《オーバーロード:前編》王都-6

ガゼフとは別れ、汗を持ってきたタオルを濡らして拭い、汗の臭いがしなくなったクライムが次に向かった先は、大広間とはまるで違った場所だ。

多くの人間がザワザワという聲がし離れた場所から聞こえてくる。

さきほどクライムがいた大広間に匹敵する部屋には、多くの人間が長椅子に座り、歓談している。その暖かい雰囲気に混じって、食をそそる良い香りが漂ってくる。

食堂である。

ガヤガヤという音を抜けるように食堂を突っ切り、クライムは幾人もが並ぶ列の後ろに著く。

幾つも重なって並んでいる容をクライムも、前に並ぶ者と同じように取る。木のお盆に木のシチュー。そして木のコップである。

順番に食事を貰っていく。

大き目の蒸かし芋が2つ、固めの黒パン、そしてホワイトシチューという食事だ。

それらが木の盆の上に盛られ、良い香りが漂う。クライムは胃が急激に刺激されるのをじながら、食堂を見渡す。

ガヤガヤと騒がしく兵士達が食事をしながら談話をしている。今度の休日はどうするとか、食事の話、家族の話、たいしたことの無い任務の話などの、一般的な日常會話が殆どだ。

そんな中、クライムは開いている席を見つけ、そちらに向かう。

そして長椅子をまたぐように腰掛けた。両脇に兵士が座り、互いに友人だろう人達とおしゃべりを楽しんでいる。クライムが座ろうとも、近くに座っている兵士は一瞥をするだけで即座に興味をなくしたように視線を離す。

それは傍から見ると異様な雰囲気である。

まるでクライムの周りだけ凪が起こっているようだった。

周囲は楽しげな會話が続いているが、クライムに話しかけようとする気配を見せるものは誰一人としていない。確かに見知らぬ人間に話しかける者はそうはいないだろう。しかし同じ兵士という、同じ職場の人間であり、時には命を助け合う関係と考えればこの対応はいささか異様だ。

まるでクライムという人がいないような、そんな空気であるような対応だ。クライム自、誰とも話そうという雰囲気を見せることない。自分の置かれている立場を充分に理解しているからだ。

Advertisement

このロ・レンテ城を警備する兵士は単なる兵士ではない。

王國の兵士は一般的に兵士として取り立てられた平民だ。しかしながら王族に近く、王國の様々な重要報に近いこの場所を守るものが単なる平民であって良いはずがない。

そのため、ロ・レンテ城を警備する兵士は貴族による推薦のあった、分のはっきりした平民が選ばれるということになっている。

もしこの場所で兵士が何かした場合は推薦した貴族が責任を取るという形であり、害をなそうとする者を食い止めるという目的だ。

ただこの結果、あるものが生まれる。

それは『派閥』である。

人間が數人いれば生まれるという派閥が兵士でも當然あるのだ。これは考えるまでも無く當然だと理解できるだろう。

推薦する貴族が元々どこかの派閥に所屬しているのだ。その貴族によって選ばれた兵士も、當たり前のように取り込まれることとなる。逆らうような者は元々選ばれるわけが無いので、派閥に所屬しないような例外はほぼいないといっても過言ではない。

確かに推薦した貴族が何処の派閥とも組んでいないという場合は考えられる。しかしながら現在は大きな意味では王派閥と、それに対する貴族派閥という2つに分かれて睨み合っている狀況。この2つの巨大派閥の前で蝙蝠のように飛びかうほどの政略に長けた貴族は存在していない。

そのため先ほども述べたように、例外はほぼいないような狀況となるわけだ。そう――ほぼ、である。

――そんな派閥が遠慮してしまうような存在はやはりいるのだ。

それがクライムである。

クライム自の境遇や置かれている立場から考えれば、當然王の派閥に所屬するのが當たり前だ。しかしながら王たるラナーに近く、兵士というより私兵のような立場が組み込まれるという行為を抑止する。

強い権力を持つわけではないが、王族に近い立場の存在。さらには分不確かな、貴族という自らの立ち位置からすると、眉を顰めてしまうような存在。

Advertisement

それは王派閥からすれば取り込めば扱いに困りかねないが、そのままにしておけば普通に自分達に協力してくれる存在。対立貴族派閥からすれば取り込めばかなりのメリットがあるが、巨大な危険を同時に持ち合わせるような存在となる。

