《オーバーロード:前編》諸國-3

ガゼフ・ストロノーフは王城のき通った高級ガラスの向こうの景を、ただ黙って眺めていた。

そこでは3臺の馬車が王城を抜けて、走り出していくところだった。

ゆっくりと走り出した、先行する馬車は非常に豪華な作りである。鍛え抜かれた並みの良い馬が4頭。橫手には王家の紋章が打ち込まれており、細やかな作りの裝飾が施されている。

王家の力を誇示したそんな立派なものだ。

ガゼフの不快げな視線は、その後ろを続く馬車に向かう。

続く馬車は、數段劣るとしか言いようが無かった。確かに先行する馬車と同じぐらいの立派な馬が引いているが、その數は2頭。送れずについてくるために付けられた馬なのだろう。馬車の橫手には何の紋章も刻まれてはいない。馬車自の大きさも一回りは小さく、結果的に2臺が並ぶとあまりのみすぼらしさがより一層目立つようだった。

何のために並べているのかと問われたら、前を行く馬車の引き立て役のためとしか言えないようなものがそこにはあった。

最後尾を走る馬車も、2番目の馬車と同じような作りだ。

ただ、こちらの馬車は荷などを積み上げているのが見える。前の2臺とは違い、積荷運搬用の馬車なのだろう。そのためガゼフはそれほど不快げな視線は送っていない。

「――行きましたな」

「そのようですな」

突然の背後からの男の聲に、ガゼフは驚くことなく答える。その人が近寄ってくるのは気配で分かっていたのだから。ただ、ガゼフは話しかけないでくれればという思いを持っていたのは事実だった。

ガゼフは背中を見せたまま話すのは失禮に値するという思いで振り返る。ガゼフが平民上がりなのに対して、その人は貴族の生まれであり、王國の中でも6人の大貴族に數えられる男なのだから。決して振り返りたくて振り替えるわけではない。

振り返ったガゼフに目にったのは、長痩軀と相まって蛇のようなじのする男だった。金髪をオールバックに固めているために、大きく額が出ている。顔に當たっていない人間特有の不健康な白。

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レェブン候と呼ばれる人である。

王派閥の貴族でも最も力のある存在だ。王に直接仕えているガゼフからすると、決して機嫌を損ねてよい貴族ではない。

しかしながらその蝙蝠とも言われる態度は、ガゼフからすると好きではなかった。両方の派閥を、利益を求めてさ迷う姿は。

「真ん中の馬車がアインズ・ウール・ゴウンという人を乗せるための馬車ですね」

「そのようですな」

「……ガゼフ殿も行きたかったとか?」

「はい」

「どうしてですかな?」

「會ったことのある相手ですから」

「なるほど……」

まだ話を続けるのかと、ガゼフは心面倒にじていた。好きでもない人のため、簡単なけ答えしかしてないのに、そんなに話すことがあるのだろうか、と。

遠くなった馬車の僅かにたなびく土煙に視線をやり、ガゼフは憎憎しげに思う。

今回の馬車の出立時期が遅れたのも、この人々と口を挾んだからだ。もしそんなことをしなければもっと早く王都を出ていただろう。

もしかするとアインズという魔法使いを乗せるための馬車が貧相なのも、この男が一枚噛んでいるのかもしれない。そう思いながら、ガゼフは決して顔にはそのは出さない。

「ガゼフ殿。1つ聞きたいのだが、ゴウンという魔法使いと戦った場合、勝てるかな?」

「……難しい質問ですが、魔法使いは距離を取るもの。距離を取られれば私では絶対に勝てないでしょうな。私よりは『蒼の薔薇』や『真紅の雫』なら勝てるのでは?」

「王國最強の冒険者集団ですかな? ……ふむ」

「彼らなら様々な手段を有してます。私のように武を振るうだけの者とは違った戦い方をしてくれるでしょう。ただ……レェブン候には失禮ですが、勝つ勝てないを考える前に、味方に引き込むべき手段を考えるべきかと」

