《オーバーロード:前編》王都-2

現在セバスが滯在している家は、建築ギルドに頼んで借りけたそこそこ大きな屋敷だ。周辺に立ち並ぶ館は大きく立派なものが多く、王都でも治安の良い分類にる區畫に建てられた館だ。

セバスとソリュシャンというたった2人で住むにしては非常に大きすぎる館ではあるが、遠方の大商人の家族というアンダーカバーを被っている以上、みすぼらしい館に住むことは出來ない。

そんな館に著き、家の扉を潛ると、即座に出迎えてくる者がいた。この館にはセバスを除けばたった1人しかいないのだから、當然出迎えた人はもう1人――セバス直轄の戦闘メイドのソリュシャン・イプシロンである。

「おかえり――」

ソリュシャンの言葉は止まり、下げかけた頭もきを止める。ソリュシャンの冷たい視線はセバスがの前で掻き抱いたものへと向けられていた。

「……セバス様。それは一?」

「拾いました」

その短い返答にソリュシャンは何も言わない。だが、空気が一瞬だけ重いものと変化した。

「……そうですか。ではそれをどうされるのですか?」

「そうですね。まずは彼の傷を癒してしいのですが、お願いしてもよろしいですか?」

「傷ですか……」ソリュシャンはセバスの抱いたの様子を伺い、納得したように頭を振ってから、セバスをじっと見つめた。「もしそうだとするなら、神殿に置いてくれば良かったのではないでしょうか?」

セバスが始めて目を見開く。

「……でしたね。私としたことがそれに気づかないとは……」

そんなセバスをソリュシャンが冷たい目で見據え、ほんの一瞬だけ両者の視線が差する。先に目を逸らしたのはソリュシャンだ。

「今から捨ててきますか?」

「いえ。ここまで連れてきてしまったのです。私たちで有効活用する手段を考えるべきでしょう」

「……畏まりました」

ソリュシャンは演技を除けば、あまり表を大きくかすタイプの存在ではないが、今のソリュシャンの表はまさに能面であった。そしてその目に宿るは、セバスをして理解できないもの。

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ただ、現在の狀況がソリュシャンにとってはあまり歓迎していないことぐらいは手に取るように分かる。

「まずはの健康狀況を調べていただけますか?」

「了解しました。では早速ここで調べましょうか?」

「それは流石に……」ソリュシャンからすればその程度の存在なのかもしれないが、玄関で行うべき行為ではないだろうとセバスは判斷し、言葉を紡ぐ。「空いている部屋もありますし、そちらでお願いしてもよろしいですか?」

「……了解しました」

玄関から客室にを運ぶ間、互いに話そうとはしない。ソリュシャンもセバスも無駄話というものはあまりしない質だが、それ以上に微妙な空気が2人の間にあった。

客室の扉をを抱いたセバスに代わり、ソリュシャンが開ける。現在は厚手のカーテンが閉められているため室は暗いが、淀んだ雰囲気はまるで無い。幾度も開けられているために空気は新鮮なものだし、室は綺麗に掃除が行き屆いている。

ってくるがカーテンの隙間かられるものと、扉からってくるものだけだが、セバスの足取りに狂いはまるで無い。清潔なシーツが敷かれたベットの上にを靜かに下ろした。

「では」

隣に並んだリュシャンが無造作にに巻きつけた布を毟り取る。その下からはのボロボロの肢が曬される。そんな酷い姿を目にしても、ソリュシャンの表に変化は無い。

「……ソリュシャン任せます」

セバスはそれだけ言うと部屋から出て行く。診し始めたソリュシャンに、それを止める気配はまるで無い。

廊下に出ると、中のソリュシャンに聞こえないよう小さく呟く。

「愚かな行為です」

呟いた言葉は即座に廊下に消え、答えるものは當然誰もいない。

セバスは髭を無意識にる。何故あのを助けたのか。セバス自はっきりとした理由を言うことはできない。もし仮定するなら、窮鳥懐にれば猟師も殺さず、というところなのだろうか。

いや違う。

何故助けたか。

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それは――彼が弱者だからだ。

セバスはナザリックのランド・スチュワートであり、その忠誠は至高の41名――全てに捧げられている。現在はアインズ・ウール・ゴウンの名をそのに宿した、ギルド長。彼こそが全てを捧げて仕えるべき存在である。