確かに王派閥として考えるなら、違和のある結論なのかもしれない。

ただ、派閥と言っても無數の貴族からなる集まりだ。その全てが一枚板であるわけが無い。派閥というのはあくまでの思考の方向やメリットを考えて纏まるものだ。ならば王派閥にだってクライム――分不確かな平民――の存在を忌避する者もいれば、対立貴族派閥の中にはクライムを中に引き込みたい者だって當然いる。

共通して言えることだが、クライム1人のために派閥が割れるような行為を行う馬鹿がいるだろうか?

そんなわけで相手の手に渡るのは避けたいが、だからといって自分たちの懐にもれたくない。そういう人としての評価を両派閥から得るに至っているのだ。

クライムはそんな対応に、別に気にもせずに食事を始める。

蒸かした芋をナイフで2つに分ける。割れた部分から湯気がぼんやりと上がる芋を、クライムはフォークで突き刺すと口に運ぶ。

「ほふ、ほふ」

ちょっと熱いがこれぐらいが丁度良い。熱を口の中で冷ましつつ、クライムは芋を噛み砕く。結構振られた塩は普通であればしょっぱくじるかもしれないが、クライムのように訓練で大量に汗をかいた者にはちょうど良い味にしか思えなかった。

白く濁ったシチューにスプーンをれ、と一緒に掬い取る。薄いの切れ端や、にんじん、キャベツといったものと一緒に食べていれば味しいために直ぐになくなってしまう。ただ、全部のを飲んでしまわないのは兵士の基本だ。

パンを割ると、それをに浸した。噛み応えのあるいパンもこうすればらかく食べることが出來る。

ふやけたパンをしゃぶるようにクライムは口にれた。

10分立たずに朝食は終わりだ。

Advertisement

芋が大きかったため、おなかは充分に膨れている。

「さて」

席を立とうとしたクライムにたまたま通りかかった兵士の一人がぶつかる。

ガゼフとの訓練で痛めていた箇所に肘がり、クライムは無表ながらも痛みを堪え、きを止める。

ぶつかった兵士は何も言わずにそのまま歩きすぎる。空気に當たったとしても何か言うだろうか。周囲の兵士達も當然何も言わない。

その景を見ている幾人かが多眉を顰めるが、それでも何かを言おうとするものはいなかった。

痛みが通り過ぎ、息を長く吐き捨てたクライムは食を持って歩き出す。

その表には何のも浮かんではいない。さきほどの激突もなんとも思ってないようなそんな素振りだ。いや、実際になんとも思ってないのだろう。

この程度の嫌がらせは日常茶飯事だ。兵士がぶつかってきたが、熱いシチューが食の中にっていたときにやられなかったのは幸運だったと思う程度の出來事なのだ、クライムにとっては。

足を出されて転ばされかける。たまたまぶつかって來る。

――だからどうした。

クライムは平然と歩を進める。相手だってこれ以上のことは出來ない。特に食堂という人の目が多い場所では。

クライムはを張り続ける。目を前に向け、俯いたりはしない。

己が変なところを見せるのは、それは自らの主人であるラナーに迷をかけることなのだ。自らの後ろにはラナーという自らが絶対の忠誠を捧げるの評判が掛かっているのだから。

のフルプレートメイルをにつけ、武裝を完璧に整えたクライムはヴァランシア宮殿に足を踏みれる。

ヴァランシア宮殿は大きく分けて3つの建からり立っているのだが、そのうちの1つ。王族の住居として使われる、最も大きな建る。

先ほどまでクライムがいた場所とは違い、を多く取りれるように設計された宮殿はクライムには非常に眩しく映る。

広く清潔な廊下には時折フルプレートメイルを著用し、不の姿勢を保つ騎士がいる。宮殿警備の騎士だ。

帝國の騎士というのは平民等から取り立てられた、専業兵士のことを指す言葉である。それに対して王國の騎士というのは貴族階級を持つ者で、兵士としての任務を行っている者を意味する言葉である。そのため兵士を纏め上げる隊長としての任務に従事している者が大半である。

