《【電子書籍化】神託のせいで修道やめて嫁ぐことになりました〜聡明なる王子様は実のところ超溺してくるお方です〜》第二十八話 忘卻の神レテ

ぽかぽか気の芝生の上で、私は獨り、寢転んでいた。サナシスは神長たちと話があるとのことで、私だけ先に神殿の周りの青い芝生にごろごろしている。何でも、巫だからたまには神殿に近寄ったほうがいい、中にるのはサナシスと一緒でいいから、と知己の神長パナギオティスから助言をけたからだ。

地上より太に近いせいか、芝生はあったかく、のびのびとしている。その割には日差しは強くなく、ちょうどいい。日向ぼっこには最適で、風呂にったせいもあって何だか眠くなってきた。

うとうと。ほんのし、私は意識が遠ざかった。

何となく、その覚は以前もじたものだ。

目を開けると、大きな川のほとりに、アネモネの花と水仙の花が一緒に咲いていた。芝生はに朝のけて、木々は赤く染まっている。季節を無視し、晝夜の區別も曖昧なこの場所は、私は見覚えがある。

これは、主神ステュクスに呼ばれたときと同じだ。私ははっとして、周囲を見回す。

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すると——私の背後に、フードを深くかぶったが立っていた。小柄で、私と同じくらいしかない。フードとローブは深い青で、顔はよく見えない。

そのは、私へおずおずと聲をかけてきた。

「エレーニ。私のことは、憶えて……ないわよね、知ってる」

「え? 私は、あなたとお會いしたことがございますか?」

「ああ、そうだわ、直接會ったことはないわ。ごめんなさい、早とちりをしてしまったわ……こほん」

咳払いをして、小柄なはちょっとだけ明瞭な聲を出した。

「私はレテ。あなたの仕える、今も一応そうなってる、忘卻の神レテよ」

気怠げに、は名乗った。

忘卻の神レテ。忘れていた、私が修道として仕えていた神だ。そういえば挨拶に行くことも忘れていた。その忘れたこと全般が、彼が忘卻の神レテだと証明しているようなものだった。

私は急いで跪く。レテははあ、と肩を落とした。

「大丈夫、あなたのことはステュクスお母様から聞いてるし、そもそも私の數ない信徒だから……まあ、私のことはかけらも信仰してくれてなかったみたいだけど」

「も、申し訳ございません。不敬な真似を」

「いいの、事があったことは知ってる。それに、私の信徒は皆、自分勝手だから慣れてる」

レテは拗ねている、というよりも、諦めている様子だ。確かに忘卻の神レテを信仰し、修行に邁進する人々は基本的に極限の生活をしているから自分のことばかり考えている。私もそうだった。日々生きることに必死で、信仰なんてどうでもいいし、そもそも私は信仰自嫌っていた。

「ステュクスお母様に叱られたの。あなたはあんなにかわいそうな娘に加護を與えることもなく放ったらかしで、そんなことだから信徒も増えないし忘れ去られてるんだ、って」

ぶつぶつ、レテは愚癡をらす。信徒も忘れっぽければ、神も忘れっぽい。お互い様のような気もする。

ただ、私はまだ忘卻の神レテに仕えている、彼を奉らないわけにはいかないし、失禮はあったから謝罪する。

「あの、神レテよ。ご不快にさせて申し訳ございません。私は、今まで自分のことしか考えられませんでした。あなたに対して、供を捧げることも最低限しかできず、信仰は怒りと絶で失われてしまっています」

すると、レテは首を橫に振った。

「大丈夫だって。今回は、私の信徒がステュクスお母様の筆頭巫になるという名譽なことだから、お祝いに來ただけだし。それに……最近、人間に加護、與え忘れてたもの」

やっぱり忘れていた、と私は思ったが、口には出さない。私もレテの存在を忘れていたのだから。王城であまりにもサナシスが私に世話を焼いてくれていたから、私は王城に慣れようとそのことしか考えられていなかった。言い訳にしかならないけど、一応レテは私の近況について主神ステュクスから聞いているようなので、安心はした。

おもむろに、レテは私の頭上に手をばす。啓示のごとく、聲が上から降ってくる。

「エレーニ、私の加護で、あなたの嫌な記憶を忘れさせてあげる。あなたはこれからあの立派な王子に可がられて、幸せな人生を全うするの。大丈夫、復讐はちゃんと功する。世界を巻き込んで、あなたの不幸を生み出した者を絶やしにする。それだけは憶えていられるから」

ぽん、と私の頭がでられる。

に突きかされて、私は、何かを思い出そうとした。母の顔は思い出せる。父の顔? ……父? そんなものが、私に?

冷たいの聲がした。復讐はるだろう。お前のに不幸を産みつけた蝿は、地獄の劫火の中でその代償を支払う。お前はその不幸を忘れ、幸福な人生を歩むがいい。

その言葉を聞いて、すっと、が軽くなった。背負っていた荷を、誰かが下ろしてくれた気がした。

爽やかな風が吹く神域アルケ・ト・アペイロンで私は目を覚まし——何かを忘れていることすらも、忘れたようだった。

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