《【書籍化】白の平民魔法使い【第十部前編更新開始】》15.朝のひと時
「俺は子供か……」
エルミラに魔法儀式(リチュア)がある事を教えてもらった翌日。
アルムは自分でも考えられないほど早く眼が覚めてしまった。
當然昨日の寢つきが悪かったとか、朝に何かあるという事ではない。
今日が楽しみで早く起きてしまったのだとアルムは自覚していた。
アルムはを起こすとすぐに支度する。
街でも散歩しようと思っての事だ。
ここに來てから二週間経っているというのに、未だに街を歩くのが不慣れなことをアルムは気にしていた。
學院から寮までの道くらいしか確実に歩ける場所が無い。
アルムはここで過ごすに自分が方向音癡というやつなのではと気付き始めていた。
「森なら迷わないんだがなぁ……」
ぼやきながら制服に袖を通して部屋を出る。
廊下に出ると朝日が窓から差し込んでいて、窓から寮の前に通る道を見ればすでに忙しなくく人がちらほらいる。
そんな営みを見ながらアルムは一階に降りる。
今日は學院とは逆のほうを見に行ってみようという小さな決心をしながら。
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「おや?」
一階に降りると共有スペースにいた先客がアルムに気付く。
共有スペースはコーヒーの香りを漂わせており、見るとアルムと同じく制服を來た子生徒がぽつんと座っていた。
その子生徒は座っていてもわかる長で切れ長の眼は涼し気で大人っぽい印象をける。
「この時間に人と會うとはね。こんな時間に起きるのは私くらいのものかと思っていたよ」
「どうも」
同じ寮に住んでいるのもあって何度か顔を合わせる同期生はいるが、この子生徒とは初めてだ。
新生といっても一まとめにされているわけではなく、基本は一クラス二十人の三クラスに分かれている。
座學の時間でも會っていないところを見ると別のクラスの人間だろう。
アルムは軽く會釈する。
自分もが渇いたので水を飲みに行こうとすると、その背中を呼び止められた。
「一緒にどうだい?」
「え?」
「コーヒーしかないがね」
「飲んだことがないが……」
しこの香りには興味がそそられる。
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もう一つの男共同スペースである食堂に出向こうとしていたアルムの足は迷うことなく踵を返した。
「座っても?」
「ああ、どうぞ」
われるがまま子生徒の対面に座る。
基本的にアルムは好奇心を抑えられる人間では無いのだ。
「"リニス・アーベント"だ、よろしく」
リニスと名乗った子生徒はもう一つカップを出してコーヒーを注ぐ。
カップを取り出したところを見ると自分が使っているのも自前のカップのようだ。
「アルムです、よろしく」
「む? 家名は?」
「無いんだ。平民でな」
「という事は君が噂の平民か」
「そちらが不快であれば席を外すが?」
直接言われることはないが、學院のカフェテリアでも先に一人で待っていると嫌な顔をする人間が何人かいたのをアルムは知っている。
否定はしない、というよりも當たり前の反応だとアルムは思っていた。
貴族達の庭にり込んだたった一人の平民。そんなものは言ってしまえば異分子だ。
いつ自分達の庭をすとも限らない存在を嫌がるのは當然である。
だからこそ自然にけれているミスティ達に謝していた。
「良くも悪くも魔法使いは実力主義だと私は思っている。オルリック家の長男を下した君を軽んじることはないよ」
実際には引き分けなのだと否定する間もなくアルムの前にカップが出される。
「なくとも、この學院にいる間はね。外に出ればただの貴族と平民だから諦めてくれたまえ」
割り切った言葉を口にしながらリニスはニッコリと笑って手を差し出す。それは握手ではなく、飲むように促すものだった。
「いただきます」
怪しさすらじる真っ黒な。
しかし、そのから発せられる香りは引き寄せられるようで、立ち上る湯気は香ばしく、つい嗅ぎたくなってしまう。
し眺めた後、アルムはカップに口を付けた。
「………苦い」
アルムは正直かつ短い想を零す。その表は想通りの味だったことを表していて眉に皺が寄っていた。
リニスはその様子に何故か満足そうだ。
「それがいいんだ、お気に召さなかったかな?」
「せっかく貰ったとこ悪いがその通りだ。どうやら自分にわかる味ではないらしい。まずいわけではない」
「気を遣わなくていいよ、好みは思想と同じで千差萬別さ」
リニスも自分のカップを口に運ぶ。
その所作の自然さがアルムとは違って好みで飲んでいることがわかる。
「リニスはいつもこの時間に?」
「気の向いた時にね。いつもは部屋なんだが、今日は開放的な場所で飲みたい気分だったんだ」
「何かあったのか?」
