない距離。恐らくは先程走っていたときの間隔程度だろう。

「他には誰かいないか?」

返事は戻ってこない。予測できた答えだ。明かりが無い時點で魔法使いはこの場にいないことは想像がつくし、そうなると魔法使いより後ろにいた神や戦士がいない可能が高いのだから。

盜賊だけでもいたのは幸運だと思うしかないだろう。

「……俺達だけみたいだな」

「みたいだな」

一歩もかずに周囲の雰囲気を伺う。深い闇は何処までも広がり、自分達が完全に闇に飲み込まれたような恐怖が湧き上がる。

誰もく気配は無いが――

「明かりをつけるか?」

「それしかないよな」

くこと――行することでこの靜寂を破壊するのでは、罠が発するのでは、そんな無數の不安が浮かぶが、殘念ながら人の目では闇を見通すことは出來ない。どうしても明かりは必要だ。

「じゃぁ、ちょっと待ってくれ」

盜賊の聲がするほうから闇の中、ごそごそと何かく気配がする。そして明かりが燈る。

手に持った蛍棒を高く掲げた盜賊の姿が最初に目にる。そしてそのを反する無數の輝き。それは霊廟で見た寶の輝きを思わせる。

だが――違う。

グリンガムは湧き上がりそうになる悲鳴を堪える。盜賊もまた引きつるような表を見せた。

無數の輝き。それは室を完全に埋め盡くす蟲――それはゴキブリとよばれる種類のもの――の輝きだ。この部屋は小さなものでは小指の先、巨大なものでは1メートルを超えるサイズのゴキブリで埋め盡くされているのだ。それも何重にもなって。

足元で割れるようなはゴキブリを踏み潰していったものだ。そして見れば腰の辺りまで埋まっている。それはどれだけゴキブリが積み重なっているのか、想像もしたくない。

は広いのか、壁際まで明かりが屆かない。蛍棒の照明範囲が15メートルだということを考えれば、この室の広さがどの程度かおおよそ理解できる。天井を見れば明かりが屆いているのだろう。無數のゴキブリの群れがに照らし出されていた。

「なんだ……よ、ここ」

盜賊がぐように呟く。気持ちはグリンガムには良く理解できた。聲を上げるとき出しそうな予を覚えたのだろう。

「一何が起こったんだよ?」

「……落としじゃないのか?」

盜賊が怯えたように周囲を見渡す中、グリンガムは漆黒の世界が広がる前の、最後の景。足元に浮かび上がったの魔法陣を思い出し、盜賊に尋ねる。

「そりゃない。アレはもっと別の何かだ」

「ならば転移関係の……」

有り得ない……いや、転移魔法は當然ある。例えば第3位階の《ディメンジョナル・ムーブ/次元の移》などだ。それ以外にも當然ある、それは――

「――確か第6とか第5位階のどちらかに全員を飛ばす転移魔法があったよな」

「ああ……そうだった気がするな」

「まさか、それぐらいの……」

最低でも第5位階を使いこなせる存在。そんなものはそうは聞いたことが無い。しかしながらグリンガムは納得もしていた。もし、そんな化けがいれば、あの數のリッチが共存しているのも理解できる。そしてグリンガムたちと戦えという命令を與えることも。

グリンガムは寒気に襲われる。この墳墓の危険を強く実して。そしてこんな依頼をしてきた伯爵に対し激しい敵意が浮かびあがる。無論この仕事を請けたのはグリンガムたちであり、責任という面で考えるなら、しっかり調べなかったグリンガムたちに問題がある。

しかし、伯爵はある程度の報を持っていたはずだ。そうでなければこの墳墓を調べろという依頼は――アレだけの報酬とワーカーを集めて、出したりはしなかっただろう。こんなどれだけ凄まじい力を持つのか不明な化けが支配する墳墓に送り込んだりは。

「早く逃げよう。ここは……地獄だ」

「ああ」

グリンガムはこの部屋で何より恐ろしいことが1つある。どうやら盜賊は気付いてないようだが、それは幸運なことだろう。

恐ろしいこととは、ゴキブリが一切いていないのだ。まるで死んでいるかのように、ピクリともいていない。考えられるだろうか。これだけ覆い盡くしながらも一切いてないその姿が。