ちなみにガゼフの戦士長という地位は、騎士位の授與を反対する意見が多かったため、與えられなかった王が、苦の策としてガゼフに與えた地位である。それ以降、ガゼフが剣の才能があると判斷し、選伐した鋭の兵士を戦士と呼ぶようになったのだが。

そんな者の前をクライムは頭を垂れながら通り過ぎる。騎士にもなれば大抵が禮を返す。嫌々している者が殆どだが、中には心を込める者もまたいた。

當然のようにゴミ1つ落ちてない、それどころか埃すら落ちてないと歩く者に思わせるほど綺麗に磨かれた広い廊下をクライムは歩く。その歩運びに合わせて白のフルプレートが鈴のような澄んだ音を立てるが、これはミスリルを混ぜて鍛えこんだことによるものだ。

王宮で働くメイドとすれ違うのだが、その殆どがクライムを見るたび顔を顰める。

この靜かな宮殿で、騒がしい音を立てる兵士に対して向けられたものではない。分の低い汚らわしいものを視界にれてしまったことに対する怒りのを込めてのものだ。

メイドにまでそのような態度を向けられるが、クライムの表は一切表れない。

通常のメイドとは違い、王宮で働くメイドは低位の貴族の娘が箔付けで來ている場合が多い。ある意味、メイドの方がクライムよりも分が上の可能のほうが高いのだ。

そのため、メイドがそんな態度をするのも當然だと、クライムは考えている。それにラナーの前では分の低いクライムにまで禮をするのだ。ならばラナーのいない場所で不快を顕わにしたとしてもかまわないではないか。

そういった思いがクライムの無表さに拍手をかけ、相手にもされないと勘違いしたメイドたちがより一層の悪意を抱くという悪循環が生まれていることにクライムは完全に気付いていない。

そういうことに気付ける格なら、もっと上手く取り繕うことも出來るだろう。

そんな生真面目というよりは、ある一點しか見えてないクライムとしては、ほんの一握りのメイドが示す丁寧な禮。そちら方が厄介だったりする。

貴族の令嬢に心を込めて返されると、分の低い出のクライムとしては、困して慌ててしまうためだ。

クライムの立場というものは非常に難しいものだ。

本來であればクライムにラナーに仕えることは出來ない。それは彼の分から來るものだ。卑しい生まれの彼に、王族の辺を警護するような大役は回っては來ないのが一般だ。王族のの回りを守るのは最低でも貴族階級を持つような者と相場が決まっている。

ただ、王國にはガゼフ・ストロノーフという王國最強の兵士と、その最鋭とされる兵士たちという例外がある。それにも増して、王たるラナーが強く言えば、それに対して公然と反対できる者もない。

王や王子等の王族であれば意見を言うことはできるだろうが、王が認めている以上、そこにを突っ込むことにメリットは無い。ラナーのように王に最も可がられている者を相手しても良いことは無いのだから。

彼が個室を持っているのもその一環だ。

クライムという存在が宮廷におけるどのような地位につけてよいのか、それがはっきりと判明しないためだ。

通常の単なる兵士であれば個室での生活は出來ない。大部屋での集団生活となるだろう。しかしクライムは単なる兵士とは違い、ラナーの辺警護を中心とし、ラナーに々と雑多な命令をされる人

そのため貴族という階級を重んじるものたちからすれば、どこに置いてよいのか不明な人間という厄介な対象なのだ。

メイドたちや騎士の大半が、ちぐはぐな対応をとるのはその所為でもあった。

やがてクライムは最もよく來る部屋の前まで到著する。

の王族の部屋まで、男である彼が來るのは特例中の特例としかいえない。下手すれば王ですら止められる、ある意味王國で最もることのできない場所なのだから。

クライムは無造作に扉のノブを捻る。

ノックを忘れるという非常識極まりない行為だが、當然これは部屋の主人の意向をけてのことだ。どれだけクライムが抵抗しても許してくれなかったのだ。

結局折れたのはクライムだ。流石にに泣かれてしまっては分が悪すぎる。

しかしドアをノックもせずに押し開けるということは、クライムに強いストレスを與えるのも事実だ。絶対にこんなこと許されるはずが無い。そう思いながら開けるのだから當然だろう。