その忠誠に偽りは無く。己が命すらも容易く捨てることを迷わないだけの忠義を捧げているつもりだ。

だが、しかしながら――もし仮に、至高の41名の中で1人だけに忠義を払えといわれれば、選ぶだろう存在がいる。

『たっち・みー』

セバスを生み出した、『アインズ・ウール・ゴウン』最強の存在。ワールド・チャンピオンと言われる9人からなる桁の違う存在の1人。

システム上許されているからといってPKに代表される行為を行うことで、より強大になっていたギルド。その前たる集まりを、彼が最初の9人として作ったのは弱者の救済のためだというと冗談の話のようだろう。しかしそれが事実なのだ。

モモンガがPKに合い続け、腹を立てゲームをやめようとしたところを救った。ぶくぶく茶釜がその外見から一緒に冒険をする相手が見つからなかったところを進んで聲をかけた。そんな人なのだ。

そう。

――そんな人に創造されたセバスも似たところを持っていたのだ。

「これは呪いなんですかね……」

暴言だろう。もしこの臺詞に込められた真意を、他のアインズ・ウール・ゴウンに屬する存在――至高の41人に創造された存在が聞けば不敬だと攻撃される可能だってある。それほどの言葉だ。

しかし――

「アインズ・ウール・ゴウンに屬さぬ存在に哀れみというを持つことは正しくは無い」

セバスは重々しく呟く。

至極當然のことだ。

一部の例外――至高の41人にそう設定された存在、例えばペストーニャのような者を除き、アインズ・ウール・ゴウンに屬さぬものは容易に切り捨てる行為こそ正しい。例えばある村のとメイドの1人、ルプスレギナは仲が良い。だが、狀況によってはルプスレギナはそのを即座に切り捨てるだろう。

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これは冷酷なのではない。もしその行為を冷酷だとなじる存在がいたら、よく分からないとそんな不思議そうな表を浮かべながら返答するだろう。至高の41人に創造された存在の思考であり忠義。それを単なる人間の――くだらないで判斷すること事態が間違っているのだ。

セバスが一直線にを噛み締めた頃、ソリュシャンが扉から出てきた。

「どうでしたか?」

「……梅毒にあと2種類の病。肋骨の數本及び指にヒビ。右腕および左足の腱は切斷されています。前歯の上下は抜かれています。臓の働きも悪くなっているように思われます。裂もありました。その他の打ちや裂傷等は無數にあるために割させていただきたいと思いますが……まだいくつかありますが他のご説明が必要ですか?」

「いえ、その必要は無いでしょう。重要なのはこの一點ですから。――治りますか?」

「容易く」

即答であり、セバスも予測していた答えだ。しかし、一応、念をいれて確認を取る。

「……腱の切斷等もですか?」

「無論です」

「では、お願いします」

僅かにソリュシャンの目が細まり、そして即座に伏せられる。

「……畏まりました。あのを無傷の狀態――そう、あのような行為が行われる前までの、の狀態を戻すということでよろしいですか?」セバスの首肯をけ、ソリュシャンは丁寧に頭を下げた「直ちに治癒を行いたいと思います」

「では治療が終わったら、お湯を沸かせて彼を拭いてもらえますか? 私は食事を買ってきます」

「畏まりました。……セバス様。の治療は容易いことですが……神の傷を癒すことは私には不可能です」ソリュシャンはそこで言葉を句切ると、セバスをじっと見つめ尋ねる。「神を癒すのであればアインズ様をお呼びするのが一番だと思われますが……お呼びしませんか?」

「……アインズ様に來ていただくほどのことはありません。神の方はそのままでかまわないでしょう」

ソリュシャンは深く一禮すると扉を開け、中にっていく。セバスはそんな後姿を見送ると、ゆっくりと背中を壁に持たれかけさせる。

を神殿に置いてくる。ソリュシャンはそう言った。それに対してセバスは忘れていたといったが、あれは噓だ。無論、セバスがそのことに気づかなかったわけが無い。いや、実のところセバスは最初に神殿に連れて行ったのだ。に姿を包んでいた布はそこで貰ったものなのだから。

セバスのった神殿で神にどれだけ驚かれ、どれほど非難めいた眼で見られたか。完全にセバスがに酷い行いをしたと思われたのだ。

どうにか誤解を解き、治癒を依頼したのだが、そこで問題が1つ出てきた。ざっと診察をしてもらったのだが、病等の病気の治療は出來るし、打ちなども治せる。しかし、腱の切斷や強引に抜かれた歯等の古傷は神殿では癒せないと言われたのだ。これは単純に古傷すら治せる治癒魔法――そこそこ上位の魔法を使える者がいなかったためだ。