「――いや逃げることは出來ないかと思われますよ?」

突如、第三者の聲が響く。

「誰だ!」

グリンガムも盜賊も慌てて周囲を見渡すが、く気配は無い。

「あっと失禮。我輩、この地をアインズ様より任されております、恐怖公と申します。お見知りおきを」

聲のした方向。そこに向かった視線は異様なものを捕らえる。ゴキブリを跳ね除け、下から何かが出ようとしているのだ。

距離的に近接武では屆く距離ではない。盜賊は黙って弓を引き絞る。グリンガムもスリングを取り出そうとし――止める。いざとなったらこの腰まであるゴキブリの群れをかいくぐり、切りつけてやると考えてだ。

やがてゴキブリを押しのけ、変わったゴキブリがその姿を見せる。

そこにいたのは2本の足で直立した、30センチほどのゴキブリだ。

豪華な金縁のった鮮やかな真紅のマントを羽織、頭には黃金に輝く王冠をちょこんと乗せている。手には頭頂部に純白の寶石をはめ込んだ王杓。

なにより驚くべきなのは、直立しているにもかかわらず、頭部がグリンガムたちに向かっていることだ。もし通常の昆蟲が直立したなら、當然頭部は上を向くこととなるだろう。しかしながら目の前の奇怪な存在は違うのだ。

それ以外、取り立てて他のゴキブリと変わるところは無い。いや、これだけ変わっていれば充分か。

グリンガムと盜賊は互いに視線をわし、グリンガムが渉することとする。盜賊が弓に矢を番えたまま、下に向けるのを確認すると、恐怖公に話しかける。

「お前は……何者だ?」

「ふむ。先程名乗らせていただきましたが、もう一度名乗った方がよろしいですかな?」

「いや、そういうことではなく――」そこまで口にしたグリンガムは、すべきことや尋ねることがそんなことでないことを思い出す。「……正直に言う。渉しないか?」

「ほほぅ、渉ですか。二方には謝しておりますし、渉しても構いませんよ?」

その言葉に含まれた謎の意味――何故謝しているのか、そこに引っかかりを覚えるが、現在の圧倒的不利な狀況で問いかけるわけにはいかない。

「……渉としてこちらがすることは……俺達を無事にこの部屋から出してもらいたいということだ」

「ふむ。なるほど。當然の考えですな。しかしながらこの部屋の外に出ても、現在はナザリック大地下墳墓の第2階層目。地上に戻れるとは思いませんが?」

第2階層――。

その言葉にグリンガムはフルヘルムの下の目を大きく見開く。

「地表にある霊廟を多下がったところにある扉をくぐったところが、第1階層という數え方でよいのか?」

「普通はそうではないですかな?」

「いや、一応確認しておきたかったんだ」

「ははぁ、まぁ第1階層から転移させられたのだから混するのも道理ですな」

ウンウンとどうやってか頷く恐怖公を前に、グリンガムは氷柱を突き刺されたような寒気をじる。

それは先の話を肯定されたことによる恐怖。

つまりはどうやってかは知らないが、罠として転移の魔法を使っているということ。それはどんな魔法でどんな魔法技なのか。魔法使いではなくとも、それがとてつもないことだという理解は出來る。

「……確かにこの墳墓から出る道も教えてしいが、そこまではまない。この部屋から出してくれるだけでいい」

「ふむふむ」

「こちらからは……そちらのしいものを差し出そう」

「なるほど……」

恐怖公は深く頷き、何か考え込むような姿勢を取る。

靜まり返った部屋の中、暫しの時間が流れる。そして恐怖公は納得したように頷くと、言葉を発する。

しいものと言うのは既にありますので、そちらが提供するものとしては不十分ですな」

口を開こうとするグリンガムに、前足を上げることで黙らせると、恐怖公は更に続ける。

「その前に、何故謝しているのかという疑問を覚えられたようですし、お答えしたいかと思います。我輩の眷屬が共食いには飽き飽きしたようで。そのため餌の二方には先程も言ったとおり謝しているんです」