扉を開けようとして、かすかに開いた扉から流れ出てくる、激しい熱を持った言葉の応酬にクライムは手を止める。

聞こえてくる聲は2つ。両方のものであり、2つともよく知っているものだ。

片方の聲の持ち主が扉の外とはいえ、クライムに気づいていないのはよほど熱中しているからだろう。ならばその熱意を冷ましたくは無い。そのためクライムはそのまま部屋の中の聲に耳をすませる。盜み聞きをしているという罪悪が生まれるが、それでもこの熱意ある話を中斷してしまう方が罪悪を覚えるだろうと思ってだ。

「――ら言ってるでしょ。まず、基本的に人間は目先のメリットを重視するものだって」

「うーん……」

「……ティエールの言っている順繰りに他の作を育てるって言う計畫。……そんなことで実りが良くなるとは到底思えないけど……結果が出るのはいつ頃になるの?」

「大、6年ぐらいは必要だと試算は出ています」

「ならばその6年間、別の作を育てることによって金銭的にマイナスにはどれぐらいなるの?」

「作の種類にもよりますけど……通常時を1とするなら0.8ぐらい……0.2の損失になると思っています。ただ、6年後以降はずっと0.3の収穫増は見込める予定です。牧草栽培による家畜の飼育も軌道に乗ればもっと上は目指せるでしょうね」

「……それだけ聞くと誰もが飛びつくような話に聞こえるけど、その6年間続く0.2の損失が許せないでしょうね」

「……その0.2の損失は無利子無擔保で國が貸し出して、取れるようになったら回収という方法を取れば問題ないと思うのですが……。収穫量が増えない場合は……回収しないとかして。何より収穫が増加すれば4年で支払える計算になりますし」

「難しいでしょうね」

「どうして?」

「だから言ったでしょ。人間は目先のメリットを重視する――安定志向の者が多いの。確実に6年で1.3になるといわれても、迷うのは當然よ」

「よく……分からないわ。実験している畑の様子は順調なのですけど……」

「実験が上手くいっているかもしれないけど、絶対は無いわけでしょ」

「……確かにありとあらゆる狀況下を想定した上での実験ではないから、絶対とはいえないわ。その土地や気候、そういったものを全て考慮するとかなり大規模に実験を行わなくてはならなくなるし……」

「ならば難しいわ。先の0.3の収穫量の増加が最低か平均かは不明だけど、説得力が無くなる。とすると充分なメリットを約束できるものにしないと。目先のメリットを約束した上で」

「なら6年間の0.2は無償で提供するという方法では?」

「対立する貴族派閥が喜ぶでしょね。王の力が弱くなるって」

「でも、6年後からそれだけのが取れるようになれば、國力も増大するわけなのですから……」

「すると、対立する貴族の力も増大する。そして王の力は1.2だけ下がると。王の派閥を構する貴族達が絶対に認めるわけが無いわ」

「ならば商人の皆さんにお願いして……」

「あなたが言っているのは大きな商人でしょ? そういう商人だって々と対立があるし、下手に王の派閥に協力したらもう1つの派閥の仕事が上手くいかなくなったりするでしょうね」

「難しいわね……アルベイン」

「……回しというのが上手くないからあなたの政策は抜け落ちが多すぎるのよ。まぁ……大きな2つの派閥が出來てしまっている段階で、難易度は非常に高いって理解は出來るのだけれど。……王の直轄地だけで行うのは?」