そこでセバスは逡巡した。彼の約束した保護。

それはどこまでの行為をそれと呼べば良いのか、不明だったからだ。

病気を癒し、良い環境で休ませれば力は回復はするだろう。だが、將來的に出來上がる右手と左足はかずに、食事を噛み砕くのもしばかり難しい、そんなの姿がセバスの約束した保護なのだろうか。

確かに普通の人間であればそれだけで充分な保護だ。しかしセバスは違う。

彼ならばもっとより良い狀態に彼を助けることが出來る。

ソリュシャンはアサシンであるが特殊なクラスを保有しているために、神殿で行える治癒よりもより上位の治癒が行える。そう思ったからこそ連れてきたのだ。そして結果、彼はかなり戻るだろう。衰えただって、各種の治癒系魔法を行えば短期間で完全に癒せるはずだ。

問題はそこからだ。

をどうするのか――。

セバスは息を1つ大きく吐き出す。

部に溜まった様々なものをこうやって吐き出せたなら、どれだけ楽になれるか。しかし、何も変わらない。心は混し、思考にはノイズがる。

「愚かな話です。この私があのような1人に……」

セバスは偽りの結論を出す。

答えは出ない。ならばせめて問題を後に回そう。時間稼ぐにも似た行いだが、セバスからすればそれが納得の出來る最大の答えだったのだ。

靴の音を響かせ、セバスは歩き出した――。

ソリュシャンは指の形を変える。ほっそりとした指がよりび、數ミリほどの細い管のような形まで変わった。元々ソリュシャンは不定形のスライムであり、外見はかなり変えることが出來る。指先の形を変えることなど容易いことだ。

部屋の扉を一瞥をし、外にセバスの気配がなくなっていることを鋭敏に知覚すると、ソリュシャンはベットに橫になったの元に靜かに近寄る。

「セバス様の許可もいただきましたし、面倒ごとは早急に解決させていただきます。あなたもその方がよろしいでしょうしね。それに気づいてないでしょうし」

ソリュシャンは変形してない手を広げ、に隠しいれていたスクロールをズルリと取り出す。

ソリュシャンが隠しれているのはこのスクロールだけではない。スクロールに代表される消費系マジックアイテムから始まり、武や防なども當然に仕舞いこんでいる。人間であれば數人は飲み込めるのだ、なんの不思議も無いだろう。

「さて、セバス様が戻ってくる前に食べてしまうとしますか」

ソリュシャンは封を切り、スクロールを広げる。中に込められた魔法は《ヒール/大治癒》。第6位階の高位治癒魔法であり、なおかつ病気等のバッドステータスをあらかた回復させる魔法だ。

通常、スクロールはその魔法を使うことのできるクラスを保有していないと効果を発揮しないもの。つまりは神系のスクロールを使うのには神系のクラスを持っていなくてはならない。しかし一部の盜賊系クラスが保有するスキルはそれを偽り、持って無くても持っているように使いこなすことが出來る。

ソリュシャンはアサシンとして盜賊系クラスの延長を幾つも習得している。そのためソリュシャンが本來は使えないはずの《ヒール/大治癒》のスクロールを使おうとするのも、そういう種があってのことだ。

「まずは眠らせて、と」

ソリュシャンはで睡眠効果を有する毒と筋弛緩系の毒を、クラス能力として調合すると、に覆いかぶさるようにいた。

セバスが食料を買い込んで戻ってくると、ソリュシャンが部屋の外に出てくるのはほぼ同時のタイミングだった。ソリュシャンの左右の手には湯気の立つ桶が2つあり、その中には手ぬぐいが數枚放り込まれている。

お湯は両方とも汚れており、手ぬぐいにも汚れが付著しているようだった。どれだけ彼が汚れていたかを示唆するようだった。

「ご苦労様でした。治療の方は問題なく解決した……ようですね」

「はい。なんら問題なく終わりました。ただ、服が無かったので適當なものを著せましたがよろしかったでしょうか?」

「當然かまいません」

「左様ですか……そろそろ睡眠系毒の効果が切れる頃だと思います。……これ以上するべきことが無いのであれば、私はこれで下がりますが?」

「……特別はありません。ご苦労でした、ソリュシャン」

ソリュシャンは頭を下げると、セバスの橫を通り歩き出す。

セバスは扉をノックすると、扉を靜かに開ける。

ります」

厚手のカーテンは開けられ、室に太の明かりをれている。そんな室のベッドの上には、1人のが寢起きなのか非常にぼんやりとした表で、半を起こした狀態でいた。

それはまさに見間違えるようだった。

ぼさぼさで薄汚れていた金髪は今では綺麗な艶やかさを湛えていた。こけて落ち窪んでいた顔は、この短期間ではありえないほど急速に付きを取り戻している。かさかさに割れたも健康的なピンクの輝きに変わっていた。