「な!」

盜賊がその言葉を理解すると同時に矢を放つ。

空を切って飛んだ矢は、恐怖公の真紅のマントによって絡めとられ、力なく落ちる。

そして――部屋が蠢く。

ザワザワという音が無數に起こり、巨大なものとなる。

そして津波が起こる。

それは黒い濁流だ。

「2人しかいないのが殘念ですが、眷屬の腹に収まってください――」

盛り上がった巨大な波が、グリンガムと盜賊を飲み込む。それは津波に正面から飲み込まれたらこうなる。そんな景だった。

黒の渦に飲み込まれ、グリンガムは鎧の隙間にってくるゴキブリを必死に叩く。

こんな小さな蟲の集団に、武が効くものか。それよりは普通に手で叩いた方が早い。そのため既に武は捨てており、もはやどこに行ったのか皆目見當がつかない。

もがく様に手を振り回そうとするが、全に覆いかぶさってきた無數のゴキブリによって上手くかすことが出來ない。その景は溺れた者が手を振り回す姿に似ている。グリンガムの耳に聞こえる音は、無數のゴキブリが蠢くザワザワという音のみ。

それにかき消され、仲間の盜賊の聲は聞こえない。

いや、盜賊の聲が聞こえないのも當然だ。彼は口の中、、そして胃にまでり込んできたゴキブリによって言葉を出せる狀況ではないのだから。

ちくちくという痛みがあちらこちらからする。それは鎧の隙間から侵したゴキブリが、グリンガムのを齧る痛みだ。

「やめ――」

グリンガムはぼうとして、口に中にってくるゴキブリに言葉を詰まらせる。必死に吐き出すが、しだけ開いたの間に別のゴキブリがこじ開けるようにり込んでくる。そして口をもぞもぞと蠢く。

耳にだって小さいものがり込んだのか、ガサガサ音が酷く大きくなり、むずさが広がる。

顔をザワザワと數えられないだけのゴキブリがき回り、噛み付いてくる。瞼に走る痛み。だが目を開けることは出來ない。目を開ければその結果がどうなるか簡単に予測がつくから。

もはやグリンガムは自分がどうなるか理解できる。このまま生きたままゴキブリに貪り食われるのだと。

「こんなの嫌だ!」

を上げる。そして口の中にゴキブリが流れ込んでくる。もぞもぞとき、の奧にり込もうとする。そしてズルリというと、を何かがり落ち胃に収まる。そして吐き気を催す。

グリンガムは必死に蠢く。

これならリッチと戦って死んだ方が良かった。こんな死に方はゴメンだ。

そんな思いすらも黒い渦は飲み込んでいく――。

ふと目を見開く。

視界にってきたのはどこかの天井。石で出來たものであり、白を照らすがそこに埋め込まれている。自分がどうしてそこにいるのか分からず、周囲を見渡そうとして、頭がかないことに気付く。いや、頭だけではない。手首、足首、腰、と何かが縛り付けているか、その部分がまるでかない。さらには口には何かが填められており、閉ざすことが出來ない。

理解不能な狀況が恐怖を引き起こし、び聲を上げたくなる。

目だけをかし、必死に周囲を確認しようとして聲が掛かる。

「あらん、起きたのねん?」

濁聲がかかる。とも男とも判別しづらい聲だ。

けない視界にり込むように姿を見せたのはおぞましい化け

それは人のに、歪んだ蛸にも似た生きに酷似した頭部を持つ者だった。太ももの辺りまでありそうな6本の長い手がうねっている。

は溺死のような濁った白。やはり溺死のような膨れ上がったには、黒い皮でできた帯を服の代わりにもうしわけ程度に纏っている。料理に使う糸のように、に食い込んだ姿はおぞましい限りだ。もしこれをが著ているなら妖艶なのだろうが、このおぞましい化けが著ていると吐き気すら催す。