「これからあるんだ。自分で意識していたわけではないんだが、どうもは正直で違うことがあるとわかっているだけでいつもの習慣でもまた違う気分になるらしい」
「……わかるよ」
今日の自分にそのまま當てはまっていて大きく頷く。
自分も今日それで起きる時間が大幅に早くなった口だ。
理由はさておきだが。
「それでも習慣自が変わることはない。私はこうしていつも通りコーヒーを飲んでいる、君のようなゲストが來てもね」
アルムにはリニスがいつも通りにコーヒーを飲んでいるかはわからない。
しかし、自分のカップを取り出し、コーヒーを注ぎ、優雅に飲むその姿こそが彼の習慣であることと彼がこの習慣を楽しんでいることの証明だった。
「邪魔じゃなかったか?」
「邪魔なものか、私がったんだ」
「そうだが……あれだ、何と言ったか……」
「社辭令?」
「そう、それだ」
言葉をそのままけ止める事が當たり前なアルムには慣れない言葉だが、そういうのがあるのは最近學んだ。
何がそういった建前の言葉かどうかわからないので結局意味はないのだが。
「そんな事は無い。ただ……そう、ここのような広い場所に來ると思いの外私は寂しかったのかもしれないな」
「寂しい?」
「ああ、だから普段は一人の時間に君をったのかもしれない」
リニスは窓の外を眺めながらまたカップに口を付ける。
窓の外には寮長が管理しているガーデンがある。それは一目で趣味の域だとわかる出來栄えで、その見栄えは決してよくない。
それでも普段見る事のないものをリニスは慈しむように眺めていた。
昨日エルミラと過ごしたのとは違う靜寂が流れる。
初対面の二人が同じ席で過ごすには長い。気まずさがあってもおかしくないこの靜寂にアルムは妙な心地よさをじる。
エルミラと一緒の時のような二人の間にある人間関係がそうさせているのではない。こんな靜けさを悪くないと思える二人の心がそうさせているようだった。
いつの間にか、アルムに街を散歩しようという気は無くなっていた。
「……悪かった、リニスの好きな味がわからない人間で」
「ん? 急にどうしたんだい?」
「いや、どうせなら味のわかる人間のほうがこの時間を良くできたのかなと思ったんだ。俺じゃない人間ならこの味が理解できたのかもしれない」
アルムもこのゆったりとした時間を良しとしていたが、この時間は悪くないからこそ、リニスの習慣であるこの味を共有できないことをし殘念に思い始めていた。
「理解なんて出來なくていいのさ。言っただろう? 好みや思想は千差萬別だ。私には私の、君には君の好みや思想がある。それは押し付け合うものではなく歩み寄るものだ。
だからこそ私は君にコーヒーを勧めたが、この味を理解してほしいと思っていたわけじゃない。同じ時間を過ごしてほしかったから勧めたんだ」
「ああ」
「それに君が苦手だと言ったところで私の好みが変わるわけじゃない。変わりなく私にとってこのコーヒーは味なものだ」
そう言ってカップに注がれていたコーヒーをリニスは飲み干した。
「気分が変わるのも、嗜好を共有できないゲストも悪くない。改めて私はこうしている私が好きなのだと実できる。これからも私はこうして朝を過ごすのだとね」
アルムにコーヒーを促した時のようなわざとらしい笑顔ではなく、自然な微笑みをリニスは見せる。
朝日を浴びたその姿は絵に描いたようにしいものだった。
「おお……」
「何だね、そのわざとらしい嘆は……」
「いや、リニスはかっこいいな」
アルムの正直な想がリニスに突き刺さる。
事前にコーヒーの想を正直に言っているせいか、からかっているわけではないと嫌でもわかってしまう。
居た堪れなくなったのか、リニスは立ち上がった。
「初対面の君にこんな事を話してしまうとは思わなった……いや、初対面だからこそか」
「もういくのか?」
「ああ、朝は二杯だけと決めててね。今のが二杯目だ」
「すまん、カップは洗って返す」
リニスはトレイにカップやポットを載せているが、アルムはまだ注がれたコーヒーを飲み切っていない。
香りはいいのだが、味は苦手で會話の無い間もどうにも進まなかったのだ。
「君にあげるよ。元々予備で高いものでもない。いつか私のようにコーヒーを飲む時が來たら使ってやってくれ」
「いいのか? 味と思える日が來るかはわからんが……」
「その時はそのカップはお役免だということだね」
そう言ってトレイを持ちながらリニスは立ち上がる。
「それじゃあアルム。また學院かここで」
「ああ、ありがとうリニス」
子寮に戻っていくリニスの背中を見送ってアルムはもう一度コーヒーにチャレンジする。
し時間が経ったせいかすでにコーヒーから湯気は上がっていない。
「苦いな……」
冷めても苦いのは変わらない。
それでもアルムは最後までこのコーヒーを飲み切った。
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