《【電子書籍化】神託のせいで修道やめて嫁ぐことになりました〜聡明なる王子様は実のところ超溺してくるお方です〜》第四十五話 ヘリオス・ペレンヌス

ステュクス王國王城には、多數の庭園がある。神域アルケ・ト・アペイロンと太で照らされた植はよく育ち、一部は王立農業研究所にも貸し出されている。品種改良のための時間を大幅に短できるため、小麥や米の収穫量を増やし、冷害や病気に強くする、といった技は他國よりもはるかに優れていた。

ある溫室庭園の一つ、最上階にほど近い、白亜のテラスを備えたそこに、一人の青年がいた。

白銀の髪に赤い目をした彼は、ここから出ることはできない。特別にこしらえられたヴェールを被り、有害なの波長を遮斷する特殊なガラスの中で、彼は過ごしている。生まれてこのかた、彼はずっとここにいる。その類稀なる繊細なガラス細工のような貌を大衆に知られることもなく、一生を過ごすことが決まっていた。

それももうすぐ、終わる。

彼のテラスへサナシスがやってきた。手には、書類を攜えて。

安楽椅子の前で立ち止まったサナシスは、一禮をした。

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「兄上、おはようございます。今日はいくつか文書に目を通していただきたく思い、まいりました」

サナシスの呼びかけに、彼——兄と呼ばれた青年、ヘリオス・ペレンヌスは疎ましげに目をやる。安楽椅子から首をもたげ、気怠そうに口を開く。

「お前がいいと言うのなら、それでいいだろう。それとも何か、私ごときに責任を押し付けるつもりか?」

「そのようなことはございません」

「病に臥せる父王の代わりとなって、この國のすべてを手にれたつもりだろう」

ヘリオスの嫌味にも、サナシスは眉一つかさない。いつものことで、それはここから健康上の理由で出られないヘリオスのささやかな気晴らしだと分かっている。

しかし、サナシスはヘリオスを無視するわけにもいかない。ステュクス王國の重要な決定事項は、王族の中でも権力ある者たちの同意が必要だ。病に臥せり立ち上がることも常時覚醒することもままならない國王と違い、次期國王と目されるヘリオスは、たとえ普段執務をこなさなくてもそれらに口を挾む程度の権力は持っている。

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もっとも、サナシスがヘリオスを無礙にしない理由はそこではなく、近しい親族、目上の者として重んじるからだが、ヘリオスはそれをサナシスの高慢や打算と斷じていた。まだ利用価値のあるヘリオスを、実務の最高権力者に等しいサナシスが利用しないはずがない、そう考えているのだ。

誰からも敬される出來のいい弟と、まともに出歩けもしない引きこもりきりの兄。のころからそう比較されつづければ、兄は弟をなからず憎むものだ。

サナシスはそれを知っている。知っているからこそ、見なかったことにしていた。

サナシスは、先日決意したある計畫をヘリオスへ告げる。

「今日は、兄上に俺の計畫を聞いていただきたいのです」

「計畫? 何を企んでいる?」

「この大陸の貴族制度を全廃する、そのような企みです」

それを聞き、ヘリオスは鼻で笑う。

「何を馬鹿なことを……お前は、この大陸のすべてを敵に回すつもりか?」

「いいえ。これは時代の流れです。ステュクス王國はこの流れに乗じ、次の時代でも生き延びます。そのための」

「そのために何人死ぬ?」

「大勢でしょう。しかし、やらねばなりません。これ以上、犠牲者を増やしたくないのです」

「詭弁だな。既得権益をひっくり返そうと言うならば、その関係者すべてを打ち負かす必要がある。無論、手はあるのだろう、だがそれは、お前が死んでも続くものなのか? そうでなければ、お前一代きりの改革もどきで終わるだけだ」

サナシスの顔は固いままだ。ヘリオスはそれが気にらない。

きっと、ヘリオスの考えることなど、聡明なるサナシスはとっくに考えている。サナシスの考えることに誰が口を挾めよう、その決定が間違いなく正しいとヘリオスは誰よりも分かっている。

分かってはいても、認められるわけではない。

「兄上が案じておられるところは、俺も理解しているつもりです。それでも、舊カイルス王國での反功は、次の時代の萌芽です。まもなく、大陸全土で似たようなことが起きるでしょう。それらを制しなければなりません」