外見を総合的に評価するなら人というよりは、のあるという言葉が似合いそうなだ。

こうやって見ると、年齢もなんとなく判別が付きそうだ。恐らくは10臺後半ぐらいだろうが、その経験したであろう地獄が年齢以上の重みを表に作り出している。

ソリュシャンが著せた服は白いネグリジェだ。ただ、ネグリジェにありそうなフリルやレースといった裝飾を極力そいだ質素なものである。

の狀態はどうですか? 完全に癒えたとは思いますが、何か変なところはありませんか?」

返答はまるで無い。ぼんやりとした視線にもセバスの方へとこうとする意志はまるで無かった。だがセバスはそんなことを気にもしないように言葉を続ける。いや、最初っから余り期待してなかったのが明白な行だ。

のボンヤリとした表は、寢起きだからという類のものではないとセバスは直したためだ。心がこの場に無い、そんな人間の表だと。

「お腹が減っていませんか? 料理を持ってきましたよ」

セバスやソリュシャンは調理が出來ないため、買ってきたのは即座に食べれるものだ。胃腸の狀態まで回復しているかは不明のため、14種類の材料を使ったという粥を買ってきたのだ。

木のに盛られた粥には、僅かにを付けた出で作られている。その中に風味をつけるためにれられたごま油が、食をそそらせる匂いを漂わせていた。

その匂いに反応し、の顔が僅かにく。

「では、どうぞ」

完全に己の世界に閉じこもっているわけではないと把握し、セバスは木のスプーンをれたを彼の前に差し出す。

かないが、セバスも無理に勧めるような行は取らない。両者がそのままの姿勢でかないという、空白の時間がしばし流れる。

もしこの場に第三者がいれば焦れるだけの時間が経過し、ゆっくりとの腕がく。痛みに怯え、強張ったようなかし方で。例え外傷が完全に癒えようと、記憶に刻まれた痛みの記憶は、今でも深々と開いているのだ。

は木のスプーンを摑み、その中に粥を薄く掬う。

そして口に運ばれ、垂下した。五分粥と同量の水分のこの粥はどろりとしたものであり、セバスの依頼で非常に細かく切ってもらい、じっくりと煮た14種類の材は、よく噛まずとも良いほどだ。

き、粥が胃の中に納まる。

の目が僅かにく。本當にわずかなきだが、それは巧な人形から人間への変化だった。

もう片方の手がブルブルと震えながらき、セバスからを取る。セバスはに手を添えたまま、彼が置きたい場所にかす。自らの元に抱え込んだに木のスプーンを突き刺し、は流し込むような勢いで粥を食べる。

ちょうど良い熱さまで冷えていなかったら、絶対に火傷をして悶絶しただろうという食べ方だ。口から毀れた粥がネグリジェの元を汚す。

最初の頃は全然想像もつかない速度で食事を食べる。それはまさに飲んでいるというのが正解な勢いだ。

即座に空になった

それを抱えこんだまま、彼はホウとため息をつく。完全に人間の顔となった彼の目が僅かに細まる。粥が胃に収まり、清潔でりの良い服、を綺麗にされたことなどの相乗効果が彼神を緩め、睡魔が取り付きだしたのだ。

だが、瞼が閉ざされかかると、彼は大きく目を見開く。そして怯えるようにめた。

瞼を閉じることに恐怖を持っているのか、はたまたは今の狀況が失われてしまう――幻のように消えてしまうことを恐れたのか。それとももっと別のことによることなのか。傍から見ているセバスでは分からない。

もしかすると彼分からないことかもしれなかった。

だからセバスは安心させるように、優しく話しかける。

が睡眠をしているのでしょう。無理はされずにゆっくり眠られると良いでしょう。ここにいれば何も危ないことはありません。この私が保証します。目を覚ましてもこのベッドの上にいますよ」

初めての目がき、セバスを正面から捕らえる。

青い瞳にはさほどは無く、力も無い。ただ、あのときの死者の瞳ではなく、生者の瞳になっている。

口が僅かに開き――閉ざす。そして再び開き――再び閉ざす。そんなことを數度繰り返す。セバスはそんな行いを暖かい微笑みを浮かべながら見守る。決して焦らせたり、何かしようとはしない。ただ、黙って見つめる。