レェブン候は苦笑いを浮かべた。

「全く、ガゼフ殿のおっしゃるとおりだ。しかしながら最悪の事態は考えなくてはならないからな」

最悪の事態を引き起こそうと行するものが多すぎる。

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ガゼフはそう言葉にしたい気持ちを押さえ込んだ。決して――仮かもしれないが、同じ派閥に所屬する権力者に言ってよい言葉ではない。

「せめてアインズ殿が乗る馬車はあれより良いものに出來なかったので?」

「……無理だな。魔法使いの地位はさして高いわけではない。かの帝國のように國が全面的なバックアップを行って、支援しているわけではないのだ。地位に相応しくない馬車を送り出すことは不可能だ」

「ならば、途中の街で換してしまうというのは?」

「面白い考えだが、それは難しいだろうな。一応、あれは王命で出した馬車だ。換するということは王命に従わないということ。それに中に乗っている人間もな」

「どうしたので?」

「貴族派閥の息が掛かっている」

最悪だ。

ガゼフは言葉にはせずに、ただ、き聲を上げてしまう。

あの時の貴族達の愚かさは重々承知している。アインズという人を単なる魔法使いとしか考えていない、そんな愚かさを。

「もうし別の人選は無かったので?」

「……無理だ。あの時、ガゼフ殿に反対していた貴族を思い出してしいのだが、選任された儀典はあれの縁らしくてな。他の儀典をねじ込もうといたのだが、々難しかった」

おやとガゼフは思う。

どうもレェブン候はアインズという魔法使いを高く評価している気配がある。それとも王國の民を助けてくれたという恩を重視しているのか。

「結局は……ゴウン殿が溫厚な人であり、儀典が空気を読んでくれることを期待するしかないのだが」

「アインズ殿は冷靜なお方のように見えました。よほどのことが無ければ、問題は無いと信じたいものです」

「……そうかね? ならば私もそう信じたいものだ」あまり信じている表ではないが、レェブン候はそう答えた。「では、ガゼフ殿。これで」

「お帰りなられるので?」

「ああ。そろそろ屋敷の方に戻ろうと思ってね。そのあとはあとし王都ですべき仕事が終わったら、領地の方に戻るつもりだよ」

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「そうですか。そろそろ収穫の時期にもなりますし、領の仕事も山のごとくでしょう」

「全くだ。忙しい時期の始まりだ。収穫の時期のみならず、帝國の宣戦布告の時期なのだからな。念のために々と準備はしなくてはならないだろ?」

その皮めいた言葉に初めてカゼフは苦笑する。敵意に屬するものが無い、そんなをこめたものを。

帝國はこの時期になると小競り合いを仕掛けてくる。それが分かっている貴族は何らかの準備をして備えておくが、面倒にじて行わない馬鹿な者もまた多い。平民を絞れば解決する問題だと。

その點、レェブン候の派閥はしっかりとした準備を行っている。あまり好きでは無い人だが、その優秀さは味方として肩を並べるのに満足できるものだ。

「では、レェブン候。またお會いしましょう」

「ではガゼフ殿。また會おう」

レェブン候の執務室は広いように思われがちだが、実際はさほど広くはない。

6大貴族に數えられ、王都でも指折りの屋敷に住むレェブン候からすれば小さいとしか言いようが無い広さだ。この部屋で幾つもの重要な決定がされていると知ったら、驚く人間が多いかもしれない。

部屋の全部の壁には本棚が置かれ、その中には紙の書や付箋をった羊皮紙などが綺麗に整頓されている。そのために部屋が小さく見えるのかというとそうではないのだ。確かに理由の1つにはなるだろうが。

最も大きな理由は、目には見えないところにあった。

レェブン候の屋敷はレンガの壁でできており、その上に漆喰が塗られるという貴族であれば極普通の構造となっている。では執務室はどうか。他の部屋と変わらないつくりではある。

しかしその壁の奧。

壁の側には、銅板が部屋を包むように埋め込まれていたのだ。

これは銅板など金屬板で囲むと、魔法による探知を阻害する働きを持つためだ。占による盜聴、監視、目標捜索などを。

金屬板で覆うというかなり金のかかる作業が必要なために、大きな部屋を執務室として持つことが出來ないのである。

そんな魔法的な防まで考えられた部屋にレェブン候はり、重厚な執務機の向こうにある、唯一のイスにドカリと腰を下ろす。それは草臥れ果てた人間が行うような、そんな力無い座り方だった。