「兄たちが許さないでしょうね」

「ああ、あのバ……叡智をあなたのために母親のお腹の中に置いてきてくれた方々」

「…………別に母親まで一緒じゃないのですけど」

「あら。なら王の方にかしら。しっかし、王家も一枚板じゃないとか痛すぎるわ……」

部屋の中は靜まり返り、カチャリと何かと何か、陶と陶がぶつかり合った際に起こるような小さな音さえも、クライムの元まで屆く。

「――それと、そろそろって良いわよ」

「……え?」

中からの聲にクライムの心臓がどきりと1つ飛び跳ねる。気付いていたのかという驚愕と、やはりかという納得の思いを擁きつつ、クライムは扉をゆっくりと開く。

「――失禮します」

ペコリと頭を下げ、それから上げたクライムの視界には非常に見慣れた景が飛び込む。

であるラナーの私室ともすれば、部屋の主を除けばクライムが最も知っている。豪華ではあるが、派手ではない――そんな部屋の、窓の近くに置かれたテーブルには2人の

そこに座っているのは金髪の2人の淑だ。両者ともドレスを纏っているが非常に似合っている。

1人は當然自らの主人でもあるラナーだ。

そしてその向かいに座った――金髪の髪を用に巻いた、かつらでも被っているような変な髪形をしている。彼の紫の瞳はアメジストを思わせ、は健康そうなピンクに輝いていた。

その外見的な貌はラナーには劣るものの、ラナーとは違った魅力に溢れている。ラナーが寶石の輝きとするなら、彼は命の輝きとも言うべきか。

そのこそラキュース・アルベイン・フィア・アインドラ。

薄いピンクを主としたドレス姿からは想像もつかないが、彼こそ王國に2つあるA+冒険者パーティー――その片方のリーダーを勤めるであり、自らの主人のラナーの最も親しい友人だ。

年齢にして19歳。その若さで偉業を幾つもし遂げ、A+という地位まで上り詰めたのはその溢れんばかりの才能のおであろう。

僅かな嫉妬のがクライムの心の奧ににじみ出るように浮かぶ。しかしそんな醜いを即座に振り払う。

「おはようございます、ラナー様。アインドラ様」

「おはよう、クライム」

「おはよ」

クライムは挨拶を終えると彼の所定の位置――ラナーの右後方に移する。そして止められる。

「クライム。そっちじゃなくてこっち」

ラナーの指差すところは自分の橫のイスだ。

そこでクライムは不思議に思う。円形のテーブルを囲むように並べられた椅子の數は5つ。これはいつもの數だ。ただ、紅茶の注がれたカップが合計で3つ置かれているのだ。

ラナーの前、ラキュースの前、そしてラキュースの隣の席――ラナーが指差した席とは違うところに。

まだ湯気が立っているところをすると、注いだばかりのように思われる。これはクライムのものだということなのか。するとそこに置かれている理由は、つまりはラキュースの橫に座れという意味なのだろうか。それともたまたま退かしたとかなのだろうか。