「あ……」

やがてを割って、小さな聲がれた。一度毀れれば、その先は早い。

「あ……ありが……ござ……ぃます」

自分の置かれている狀況への確認等ではなく、謝を最初に口に出す。彼格の一端が摑め、セバスは作り笑いではない笑みを浮かべた。

「お気にされずに。私が拾い上げたからにはあなたのの安全は出來る限り保障しましょう。41人の方々を除き、何者が來ようとも負ける気はしませんので」

しばかりの目が見開く。それから口がわなないた。

青い目が潤み、ボロボロと涙が毀れる。それから大きな口を開け、は泣き出す。火の付いたように。そんな言葉がまさに正しい泣き方だ。

泣き聲に混じり、呪詛が吐き出される。

己の運命を呪い、その運命を與えた存在を憎悪し、助けがあのときまで來なかった事を恨む。その矛先はセバスにも向けられていた。

もっと早く助けてくれれば。そういう恨み言だ。

セバスの優しさをけ――人としての扱いをけたことで、今までの耐えに耐えてきた何かが崩壊したのだ。いや、人間の心を取り戻したが故に、今までの記憶に耐えられなくなったというべきなのだろうか。

は頭を掻き毟り、ブチブチという音が共に髪が毟られる。ほっそりとした指に、金の糸が無數に絡んだ。

セバスはそんな彼の狂を黙って見ている。粥をれていたがスプーンと一緒にベットに転がる。それを取ろうともせずに黙って見つめる。セバスからすれば彼の恨み言は全く的外れなものであり、勝手な言い分にしか過ぎない。

人によっては彼の恨み言は不愉快であり、激怒して然るべきものだろう。しかしセバスの表の怒りのは全く無い。その皺の刻まれた顔には慈悲のようなものがあった。

セバスはを乗り出すと彼を抱く。

男がを抱くというのではなく、父親がわが子を抱きしめるような気の無い、ただのみがある抱き方だ。

一瞬だけ彼直し、その今までの彼を貪ってきた男達とは違う抱き方に、凍りついたが僅かに緩んだ。

「もう大丈夫です」

その言葉を呪文のように幾度も唱えながら、彼の背中をポンポンと優しく叩く。泣いている子供を宥めるように。

一瞬だけ、しゃくりあげ――それからその行為に反応し、彼はセバスのに顔を埋めるとさらに泣く。だが、先ほどの泣き聲とはしばかり違うものだった。

暫しの時間が経過し、セバスの元が彼の涙で完全に濡れた頃、ようやく彼の泣き聲が止む。ゆっくりとセバスの元から離れ、その真っ赤になった顔を隠すように俯く。

「あ……ごめ……さい」

「気にしないでください。の涙に服がどれだけ濡れたとしても何にも問題はありません。いえ泣かれるを貸したというのは男にとっての誇りですよ」

セバスは懐から、綺麗に洗われた清潔なハンカチを取り出すと、それを彼に差し出す。

しかし、その綺麗に折り目のついたハンカチを前に彼は逡巡する。これほど綺麗で高額そうなものを使っても良いのだろうかと。

「お使いください」

「です……ど、こん……きれいな……おかり……のは」

おどおどとセバスを伺うの顎に手をかけると上を向かせる。そして彼が何が起こったのかと直している間に、瞳に――そして未だ殘っている涙の跡を優しくふき取る。

「あ……」

「さぁ、どうぞ」セバスは僅かにったハンカチを彼の手に握らせる。「それに使われないハンカチは可哀想なものです。特に涙を拭うことのできないハンカチはね」

セバスは微笑みかけると、彼から離れる。

「さぁ、ゆっくり休んでください。起きたら々と今後について相談しましょう」

魔法とは萬能なもので、ソリュシャンの魔法による治療によっては回復し、神的な疲労も全て抜け切ってはいる。そのため今から普通に行することだって出來るだろう。しかしながら彼が地獄にいたのはせいぜい2時間ほど前の話。神的な傷が、長時間の會話によって何らかの影響に繋がり兼ねない恐れはある。

実際、先ほど泣き出したように、彼神の均衡は安定しているとは言い切れない。いや安定はまだ全然していないだろう。一時的に魔法によって神的なものを癒すことは出來るが、本の治療にはならない。とは異なり、ぱっくりと開いた傷を癒すことは出來ないのだ。