それから顔を隠すように覆う。

その姿は誰がどう見ても、王國でかなりの力を持つ大貴族の姿には思えないだろう。それよりは疲れ果てた単なる中年男という方が正解だ。

はらりと垂れてきた金髪を、無造作に掻き上げる。

それからイスの背もたれに寄りかかると、顔を歪める。そして怒鳴った。

「どいつもこいつも馬鹿ばかりか!」

本當にどいつも現狀を理解していない。いや、理解していてこの有様を容認しているとするなら、とんだ謀略家だ。

王國の現狀はかなり追い詰められている。

帝國の頻繁な示威行為の所為で、食料の問題などゆっくりと様々な問題が沈殿しつつあるのだ。大きな破綻が無いような気がするが、それは村々に目をやって無いからだ。

帝國は騎士という専業戦士を保有しているが、王國にはそんなものはいない。そのため、帝國の侵略となると、平民達を集めて兵士を作らなければならない。その結果、村々には働き手がいなくなるという時期が生まれる。

そんな帝國が狙うのは當然、収穫の時期だ。

収穫の時期に一ヶ月も男手がなくなるというのは非常に問題なのは言うまでも無い。ならば平民をかき集めなければ良いという考えもあるだろう。しかしながら専業戦士からなる、練度武裝共に長けた、帝國の騎士の前には、數倍の兵を集めなくては容易く打ち負けるのだ。

実際一度、あまり集めなかった所為で大きく敗北したことがあった。そのときは一気に王國の力が衰えたものだ。今はなんとか回復したが、それは數字上のことだとレェブン候は充分に把握していた。

それだというのに――

「屑は裏切りを! アホは権力闘爭を! 馬鹿は不和を撒き散らす!」

6大貴族の1人であるブルムラシュー候は裏切り行為を行い、帝國に報を売り渡している。貴族達は王派閥と貴族派閥に分かれて権力闘爭。王子たちは王の後の地位に互いに狙いあう。

「さらにはアインズ・ウール・ゴウンとか言う魔法使い……もっと丁重な対応をすべきだろう! カーミラという國墮としの弟子と戦えるだろう人だぞ!」

執務機をバンバンとレェブン候は叩く。その憤懣のはけ口として。

レェブン候がアインズ・ウール・ゴウンという魔法使いの元に、使者を乗せた馬車を送るのを遅らせた理由はある報を手にれたためだ。それはエ・ランテルでの報である。

國墮としという伝説の化けがいる。それはかつてかの13英雄に滅ぼされた存在だ。

伝説のとおりであれば、一國を容易く滅ぼせる力を持つとされる化け中の化け。そんな存在の本當に弟子であった場合、カーミラの戦闘力も桁が違うこととなるだろう。実際、カーミラというヴァンパイアが非常に強い可能は充分にあると、エ・ランテルの冒険者ギルドのの見解で出ているのだから。

では、そのカーミラを追う事の出來る、アインズという魔法使いの力は一いかほどのものか。

手の者が裏に手にれたそんな報を《メッセージ/伝言》で聞き、レェブン候はアインズ・ウール・ゴウンがどれほどの人か、大は把握したのだ。

決して侮って良い相手ではない。

だからこそ、エ・ランテルからの使者が來るまで、王が現狀の対応を考え直すまで、時間を稼ごうとしたのだ。

アインズ・ウール・ゴウンを最大の敬意を持って招くために。

しかしそれは上手くいかなかった。

まずはエ・ランテルから使者が到著するのが遅すぎるためだ。これは王派閥に所屬する都市長に対する厭味だろう。街道にある貴族派閥の都市ごとで、使者が時間を奪われていると推測が立つ。