本日のお客人はラキュースだけと聞いていたが、王がいらっしゃったのか。ありえそうな答えを思い浮かべ、クライムは自らを納得させる。

「しかし……」

「あ、私は構わないわよ。ティエールの口調が昔に戻るのは好きだしね」

「アインドラ様……」

「前も言ったけどラキュースで良いわよ」チラリとラキュースはラナーに視線をやり「クライムは特別ね」

「……むか」

語尾にハートマークが浮かんでいるような甘ったるいラキュースの聲に、ラナーが口でそんなことを言いながら微笑んだ。口元だけをかした笑いを、微笑といえるならばだが。

「……冗談はおやめください」

「はいはい」

「え? 冗談なの?」

驚いたようなラナーに対し、ラキュースはぴたりとわざとらしくきを止めると、それからはぁと大げさなため息を吐く。

「當たり前でしょ。まぁクライムは確かに特別だけど、それはあなた『の』だから特別なのよ」

「私『の』? うふふふ」

クネクネとを揺らすラナーから困ったように視線を逸らしたクライムは目を見開いた。

部屋の隅、そこに殘る暗がりに溶け込むように1人の人間が膝を抱えるように座っていたのだ。黒髪が顔を半分隠しており、著ている服は黒にぴったりとしたもの。

この部屋の雰囲気にはまるで合わないだ。

「な?!」

驚き、腰に下げた剣を摑むクライム。

ラキュースという人がいながらもあそこにいたことに気付かなかったのかと混が押し寄せてくるが、賊である可能を考え、即座に臨戦態勢に移行する。

腰を落とし、ラナーを守るようにき出すクライムの視線の先を見たラキュースがはぁとため息をつく。

「そんな格好してるからクライムが驚くのよ」

その冷靜な聲に警戒や危機というものはまるで無い。その口調に込められた意味を薄々と悟り、クライムは肩から力が抜けていくようだった。

「了解、ボス」

意外に低い聲で返事が返り、暗がりの中座っていたは、異様な能力を使って座った狀態からひょいっと飛び跳ねるように立ち上がる。

「あっとクライムは知らなかったのね。うちのパーティーの1人――」

「――ティナさんよ」

ラキュースの言葉の後を、ラナーが続ける。

蒼の薔薇といわれる冒険者パーティーのメンバーの、ティアとティナというは今まで対面したことは無かった。何でも盜賊系の役目をこなしている人だとはクライムも聞いていたのだが――その外見を知り、なるほどと納得する。

スラリとした肢を全にぴったりと著するような服で包むその姿は、確かに盜賊系の技を収めた者のようだったからだ。

「……これは失禮しました」

クライムはティアというに深々と頭を下げる。ラキュースの知り合いであり、ラナーが知っている以上、客人であろう。そんな人に対して臨戦態勢を取ってしまったのだ、下手すれば頭を下げる程度で済まされる問題ではない。

「む? 気にしないでいいよ」

鷹揚に手を振り、クライムの謝罪に答えると、まるで音のしない、野生の獣を思わせるらかなきでテーブルまで近寄る。それからティナはラキュースの橫の椅子をかして座る。先ほどクライムが疑問に思ったカップのある場所だ。

コップの數からはありえないとは思うが、クライムは周囲を見渡し、もう1人のあったことも無いもいるのかと念をれて探す。

ラキュースは何故クライムが周囲を見渡したのか即座に理解したのだろう。口を開く。

「ティアは來てないわよ」

「あの娘の今日の予定は々な報収集のはず、うちの鬼ボスの命令で」

鬼という言葉に反応し、恐ろしい微笑みを浮かべるラキュースから視線を逸らしつつ、クライムは尋ねる。

「そうでしたか、一度會ってみたかったのですが」

「クライム、ティナさんとティアさんは雙子で髪のの長さも殆ど同じなのよ」

「だから片方を見ておけば問題なっしんぐ」

「そうでしたか」

とりあえずは納得したクライムを、無遠慮な目つきでティナが眺めてくる。我慢しようかと思いながらも、もし自分の至らない點を見つめたのかとクライムは思い、思い切って尋ねることとする。

「何かございましたか?」

「大きくなりすぎ」

「……は?」

意味が分からない。疑問詞を幾つも頭の上に浮かべたクライムに、ラキュースが詫びるように口を挾む。

「いえ、こちらのこと。気にしないでね、クライム。いや、本當に気にしないで。本當に」

「はぁ……」

「……なんのことなの? アルベイン」

クライムは無理に承知したが、ラナーは納得がいかないように口を挾む。ラナーを見て、ラキュースが嫌な顔をした。

「ほんと、クライムのことになると……」

「あ、わたしね――」

「――黙れって。お前の姉妹を連れてこなかったのは、ラナーに変なことを教えようとするからなの。だからその辺を理解してあなたも黙ってくれない?」

「へいよー、ボス」

「……アルベイン。なんのことなの?」

ラキュースがラナーの追求をけ、本気で引きつった顔をした。絶対教えられない事を、教えてくれと攻めてくる人間を前にした苦悶の表も浮かんでいる。

クライムが口を挾もうかと思ったとき、ラキュースがぐるっと視線を回して向けてくる。

「えっと……クライム、その鎧用してくれてるみたいね」

「ええ、素晴らしい鎧です。ありがとうございました」

無理矢理というところを遙かに超えた話題の転換だが、クライムは客人に恥をかかせまいと同調する。

クライムはラナーより與えられた白のフルプレートメイルに手を這わせた。ミスリルを4分の1も使い、能力の向上系魔法が込められた鎧は軽く、く、きやすい。

そんな素晴らしい鎧の製作のために、ミスリルを只で提供してくれたのがこの『蒼の薔薇』の一行だ。どれほど頭を下げても謝の念が盡きることは無い。

頭を下げかけたクライムをラキュースは止める。

「気にしないでいいわ。私達がミスリルの鎧を作る際の、その殘りを渡しただけだから」

殘りといえども、ミスリルとなれば非常に高額な金屬である。Aクラスにもなればミスリルで全鎧を作るだけの財力を持つだろうし、Bクラスになればミスリルの武ぐらいは持つかもしれない。それでも只で渡すという行為を行えるのは、A+ほどの実力者ぐらいだろう。