神的な傷の完全なる治療が出來るのは、セバスの知る限り自らの主人――それと可能としてはペストーニャ――ぐらいだろう。

セバスはそのため話を打ち切り、休ませようとするが彼は口を開く。

「こんご、で……か?」

「ええ」セバスはこのまま話を続けてよいか、彼神的に不味くないか思案し、結果続けることにする、「このままこの都市にいるものあれでしょう。どこか頼れるところは?」

は顔を伏せる。その反応はセバスに失言という言葉を思わせるに充分な行為だ。

「そうですか……」

さて、困ったとセバスは口にはせずに思う。しかし、即座に何か行しなくてはならないということもないだろう。明日に回してもまずいということは無いはずだ。

「ではそうですね。お名前とか聞かせてもらえますか?」

「あ……わた……は、ツー……ツアレ……す」

「ツアレですか。そうそう、私の名前を告げていませんでしたね。私の名前はセバス・チャンといいます。セバスと呼んでくださって結構です。私はこの館の持ち主であるソリュシャンお嬢様に仕えることを仕事とする者です」

「そ……ゅしゃん……ま……」

「ええ、ソリュシャン・イプシロン様です。とはいえあなたが會うことはあまり無いと思われますよ」

「……?」

「お嬢様は気難しいお方ですから」

その言葉で全てを語ったと言わんばかりにセバスは口を閉ざす。それからしだけ靜かな時間が過ぎてから、セバスは再び口を開いた。

「さぁ、今日はゆっくり休んでください。あなたのこれからに関しては明日にでも相談しましょう」

「はい」

ツアレがベットに橫たわるのを確認すると、セバスは粥をれていたを手に、部屋を後にする。

部屋を出たところで気配を完全に隠して立っていたのはソリュシャンだ。アサシン系のクラスを有しているソリュシャンが完全に気配を隠すと、セバスですら発見は困難であるが、そこにいるだろうと予期していたセバスに驚きは無い。

「どうしましたか?」

ソリュシャンが立っていたのは盜み聞きのためだろうが、セバスはそれを咎めることはしない。

そしてソリュシャンもセバスに叱られるとはまるで思っている様子は無い。だからこそ隠れずに立っていたのだが。

「……セバス様。あれはどうなされるのですか?」

セバスはしばかり自らの背後の扉に意識を向ける。扉はしっかりとしたものだが、完全に音を遮斷するほどの防音効果は無い。ここで話していれば中に多は聞こえるはずだ。

セバスは歩き出し、ソリュシャンも無言でその後ろに続く。

しだけ歩き、ツアレに音が屆かなくなっただろうというところで足を止める。

「……ツアレのことですね。とりあえずは明日、どのようにするか決めようと思っていますが」

「……出すぎた言葉かもしれませんが、あれは邪魔になる可能が非常に高いと思われます。早急に処分を行うべきかと」

処分というのがどう意味を含んでいるのか。

ソリュシャンの冷酷な言葉を聞き、セバスはやはりと思う。これがナザリック――至高の41人に従うものとして、ナザリックに屬さぬ存在に対し最も正しい考え方だ。ツアレに対するセバスの方が異常なのだ。

「その通りです。アインズ様より與えられた命令に邪魔になるようなら早急に対処しなくてはならないでしょう」

ソリュシャンが若干不可思議そうな表を浮かべた。それが分かっていながら、何故という表だ。

「もしかすると彼にも使い道があるかもしれません。拾ってしまったのですから、単純に捨てるのではなく。有効に使う方法を考えなくてなりません」

「……セバス様。あれがどこでどのような理由で拾ってきたものかは存じておりませんが、あのような傷を負う環境にあったということは何かをしてきた人間がいるということ。そいつらが生きていては厄介ごとだと思うのでは?」

「それに関しては問題ないでしょう」

言い切るセバスに対し、ソリュシャンは不審そうに顔をゆがめる。何を隠しているのかと疑う表だ。

「もう既にその者たちは処分したということでしょうか?」

殺害は騒ぎの種になりかねない行為だといわんばかりのソリュシャンに、セバスは苦笑をもらす。まるで逆の立場だ、と。

「いえ違います。ただ、もし、問題が生じるようであれば、何らかの手段をとります。ですからそれまでは様子を見てもらえますね? よろしいですね、ソリュシャン」

「……畏まりました」

直屬の上司たるセバスに言われてしまっては、不満は非常に殘っているがソリュシャンも言い返すことはできない。それに問題が何も生じないのならば、確かに黙認しても良い問題だろうから。

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