どいつもこいつも下らないことをして。

レェブン候は不機嫌に表を歪める。

「何が重要なのか、しでも考える頭を持つ奴はいないのか!」

いやいるのだが、そういうのは大がレェブン候の派閥に所屬してしまっている。本來は他の6大貴族にそれぐらい優秀な人間がいてもおかしくは無いのだが――

「どいつもこいつも出がらしが!」

レェブン候は吼える。

の付いた水ばりの脳みそしか持たない貴族達に対して。

「しかし――どうする? 考えろ、私」

荒い息を整えつつ、レェブン候は頭を悩ませる。

これから続くであろう、王國の難。そして王國を維持運営していく手段を。

とりあえずは謎の魔法使いに対する方法だ。

レェブン候がに得た報を直接流しても良かったが、王の周りには貴族派閥の手の者が潛り込んでいるのは確実であり、レェブン候としても思う存分くことが出來なかった。

レェブン候は王派閥でありながら、貴族派閥とも繋がっていると噂されることがある。これはある意味事実だ。

現在、王國は2つの派閥に分かれてはいるが、両者の橋渡しとなって様々な政策のことで話し合い、一時的でも協力を要請する貴族が必要だった。そうでもしなければ真っ二つのまま、いつまでもめるだろう。さらには王が毎回強権を発することとなるだろうから、々な意味で不満が貴族で起こり、結果、王國の力は削がれる。

それらを避けるために、レェブン候はに行するのだ。人は己と同じような人間を信頼し、逆の人間を警戒する。に塗れた貴族達を信頼させるのは、無な人間ではなく、強な――己のを明確に表に出す人間だ。

だからこそレェブン候はまぬを見せ付けるのだ。

それに彼ほど橋渡しに向いた人はいない。貴族は家の歴史や、大きさを重要視する傾向が強い。そのため6大貴族の彼だからこそ、我慢して話を聞いてやろうという貴族派閥の者は多かった。

そのためにレェブン候は自らの利益が出るという立場で、貴族派閥の人間と渉を行う。

それは傍目かすれば、というを求めて飛びう蝙蝠のような姿にも思えるだろう。

レェブン候だってそんな恥知らずな真似はしたくない。

特に愚かな貴族どもが自らをそういう人間だと見なし、汚らしい話を持ってくる時には。

しかし、貴族派閥の意見だからイヤだとか、王派閥の意見だからイヤだとか。子供のようなことを考える貴族どもを相手にするためには、常識のあることを言ってられないのだ。この王國の現狀を良く知れば。

そのためレェブン候は歯軋りをしながら、蝙蝠のごとき様をする。

そんな彼だからこそ王派閥に所屬しておきながらも、完全なる王の協力者として行できないのだ。レェブン候にはっきりとした利益がるという行為以外でけば、次から貴族派閥のものに信じてもらえなくなる可能がある。そうなれば橋渡しをする者がいなくなって王國が完全に割れる可能は充分にあった。

なぜならそういった謀略も、帝國や法國からけているのだ。

「王都まで來たもらったら、最大限の歓迎を行うように手段を取るしかないか。王にもお願いして……そうなると王都にいる間の館の準備もしないといけないし……」

非常に後手に回る手だが、現在ではレェブン候が取れる手段は恐ろしく無い。

レェブン候は深いため息をつく。

なんでこんなに面倒なことをやらねばならないのか。別にレェブン候は大貴族ではあるが、宮廷での仕事を割り當てられているわけではない。それなのに……。

レェブン候でも全てを捨ててしまいたくなる時もある。どうしてどいつこいつも現狀をしっかり見ないで、くだらないことをやっているんだと。砂で城を作っているというのに、周りでは子供が暴れているのだ。