「それにティエールに頼まれたら嫌とはいえないし」

「――あの時、お金貰ってくれなかったよね。貯めていたお小遣いがあったのに……」

「……王がお小遣いってなんか間違ってない?」

「領地からのお金は別に取ってます。クライムの鎧は私のお小遣いで買いたかったの」

「そうよね。クライムの鎧は全部自分のお金だけで作って渡したかったんだよねー」

「……そこまで分かってるなら、只でくれなくても良いのに。アルベインのばか」

「バカっていうかしら、普通……」

むっとしたラナーとニヤニヤとした笑いを浮かべるラキュースが、喧嘩にもならない口喧嘩を行いだす。

そんな景を目にし、クライムは壊れそうになる無表く押し留める。

こんな景を――穏やかで暖かい景を見ていられるのも全て自分を拾い上げてくれた人のおだ。しかしそれを強く表に出すことは許されない。

謝の念だけなら出しても構わないだろうが、その奧でクライムに宿る、ラナーへの強いだけはみせてはいけない。

この――心は

クライムは己のをぎゅっと握りつぶし、無表を強く厚いものとする。そして握りつぶしたの代わりに、幾度も言ったことのあるセリフを口にする。

「ありがとうございます。ラナー様」

しだけ――毎日のように、誰よりも見つめ続けてきたクライムだからこそ分かるような、ほんのしの寂しさを込めながらラナーは微笑むと、同じように言葉を返す。

「どういたしまして。ところでさっきの……」

「――クライムもここで話を聞いていても詰まらないでしょ! 今日ぐらい何か別のことをしたら?」

「え? ここで一緒に話を聞いていても良いと思うんですけど?」

「……あなたが集中しないから駄目よ。私だって暇がいつでもあるわけじゃないんだから」

「忙しいものね」

「ええ。A+の仕事ってそんな頻繁には無いけど、々とやらなくちゃならないこともあるしね」

クライムはラナーの警護という自分の仕事を思い出し、僅かに眉を顰める――とはいっても殆ど無表ではあるのだが。

しかしA+冒険者の2人がいるというなら、自分の警護なんか邪魔と同等というのも事実。それならば友人とのひと時を邪魔するのも悪いだろう。ラナーというの友人は彼ぐらいしかいないのだから。

「そうですね。ご友人との大切なひと時をお邪魔するのは……」

「私は全然かまわな――」

「――ありがとう。そういえば何かすることあるの?」

「いえ、ラナー様に何か無いのであれば、私にはありません」

「私は……クライムと……」

「なるほど。ならし頼んでもいいかしら?」

「ラナー様に何も無ければ喜んでさせていただきます」

「だって、どう? クライムをちょっと借りてもいい?」

ラキュースとクライムが見れば、ラナーはティナに頭をでられているところだった。

「2人とも完全に私を無視している……」

「よし、よし。可哀想、可哀想」

「……何してるの?」

不思議そうに、それでいて半眼で見るラキュースに、ラナーはぶぅっと頬を吹くらまし答える。

「2人が私を無視するから」

「……ほんと、クライムの話になると子供になるわね。まぁいいわ、クライムをちょっと借りるわね」

「え? ……えー」

「良いわよね。あなたとの話は今日中にしっかりとやっておきたいの。だから他の仲間たちへの伝言をお願いしたいのよ」

    人が読んでいる<オーバーロード:前編>
      クローズメッセージ
      あなたも好きかも
      以下のインストール済みアプリから「楽しむ小説」にアクセスできます
      サインアップのための5800コイン、毎日580コイン。
      最もホットな小説を時間内に更新してください! プッシュして読むために購読してください! 大規模な図書館からの正確な推薦!
      2 次にタップします【ホーム画面に追加】
      1クリックしてください