指はほっそりとしたものが4本生えており、水かきが互いの指との間についていた。爪はびているが、全部の指にマニキュアが綺麗に塗られ、奇怪なネイルアートがされていた。

そんな異様な存在は、瞳の無い青白く濁った眼を彼に向けた。

「うふふふ。寢覚めは良好かしらん?」

「ハァハァハァ」

恐怖と驚愕。その2つのに襲われ、荒い息のみが彼の口かられる。そんな彼の頬に、恐怖に怯える子供を安心させる母親のような優しさを持って、その化けは手を這わせる。

やたらと冷たいぬるりとしたが、彼の全に寒気を走らせた。

これでぷんと匂うのがや腐敗臭なら完璧だろうが、匂ったのは花の良い香り。それが逆に恐怖をじさせる。

「あら、そんなに小さくさせてまで怯えることないわよん」

その化けが向けた視線の先は彼の下腹部。に伝わる空気ので、ようやく自らがであるということを理解する。

「えっと、名前を聞いたほうがいいかしらん?」

ほっそりとした指を頬に當たる部分にあて首を傾げる。もしがやれば良い景だろうが、やっているのは蛸頭の水死のような化け。不快と恐怖しかしない。

「…………」

目のみをキョト、キョトとかす彼に、化けは笑いかける。手によって口元は完全に隠れているし、表も殆どいていない。しかしながらそれでも笑みだといえるのは冷たいガラス玉のような瞳が細くなったからだ。

「うふふふ。言いたくないのねん? 可いわん、照れちゃって」

化けの手が彼のを字でも書くようにく。彼からすれば心臓を抉られるのではないかという恐怖の方が浮かぶ、そんなきだ。

「先におねえさんの名前を聞かしてあ、げ、る」語尾にハートマークがつくような甘ったるい言葉――濁聲だが。「ナザリック大地下墳墓特別報収集、ニューロニストよ。まぁ拷問とも呼ばれているわん」

長い手がうねり、その元にある丸い口を見せた。鋭くとがった牙が周囲を取り囲む中、舌であるかのように一本の管がヌルリと突き出される。それはまさにストローのようだった。

「これでそのうち、チューって吸ってあげるからねん」

何を吸うというのか。そのあまりの恐怖に彼はかそうとするがまるでかない。

「さて、さて。あなたは捕まったの。私達にねん」

そう。最後の記憶は前を走るグリンガムと盜賊が消えたところ。そこから完全に記憶が途切れ、現在に繋がっている。

「自分が何処にいるか。それぐらいは分かるでしょ?」ニューロニストは笑うと言葉を続ける。「ここはナザリック大地下墳墓よ? 至高の41人。その最後に殘られた方、モモ――いえ、アインズ様の座します場所。この世界でも最も尊き場所」

「はいんふはは?」

「そう、アインズ様」

何かを填められ、言葉にならない彼の言葉を理解し、ニューロニストは彼のに手を這わせる。

「至高の41人のお1人。かつて至高の方々を統べられた方。そしてとてもとても素晴らしい方よん。あなたも一度、その姿を見れば心の底より忠誠を盡くしたくなるわん。私なんか、アインズ様にベッドに來るよう呼ばれたら、初めてを差し上げてもかまわないのん」

クネクネではなく、グネリグネリと照れたようにかす。

「ねぇ、聞いてん」照れたが文字を描くように、彼のに文字を書く「この前アインズ様がいらっしゃったとき、私のをじろじろと見たのよん。あれはまさに獲の選別をするオスの視線ね。それから照れたように視線をそらされたの。もう、キュンっては高鳴るし、背筋はゾクゾクきっちゃったわん」

そこでぴたりときを止めると、彼の目を覗き込むように顔を近づける。その異様な外見から必死に逃げようとするが、はピクリともかない。

「シャルティアとかいう小娘もアインズ様の寵を狙ってみるみたいだけど、として年齢を重ねた私の方が絶対に魅力は上よん。あなたもそう思うでしょ?」

「はあ。あうあいあう」

肯定しなかったらどうなるのか。その恐怖が彼に同意の聲を上げさせる。

口を開けたままの意味が不明な彼の返事をけ、ニューロニストは嬉しそうに目を細める。そして両手を組むと中空を見據える。それはまるで天を拝む狂信者のように。

「ふふふ、あなたって優しいのねん。それとも事実を事実として言ってるだけなのかしら。でも何でか呼ばれないのよね……。ああ、アインズ様……ストイックなところも素敵……」