そんな狀況では、破滅願に襲われても仕方が無いだろう。

しかし、そんな彼が頑張れるもの當然理由がある。

コンコンという扉を叩く音がする。

その音の出所は低い。一瞬だけレェブン候がレェブン候じゃないような顔をした。即座に取り繕ったレェブン候は聲を上げる。

りなさい」

その聲を待ちわびていたように、扉が勢い良く開く。

そして最初に子供が姿を見せた。

まだまだ年だ。

らしく無邪気な年の頬は、白いのため、ピンクに綺麗に紅していた。

年齢にして5歳ほどだろうか。年はたったったと部屋を走り、レェブン候の膝まで來る。

「部屋の中で走るなんてはしたないですよ」

その年を追いかけるように、の聲がした。年の後ろに立っていただ。

顔立ちは綺麗なのだが、何処と無く暗い雰囲気を持つだ。幸の薄そうなという言葉が非常に似合っている。服裝も質こそは良いのだが、し暗めのを使ったドレスだ。

軽くレェブン候に頭を下げると、かすかな微笑を見せた。

レェブン候もまたかすかに――しばかりの照れを持って――笑った。

妻が笑うようになったのはいつの日だったか。ふと、レェブン候はかつてを思い出す。

レェブン候は今よりも若かった頃、才覚に溢れる者が持つだろう野を抱いていた時期があった。その野とは王位。

王位略奪という不敬なる夢だ。

若く才覚に自信を持っていたレェブン候は、これほど自らの生涯の目標として、相応しいものは無いだろうと思ったのだ。そしてそれに向かって黙々と行を開始した。勢力を増大し、富を集め、コネを増やし、政敵を蹴落とし――。

妻を迎えたのだってその一環にしか過ぎない。妻なんか、婚姻関係というものが高く売れるなら誰だろうと構わなかったのだ。どのようなが來ようとも問題は無かった。結局、人ではあるが薄暗いが來たのだが、レェブン候が問題としていたのは、の実家とのコネのほうだったのだから。

夫婦生活は普通であった。

いや、普通というのはレェブン候の勝手なイメージである。目の前の妻と結婚した時にも、1つの道として充分に気を払ってはいたが、というものは一切無かったのだから。

そんなレェブン候が変わったのはたった1つの出來事。

レェブン候の目が自らの膝元に來た、我が子へと移る。

最初、わが子が生まれたと知ったとき、道が1つ増えた程度のものしかじなかった。しかし、この生まれたばかりの子が自らの指を握った時。レェブン候の何かが壊れたのだ。

ぶにゃぶにゃとした人というよりは猿にも似たわが子。決して可いとかそんなが生まれたのではない。その指に伝わるほのかな暖かさ。それをじた時に、なんというか馬鹿馬鹿しくなったのだ。

王位略奪なんてゴミのようにじたのだ。

に燃えた男は、いつの間にか死んでしまったのだ。

そして出産後の妻に禮を言ったときの、彼の表は今なおレェブン候の中では――決して口には出さないが――大笑のネタである。あの誰こいつという表は。

無論最初のうちは跡取りを産んだことに対する一時的な変化にしか、レェブン候の妻は思っていなかった。しかし、それからのレェブン候の異常なまでの変化は、本當に狂ったかとまで彼に思わせたのだ。

しかしながら、今までの夫と変化した後の夫。どちらが良いかといわれれば、妻であるとしては後者を選んだだろう。ちょっと時折扱いに困ることがあるが。

膝によじ登ろうとしていた自らの子供を、レェブン候は両手で持ち上げる。

子供は楽しげな笑い聲を上げ、レェブン候の膝の上に収まった。服越しに子供特有の高い溫が伝わる。

今のレェブン候の目的はたった1つ。

『我が子に完璧な狀態で自らの領地を譲る』。そんな父親としてありがちなものへと変わったのだ。

レェブン候は膝の上に乗せた、我が子を優しく見つめると、問いかけた。

「どうしたんでちゅか? リーたん? ちゅっちゅ」

これがを尖らせてちゅっちゅとか言っている大貴族の姿である。

それを見て子供がきゃっきゃと笑い聲を上げた。

「――あなた。赤ちゃん言葉を使うのは、子供の言語能力を高めるのによくはありません」

「下らん。お前の言っている事は拠の無い噂でしかない」

とは言いながらも、自らの子供の教育に悪いのはいかんとレェブン候は心で思う。

自らの子供ならば、確実に才能は持っているはず、いや持っていなくても全然構わないのだが、親がそれをばしてやるのは當然。親が子供に悪影響を與えるのは不味いだろう、と。