「自分ならできると? 自惚れも大概にしろ。いつまで子供じみた萬能に囚われるつもりだ」

「兄上、違います。俺は」

ヘリオスは、手を上げてサナシスを制する。

「私に、お前に抵抗する力があるとでも思うか?」

サナシスは押し黙る。

この場に持ってくる案件はすべて、実質的に事後承諾のためのものだ。すでにサナシスの考えどおり事はき出していて、ヘリオスはそれを追認するだけ。ヘリオスもサナシスもそういう形式的な関係を続け、改めようとはしなかった。互いに無駄だと分かっているからだ。サナシスがヘリオスを重視して権力を與えようとしても、ヘリオスは健康上の理由を盾にそれを拒む。本心は、サナシスへの意趣返しだとしても、だ。

「どうせ、父上はこう言うさ。お前のために、私が責任を負って、そして死ね、と」

「そのようなことをおっしゃるのであれば、俺は父上と言えども厳重に抗議しましょう」

大真面目なサナシスを嘲笑し、ヘリオスは口端を歪める。

「サナシス。一つ伝えておくことがある」

「何でしょうか?」

「私はもう長くない。醫師の見立てでは、半年かそこらで死ぬ」

その言葉を聞いて、サナシスは明らかに顔に揺のを浮かべた。

ヘリオスは満足げにそれを見る。してやった、と思っている。下らないことだが、そのくらいしか抵抗のがない。

「不治の死病だと。どうしようもない。苦しんで死ぬくらいなら、いっそのことと思うがね」

ヘリオスは目を閉じた。一週間前、生まれたときから世話になっている主治醫から、そう告げられたばかりだ。

元々、ヘリオスは長くは生きられないと宣告されていた。二十四歳の今となっても、まともに外界と接を持てない。それどころか、の下に出ることすら葉わない。溫室の中でしか生きられず、何もかもを拒絶して死までの無為な日々を過ごす。誰も、ヘリオスを救えなかった。ステュクス王國中の名醫をもってしても、ヘリオスを治療することは匙を投げている。

そんな人間が、國王になどなれるはずがない。しかし、王城からその事実がれることはない。厳重に報統制が敷かれていた。サナシスの功績の一部をヘリオスに帰することさえして、諸外國も國民も騙している。そうしなければ、ステュクス王國は次代の國王候補としてヘリオス派とサナシス派に二分され、爭うことになる。無用な爭いを避けるための、苦の策だった。

それも、ヘリオスが死ねば必要がなくなる。拒否できない配慮された人生を送ってきたヘリオスは、恥と苦痛と劣等に苛まれる狀況から解放されることを、かに喜んでいた。

だが、サナシスは違う。ヘリオスは認めないが、サナシスは誰よりもヘリオスを案じていた。皮なことに、それが報われる日は來ないだろう、どちらもそれを分かっている。

サナシスは張を孕む聲で問う。

「そのことは、誰が知っていますか」

「そう聞くと思ったよ。安心しろ、主治醫だけだ。父上にさえまだ言っていない」

言ったところで、死にかけの父に何ができるわけでもないがね。ヘリオスは目を伏せた。すべてはサナシスにとって都合よく運んでいる。國王が死に跡を継ぐはずの兄が死に、サナシスへ王座が転がり込むことは確実だ。それを告げられてサナシスは喜ばないことも知っている、だからと言ってヘリオスの気が晴れるわけではない。

サナシスは力説する。

「治療の神パナケイアへ供を捧げ、神たちに祈らせましょう。そうすれば」

「お前は頭はいいのに馬鹿だな。神になど縋るものか、無駄な足掻きだ」

「やってみなくては分かりません」

「黙れ。そうやって信仰心で糊塗した見栄えのいい心配をして、お前は満足だろう。私からすれば腹立たしいことこの上ない。偽善はよそでやれ」

ヘリオスはサナシスを冷たく突き放す。

関わってほしくないのだ。最低限の報共有くらいはする、だが同に塗れた目で見られることも、配慮されることもんでいない。ただ一刻も早く、靜かに死なせてほしいとさえヘリオスは思う。

ヘリオスには、サナシスがそれを知っていてなお、ヘリオスを助けたいと思っていることなど分かりきっていた。それが気にらない。強者の慈悲のごとき気遣いは、より一層ヘリオスを慘めにさせる。

「そんな目で見るな。何もかも、お前に都合のいいように事はいているのだから」

それが、ヘリオスの一杯の強がりだった。

サナシスは何も言わない。何を言っても、狀況を好転させられず、兄を侮辱することになる。

やがてヘリオスが書類をけ取り、サナシスを追い払う。

もはや、誰とも関わりたくなかった。ヘリオスは一人、溫室の中で死を待つ。

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