プルプルとに打ち震え、そのたびにが揺れる様は脂だけのを思わせた。

「……はぁ。ぞくぞくしちゃったわん。あっとごめんなさい、私の話ばっかり」

そのまま俺を忘れてくれ。そんな彼の思いを無視し、ニューロニストは話を続ける。

「これからのあなたの運命について話しておくわねん。あなた、聖歌隊ってご存知?」

突然の質問に彼は目を白黒させる。そんな彼の疑問をニューロニストは知らないと判斷したのか、説明を始めた。

「賛曲、聖歌、賛歌を歌い、神のと栄を稱える合唱団のことよん。あなたにはその一員となってもらうの。あなたのお仲間と一緒にね」

それだけならば大したことではない。彼もさほど歌には自信があるわけではないが、別段オンチということは無いのだから。ただ、ニューロニストという化けが、そんなまともなことを狙っているというのか。彼は心滲みあがる不安を隠しきれずに、ニューロニストを橫目で伺う。

「そうよん。聖歌隊よん。アインズ様に忠誠を盡くしていない、愚かなあなた達でも大きな聲で歌うことによって、アインズ様に対する捧げとなれるのよん。目指すのは合唱よん。あぁ、ぞくぞくしちゃうわん。アインズ様に送るニューロニストの歌唱よん」

気持ち悪い目玉に靄が掛かったようなが浮かぶ。それは自らの考えに興しきったためか。細い指が蟲にように蠢く。

「うふふふふ。さて、あなたの合唱をサポートしてくれる者たちを紹介するわねん」

今まで部屋の隅にいたのだろうか、何人かが彼の視界にるように唐突に姿を見せる。

その姿を見て、一瞬だけ彼は呼吸を忘れる。それは邪悪な生きだと一目瞭然で分かる、そんな奴らだったからだ。

にぴったりとした黒い皮の前掛け。全は白というよりも。そしてそんなの皮を――仮に紫が流れているとするなら――管が全を張りめぐっているのが浮かび上がっている。

頭部は黒い皮の、顔に一部の隙もなくぴったりとしたマスクをしており、眼は見えるのか、そしてどこから呼吸をしているのか不明だ。そして非常に腕が長い。長は2メートルはあるだろうが、腕はばせば膝は超えるだろう。

腰にはベルトをしており、そこには無數の作業道が並んでいた。

そんなのが4もだ。

「――トーチャーよん。この子達と私で協力してあなたに良い聲で歌わせてあげるわん」

嫌な予想。歌うという意味がどう意味なのかを悟り、彼は必死に逃げようとかす。しかしやはりはまるでかない。

「無駄よん。あなたごときの筋力じゃ切れないわん。この子達が治癒の魔法をかけるから、たっぷりあなたは練習できるわよん?」

私って優しいでしょ。そんな邪悪なニュアンスを込めた口調でニューロニストは言葉をつむぐ。

「はへへふへ!」

「ん? どうしたのかしらん? 止めてしいの?」

目に涙を滲ませながらぶ彼に、ニューロニストが優しく問いかける。そして6本の手がゆらゆらと揺らめいた。

「良いかしらん? あのお方が殘られたことで、私達、至高の方々によって作り出された者は存在することを許されているのよ? あのお方に仕えるということで存在する理由があるのん。その尊きお方のお住まいに、土足でり込んだ盜人に対して、私達が一片でも慈悲をかけるって? 本気でそう思ってるの?」

「おへははふはっは!」

「そう。そうねん。後悔は大切なことだわん」

ニューロニストが細い棒を何処からか取り出す。先端部分に5ミリほどの大きさの棘の生えた部分がある。

「まずはこれでいくわねん」

それが何に使うのか理解できない彼に対し、ニューロニストは嬉々として説明する。

「私を作り出された方が尿道結石という奴で苦しんだって話でねん。それに敬意を評して、まずはこれからおこなうのん。ちょうど小さくなってることだし、楽にいけるとおもうわん」

「はへへふへ!!」

何をされるのか理解し、泣き喚く彼に、ニューロニストは顔を近づける。

「これから長い付き合いになるのよん。これぐらいで泣いていたら大変よ?」

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