《【電子書籍化】神託のせいで修道やめて嫁ぐことになりました〜聡明なる王子様は実のところ超溺してくるお方です〜》第二十二話 カイルス宮殿

パンケーキでお腹いっぱいになったエレーニは、サナシスに寢室へ運ばれた。メイドたちにふかふかの布団と布に包まれて、お晝寢だ。ベッドにった途端力盡き、すやすやと寢息を立てはじめたエレーニの寢顔を見て、サナシスは満足げに頭を一でする。可いものだ、風呂にれてやれば毎日綺麗になっていくし、栄養のある食事を與えれば日に日に健康的になっていく。する妻への奉仕というよりも、今は飼いはじめた痩せぎすの大型犬を何とか人並みにしてやるために、世話を焼いている、というじだ。たくさん眠って、たくさん育つように、とサナシスは願わずにはいられない。

音を立てないように、サナシスはメイドたちとともに寢室を出る。起きたら飲みでも用意してやるように、と言いつけ、部屋の前に控えていたイオエルを連れて、サナシスは自の執務室へと向かう。

その道すがら、壯年の男がやってきて、サナシスの前で恭しく頭を下げた。

白亜の王城には似合わない黒づくめの伊達男、ニキータだ。黒いターバンの下には紺の髪がび、珍しい金の目は妖しくる。これでも王族の末席に連なる人なのだが、いかんせん胡散臭い。それはそのはずで、ニキータは決して表に出てこない、暗躍を何よりも好み、ステュクス王國における報収集をはじめ工作や暗殺も含めての活全般を一手に引きける。

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サナシスの顔からは、すっとが消えた。

「狀況は?」

並んで歩きながら、ニキータはすらすらと答える。

「へメラポリスとアンフィトリテの好戦派貴族たちは、北部のカイルス宮殿で開かれる舞踏會に目が向いている。年に一度の祭りとあれば、面を何よりも気にする貴族たちが通(・)常(・)ど(・)お(・)り(・)に開催しないわけにはいかない。すでに主だった貴族たちのそばには間諜を潛ませてある、私の息のかかった人間だけでサロンが開けそうなほどにね」

大陸北部のへメラポリスとアンフィトリテによる大戦爭は、ここ數年衝突と小康狀態を繰り返している。そんな敵対関係にある彼らも、周辺國の貴族たちがこぞって參加するカイルス宮殿の舞踏會にばかりは顔を背けるわけにはいかない。その間だけでも、彼らは戦いをやめ、貴族らしく社界で談笑し、煌びやかな裝でダンスを楽しむ。貴族間の結束を高め、縁を結び、新たな世代が參する。

その一大行事は、ステュクス王國にとっては儀禮上の意味しかなく、正直に言ってあまり好かれている行事でもない。ただ、ステュクス王國主導の和平調停を行うには、都合のいい時期だ。先日スタヴロス將軍が失敗した和平調停を、何としてでも功させなければならない。

そのために、世事に長け、世の貴族について手に取るように把握しているニキータの協力が必要不可欠だった。もっとも、ニキータはサナシスの忠実なる臣下を自稱する男で、言われなくても力を貸しにくるのだが。

「ご苦労。して、何をどうするか、先の話をしよう」

「そう毎週殺すわけにもいかない。先週は事故死が一人、口外できない理由で二人。予定外ではあったが、ちょうどよかった。我々が何もせずとも、舞踏會の最中には死人が出るだろうが」

「誰にいなくなってもらうか、だな。好戦派の重鎮がいなくなったところで、やつらの気勢が鈍るとも思えない。やるのなら」

「へメラポリスの王はいたくれ上げている俳優がいてね。そいつを舞踏會に出すつもりだそうだ」

「ほう」

「パトロンとして、俳優の宣伝に一役買ってやろう、そういう健気な思だよ。だが、その俳優はアンフィトリテの伯爵の息のかかった諜報員で、無理心中に見せかけて王を殺害しようという計畫があるそうだ」

「ふむ。防ぐつもりか?」

「まあ、そのほうが和平調停にはいいだろうからね。アンフィトリテの好戦派の鎮圧は任せてもらっていい、ソフォクレス將軍にはへメラポリス側をどうにかしてもらえれば」

「分かった。ソフォクレス將軍にはやりすぎるなと伝えておく」

「案外あの賢人も暴力的なきらいがある。だが、そうでもしなければ、平和は訪れない」

サナシスは頷く。貴族というものは、理解が悪い。斬首された息子の首を見せても、家の誇りや後ろ盾の威を持ってきてんで勝とうとする。しょうがないから暴漢に殺された娘の死を見せても、意地を張って金と武力を持ち出し見えいた威勢で脅してくる。

結局のところ、納得しないのであれば、殺し合いが最善となる。原始的で、野蠻で、非文明的な行を是とするのは、俗世ではもはや貴族たちだけだ。一般市民や農民、ならず者たちでさえ、道理や力には従い、互いの落とし所を探るくらいのことはするようになったというのに、まるで貴族は時代に逆行している。

これでは世界はよくならない。貴族たちのせいで地上を暴力が支配し、平和を尊ぶ価値観が侵されるのであれば——。

ニキータが足を止めた。サナシスはそれに気づき、ニキータの顔を見る。

ちょうどそのとき、ニキータの人差し指がサナシスの眉間に當てられた。

「そんな険しい顔をしていたら、可いお嬢さんに嫌われてしまうよ」

「エレーニを見たのか」

「おや、隠していたのか? それとも、隠したかった?」

「エレーニがお前を見たら怯えるから姿を見せるな」

「これは手厳しい」

「いずれきちんと紹介する。今はだめだ、新しい環境にまだ慣れていない」

「……犬か何かじゃないのだから」

いやそのとおりだ、と言うのも腑に落ちない、サナシスは黙っておくことにした。

憮然としたサナシスに、ニキータはを鳴らして笑う。

「しかし、神託の乙を妻に迎え、我らが聡明なる王子は世界をどのようにしたいのだろう?」

「分かっているくせに今更聞くな。やるべきことは決まっている」

サナシスは、下されるニキータの指には目もくれず、その背にある巨大な一枚窓の外の空を睨む。

オケアニデスの大陸は、この聖なる國家の名の下に、真の平和がもたらされねばならない。

「我らが主神ステュクスの神意に叛かんとするならば、我らは鉄槌をもって裁きを下す。その口実を作るためにも、お前には働いてもらうぞ、ニキータ」

サナシスは分かっている。

自分たちは、主神ステュクスの意思を都合よく使っているだけだと。不敬であり、涜神的とさえ言える。

それに比べて——エレーニは、本當に主神ステュクスの神託をけて現れた。エレーニには主神ステュクスも神罰を下すまい、決して己の罪がエレーニに及ばぬように、サナシスはそう願う。

ニキータが去ったあと、サナシスは中に渦巻くを抑え込み、執務室へと歩を進める。

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