しかし込めた言い方だけは譲れない。

「ねぇ、リーたん? どうしたのかな?」

僅かに困ったような表をする妻を視界の外に追い出し、重ねてレェブン候は問いかける。

「えへへへ、えっとね」

緒話をするように、自らの子供が口に紅葉のような手を當てる。その姿を見て、デレっとレェブン候の目が緩んだ。

王國の6大貴族の1人と言われた男のものとは思えないものがあった。

「なんだろ? パパに教えてくれるんですか? うわー、なんだろう?」

「きょうのおしょくじがね」

「うんうん!」

「ぱぱのすきなものなんだよ」

「うわー! パパうれしいなぁ~! ……何が夜に出るんだ?」

「はい。ガブラ魚のムニエルです」

「そうか。――どうしたんですか?! リーたん?!」

レェブン候はぶすっとした顔のわが子に気づき、慌てて尋ねる。

「ぼくがおしえたかったの!」

レェブン候の後ろに雷が走ったようだった。そんな驚愕の表を浮かべる。

「そうでちゅ……んん。そうだね~、パパが悪かったね、ごめんねリーたん。……何故、教えるんだ」

眉を顰めたレェブン候の視線をけ、妻は処置無しと顔を手で覆う。

「リーたん。じゃぁパパに教えてくれるかなぁ?」

ぷんと機嫌を損ねた子供はそっぽを向く。それに対して、レェブン候は激しくショックをけた表をした。今にも死を選びそうなそんな絶に満ち満ちた表を。

「ごめんね、リーたん。パパ、ばかだからわすれちゃったよー。だからね、おしえて?」

チラチラッとレェブン候を伺う我が子にもう一押しと判斷。

「パパにおしえてくれないの? パパないちゃうかも」

「えー。えっとね、パパの好きなお魚さん」

「そっか! パパ。うれしいなぁ!」

レェブン候は自らの子供のピンクの頬に、キスを繰り返す。それがくすぐったいのか、子供は無邪気な笑い聲を上げた。

「よーし。じゃぁ、おしょくじにしようか!」

「――まだ調理は終わってないようです」

「……そうか」

盛り上がった気分に水をぶっ掛けられて、レェブン候は不満げな表をする。調理人に急ぐように言うのは簡単だが、ちゃんとした準備や手順、そして決まった時間でいているのだ。我が侭でそのリズムを狂わせれば、調理人のベストの料理が作られないだろう。

だからこそ、レェブン候は不満に思いながらも、命令をしたりはしない。我が子にはいつでも最も味しいものを食べさせてやりたいから。

「さぁ、お父様はお仕事の最中です。行きますよ」

「はーい」

元気良く聲を上げる自らの子供に、レェブン候は寂しさを隠しきれない。

「待ちなさい。仕事はもう終わりだ」

「本當ですか?」

「うむ。安心しろ、仕事の方は本當にもう終わっている」

「……本當ですか? 明日に回せるからとか考えられてませんか?」

「…………」

じっと妻に白い目で見つめられながらも、レェブン候は膝の上の我が子を下ろそうとはしない。それどころか、ぎゅっと抱きしめる有様だ。

「……もともと手は行き詰ったところだ。今急いで何かをしなくてはならないということもない」

これは言い訳ではない。

アインズ・ウール・ゴウンの件だって、數日は空き時間があるし、王と話し合わなくてはならないこともあるだろう。そう考えれば即座にレェブン候はかなくてはならない、早急な案件は現在はない。

それを見て取ったのか。妻は數度頷いた。

「畏まりました。しかし……大変そうですね」

「全くだ。もうし、こう、くのではなく、共に考えてくれる人がいると嬉しいのだがな」

「私の弟では?」

「彼は君の実家の方の領で手一杯だろう? こちらに來て仕事を押し付けるわけにいかんよ。他に君の知っている者で任せられるものはいないかね?」

數度繰り返した質問を妻にし、そして同じ答えが返ってくる。レェブン候と同レベルで仕事をこなせる者はいないという。

膝の上に乗せた子供が、そんなレェブン候に良いアイデアがあると口を開く。

「パパ、ぼくがね。パパのおしごといっしょにがんばる」

「うわー。リーたんありがとう! もう大好き!」

何度も繰り返し、レェブン候は可いことをいう我が子の頬にキスをする。

そんな至福のときにあっても、本當に誰かいないものか。そんな思いを消すことは出來なかったが。

この數日後、ラナーという人と深い協力関係を持つことになるのだが、それはまた後の話である。

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